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宵の巫女  作者: シュリ


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第十四話 月夜の礼拝堂

 カイネは部屋に戻ってしまったが、とにかく夕食まではと、リリーは捜索を再開した。イシュケもついてくる。手分けしようと言ったが、「効率上げてもさ、それで本当に見つけちゃったらクイーンがさらに落ち込んじゃうよ」と取り合ってくれなかった。カイネの心はガラスよりも繊細なようだ。


 主塔をぐるりと一周し、歩廊を周り、中庭の反対側に出る。高々と連なる山脈を背景に、石造りの建物が聳え立っていた。厳かな尖塔が立ち、頂上には黒ずんだ鐘が見える。礼拝堂(カペレ)だ。


「そういえば、ここは全然来ていないわ。初日にカイネから一度案内されただけで、中も見ていないの」

「確かに、クイーンは礼拝堂なんて興味ないしね」イシュケは肩をすくめる。

「だって、麓じゃ自分が神扱い、クイーンはクイーンで『神に遣わされた巫女』だしね」


 鉄鋲の打たれた扉は重く、ふたりがかりでやっと開かれた。途端にかび臭さの入り交じった埃っぽい空気が鼻を突き、ふたりして盛大にくしゃみを飛ばす。


「くしゅっくしゅっ……ひどいや。全然中に入ってなかったとはいっても、これはひどい」


 かつては荘厳で美しい礼拝堂だったのだろうが、壁のあちこちが崩れ、柱の装飾が剥がれ落ち、天井の壁画もひび割れに覆われて真っ黒だ。木製の長椅子はそれぞれ好き勝手な方向を向いて、倒れたり傾いだりしている。リリーは顔をしかめて鼻と口を覆いながらも、ゆっくりと中に踏み入った。


「リリー? 入るの?」

「こういうところにこそ、あるかもしれないわ」

「そうかなあ……」


 不承不承、イシュケもついてくる。真ん中まで来て、リリーは指差した。

「ほら、見て。本棚よ」

 背伸びして腕を伸ばせばなんとか届く高さに、ぐるりと棚がめぐっていた。中には赤や青、緑など、くすんではいるが色とりどりの書籍がぎっしり詰まっている。


「あのなかに紛れているかもしれないわ」

「まあ、あるかもしれないけど……ここを一から見るのは骨が折れるなあ」

「イシュケは無理しないで、むしろ他の場所を探してほしいわ。たくさんあるでしょう、カイネが今まで寄りつかなかったところ」

「そりゃあね。はあ、部屋はまだまだたくさんあるんだよね。参ったなあ」

「でも、イシュケが見つけたら、きっとカイネは褒めてくれるわ」


 と、背中に軽く手を当て、励ましてやる。


「リリーは?」

「え?」


 イシュケは真顔だった。瞬きもしないでこちらを見つめる、エメラルドグリーンの瞳……


「リリーは褒めてくれないの?」

「えっ……もちろん、褒めるわ。褒めるというか、ありがとうという感じね。こんな城のなかで破れたページを見つけるなんて、本当にすごいことだし……」

「じゃあ、頑張るよ」


 目を細め、屈託のない笑みになる。

「夕食どきには戻ってきてよ、リリー」

 と言い置いて、スキップしながら行ってしまった。





 礼拝堂を捜索する前に、本格的な掃除が必要だった。

 箒はないので、そのあたりに転がっていた適当な棒にぼろきれを取りつけ、床を滑らせる。それだけで埃がごっそり剥がれていくのは快感だった。一周するころには本来の石床が現れ、描かれた幾何学的な模様が見て取れるようになった。

 布きれを雪で洗い、湿らせてもう一度拭くと見違えるように綺麗になる。探しものか清掃か、もはや目的がわからなくなった頃、礼拝堂のなかはまるで別の建物のようになっていた。


 旅賃の節約のためならどんなことでもやってきたので、掃除も慣れていた。こんなところで役立つとは……と、拭き上げた椅子に腰を下ろし、脱力したように息をつく。小高い天井を見上げれば、色あせた聖画が描かれており、知らない誰かの顔がひび割れの向こうからこちらを見下ろしていた。


