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宵の巫女  作者: シュリ
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第四話 神山の城

 ふたりは山道を黙々と歩いていた。途中、レオは何度もリリーの足腰や体力の消耗を心配していたが、そのたびに軽く足を叩いてみせ、「わたし、もう十五になったのよ。だいじょうぶよ」と笑いかける。

 あの不思議な馬に出会ってからだろうか、風は一層冷たさを増し、吹きつける力も強くなっている。そのうち、風の中に白い粒が混じりはじめた。雨交じりの冷たい粒だ。

「ああ、雪」風に体を前へ傾けながら、リリーが呟く。「吹雪になるかしら……地面に積もった雪も、なんだか深くなってるみたい」


 山道を覆う雪はあっという間に厚みを増して、革靴を履いた足を容赦なく捉えた。


「風がすごいわ。目の前がまっしろ……」


 頬を打つ風に目を細め、びゅうびゅうと持ち上げられる前髪を抑えながら慎重に歩く。戸惑いと感嘆の声を上げるリリーの背中に、温かな外套がふわりとかけられた。


「えっ……だめよ!」


 あろうことか、吹雪の中を、レオはいつもの黒衣姿で歩いている。慌てて外套を突き返そうとしたが、彼はその手を制した。


「俺は平気だ」

「何を言ってるの!」

「俺のからだには、火の力がある。寒さも、苦ではない――」

「だからって! あなたはそれでも、蜘蛛なのよ。急な体温の変化は、あなたにとっもつらいはずでしょう」

「俺は、あの森で五十年生きていた。雪のなかでも、着るものもないまま戦っていた」

「……そう、かもしれないけど」

「あなたはもう少し、自分のことを案ずるべきだ」


 口調こそいつもと変わらないが、断固とした意思を感じた。旅のあいだ、レオは何度か、そう言って絶対に譲らない瞬間があった。決まってリリーの身を優先するときだ。


「あなたこそ、自分のことをもっと考えて……あなたに倒れられたら、本当に嫌なの。少しでもつらくなりそうだったら、すぐに言って」


 レオは微かに口角を上げ、それからまた前を向いた。吹雪からリリーをかばうように、一歩前に出る。その無意識の行動すら、リリーには危うく見えた。

 ――魔女は、いったいどこにいるのかしら。

 魔女がこの山にいるという確たる保証はない。長らく言い伝えられているというだけだ。ただそれだけを頼りに、なんの足がかりもなく、凍てつく山のなかを歩いている。

 自分が言い出したこととはいえ、さすがに無謀すぎる思いつきだったかもしれないという意識がじわじわと胸にはびこりはじめる。


「レオ――」

「リリー」前方で彼の声。「もう少し登って、何もなければ、戻った方がいい」

「ええ、そうね」力強く、リリーはうなずいた。「そうしましょう」


 もう少し。もう少し。

 そう頭に浮かべながら歩いているうちに、雪はさらに深みを増した。革のブーツが完全に埋まってしまい、下手をすると雪が中に入り込んでしまいそうだった。いや、入ってしまったかもしれない。つま先がキンとしみるように痛い。


 ゴオ、と叩きつけるような風が吹きつける。ふたりの歩みを拒むように一層激しく、唸りを上げる。

 これ以上は行けない、引き返そうと言いかけた時だった。リリーの眼は、白く霞んだ景色の前方に吸い寄せられた。


「馬だわ」ぽつんとこぼす。「馬……さっきの馬よ! 角がある!」

 レオも素早く目をこらしたが、周囲はごうごうと風が鳴るばかりで、何も見えない。

「ああ、そんな……あんなところに、ひとりぼっちなんて。きっと仲間とはぐれてしまったのね。迷子なんだわ。どうしたら……」

「馬など、どこに」


 問いかけるレオの声など聞こえぬように、ふらりと一歩、足をすすめる。身を乗り出して、手を大きく振った。


「ねえ、そこのお馬さん、そんなところにいたら凍えてしまうわ! こっちに来て、わたしたちと麓へ降りましょう!」


 そのとき、レオの耳が遠く地鳴りのような音を捉えた。微かだが、地の底から湧き上がるように、低い地響きを感じる。――何かがこちらへ近づいている!


「リリー!」焦燥に駆られ、レオはリリーの体を強く引いた。「今すぐここから離れるんだ!」


 そう叫ぶ間にも、地響きは刻々と迫っている。一体どこから? 前方か、右か、左か――

 その瞬間、猛烈な突風が後方から押し寄せ、ふたりの背中に怒涛のように襲いかかった。

「きゃ――」

  リリーの悲鳴さえかき消えるほどの強風だった。雪の礫の混じった巨大な吹雪の塊に押され、体が大きく前に傾く。レオは咄嗟にリリーの体を抱き、地面に衝突する寸前で転がるように身を挺する。


「レオ!」悲鳴混じりに叫び、必死に抱き起そうとする。

「だいじょうぶ!? ごめんなさい、わたしが――」


 だがまたしても凍えるような突風が襲い来る。レオはすぐさま体勢を変え、リリーに覆い被さった。

「だめ!」

 慌てて自分の背中から外套を剥ごうとする。それを、レオは拒んだ。

「どうして……無茶しないで、これを着て、わたしを盾にして!」

「人間の体は、こうも脆いのだと……つくづく、思い知らされる。あなたと俺の違いを」

 低い声で、淡々とこぼす間にも、レオの体を黄金の光が包み込んでいた。

「許してほしい」


 何を、と問うまでもなく、レオの体は巨大な黒い蜘蛛の姿に変貌していた。毛むくじゃらの体でリリーを抱き込むと、その口と腹から金の糸を放出する。それは瞬く間にリリーの全身に絡みつき、レオの巨体をも巻き込んで、ふたりを完全に覆い尽くしてしまった。


***


 気づけば、暗闇のなかにいた。


「ほんと、クイーンによく似ているね」


 頭の近くで、涼やかな少年の声がする。


「瞳も同じなのかな」

「勝手に触れるな、急に目覚めたらどうする」


 まったく同じ声音……でもどこか冷ややかな声が足下の方から聞こえてくる。どうやらだれかが近くに、それも二人いるらしい。


「それにしても、この蜘蛛……これが本当の大きさなんだね。あの巨体は、力?」

「知らん」


 蜘蛛……蜘蛛! リリーは跳ね起きようとした。だが、体に力が入らない。まるで全身から血の気が抜けたように言うことを聞かないのだ。

 視界も閉ざされ、体も動かない――レオ、レオはどこにいるの? 

