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宵の巫女  作者: シュリ


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第二十八話 待ち受けるもの

「待って! お願い、開けて!」


 慌てて壁に手を這わせ、〝鍵〟となる紋様を探る。だがどこにも見当たらない。壁は恐ろしくつるつるしていて、よく見れば薄青い光をたたえた透明な石でできていた。


「うそ、戻れないの?」


 カイネも焦ったように壁を叩いている。好奇心に紅潮していた頬から血の気が引いていく。


「うそでしょ、こんな……こんなことって」

 イグニスとレオの炎も、イシュケの氷も、この壁に傷ひとつつけられなかった。皆一様に押し黙って、絶望的な顔を見合わせるしかなかった。


「リリー……」

 ようやく、カイネが口を開いた。目線は自分の足元に落ちたまま。

「その……ごめんなさい。まさか、こんなことになるなんて……」

「ううん……誰だってわからないわ」

「何よそれ。もっと怒りなさいよ。あなた、私のせいで帰れなくなったのよ。来るの、嫌がってたのに」

「怒ったって仕方ないわ。きっと別に出口があるはずよ。探してみましょう」


 気丈に笑いかけてみせるが、内心ではどうしたものかと途方に暮れていた。自分が禁忌の存在だとばれたら、たちまち捕まって殺される。万一生かされたとしても、レオは無事では済まないだろう。


「レオ、元に戻って」


 彼は一瞬、迷うようにじっとこちらをうかがっていたが、素直に小さくなってくれた。彼を手のひらに掬い上げ、腰のポケットに入ってもらう。


 ――とにかく、この洞窟を出てみなくちゃ。一本道だといいけどねえ。


 こんな状況でも、イシュケはどこかのんびりとしている。


 ――大丈夫だよリリー。いざとなったら僕が君を乗せて逃げてあげる。誰もそうそう追いつけやしないよ。


 彼の明るさに、束の間でも心が軽くなる。


 五人はその場を離れ、目の前に続く細い道をひたすら歩いた。透き通るような青い壁は神秘的とも言えるだろうが、完璧すぎる美しさがひどく不気味だった。

 洞窟はどこまでも続いていくようだったが、幸いにも出口はあった。遠くにぽかりと光が見える。


「よかった、出られるわ」


 カイネの声。リリーはきゅっと口元を引き締めた。

 ぽかりと空いた出口の向こうには、輝くばかりの緑の大地が広がっていた。草原が風に揺れて艶めき、ぽつりぽつりと草食動物の姿がある。だが、リリーたちが立つ足場とその大地のあいだはばっくりと断絶されていた。かろうじて細い道が一筋繋がっているが、みんなで縦に並ばなければ歩けないほど細く、見るからに頼りなかった。


「ちょっと、ここ、浮いてる! 浮いてるわ!」

 カイネが悲鳴を上げてイグニスに飛びついた。

「下、見て! 雲よ! 雲の上にいるの!」


 断絶され、開かれた空間には、気の遠くなるような底無しの空があり、濃い煙のような雲に覆われていた。


「なによここ……ほんとうに巫女の郷なの? 思ってたのと全然違うわ。人が棲んでる形跡もないし……」


 そのとき、頭上に奇妙な声が響いて、こちらへ向かって飛んでくる何かが見えた。とても小さな丸っこいシルエットだ。よく見れば精いっぱいに翼を広げて飛んでいるように見える。それはどんどんこちらに近づいてきて、ついに姿がはっきりと見えるほど高度を下げた。