 奥には大理石の祭壇が組まれ、背後にはレリーフの刻まれたアルターピースがそびえていた。翼の生えた何か……天使だろうか? 首が潰れ、判別がつかない。錆びた燭台が無造作に転がり、足の折れた書見台が打ち捨てられたように横たわっているが、元はきっと威厳ある聖所(サンクチュアリ)だったのだろう。

 廃れ、崩れた礼拝堂の真ん中で、かつての姿に想いを馳せる。すると神聖な空気までもが甦るようで、リリーはなんだかここが気に入ってしまった。



 幾日が過ぎただろう。

 雪合戦以来、カイネは機嫌が直ると再び「ゲーム開始よ!」と息巻いていたが、二日ほどで匙を投げてしまった。「飽きた」と言って部屋に引きこもるか、勝手気ままにそのあたりを散歩している。

 時折、リリーをボードゲームに誘ってくるので、その時は素直に応じた。決着がつくか、カイネが飽きて放り出せば、すぐに日記の捜索に向かうことにしている。

 なんといっても、引き受けた責任があるからだ。


「あらリリー」

 駒を動かす手を止め、カイネがつと首を傾げた。

「なんだか、痩せた?」

「え」

「もうちょっとよく見せて」


 身を乗り出し、リリーの顎をぐいと掴む。


「顔色が悪いわ。あらあら、クマまでできちゃって。どうしたの? 食事はちゃんと食べてるわよね? 夜は眠れているの?」

「おかげさまで、毎日おいしくいただいているけど……」


 リリーは慌てて身を引く。駒を動かしてごまかそうとしたが、カイネはまだ疑り深い眼を向けていたので、観念して小さく口を開いた。


「ちょっと最近、眠れなくって」

「まあ、本当? お肌に良くないわ! イシュケ、イシュケったら」

「はいはい」


 掃除道具を手に、バルコニーからイシュケが顔を出す。


「ねえイシュケ、リリーが最近寝不足なのよ。あなた、知っていて?」


 イシュケは眼をぱちくりさせてリリーを見た。


「そうなの?」

「まあ、知らなかったの? まったく、あなたは今リリーのお世話係なのに!」

「ごめんなさい。でもリリー、どうして言ってくれなかったの? 何か協力できたかもしれないのに」

「だいじょうぶよ。そんな、大げさなことじゃないの。ちょっといろいろ考えていたら眠る機会を逃していただけで……」

「考えごとって?」

「いろいろとよ」


「考えごとはよしなさい」とカイネが諭した。「いいこと? ちゃんと眠らなくっちゃ、どんどんやつれて美しくなくなるわ。お肌も髪も荒れるのよ。言ったでしょう、私の周りはみんな美しくあってほしいの」

