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宵の巫女  作者: シュリ


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第二十五話 少女と馬

 どれほど時が経っただろう。気づけば頭上から赤々と燃える暁光が消え、白みがかった青空が広がっていた。

 雪に反射した陽がまぶしく、リリーもレオも目を細める。


「そういえば、ここはどこなのかしら。気がついたらメアリに連れられていたから、どういう道をたどってきたのか、よくわからないの」


 周囲を見渡す。空との境界があいまいなほど、視界のすべてが白一色だ。背後の石小屋跡の存在がひどく浮き出て見える。

 その時、遠くから蹄の音が響いてきた。音とともに、雪をざくざく踏み締めるかすかな振動も伝わってくる。

 見れば、箱を咥えた灰色の馬が、こちらに向かって歩いてきている。


「イシュケ!」


 目を見張り、馬が傍まで来るのを呆然と見つめる。


 ――なんとか、無事だったみたいだね。よかったよ。……不思議そうな顔しないでくれない? 僕がいなくちゃ、帰る手段もなかったでしょう?


「その、箱は」

 レオの問いに、リリーとイシュケは互いに顔を見合わせた。

「……メアリよ」


 ややあって答えた声は、複雑な感情を押し隠すようにくぐもっていた。レオはそれ以上、何も訊かなかった。あの鴉は、己とリリーにとって敵でしかなかった。消えたのなら、それでいい。それでいいのだ。


 ――ひとまず、城に戻らない?


 イシュケがこちらに背を向けてうながす。


 ――ほら、乗って、リリー。あ、レオはリリーの肩にでも乗ってよ。さすがにふたりも乗せられないし。


「でも、城は……」


 今更カイネに合わせる顔がなかった。自分のせいで城は被害を受け、イシュケも、梟曰く〝離反〟してしまった。たった一日中で、カイネの平穏な暮らしを壊してしまったのだ。


 ――いいから乗って。ふたりとも、ちゃんとした場所で休んだほうがいいよ。ていうか、僕もいい加減、城の部屋で眠りたいんだよね。さすがに力が尽きそうだし。


「イシュケは、だいじょうぶなの?」


 ――あはは、心配ありがと。おかげさまで大した怪我もしてないし、平気だよ。でも、しばらく人型になるのはよしとくよ。ほら、乗って。


 それでもリリーは躊躇し、まごついていたが、とうとうイシュケがリリーの袖を咥えてひっぱり、半ば強引に背中に乗せた。レオは蜘蛛の姿に戻り、衣服をリリーの膝に載せ、自分は小さくなってリリーの肩に飛び乗った。

 歩きながら、イシュケがふと軽く鼻を鳴らした。


 ――ところで、ふたりは番いになったの?


「えっ……」

 喉からおかしな声が飛び出した。慌てて口を押さえ、頬を染めるリリー。レオは知らん顔だ。


 ――今更恥ずかしがることじゃないでしょ。なんとなくわかるんだよね。匂いというか、空気感というかさ。


「あ、あの……」


 ――あー、僕に謝ったりとかぜったいしないでね。そういうのいいから。


 わざと冷たい言い方をして、イシュケは言葉を切った。それからはひたすら押し黙って、雪の上を闊歩した。

 だが実は、リリーに聞こえないようひっそりと、後ろの蜘蛛に向かって声を飛ばしていた。


 ――リリーのこと、泣かせないでね。僕にとっても大切なひとなんだから。たぶん、一生……忘れたくても忘れられないかも。


 ――おまえには、感謝している。


 それはイシュケにとってあまりに意外な返答だった。思わず振り返ってしまったくらいだ。


 ――俺の眼の届かないところで、おまえはリリーを守ってくれた。手出しせず、女王の言いなりにもならず……おかげでリリーは、城での生活に困りはしなかったろう。つらい目に遭うことも……


 イシュケは何も答えなかった。何か一言でも声を発したら、胸にこみ上げているものがすべて出て行ってしまいそうで、口を閉じておくのに必死だったのだ。




 城の敷地は静まり返っており、イシュケの足音が周囲に響いて聞こえるほど、なんの音も存在しなかった。

 昼の陽に照らされた中庭は、想像以上に悲惨な状況だった。リリーが滞在していた別棟の部屋の壁は半壊し、雪の地面は深々とえぐられ、中庭の木々はなぎ倒され、見渡す限りのそこかしこに、戦いの爪痕が痛ましく残っている。

 カイネはどこだろう。自室で休んでいるのだろうか。

 リリーは肩にレオを乗せたまま、イシュケの背から降りて辺りを見渡した。


 そのときだった。居館の扉が大きくばたんと開かれ、白い少女が転がるように走り出てきた。足元の崩れた地面を少しも見ずに駆けてきて、やがて割れた石畳の角に足をぶつけてつんのめった。


