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宵の巫女  作者: シュリ


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第三十話 鎮魂歌

「……あの、スリスさん。その……訊きたいことがあるの」

 スリスが黙って顔を上げる。リリーはレオの脚をしっかり握ったまま、不安げな顔を向けた。

「巫女と従者の契約について。あなたなら、何か知っていると思って……」


 ――私にわかることなら、如何様にでも。


「ありがとう。その……千里眼で、視ていたと思うけれど……前の巫女が森の生き物を金色に変えて、力を与えていたの。でも、彼女の手記には、血を与えたような描写はなかった。契約もなしにそんなことができるのかしら。それに、レオの存在も不思議だわ。彼だけ姿が違うのよ。力を補給しなくても力が使えるし……」

「そう、それ、私もずっと気になってたわ。信じられないかもしれないけど、このふたりは契約してないのよ。レオはいったいどこから力を得ていたのかしら?」


 ――なるほど。もっともな疑問だろうな。彼らのことについては、私も詳しくはわからない。何せ前例がないのだ。憶測で良ければ話してやれることもあるが……


 ふいに、スリスの体がぐらりと傾いた。リリーははっと息を呑み、レオの脚からぱっと手を離した。

「だいじょうぶ?」

 慌てて駆け寄り、背を支える。「具合が悪いなら、無理しないで」と促したが、スリスは気丈に首を振った。


 ――ありがとう、リリー。そうだな、ここに、座らせてほしい。


 スリスが床に足を投げ出し、ウルーラの眠る泉に背を預ける。そして、そばで心配そうに見つめるリリーの方へ暗い眼窩を向けた。


 ――リリー、金色の彼らは、かなり特異な存在だ。魂に何らかの弊害が……おそらく、きちんとした手順を踏まずに無理やり従者にしようとしたことで、力と引き替えに多くのものを奪われたのだろう。今も森に生きるものたちは、その哀れな末裔だ。前の巫女は従者という存在すら知らぬまま、本能的にやったことだろうがな。


 魅了の歌声と引き替えに飛ぶ翼を失った駒鳥。七色の声と引き替えに森のヒエラルキーの下層に追いやられた蛇。目立って失ったものがなくても、皆、共通して陽に弱かった。陽に当たればたちまち灰と化してしまう。


 ――禁忌のペナルティは血を分けた子孫たちに永遠に受け継がれていく。彼らはあの森でしか生きられない。あの森にある鉱石が、前の魔女の力を彼らに循環させているからだ。


「え、……鉱石が」


 ――あの鉱石は元々、郷のものだ。この翠砡殿(すいぎょくでん)を見て、思うところはなかったか?


 リリーは改めて神殿の内部をぐるりと見渡した。確かに、この建物を構築している不思議な石の色は、あの鉱石によく似ている。だがあれよりも透明感があり、別の石だと言われればそう信じてしまえるくらいには、質感が違う。


 ――翠砡は本来、巫女たちの力を安定させ、時に増幅させる効果がある。石自体が巫女の力を吸って呼吸し、この地のバランスを保っているのだ。


「でも、あの石は、魔女や金の生き物には見えないし、力を封じるために使われていたわ。まるで真逆よ……」


 ――はるか昔、とある巫女が自分の膨大な力を安定させるために、石をこっそり持ち出した。石は地上にあっても、ある程度は呼吸を続けていたが、次第に吸い込む力と放出するバランスが崩れ、巫女の力を貪欲に吸い続けるようになってしまったのだ。

 力を奪われることに気づいた巫女は、石を地中深くに棄てたが、呼吸困難になった石は面積を増やしはじめ、ついにひとつの鉱山を生み出したのだ。そして、自分を敵と見なした巫女から姿を隠すため、巫女の目に見えぬよう性質を変えた。