「そうだったわ、ごめんなさい」


 リリーは小さく肩を縮めてうつむいた。


「気をつけます」

「寝る前にさ、温かいものを飲むと良いよ」イシュケが横から優しく言った。「レオとかイグニスに頼んで――」

「オレはお断りだ」


 断固としたイグニスの声。イシュケはむっとした顔をしたが、すぐに柔らかい微笑を取り戻す。

「じゃあレオに頼んでさ。僕とレオで作ってあげるから、それをゆっくり飲んでリラックスすれば、きっとあっという間だよ。ね、リリー」

「それはすごくありがたいわ」


 リリーは改めてカイネに向き直った。


「ちゃんと眠るようにします」

「それならいいわよ。イシュケ、リリーが眠るまで見張ってるのよ」


 カイネの命令に、リリーは心中で(それは困るわ)とつぶやいていた。

 イシュケにいくら見張られようと、飲み物で体をぬくめようと、眠れないものは眠れないのに。眠れないのには訳があるのに。


「そういえば、レオはどこかしら?」


 ふとカイネが口にした。部屋にいた誰もがしんとなった。後ろからイグニスが「またあいつ、いつの間に……」とぼやいたのみだ。


「レオったら最近、気づけばいなくなるのよね。いずれ私の従者になってもらうのに、これじゃ先が思いやられるわ」


  指先で駒を摘まみ、「リリーも、見かけたら声をかけてちょうだい。クイーンの元に帰りなさいって」とため息混じりに言う。

 リリーはぼんやりと窓の外に目を移す。寒々と白い空。雪の降り積もった歩廊……レオはどこにいるのだろう。





 陽が沈み、闇がたちこめる。「お湯をもってきたよ!」とカップを渡してくれたイシュケも、今はソファで眠りこけていた。「リリーが眠るまで見張ってるからね」と張り切っていたが、ものの数秒で寝入ってしまい、体も一角獣の姿に戻っている。それを確認して、リリーはそっと起き上がった。


 眠れないのには、訳があった。悶々と考え事をしてるわけではない。夢を、見るからだ。

 実は、初めてカイネの母の日記を読んだ夜からもう夢に囚われていた。眠ろうと目を閉じ、視界が暗闇に閉ざされ、徐々に睡魔に犯され意識が朦朧とした瞬間、眼前に大きな目玉が突如現れ、カッとこちらを凝視するのだ。


 目玉は全体が塗り固められたように白かった。リリーやカイネのように白んでいるわけではなく、瞳自体が見当たらない。つるりと真っ白な眼球……それが収まる目の縁を純白の睫毛が覆い、その動きでどちらを向いているのか察知できる。目玉はひたすらリリーを見ていた。悲鳴をあげ、暗闇の中を闇雲に走るが、目玉はどこまでも追ってくる。上に、下に、左右に――どこにでも現れてリリーを見る。行けども行けども目玉は待ち構えている。


 夢のなかにはリリーと目玉以外、なにもない。レオも、イシュケも、カイネもイグニスも――だれも、いないのだ。


 おそらくは〝宵の巫女〟の存在が原因だろうと思う。気にしないように努めてはいた。カイネによれば、必ずしも殺されるわけではない……と自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、無意識下で恐怖が増大していたのだろう。夢は日に日に長く、鮮明になっていた。


 物音を立てないよう、慎重にベッドを抜け出る。コートを取り、念のためにもう一度振り返ってイシュケの様子を確かめた。時折大きく鼻を震わせながら気持ちよさそうに寝息を立てているので、ほっと胸をなで下ろし、慎重に扉を開ける。小さく開けた隙間からするりと滑り出た。


 キンと肌を刺すような寒さだが、吹雪いてはいない。ただ、はらはらと雪が舞っていた。狭間窓ごしにその様子を眺めながら、ゆっくりと歩いていく。階段を下り、歩廊へ出て、中庭をぐるりと挟んだ反対側へ。石段を下りれば眼前に礼拝堂がある。

 今日はみんなに心配をかけてしまった。ちょっとした寝不足だとごまかすのはもう限界なのだ。礼拝堂の、あの静謐な空気のなかで落ち着けば、もしかすると少しは休めるかもしれない……そんな、淡い期待があった。


 鉄鋲の打たれた頑強な扉を押し開ける。掃除したおかげで動きは良くなった。埃っぽさもほとんどなくなった。少し黴臭いような、古い匂いは残っているが、(いにしえ)の趣きが感じられて、それはそれで気に入っている。

 体の雪を落とし、中へ進む。十年あまりを『塔』で過ごした影響か、今なお夜目に切り替えるのはたやすい。くわえて、入り口や石壁の隙間から雪明かりが入り込み、細く白く照らしてくれる。それも手伝って、リリーの眼にははっきりと中の様子が見えていた。


 散らばる長椅子の一つに腰掛け、瞼を閉じる。ここにどんな神がまつられていて、古の人間がどのように崇めていたのか知るすべはないが……なんでもいいから、すがりたい気持ちだった。自分はレオを「手放した」――ひとりなのだ。同じ屋根の下にみんなはいるけれど……お茶を飲んで談笑し、雪玉をぶつけて笑いあっていても……〝宵の巫女〟に殺されるのは自分ひとりだ。もちろんそれは覚悟の上だった。どのみち死ぬのならレオだけは守りたい。カイネが守ってくれるならと、取引を呑んだ。覚悟していた。覚悟していた……