「きゃっ――」


 その後ろから銀髪の少年が、正面から灰色の馬が、一斉に駆け寄り少女を支える。少女は馬の首にしがみついた格好で、自身でも信じがたいというように彼を見上げ、そしてぶわっと涙をあふれさせた。


「イシュケ、イシュケ……!」


 あとはもう、声にならない声をあげ、ひらすら泣き崩れている。イシュケは困ったように兄を見た。兄は肩をすくめて首を振る。


「クイーンは寝てない」


 そうぶっきらぼうに言って、あとは背を向けていた。

 カイネはさんざん泣きわめき続け、それもだんだん声がしぼんでいき、やがて寝息に変わってしまった。馬の首にもたれたまま気絶したように眠っている。戸惑うイシュケにリリーは微笑みを浮かべ、

「お部屋まで運びましょう」

 と明るく告げた。


 日が暮れ、月が天高くのぼっても、カイネは目を覚まさなかった。カイネの部屋で、イグニスは暖炉に火を放ち、ベッドのそばに寄り添っている。すると遠慮がちに扉が開き、隙間からエメラルドグリーンの瞳が覗いた。


「なに遠慮してるんだ」

 仏頂面でイグニスが促すと、イシュケがおずおずと入ってくる。

「クイーンは?」

「まだ一度も目覚めていない。うなされてはいたけどな」

「うなされて……?」

「まあ、いい。座れ」


 と、隣のスペースをぽんぽん叩いた。イシュケはおとなしく従い、ベッドに背をもたせ掛けるようにして座り込む。


「あの小娘は」

「ちゃんと休んでるよ。レオはもう完全回復してるし、何かあってもだいじょうぶ」

「そうか」


 しばし、どちらとも無言だった。

 ベッドのシーツがもぞりと動き、ふたりそろってはっと振り向く。カイネの顔は反対側に向けられているが、寝息は続いている。


「寝返りか」


 イグニスはため息交じりにつぶやいて、それからぶっきらぼうに口を開いた。


「小娘のことは、いいのか」

「え?」

「好きなんだろ」

「……好きだけど。叶わないから」

「そんなことで諦めるのか」

「彼女の幸せは、レオといることだから。好きな人の幸せを取り上げるなんて、さすがにできないよ」


 イグニスは呆れたように天を仰いだ。それから、膝を抱えてうつむく弟に視線を戻す。


「なら、戻ってこい。クイーンにはおまえが必要だ」

「それは……どうだろう。むずかしいよ。あんな風にクイーンを裏切ってさ。自分自身を貫いたわけだし。叶わなかったから戻りましたなんて、さすがに虫が良すぎるでしょ」

「虫がいいとか悪いとかじゃない。あのクイーンが……かつて一度たりとも自分の睡眠時間を削らなかった彼女が、一睡もせずにお前を待ち続けていたんだぞ!」


 カイネを起こさないよう声を押し殺してはいるが、そのぶん激しい勢いで弟の肩につかみかかる。


「眠りについてからはずっと、おまえの名を呼んでいた……オレじゃない……」

「なにそれ。なんだよ、今更――」

「クイーンは、愛を知らないんだ」


 ぎりぎりと、指が肩に食い込むほど強く握りしめ、イグニスは続けた。


「おまえもわかっていたことだろう。彼女のなかに愛は存在しているが、それを自覚していない。ひたすら愛を享受し、求め、自分から与えることはなかった……まるで赤子だ。契約さえあれば愛は交わせていると、おそらくそう思ってる。だが実際はそうじゃない……おまえは傷つき、出ていった。彼女はやっとわかってきたところなんだ」


 そう、一気に言い切って、静かに目を伏せた。


「……頼む、クイーンを見捨てないでくれ。おまえが必要なんだ。オレではだめだった。オレひとりでおまえの存在を埋めるなんてできやしない……」


 イシュケははじめて、目の前の兄を、哀れだと思った。

 カイネに対する兄の愛を、妄執を、誰よりも近くで見てきた。どんなに邪険にされても傅き、どんなわがままにも答え、振り回されようが放置されようが健気に尽くしてきた。それは自分も同じだったが、兄はそのひとつひとつに喜びを覚えていた。ひとえに、小さな女王への限りない愛があったから。


 兄さえいれば、自分は不要なのだと思っていた。カイネの気まぐれのすべてに恍惚としていられるほど自分は愚かではないと、心のどこかで軽蔑していた。同時に、酷く嫉妬していた。常にカイネの傍に呼ばれる兄に……カイネの行動のすべてに悦ぶ兄に……


「どうするかは、僕が決める」

 兄の手をゆっくりと離し、イシュケは静かに答えた。

「兄さんの言いたいことはわかったから。それでいいね?」

 イグニスは深くうなずいた。「すまない……」と弱弱しい声を残して。


 翌朝、イシュケが目を覚ますと、ベッドはもぬけの殻だった。

「兄さん、起きて」

 慌ててイグニスの肩を揺らす。

「クイーンがいない」

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