「ちょっと、何の話?」

 カイネが我慢しきれずに割って入る。だがスリスは取り合わず続けた。


 ――翠砡は本来持ち出し禁止だ。非常に気むずかしい代物だからな。持ち出した巫女はウルーラによって見つけ出され、処分されたが、石の在処はついぞわからなかった。


「では、あの鉱石にとって、巫女の力を得た生き物たちの棲む森は、呼吸しやすい環境だったということ……」


 ――そのとおりだ。生き物たちも石の呼吸によって力を循環され、補給などされなくても力を行使することができる。その姿は、私もこの眼に視てきた。実に独特な……唯一無二の生態だったな。今もなお、彼らはあの世界で生きている。石のそばから離れて暮らすことはできないからだ。


「でも、それならレオは? レオは石から離れて旅をしていたのよ。わたしは力の補給なんて知らなかったし……」


 ――これもまた憶測に過ぎないが、あなた自身が鉱石の役割を担っていたのかもしれない。


「わたしが……」


 ――あなたは巫女ではない。かといって人間でもない。その身に巫女の魂の一部を宿し、力を秘めている。あなたは彼のそばにいるだけで、力を分け与えていた。……まあ、私の勝手な推測だがな。


 リリーはおそるおそるレオの方を見つめた。六つ並んだ黒い瞳と目が合う。

 城に来てから彼の力が枯れそうになったのは、文字通りリリーと離れてしまったからなのか。だとすれば、本当に、自分はなんて愚かなことをしてしまったのだろう。


「じゃあ、僕の姿は?」

 今度はイシュケが無邪気に訊ねた。

「契約したときにもらえる姿を綺麗さっぱりなくしちゃったんだ。レオも確か……あ、でも君は、生まれつきなんだっけ?」


 ――契約時に与えられた姿は、従者の証だ。巫女と契約した唯一無二の存在であると知らしめるためのもの。だから離反すればその姿を失う。おまえはカイネから離反したから馬に戻ったのだ。


「それ、ほんと? それも何かペナルティがあるの? ほら、禁忌みたいにさ」


 ――すまない。それは私にもわからない。離反など、本来予期されていない事象なのだ。まずありえることではない……私も実際に視たのはこれが初めてだ。

 そしてレオ、おまえについては……


 そのとき、スリスの嘴の端から、すっと一筋、赤い線が落ちていった。

「スリスさん!」

 リリーが慌てて背をさする。


 ――だいじょうぶだ。だがもう、時間がない……質疑はここまでだ。カイネ、あなたも、こちらに来てほしい。


 カイネも複雑な面持ちで近づき、リリーにならってしゃがみこんだ。スリスはふたりの手に翼で触れ、弱々しい息を吐き出した。


 ――あなたがたは、今や巫女の、唯一の生き残りだ。私の千里眼を持ってしても、もはや他の巫女を見つけられなくなった。地上にも、郷にも、あなたがたしかいないのだ。


「……ほんとうに、文字通り、滅びたのね」


 ――そうだ。だから、あなたがたはどうか、寿命を全うしてほしい。郷で暮らしてもいい、地上に戻ってもいい……幸せに、生きてほしいのだ。自由に。何ものにも縛られることなく……


