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宵の巫女  作者: シュリ


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第十五話 暗い地の底で

 なぜ、自分をあんな小娘に渡したのか――問いかける今も、リリーは眼を合わせようとしない。何かを隠すように、頑なに下を向いている。

 体内の魔力の糸で、眼を見ればリリーの気持ちはある程度伝わってしまう。彼女もそれを十分わかっているのだろう、だから懸命に逸らし続けているのだ。あの女王と〝取り引き〟したときからずっと……


「何を聞かされた」


 彼女は素直だ。隠し事をしていること自体を隠すことはできない。今までもそうだった。無理に聞き出すまいと、気づかないふりをしていた。だが今回は違う。

 一歩、また一歩。できるだけ気を落ち着かせようと己を戒めてはいるが、心中では苛立っていた。黙りこくっているリリーにではない。彼女が心の不安を打ち明けられる存在ではない己に対して腹が立っていた。二年も傍にいた……『塔』を含めればもっとだ……自分は今まで彼女に何をしていたのだろう。


「リリー」


 努めて優しく呼びかける。彼女が反射的に眼を上げた。たった一瞬――すぐに逸らしたが、その一瞬で、頭の中に「死」という声が聞こえた、気がした。

 ――死?

 心のざわめきが大きくなった。死? だれの? 何の……


「ごめんなさい、勝手に決めてしまって」

 上ずった声が返ってくる。

「でも、わたしたちは金の鴉に狙われているでしょう。どうしても、ここが必要で……だから」

 ――だから、俺を〝女王にやった〟?


「俺は、あなたの所有物じゃない」


 思わず、口を衝いて出てしまった。一瞬にして空気が凍りついたのを肌で感じる。だが、止められない。堰き止めていた想いがあふれ出てしまう。


「俺は、自分の意思でここにいる。あなたの傍にいて、あなたを守ることを自ら選びつづけてきた。あの馬どものように魅了されたわけでも、血で契約を交わしたわけでもない!」


 それなのに、気づけば訳のわからない取り引きが成立していた。それがどうしても解せない。納得のいく答えがほしかった。そんなものがあるのなら。


「レオ……」


 リリーは蒼白な顔で目を見開いていた。雪をまぶしたような白い瞳――捉えた! リリーの心が、魔力の糸を通してたちまちのうちに流れ込んでくる。


 ――死 たくな


 ――覚悟  たの


 ――レオだ は


 ぐちゃぐちゃに入り乱れた、言葉の断片。それがまるで巨大な雪崩のようにどっと勢いよく押し寄せてきた。これは二年前――親に棄てられ、鴉どもに裏切られたと知ったリリーの、絶望の声とよく似ていた。


 レオの鋭く放たれた言葉にショックを受けたのだろう、リリーは震える足でまた一歩、後ずさった。とん、と(かかと)が何かにぶつかる。聖所の祭壇だった。ぶつかったことに驚いて、肩肘を後ろの壁についてしまった。

 壁には首の潰れた天使のレリーフが彫り込まれている。そのどこに触れてしまったのか……カチリ、とはっきり、機械的な音が響いた。

 ガラガラ、ガタガタとくぐもった音と共に、足元に微かな振動が伝わる。何かが起こっている……嫌な予感がして、咄嗟にレオは動いた。身を乗り出し、リリーをこちらへ引き寄せようとしたところで、ふいに足が宙へ浮く。


 ちがう。今しがた立っていた石床が消えたのだ。


 リリーが落ちる。頭から真っ逆さまに……全身から血の気が引いた。両手を伸ばし、空を掻き、必死にリリーの体を抱く。己はいい。傷つけども治る。だが彼女の体は人間だ。無力で脆い……


 瞬時に体勢を変え、遠ざかる石床の穴を見上げた。直後、背中を強烈な衝撃が襲う。落下は止まった。リリーは無事だった。それだけで、心の底から安堵した。



「レオ! レオ!」

 自分を抱きしめていた腕をほどき、彼の冷えた頬に手を当て、懸命に呼びかける。

「そんな……どうして床が……ごめんなさい、ごめんなさい……!」


 レリーフのどこかが仕掛けになっていたのだろう、見上げればぽかりと空いた大穴に、石床だった箇所が観音開きにぶら下がっている。

 ここがどこなのか、周囲の様子はどうなっているのかなど、確かめることさえ頭から飛んでいた。彼の口端に滲む青ざめた血を前に我を失う。


 レオが薄目を開けてこちらを見た。「リリー」と、掠れた声。「怪我は……」

「わたしは問題ないわ、それよりあなたが……」

「俺は治る」


 確かに、彼は大抵の怪我を自力で治癒してきた。こうして見ている間にも血は止まり、傷はふさがり、痛みも消える……はずなのに、なぜだろう。こうして彼の肌に触れているといつも感じていたもの……カイネに言わせれば〝力〟とか〝魂〟というものだろうか……それが、どこか弱々しい。

 ――これは、今の負傷のせいなのだろうか?