 鬱々と、頭のなかに黒い靄が広がるようで、たまらず立ち上がった。古式ゆかしい神聖なる礼拝堂でも、心の不安は晴らせない。少しでも眠りたいのに。この憂いを紛らわせたいのに……


 天井の壁画の顔は、夜の闇に沈黙している。ここでも自分はひとりきりだ。――ふと、礼拝堂の壁上部に取り付けられた本棚が視界に入った。そうだ。気を紛らわせるものはここにあった。

 リリーはおもむろに椅子を押し出し、本棚の下まで動かした。慎重に足を乗せ、立ってみる。脚の長さが不ぞろいなのか少々ガタつくが、幸い頑丈なようで、多少軋みはするものの壊れる気配はなかった。そのまま踵を浮かしてつま先で立ち、腕を伸ばす。手近な一冊を手に取ってみる。その場でぱらぱらとめくってみた。


 さすがにこの暗闇では、いくら夜目がきくとはいっても一文字一文字を判別はできないが、顔料や金箔で惜しみなく飾られた聖画がたくさん載っているのは見て取れた。紙はかさかさに乾燥し、皺が寄り、捲るそばから破れかけ、肝心の色も褪せてはいるが、それでもリリーの眼には興味深いものばかりだった。


「あっ……」


 微かな声をあげ、手を止める。見開き全体に大きな聖画が載っていた。白い翼の生えた人型のものが飛び交う空の絵だった。その翼や腕の角度に強い既視感を覚え、リリーはしばらく考え込んだ。そうして、はっと顔を上げた。


 礼拝堂の奥の聖所(サンクチュアリ)――祭壇の裏のアルターピースに彫られたレリーフ――翼を持つ天使……首が取れているが、構図はそっくりそのまま同じだ。あのレリーフは、この聖画を元に作られているのだ!


 それがなんだと言われればそれまでだが、大発見をしたような気持ちだった。もっとよく見ようと、さらに背伸びして目をこらす。

 重心を前にかけすぎたせいだろうか、脚のふぞろいな椅子が一瞬、がたんと揺れた。その拍子にバランスが崩れ、体が後ろへ大きく傾く。咄嗟に手を伸ばしたが近くに掴まれそうなところもない。心臓が恐怖にぎゅっと縮こまった瞬間、背中からぽすんと誰かに受け止められた。

 背中に受けた感触だけで、それが誰なのか、リリーは一瞬で察してしまった。


 果たして、肩を抱きとめた相手の腕が、リリーを包み込むように抱く。「リリー」と、耳元で低く囁く。――小さく息を呑み、慌てて腕の中から抜け出した。

 雪明かりを背にしたせいだろうか。レオの顔は暗く翳っていて、表情が見えない。努めて目を合わせないようにしながら、「ごめんなさい……ありがとう」とかろうじて声を絞り出す。


「どうしてここに? ――あ、日記かしら。レオも日記探し、諦めてなかったのね」


 じりじりと、さりげないつもりで距離を置く。レオは答えない。視線だけは、痛いほどに伝わってくる。


「わたしもなの。カイネはもう飽きちゃったみたいだけど……わたし、日記の修復、引き受けたでしょう。ここで諦めて先に縫い合わせたとして、もしあとで見つかっちゃったら取り返しがつかなくなってしまうし……」


 しどろもどろで声まで上ずっている。しっかりしなければ。レオは自分を心配してくれていたに違いない。彼はそういうひとだ。今までずっと、どんなにごまかしたって見抜かれていた。彼を守りたいなら、上手に隠さなくちゃいけないのに。


「思い出すわね。黒い本のときみたい……こうやって夜な夜な抜け出して、読みにいっていたわ。今回は、青い本だけど……」

「あの時のあなたは、危なっかしくて仕方なかった」

 カツン、と靴音が響く。「今も」――もう一歩、近づく。リリーは反射的に、後ずさった。


「リリー」掠れた声がこだまする。「なぜ、俺をあの女王へやった」

 その問いには深い悲しみが滲んでいた。

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