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宵の巫女  作者: シュリ


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第二十七話 鍵

 朝陽が照りだし、カイネの部屋をあわただしく飛び出した少年たちは、城の中を忙しく徘徊していた。大広間、客間、キッチン……あらゆるところを順繰りに巡ってもカイネは見つからない。やがてイグニスは血の気を失った顔で、よろよろと壁にもたれかかった。


「クイーン……」

「落ち込むのはまだ早いよ。捜せるところは他にもいっぱいあるでしょ」


 イシュケは颯爽と立ち上がり、「リリーたちにも協力を仰ごう」と部屋へ急いだ。

 戸を叩くと彼女はすぐに出てくれた。とっくに起きていたらしい。


「朝からごめんね。クイーンがいないんだ。僕らが起きた時にはベッドはもぬけの殻で……大広間とか客間とか色々探したんだけど、城の中には……」

「カイネが?」リリーはふと思い出したように首を傾げた。「そういえば、昨晩、カイネの声を聞いたような気がしたけれど……気のせいだったのかしら」

「夢でも見たんだろう。誰も来ていない」


 後ろからレオが割り込み、リリーは訝りながらもうなずいた。「そうかもしれないわ。ごめんなさい、変なことを言って」


 リリーは手早く外套を羽織り、レオと共に部屋を出た。レオはついてきたがったが、「みんなで手分けしましょう」と一人で歩いた。思えば、この城に来てからさがしものばかりだ。

 城の中にはたくさんの施設がある。見張り塔や入り組んだ回廊、主塔、中庭……


 最後に行き着いたのは礼拝堂だった。リリーが扉の前に立つと、後ろから双子とレオもやってきた。


「カイネはこんなところ、一番興味もないはずだけど。もう、ここしかないわよね」


 みんなも同意した。取っ手に手をかけ、扉を引く。レオも手を貸してくれ、重々しい扉が開かれていく。暗い石床に白い光の筋が走り、その向こうの長椅子に寝そべる白い人影を照らし出した。


「カイネ!」

 慌ててそばに駆けつけ、肩をゆする。

「カイネ、どうしてこんなところにいるの? ああ、体が冷たいわ」

「どいてくれ」


 イグニスが無理矢理割って入り、カイネを抱きしめた。見る間に周囲に春でも訪れたかのように暖かくなる。カイネの薄い瞼がぴくりと動いた。


「あら……」

 ぼんやりと目を瞬いて、不思議そうに首を傾げる。


「みんなして、どうしたの? ああ、もう朝なのね。みんな血相を変えて……」

「カイネったら」リリーは半分呆れたような笑みを浮かべた。「朝からカイネがいないって、イシュケもイグニスも大騒ぎだったのよ。どうしてこんなところで寝ていたの? ここ、とても寒いでしょう?」

「どうしてだったかしら」


 カイネはまだ、夢見るような瞳で呟いた。


「ああ、そうだわ。考え事をしていたの。一晩中、ね」

「考えごと?」

「ええ。……巫女って、なんなのかしらって」


 声はしんみりと響き、地に落ちた。誰も何も、答えない。


「ここってね、昔、人間が神なる存在に祈りを捧げる場所だったんですって。でも、天井にも、レリーフにも、巫女の姿は描かれていないわ。翼の生えた変な生き物や、人間の姿ばかり……巫女って、神から遣わされた存在じゃなかったのかしら。ずっとそう思って生きてきた……でも、私のこの知識も、母からもらったものにすぎないの。母の知らないことを知ることはできないのよ」

「きっと、人間が崇めていた神と、巫女を創った神は違うのよ」

「だとしたら、どちらが正しい神なの? ……なんて、いろいろ考えているうちに寝入ってしまったのね。ごめんなさい、朝から騒がせてしまって」


「それを確かめる方法なら、ないこともないんじゃない」


 皆が一斉にイシュケを振り返った。彼はカイネを囲む輪から微妙に逸れた位置で、椅子の背にもたれかかっていた。


「郷に行ってみればいいんだよ。日記には、郷に行ったって書いてあったでしょう。〝鍵〟を使って」

「そんな簡単なものじゃないわよ。だいたい、郷がどこにあるのかもわからないのに。〝鍵〟なんてものもよくわからないし……」

「僕がリリーを迎えにいったところに、人の棲家の跡地があった。あれ、場所的に、巫女イレーヌの家だったんじゃないかな」

「なんですって!」


 カイネの素っ頓狂な声が響く。これにはリリーも仰天していた。が、同時に妙な納得もしていた。日記には、山の頂上に棲家があると書かれていた。造りの古い、石積みの壁と床。ありえない話ではない。