「レオ……」

 声の震えを抑えきれないまま、問いかける。

「あなた、どうしてそんなに……弱っているの」


 レオは口を噤んだまま、黒い瞳でリリーを見つめている。

 胸の内がざわついた。「まさか」と、瞬時に記憶をたどる。


 ――〝従者は普通、消費した力を巫女から補給されるものだからさ〟


「力……足りていないの?」泣きそうな声が響いた。「もしかして、わたしが離れたせい……?」


 具体的な補給方法も仕組みもわからないが、旅を続けている間は問題なかったのだ。もし、彼をカイネに預けたときから徐々に弱り始めていたのだとしたら、考えられる原因はひとつしかない。


「どうしたらいいの? 力、どうしたらあげられる? わたし、今までどうしていたかしら……何か知ってるなら教えて、レオ」


 必死に問いかけるが、レオはわずかに眉を寄せて黙りこくっていた。心当たりは、きっとあるのだろう。それを言えないでいる、という顔だった。


「……どうやら、互いに隠し事をしているようだ」微かな苦笑を含んだ声。「俺が答えれば、リリーは教えてくれるのか?」


 今度はリリーが声を呑む。困ったように眉を下げて……感情が正直に、ありありと現れてしまっていた。


「言わなければ、レオは……苦しいまま?」

「そうかもしれない」


 ずるい言い方だった。だがその奥に、息苦しそうな様子を必死に押し隠している感じがして、リリーはこらえきれずに口を開いた。


「わかった。言う、言うから……お願い、先に、あなたが苦しいのをどうにかさせて」


 これ以上、弱った彼を見るのはつらかった。一刻もはやく苦しみを取り除いてあげたい。そのせいで頭の中の計画が台無しになってしまっても、その前に彼の魂が潰れてしまったら、元も子もないのだ。


「……俺が、先か」


 つぶやく顔には、苦しい微笑が一瞬、浮かぶ。

 それから彼は、自分を見下ろすリリーの頬を両手で包み、そっと引き寄せた。白い瞳と黒い瞳が静かに交わる。リリーは自分の心臓がおかしくなったのか、どきどきと激しく脈打っているのを感じていた。目尻に浮かぶ涙の玉を、彼の親指の先が優しく拭い……それからふいに手が動いて、気づけばレオの胸の上に頬をぴたりと押しつけられていた。


「レオ……?」

 戸惑い、起き上がろうとするリリーの肩を優しい力で押しとどめる。

「しばらく、このままで」

「……これで、いいの?」

「いい」


 どういうことなのかさっぱりわからず、だがむやみに逆らうこともできないまま、レオの体の上に呆然と横たわっていた。

 擬態しているだけで、元の彼は蜘蛛だ。体温などは感じない。だが、呼吸に上下する胸と、自分を抱く腕のなかにぴたりと収まっているのは、心地よかった。温かさまで感じるほどだった。


「力、感じる? あの、ちゃんと、できてる……?」

 半信半疑でおずおずと訊ねる。

「こんなことで本当に……もっと何か……昔みたいに血をあげるとか……」

「血など、いらない」


 レオは一瞬、忌々しそうに顔を歪め、振り払うように首を振る。


「旅をしている間、俺はリリーにずっと触れていた」

 腕の中で身をよじり、顔を上げる。レオの瞳は天井を見つめていた。

「だがここへ来て、あなたは俺を遠ざけた。それから少しずつ、俺の中から力が抜けるような感覚があった。擬態を維持するのにも力が要る。熱糸を吐くにも、火を灯すにも……」


 初日の夜、寝室でカイネに向けられた挑発的な眼をレオは思い出していた。力を失いつつあることを知られるわけにはいかなかった。〝補給〟などされたら、たまらない。カイネが何かに熱中しているとき、あるいは眠りについている間は極力、元の姿に戻り、姿を隠して温存していたのだ。


「待って。仮に、わたしに触れることで力が供給されるのだとして……それじゃあ、わたしに出会う前のあなたは、どうしていたの? メア――他の金の生き物たちだって」

「それは……わからない。あの森になにか秘密があったのかもしれない」

 今となっては、知るすべもない。


 レオは瞼を閉じ、リリーの髪に触れた。絹糸のように滑らかな髪はすぐに手のひらからこぼれ落ち、そのたびにすくい、またこぼれ落ちる……蜘蛛の姿では傷つけてしまうから、人型のときだけ許される時間……こうして彼女に触れるのは、ずいぶん久しぶりに思えた。