 頭に響く声は、だんだんと小さく掠れていく。スリスは最後の力を振り絞り、リリーの腕から離れると、泉によじ登ろうとした。その背を、ふたりで両側から支えてやる。

 透明な水面は薄らと緑に光り始めていた。スリスは翠砡水に体を沈め、巫女の胸に頭をもたせかける。

 神殿を築く石壁も光を帯びていた。レオと双子がぴくりと体を震わせ、天井を見上げる。


「何か、きこえない?」

 イシュケの声に、リリーもカイネも泉の方を見つめたまま、黙って耳を澄ませた。

「歌だわ」カイネが戸惑いの声を上げる。「なに、これ……だれが……」


 リリーの白い唇が小さく開かれる。昔、孤独に溺れて苦しんでいたとき、口ずさんでいた旋律。知らない言葉の、どこか寂しい、もの悲しい歌が、自然と口からこぼれ出ていた。


「リリー、知ってるの?」


 何も答えられなかった。自分だってどういうことなのかわからない。メアリに教わった歌。メアリは誰に教わったのだろう。黒い手記のなかで、〝魔女〟も歌っていた。

 レオと旅をはじめて幸せを感じられてから、滅多に歌うことはなくなった。この歌は、孤独の歌だ。わびしさや苦しみを感じた心に寄り添う旋律だ。

 どこかから聞こえる歌に合わせて、神殿の石壁の光も強まったり弱まったりする。神殿全体が歌っているようだった。


 泉の纏う光が強烈な輝きを放ち始める。光の向こうで、巫女の体がぼっと勢いよく燃え上がった。傷を負った従者の体を抱きしめるように炎が踊り、ふたりの姿を跡形もなく消し去っていく。

 カイネは顔から血の気を失い、その場にふらふらと座り込んだ。


「これが……巫女の死なの? こんな……」

 リリーは歌うのを止められなかった。神殿の一部になったように、巫女ウルーラと従者スリスの鎮魂を祈るように。





「リリー、リリーったら」

 イシュケにゆすぶられ、我に返る。

「クイーンも、しっかりしてよ。もう、全部終わったみたいだよ」

 カイネは床にへたり込んだまま、ぼんやりと顔を上げた。

「……全部、終わったのね」

「そうみたいだよ。ほら、もう跡形もない」

 つかつかとイグニスが寄ってきて、カイネを支えるように引き上げる。レオもリリーの隣について、じっとリリーの様子をうかがった。空っぽになった泉のそばに膝をつき、中をのぞき込んでいる。なみなみと注がれていた翠砡水も、干上がったように乾いていた。はじめから何も入っていなかったように、古びた黒い石の棺が横たわっているだけだ。

 レオの触肢がリリーの肩を撫でる。リリーは我に返ったように目を瞬き、大丈夫、と無言で微笑んだ。そして、みんなの方を振り返った。


「これから、どうするべきかしら。わたしたち」

「そんなの、わからないわよ」

「あの梟……なんなんだ」


 唐突に吐き捨てたのはイグニスだった。


「わざわざ、クイーンをここまで呼びつけておいて、ひどい死に様を見せつけて、帰り道さえ用意しないとは。無礼にもほどがあるぞ」

「そうよ! 帰り道!」カイネがはじかれたように顔を上げる。「どうするのよ! 入ってきたところ、閉じちゃったじゃない。何が『地上に戻ってもいい』よ……戻れないわ!」


 辺りがしんと静まりかえる。自分たちの置かれた状況を今更ながらに理解し、絶句していた。


「……出る方法ならきっとあるはずよ。探してみましょう」

「リリーってば本当、楽観的ねえ。ここ、すごく広いじゃない。どうやって探すのよ」

「それは……まだわからないけれど。探すにしても、もう夜だし、ひとまずどこかで休みましょう」

「いやよ! 私はお城のベッドで眠りたいの。こんな得体の知れない世界の寝床なんて絶対、いや」


 ここへ来て、カイネの我儘ぶりが炸裂している。リリーは途方に暮れたように遠くへ目を遣った。


「そんなこと言ったって……」

 そのとき、ふいに視界の向こう――神殿の柱の間から見える木立の影から、茶色い小さな何かがよたよたと飛んでくるのが見えた。

「あれ、豆梟……?」


 皆、釣られるように外へ出る。豆梟は彼らの頭上をくるくる旋回しながら、ぴいぴい鳴いた。


「ちょっと、何言ってるの? 全然わからないわ」

「帰り道を案内してくれるの?」


 リリーの問いに答えるように元気よく鳴くと、豆梟は神殿内部へするりと飛び込んだ。神殿の奥へとまっすぐに飛んでいく。やがて、祭壇近くの獣の彫刻に降りたち、こちらを向いて大げさに翼を振ってみせる。