「そこにもう一度言ってみよう。何か手がかりがあるかもしれないし」


 限りなく確証の薄い話ではあった。馬鹿馬鹿しいとさえ思えるようなその案に、なぜかその場の全員が首を縦に振った。


 あの梟の襲撃が終わり、城に戻ってからというもの、口では言い表せないような微妙な空気に支配されていた。どことなくぎこちないような、しなければならない対話を避けるような空気感……それを自然と避けるように、皆が意見を一致させ、城を出る準備をした。


 ――リリーは僕に乗ってね。レオも特別に許してあげるよ。


 イシュケは脱ぎ捨てられた自分の衣服を鼻先でリリーに押しやり、背中を向けた。カイネはイグニスの背だ。銀の一角獣と灰色の馬が並び、山道を登っていく。


「リリーったら、それにしてもよく無事だったわねえ」

 横で、どこから持ってきたのかクッキーを頬張りながら、カイネが言った。

「最後、鴉に攫われたんでしょう?」

「ええ。でも、襲われたとかそういうんじゃないの。命を救われたのよ」


 城の部屋の隅に、遺骸の入った箱を大切に置いてある。それをどうすべきか、リリーは未だ悩んでいた。


「ふうん……? よくわからないけれど。あなたってもしかして、天然の獣タラシ?」

「そんなんじゃないわ」


 天には薄墨色の雲がやんわりと広がっている。その向こうでぼやけた太陽が天高く昇ったころ、皆は立ち止まった。


 ――ここだよ。


 雪に覆われた静謐な地帯に、明らかに人工的なものがぽつんと置かれて朽ちている。リリーがメアリと別れたあの跡地だ。改めて見ると、古びた石床は崩れて草根に侵食されており、わずかに残った壁も枯れた蔓草に覆われている。一部、褪せて擦り切れた壁掛けらしきものが引っかかっているが、人の住んでいた形跡はこれくらいだ。


「なあにここ、ほとんど何もないじゃない」


 ――わからないよ。文字通り草の根をかき分けてみないとさ。


 イシュケは辺りの匂いを嗅ぎながら、鼻先で地面を突いたりどかしたりしている。皆もそれに倣って周囲を探索しはじめた。

 日記にあった〝鍵〟がどこかに埋まっていれば。そして、どこで使うのかヒントがあれば、郷に行ける。だが、本当に郷に行けたら、どうなってしまうのだろう。自分は禁忌の存在だ。カイネはともかく、自分は行ったらすぐに捕まって殺されてしまうかもしれない。

 ふいに、レオが肩から飛び下りて、するすると石壁の方へ歩いていった。


「レオ?」

 眼を上げたとき、リリーの視界にも、それははっきりと映った。

「――あれは」

「どうしたの」


 カイネも近寄ってくる。リリーはおそるおそる石壁の方へ歩み寄り、しゃがみこんで、それを指先につまんだ。

 長く立派な、一枚の羽根。燃えるように真っ赤に染まった鳥の羽根が、壁際に落ちていたのだ。


「そ、それは」


 カイネの驚愕の声に、双子も近寄ってくる。そして同時に鼻を鳴らした。


 ――これ、あいつの羽根じゃないか!


 見れば、土の上にいたレオがするすると石壁をよじ登り、ぼろぼろのタペストリーの裏へもぐり込む。リリーは後を追うようにタペストリーを捲り上げた。冷えて乾燥しきった古い布地は、ほんの少し引っ張っただけであっけなく破れてしまう。


「あっ」


 その下に、手のひらほどの円い紋様が刻まれていた。レオは壁にはりついたまま、それに触肢でつんつんと触れている。


「カイネ、この魔方陣みたいなもの、何か知らない?」

「……さっぱりわからないわ」


 紋様は、リリーがかつて読んだお伽噺に出てくる魔方陣によく似ていた。だが、円のなかに五芒星や六芒星が描かれていた魔方陣とは違い、こちらは円のなかに針よりも細い線がびっしりと張り巡らされており、目を懲らしてもよくわからないほど複雑な幾何学模様を描いている。