「あれは――梟だわ。小さいけれど……あら?」


 梟の嘴に、真っ赤な羽根が咥えられている。家の跡地の壁際に落ちていたものと同じものだ。

 小さな豆梟はリリーたちの頭上を旋回し、何度もぐるぐる飛んでみせてから、意味ありげな視線を送り、ぱたぱたと向こう側の大地へ羽ばたいていく。


「ついてきて……ってこと?」

 半信半疑のカイネの声に、豆梟は一声鳴く。

「でも、あの羽根……リリーたちを襲った梟のものじゃないの? 信用していいのかしら」


 ――確かにね。僕らは結局、あいつにとどめを刺せていないから。リリーをおびき寄せようって魂胆の可能性もある。


 すると豆梟が再び舞い戻ってきて、ぴいぴいと焦ったように翼をばたつかせた。その様子がなんとも気の毒に思えてしまって、リリーは真下に歩み寄った。


「ねえ、梟さん。わたし、誰かに狙われてる?」

「リリーったら、そんなこと真面目に訊いたって、はいそうですって言ってくれるわけないじゃない」


 豆梟はとんでもないというように首ぶんぶん振り、翼と足をばたつかせた。リリーの回りを必死に飛び回っている。


「わたしには、この子に悪意があるようには思えないわ」

「何よそれ。ほんとうについていくつもりなの?」

「ええ。なんだか……わたしたちが行かなければ、この子が気の毒な目に遭いそうで」


 ――ほんっと、おひとよしだよね、リリーって。レオもおかんむりだよ、ほら。


 ポケットのなかでレオがいらいらと忙しなく動いているのもわかっている。だが、リリーは豆梟を見上げて微笑んだ。


「どこに連れて行ってくれるの?」


 豆梟はつぶらな目をきりっとさせて(リリーにはそう見えた)、しっかりと羽ばたいた。少し進んでこちらを振り返り、また進んでこちらを振り返る。


「あっちに行くには、この細い道を渡らなくちゃいけないじゃない」カイネが心底嫌そうに身震いする。「落ちたら大変だわ。いいこと、慎重に歩くわよ。ひとりでも落ちたら承知しないんだから!」


 イグニスが先頭を務めてくれた。みんなで縦に並んで注意深く足を運ぶ。大地を繋ぐ道は見た目よりはるかに頑丈で、少しも崩れる様子はなかった。全員無事に渡りきれたので、皆一様にほっとした顔を見合わせる。


 こうして、豆梟に案内されながら、リリーたちはだだっ広い草原をひたすら歩いた。あの赤い羽根を咥えているということは、豆梟は宵の巫女の従者の元へ案内しているのだろうか。その可能性が一番高い。それをわかっていながらついていくなんて、普通に考えれば危険な行為だ。だが、リリーはどうしても、彼から何か切実な、必死なものを感じてしまって、ついていかずにはいられなかったのだ。


 この大地は空にぽかりと浮かぶ巨大な島で、端から雲海に向かって滝が流れ落ちているようだった。そして、見たこともないようなあらゆる生物が生息している。驚いたことに誰もこちらを警戒しないし、襲いかかろうともしない。肉食草食関係なく無頓着だ。

 リリーとカイネはふたたび双子の馬の背に乗り、豆梟の後を追っていた。


「ねえ、郷はどこにあるのかしら?」

 カイネが豆梟の背に向かって声を上げた。


「巫女の住む郷よ。どこかにあるんでしょう? まさか、こんな野原が郷だなんて言わないわよね」


 豆梟は困ったようにこちらを振り返り、また前に向き直った。何か言いたげな様子だが、従者でもない彼に伝達できる手段はない。

 広大な草原は永遠に続くかと思われた。さすがの双子も時折休息し、草を食まねば歩けない。レオはその間、ふらりと姿を消して、ずるずると獣を引きずって帰ってきた。目の前で丸焼きにして食べやすいよう切り分けてくれる。


「こういう食事、久しぶりね」

 リリーが嬉しそうに肉を頬張る横で、カイネは顔をひきつらせていた。

「食事は、城で食べるのが一番よ……」

 そうつぶやいて、自分はポケットからクッキーのかけらを取り出して味気なく咀嚼した。


 リリーは食事のあと、土を掘り、ミミズを捕まえて豆梟に分け与えた。


「はい。ずっと飛び続けて、疲れているでしょう」


 豆梟は嬉しそうにぱくつき、あっという間に呑み込むと、すりすりとリリーの胸に頭をこすりつける。


「うふふ。くすぐったいわ!」

「……リリーってば本当、獣たらしね」

「べ、別にたらしてなんて」


 奇妙な世界ではあるが、空は地上と同様に移り変わっていく。からりと明るかったのが赤く染まり、暗く沈んでいった。だが、豆梟は案内をやめない。いったいどこまで導くつもりなのだろう。


 やがて、天高くそびえる絶壁が見えると豆梟は空中で静止し、ぴい、と小さく鳴いた。絶壁には凄まじい勢いで滝が流れ落ち、真っ白い飛沫が霧のように辺りを幻に包んでいる。


「すごいわ。もしかして、まだ上があるのかしら?」


 リリーの言葉通り、絶壁の一部が切り開かれ、階段が刻まれていた。これまで自然のまっただ中を歩いてきただけに、突如人工的な光景を見せられ、リリーの顔が硬直する。


「だいじょうぶだよ、リリー」

 人間の姿になったイシュケは、衣服を着ながら明るく言った。

「いざとなったら僕に乗って。絶対守るから」

「……ええ。ありがとう」


 ポケットのなかからレオが飛び出して、リリーの肩によじ登る。何か言いたげに鋏角を動かした。


「あはは、レオ、僕に妬いてるの?」


 豆梟が急かすので、皆で階段を上っていく。イグニスも人型になり、カイネを守るように一歩前を歩きながら、周囲に目を光らせていた。


「わあ……」


 階段を上りきると、下とは別世界が広がっていた。だだっ広い草原ではなく、青々とした木々と芝、そして、ところどころに奇妙な建物が見える。どれも木造で、床下から三本の脚が斜めに伸び、地面の上にしっかりと立っている。