 〝愛おしい〟……人間の言葉。全身にやんわりかかる彼女の重みも愛おしい。腕の中に抱いているだけで、胸底から何か激しいものが湧き出てくる。旅をしているときは当たり前に感じていたが、離れて改めて気づかされた……この魂の満ちるような悦びは、確かにえも言われぬものかもしれない。もう二度と離したくないと思えるほどに。




 彼の手のひらの感触を受けながら、リリーはひたすら、高鳴る胸を押さえていた。こうして抱きしめられているうちに、安堵していた心がざわざわと落ち着きを失っている。大きな手がゆっくりと髪を撫で、背を撫で……そのたびに、心が震えた。嬉しくて、苦しい。思い切り息を吸いたい気持ちと、吐ききって何もかも空っぽにしたい気持ち……でも、いくら空にしたって次から次からこみ上げてくるのだ。これは一体、なんだろう。

 彼と共に旅をしているなかで、幾度か似たような心地になることがあった。そのたびにわけがわからなくなって、わざと少し離れたり、関係のない話をしてごまかしたりしていた。だが今は――


「俺を遠ざけたのは、眠れていないことと関係があるのか?」

 ぎくりと肩がこわばった。

「さっき、約束した。もう隠し事はなしだ」


 幼子を叱咤するような口調だが、声音はずっと優しかった。それだけで、心が鷲掴みにされたように苦しくなった。


「……言ったら、あなたは……きっと、怒るわ」


 鼻の奥がつんとする。眼をぎゅっと瞑ってこらえたが、そっと背を撫でていた手にぐっと力が入り、強く抱きしめられた瞬間、堰を切ったようにあふれ出した。


「もう、ひとりで苦しまなくていい」

 嗚咽するリリーに、静かに言い聞かせる。

「俺に、話してほしい。あなたのことだから、俺のためだと思っているのかもしれないが……俺はそんなこと、望んでいない」


 自分の知らないところで何かを知り、全部抱えて苦しんでいるのを想像するのはもうたくさんだった。夜中、馬に抱きしめられているリリーを思い出すのも耐え難い。あいつは知っているのだろうか。リリーの苦しみを。毎晩眠れないリリーを。


「……夢を、みるの」

 嗚咽を懸命に呑み込みながら、とうとうリリーが口を開いた。

「白い眼が、わたしを見る……射貫くような視線でずっと追いかけてくるの。わたしを、」


 ――殺すために。


 そう言いかけた瞬間、遠くで雪を踏みしめるような音が微かに聞こえた気がして、リリーは反射的に口を噤んだ。レオも気づいたらしい。リリーを抱く腕に力を込め、息をひそめる。


 鉄の扉がわずかに軋む、重々しい音。カツン、と足音がして、「リリー?」と呼ぶ、美しい、澄んだ爽やかな声。

 イシュケだ。慌てて起き上がろうとしたリリーの背を、レオが強引に押しとどめた。

 そのまま息をひそめている間、イシュケの足音はふらふらと彷徨い、「おかしいな……」とぶつぶつ呟いていた。まだ声は遠い。聖所の穴にも気づいていない様子だった。だが時間の問題だろう。そう察したレオは小さく息を吐いて瞼を閉じ、すっと開いた。リリーの耳元に唇を寄せる。


「話の続きは、また今度」


 そう囁いて、上体を起こし、リリーの体を優しく離した。「必ず聞かせてほしい」――もう一度名残惜しげに頬を撫でて、それからふっと姿を消した。

 消したのではない。元の姿に戻ったのだ。手のひらほどの黒い蜘蛛は、空っぽの衣服を糸で絡めて引きずりながら地下室の暗闇の向こうへ紛れてしまった。


「あれ、うわ、床が……」


 ぼうっとしている間に、いつの間にかすぐ頭上に来ていたらしい。降る声は、瞬時に驚きに変わった。


「えっ、リリー!?」

 慌ててしゃがみこみ、穴をのぞき込む。紛れもなくイシュケの顔だ。


「だいじょうぶ!? なんでそんなところに……もしかして落ちちゃったの?」

「……ええ、あの……落ちて、少し、気絶してしまって」


 咄嗟についた嘘は、幸いにもイシュケをごまかせたようだ。彼は「そんな! ごめん、何も気づかなくて……」と焦ったように周囲を見渡し、「ちょっと待って、梯子とかないか、さがしてくるから」と姿を消してしまった。

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