「もしかしたら、これが母親の言う〝鍵〟……なのかしら……」

「でも、鍵って普通は錠前を意味するわ。こんな模様だなんて……」


 言いながら、リリーはふと思いたち、イシュケの方へ手を差し出した。


「イシュケ、あの氷の刃をもう一度作ってくれないかしら」


 それだけで、彼はリリーの意図を察してくれたらしい。口先で薄い刃をつくり、リリーに手渡した。


「ありがとう」


 大切に受け取って、親指の腹に刃をあてがう。ぷつりと赤い血の線が浮かび、それを紋様の真ん中に押し当てた。

 すると一瞬、円のなかの幾何学模様が白く輝いた。――が、瞬きの間に光は消えてしまった。


「今、光った……わよね」

「貸しなさい」


 リリーの手から氷の刃を奪い、カイネも親指を小さく切る。背後でイグニスが猛抗議したが、無視して指の腹を紋様に押し当てた。

 瞬間、まばゆい光があふれ出て、目も開けていられないほどの白で周囲の景色を染め上げる。


「な、なに、なによ!」

 わけもわからずカイネが叫ぶ。リリーは咄嗟に壁からレオを引きはがし、手のひらに包み込んだ。

 徐々に白い光は薄まり、少しずつ瞼を開けていく。


「だいじょうぶ? 眼、焼かれていない?」


 手のひらをそっと開き、瞼を持たない彼を労ると、小さな鋏角を動かして応えてくれた。よかった、平気そうだ。


「あーっ!」

 カイネの叫び声に、ふたり同時に身を震わせた。

「なに、どうし……」


 壁の内側を白い光が縦に長くぐるりと囲っている。紋様はまだ光を滲ませており、きらきらと輝いていた。


「なに、これ……」

「どう見ても、扉だわ」

 ゆっくりと、カイネが手を伸ばす。

「この紋様、まるで扉の取っ手――」


 ――だめです、クイーン! 迂闊に触っては!


 イグニスがカイネの衣服の裾を咥えて引っ張り寄せた。だが、紋様の光がカイネの手のひらに吸い寄せられるように伸びて、ぐるりとねじれていく。石壁を囲う光の線が呼応するようにぎぎぎと動いて、光の扉が開かれていく。

 二頭の馬と巨大な蜘蛛がふたりの前に飛び出した。やがて扉が開ききってしまったとき、カイネもリリーも、おそるおそるつま先を伸ばして目を懲らす。

 瞬間、ふたりは言葉を失った。


 石壁にぽかりと空いた大穴の向こうに、薄暗い洞窟が広がっていた。だが見る角度を変えると、洞窟の壁は光をたたえ、透き通るような青に色づいている。

 イグニスもイシュケもびっくりしたように固まって動かない。レオは石壁の裏に回ってぐるりと眼を動かし、こちらに戻って扉の向こうを凝視する。


 ――だよね、レオ。壁の裏側、ただの雪山だよね。


「そうよ、こんなの出鱈目だわ」


 声を震わせながらも、カイネは頬を紅潮させていた。白んだ瞳がらんらんと輝いている。彼女は双子の間に割って入り、自ら扉の向こうへ足を踏み入れた。


 ――クイーン!


 イグニスの止める声もきかず、彼女はすっかり向こう側へ移ってしまった。

「だいじょうぶよ。ほら見なさい。立っててもジャンプしても平気よ。それよりここ、すごいわ。……リリーったら、何をそんなに怯えているの? はやくこっちに来て。この洞窟の中を見て!」

「で、でも、カイネ……」


 本当にこの先に、巫女の郷があるとしたら。 


「わたし、禁忌の存在なんでしょう……? 郷に入ったら、わたしもレオも殺されてしまうわ」

「あら、宵の巫女の従者はやっつけたんでしょう? それに、いざとなったらこっちに戻って、扉から逃げればいいじゃない」

「そう都合よく逃げられるとは思えないわ。ここから先はひとりで言って、カイネ。わたしとレオはここで待ってるから――」


 言い終わらぬうちに、扉の線が強烈な光を放ち、ちかちかと明滅しはじめた。もうすぐ閉まることを示しているようで、リリーはレオの脚を掴んだまま、一歩下がる。


「もう、リリーったらしょうがないわね。ほんとに私、行っちゃうわよ」


 拗ねたように双子を手招いた、そのときだった。

 扉の光の明滅が急速になり、目もくらむほどの光を放つ。それは扉の手前でまごついていたふたりを絡め取ると、恐ろしい力で扉の向こうへ引きずり込んだ。


「きゃああぁっ!」


 レオがリリーを抱き、必死に土の上に踏ん張ったが、吸い込む力はあまりにも強く、ふたりはまとめて扉の向こうへ投げ出された。ばたん、と扉が閉まる音。そして、カチャリと鍵の回る無情な音が続いた。


「あっ……そんな!」


 扉の線は瞬く間に消え、目の前にはごつごつとした洞窟の壁がそびえているだけだった。

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