「なに……なによ、美しくない祭壇ねえ」


 磨き抜かれた純白の石を積み上げただけの、質素な祭壇を、カイネはうさんくさそうにじっと見上げていた。が、やがてその半眼の眼差しをふいに見開き、リリーの袖をぐいと引く。


「ねえ、あれ、〝鍵〟?」

 祭壇のすぐ隣に、銀の鏡が立てかけられている。その中央に、目を懲らさなければわからないほど細い線で、奇妙な紋様が刻まれていた。


「あ……!」

 手のひらほどの円のなかに、複雑に折り重なるいくつもの幾何学模様。間違いなく、〝鍵〟だった。


「……ここから、帰れるのね」

「でも、元の場所に戻れるっていう保証はあるのかしら?」

「確かにねえ」背後から、イシュケののんびりとした声が割って入る。「扉が現れて、開いて……全然知らない誰かの家の中だったりしてね」

「ちょっと、怖いこと言わないでよばか!」


 言い合うふたりに、豆梟は困ったようにぴいぴいと鳴いているが、あいにく何を言っているのかわからない。


「ねえ、豆梟さん。わたしたち、ここを通ったら元のお家に帰れるの?」

 豆梟はリリーを見、明らかにほっとしたような顔つきになった。何度も何度も、首がもげそうなほどうなずいてみせる。


「よかったわ。みんな、ここからちゃんと帰れるみたいよ」

「そんなの、どうしてわかるのよ」

「どうしてって……豆梟さんがうなずいてくれたじゃない」

「どうして豆梟なんかにそんなことがわかるのかってきいてるのよ」


 カイネはぶつくさ言いながらも、イシュケの前に手を差し出した。


「あのナイフ、もう一度ちょうだい」

「待って、カイネ」リリーが慌てて制する。「もう、帰っていいの? その……ここは、あなたの故郷でもあるんでしょう。もう少し、ゆっくりしても」

「故郷ですって。冗談はやめてちょうだい。こんな寂れた異界の村なんてこれっぽっちも思い入れなんかないし、私の生まれた場所はあの城よ。これから生きていく場所もあそこなんだから」


 きっぱりと言い切って、氷の刃で指先を切る。そして何の迷いもなく、鏡のなかの紋様に指先を押しつけた。


「いいこと、リリー。どれだけの巫女が地上で不幸になったか知らないけれど、そんなことに怯えて異界に閉じこもるなんて、私はまっぴらよ。私は私。地上に死ぬまで君臨してやるんだから」


 紋様から眩しい光が放たれる。リリーはレオの頭を抱きかかえるようにして、彼の眼を光から守った。

 やがて、扉の形を描くように光の線が走る。カイネはすっかり慣れた手つきで紋様に手をかざし、手首を捻って扉を開いた。


「あら」

 光の扉の向こうには、真っ白な世界と、崩れた石壁があった。巫女イレーヌの家の跡地だ。

「あの子、嘘は言ってなかったのね……」


 リリーは彫刻の肩へ両手を伸ばし、豆梟を抱き取った。

「あなたは、ずっとここにいるの?」


 豆梟は大きな眼をすっと細め、小さく鳴いた。リリーの胸に顔をすりつけ、翼をばたつかせるようにして腕の中から抜け出すと、皆の頭上をくるくると舞った。


「案内してくれて、ほんとうにありがとう。豆梟さん」


 豆梟は嬉しそうに鳴き、翼を動かしてリリーたちを促した。まずカイネが歩き出し、扉の向こうへ抜けていく。続いてイグニスが、イシュケが出て行くと、レオがリリーの背中を押した。


「さようなら」


 最後にそう言い置いて、リリーも扉をくぐり抜けた。

 レオが抜け出る頃には、光の扉は輝きを増し、閉じかけていた。


「さようなら!」


 その隙間が、石壁に呑み込まれてしまう瞬間まで、リリーは手を振り続けた。豆梟は最後までそこにいて、ぴいぴい泣き続けていた。


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