 雪山の風景と、突然襲いかかった凍てつく突風、身を挺したレオが糸を吐いたこと……何もかもを瞬時に思い出し、息が止まりそうになった。

 レオの糸は、あらゆるものを焼き焦がす。だがリリーを包む糸の繭はほのかに温かく、毛布のなかにくるまれるような心地だった。そして、ぴたりとレオが覆い被さってくれていた。頬に触れる体毛の柔らかな感触と、手足を押さえ込む彼の脚、全身にのしかかる優しい重み――


 ああ、ちがう。そんなことを思い浮かべている場合じゃない。リリーは内心で首を振った。それより、あの糸の繭だ。あの状態を維持し続けるには、どれほどの力を消費するのだろう。ただでさえ常日頃から人間に擬態し続けているというのに。冬の地域に入ってから、食料も満足に得られているとは思えない。途中で力尽きてしまったかもしれない。自分は、いつ気を失ってしまったのだろう? レオがあのあとどうなったのか、見届けることもできないまま……


「ねえ、このまま目が覚めなかったらどうする?」

 涼やかで明るい声が再び問う。

「もし、彼女がクイーンと同じ(・・)なら、力を使い切っちゃったりしてたらまずいよね?」

「クイーンが見守れと言った。黙って見ていろ」

 もう一方の声は一層冷ややかだ。

「はいはい。じゃあ蜘蛛の方、よろしく頼むよ。ぴくりとでも動いたら教えて」


 頭にかかった靄が徐々に晴れていく。そうだ、レオと自分は、あれからどうなってしまったのだろう。ここはどこだ。天国でないとしたら、誰かに助けられたのだろうか。その誰かが今、自分たちを見守っている二人なのか。

 酷く錆びついた鉄扉のように、瞼が重い。それを力づくでこじ開ける。ぐぐ、と体のうちから力を込めて開いていくと、天井から差し込む光が見えた。

 きらきらとたくさんの光が滲んでまぶしい。氷の結晶が踊っているかのように瞬いている……


「あっ」声が反応した。「うそ、目が覚めちゃった。だいじょうぶ? まだ、つらいんじゃないの?」

 リリーは再び瞼を閉じ、ゆっくりと開いた。今度はそれほど労力がかからなかった。続いて、唇も動かしてみる。舌がからからに乾いていた。


「こ、ここ、は」

「ここは、クイーンの城だよ」


 声が耳の後ろを通り抜け、視界の右端からひょこりと顔を出した。癖のある銀髪を持つ少年だ。エメラルドグリーンの瞳に好奇心の光をたたえて、リリーの瞳をじっとのぞき込んでくる。


「ねえ、君はだれ? 君も巫女? クイーンと同じ、真っ白な眼だね」

「巫……女?」リリーは困惑顔で首を振った。「いいえ、わたしはただの人間で……それより、クイーンって……ここは、お城?」

「そうだよ。クイーンが棲み、僕たちが居る」少年は両手を広げてにっこり笑った。

「雪山の古城だよ。君たち、この山に迷い込んでてさ。吹雪で凍えて死にかけてたから、ここまで連れてきたんだ。もちろん、クイーンの命令でね」

女王(クイーン)の……」


 リリーは改めて周囲を見渡した。ここは豪奢な大広間だった。きらきらと輝く雪の結晶のような光は、頭上にさがったガラス玉で、その中に炎が揺らめいている。見たこともない奇妙な明かりだ。城内はよく見るとひどく古びていて、タペストリーや絨毯は色褪せてぼろぼろ、燭台やこまごました装飾も石床に落ちて砕けたか、折れた残骸だけが残っている。そんな廃れた空間の真ん中にふかふかの毛皮が敷かれ、リリーは寝かされていたのだ。


「助けてもらったなんて……お礼を言わなくちゃ。ああ、その前に――すっかり忘れていたわ、わたしはリリーと言います。それで、あの……わたしと一緒に、蜘蛛がいなかった? 黒い蜘蛛が」

「リリー、か。かわいい名前だね。蜘蛛ならこっちだよ、ほら」


 少年が体を少し傾け、その向こうに敷かれた毛皮の上を見せてくれた。そこには少年と鏡合わせのようにそっくりな見た目の少年が仏頂面で座っており、彼の膝元に、手のひらほどの大きさの黒い蜘蛛が横たわっている。


「レオ!」リリーは跳ね起きようとして、またも体がもたついた。精いっぱいに力を込めて、無理矢理上体を起こしにかかる。

「待って、待って。まだ君の体、回復していないよ。蜘蛛が心配なの? それなら、もう少しそっちに寄せるから」


 少年が慌てて毛皮をひっぱり、蜘蛛をこちらに近づけてくれた。リリーは力の入らない腕でどうにか体をひきずり、小さく丸まっているレオの方へそっと身を寄せる。


「レオ……」


 震える手を伸ばして、彼の体を引き寄せる。元の大きさの彼は、吹く風に飛んでしまいそうなほど軽く、頼りなげに見えた。


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