「あれは、民家……かしら」

「ふうん。変な家だね」

「あれが民家ですって? てことは、ここが……」


 リリーとカイネは立ち止まり、真剣に耳を澄ませた。人がいるかもしれない。自分たちと同じような巫女が今にも出てきて、禁忌の存在だと気がつくかもしれない……

 ぴいぴいと豆梟が騒いでいるのを、カイネが「ちょっと黙ってなさい!」と叱りつけた。


「ねえイグニス、何か感じる?」

 イグニスは黙って首を振る。

「イシュケは?」

「さあ。でも、なんだか不気味だね。人っ子一人いないって雰囲気だ……とても人が棲んでるようには思えないけどな」


 レオはリリーの手のひらのうえで全身の毛を逆立てていたが、やがておとなしくなった。やはり何も感じないらしい。


「……とりあえず、進んでみましょうか」


 リリーが歩き出し、皆もそれに従った。辺りが完全に夜の闇に沈み込むと、レオとイグニスが炎を出して先導した。

 郷、と思しき空間は、巫女どころか生き物の息づかいさえ感じられず、ひっそりと静寂のなかにあった。民家の合間に雑草混じりの石畳が敷かれ、その上を導くように豆梟は飛んでいる。そしてついに、小さな梟は羽ばたくのをやめ、そばの木の枝に降り立った。


「何? 到着したの? ――あ」

 皆、自然と足を止めた。鬱蒼と木々の立ち並ぶ向こうに、何やらぼんやりと淡く光るものが見えたのだ。

「あそこなの? わたしたちの目的地は」


 リリーの問いに豆梟はうなずいた。疲れたように目を細めて、ほうっと息を吐いた拍子に、咥えていた赤い羽根をはらりと落とす。


「そう。……わかったわ。案内してくれて、どうもありがとう」

「ちょっと、もう行く気?」

「ええ。ここまで来たのだから、行くしかないわ」

「死にたくないだの何だの言って、変なところで度胸あるんだから……」


 カイネの呆れ声を背に受けながら、リリーは進む。暗い木立を抜けると、目の前に白い石段が続いていた。おっかなびっくり、頂上を見上げておそるおそる石段に足をかける。何も起こらないので、リリーは堂々と上っていった。

 階段の上には、巨大な神殿が聳え立っていた。その全体がほんのりと薄緑色の光を帯びている。近くで見ると、つるりとした半透明の石だとわかった。

 ふと、脳裏に懐かしい映像が浮かび上がる。かつて、先代の魔女を閉じ込めた薄緑の鉱石……魔女の力を吸い取ったとされる不思議な石……見た目はよく似ている。ここまでの透明感はなかったし、光を帯びてもいなかったが、色合いはそっくりだ。何か、関係があるのだろうか?


 神殿の正面は大人が五人ほど手をつながなければ囲めないほどの太い柱が等間隔に並んでおり、その向こうは広く空洞になっていた。夜空の下で広い天井に覆われ影になっているが、誰かがいる。そんな気配がする。


 ――来たな。巫女も従者も、全員揃って来てくれるとは、嬉しいことだ。


 突然の声に心臓が跳ね上がった。肩からレオが飛び下りて体を巨大化させる。イグニスと同時に火を燃やすと、神殿の中の様子がぼんやりと浮かび上がった。


 だだっ広い空間の中央に、四角い何かが横たわっている。そしてそのそばに、燃えるように真っ赤な羽毛を持つ大きな梟が立っていた。円くのっぺりとした顔面は見るも無惨に斬り裂かれ、両眼が深々とえぐり取られている。


 ――そう怯えなくていい。私はあなたがたを襲うつもりは毛頭ない。火を扱えるのなら、入り口の松明に灯すがいい。中が明るくなる。


 レオとイグニスは顔を見合わせ、柱に取り付けられた松明に火を灯した。すると瞬く間に神殿内に灯りが広がり、内部を煌々と照らし出した。

「……!」

 リリーもカイネも息を呑んだ。


 赤い梟のそばに横たわる、四角い何か――それはつるりとした黒い石棺で、透明な水がなみなみと注がれている。そのなかに、真っ白な女性が目を閉じて横たわっていた。髪も肌も唇も、すべてが白く染め抜かれている。暗い水面に広がる長い髪は、散らされた白百合の花弁のようだった。

 彼女はリリーやカイネと比べると、少しばかり年上に見える。赤い梟は彼女に寄り添うように立っていた。

 リリーはおそるおそる訊ねた。


「その人……宵の巫女?」


 ――宵の巫女はもうじき死ぬ。


 梟は淡々と、そう答えた。


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