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宵の巫女  作者: シュリ


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第十三話 日記さがし

 カイネの起床は気まぐれである。朝陽が昇ると同時に目覚めることもあれば、昼過ぎまで眠ったままのこともある。すべては彼女の意のままだ。

 ちょうど陽が真上に昇るころ、カイネはようやくベッドから上体を起こし、紅茶を啜っていた。


「やっと体が目覚めてきたわ」


 とイグニスに言い、部屋のなかを見回した。


「あら、レオは?」

「すみません。奴は朝から姿がなかったので」

「ふうん」

「あと、山の一部で雪崩が起きかけていたのを弟が……」

「ああ、止めてくれたのね。よかったわ」


 満足げにうなずいたとき、こんこん、と控えめなノック音がした。

「さてはリリーね」と、嬉しそうなカイネ。「日記、もう直ったのかしら?」

 扉の向こうにはリリーがいた。イシュケもついている。


「おはようカイネ。あの、日記のことなんだけど……」

「おはよう。直ったのね! すごいわ、こんなに早く」

「ちがうの。ちょっと相談があって」


 と、リリーは手にしていた日記の残骸を差し出した。


「日記の中身は、これで全部なの?」

「えっ……」問われた意味が一瞬わからず、カイネは口ごもる。「どういうこと?」

「ページの厚さがどう考えても足りないの。ほら、これが背表紙。縫い合わせる前に、一度元の形を再現してみようと思って合わせてみたんだけど……明らかに、背表紙の幅が余っているでしょう」


 促されるまま手に取り、束ねたページの背と背表紙を合わせてみる。確かに余っている。半分以上、ごっそりと。


「本当だわ。いったいどうして……」

「途中でなくなったの? それとも、はじめからこうだった?」

「はじめからのはずよ。あんまり覚えてないけれど……生まれたばかりのときは、まだかろうじて本の形を保っていたの。でもわけもわからずいじっていたせいで崩れて……それから触っていないわ」


 その返答にリリーは確信を得たようだ。


「きっとあなたのお母様がページを抜いたのね。でもそうだとしたら、抜いたページはどこにいったのかしら。残されたページの前なのか後ろなのかも気になるわ」


 残念ながら今の状況でそれ以上のヒントは得られそうもない。イグニスもイシュケも、心当たりのなさそうな顔で黙ったままだ。


「そうだわ」

 沈黙を破ったのはカイネだ。

「ねえ、みんなで探さない? 失くした日記のページを!」


 あまりに突拍子もない提案に、リリーはパンを丸呑みしたような顔になった。針と糸も無理があったのに、紙切れなんて! どれくらいあるのか、何が書いてあるのかすらわからないというのに……

 広い部屋の端から端に、沈黙が通り抜けていく。


「クイーンが言うなら」と、はじめにうなずいたのはイグニスだ。イシュケもちらとリリーを見て、「また探しものかあ」と苦笑する。反対はしなかった。


「ね、いいでしょう、リリー。手分けして探すの。これはゲームよ。どっちが一番はやく見つけられるかを競うの」

「競うの?」たまらず問い返すと、カイネはうきうきとうなずいた。

「そっちの方がおもしろいじゃない。ねえいいでしょう? いいわよね!」


 返事も待たずにベッドから下り、「支度が済むまで始めちゃだめよ」と念を押される。スタートは大広間からなので、リリーとイシュケはひとまずそこで待機することになった。


「あれ、レオ」


 大広間の窓辺に、長身の人影があった。あの青いダブレットを羽織った恰好で柱にもたれて立っている。


「ちょうどよかった。クイーンの(めい)でさ、みんなで日記探しをすることになったから」

「……日記探し?」

「そうそう。クイーンとリリー、どっちが先に見つけるか競争なんだけど」

「わ、わたしは別に、競うつもりはないのよ、ただ……」

「あはは、いいじゃない。おもしろいしさ。もちろん僕らも手伝うんだ。君はリリーに協力するの?」


 レオが答えるより早く、リリーが焦ったように滑り込んだ。


「いいえ、レオはカイネを手伝わなくちゃ」


 と、さりげなく背を向ける。それから間もなくして上機嫌のカイネがやってきた。


「あら全員そろってるわね。じゃあ今からスタートよ。従者たちも協力すること。いいわね?」

 堂々たるカイネの言葉。イグニスがさりげなく動き、カイネの後ろにぴたりとついた。

「それじゃ……はじめ!」


 ぱん、と手を叩く。カイネはさっそく大広間を出てしまった。


「クイーンはどこか、目星でもついてるのかな」

 イシュケはのんびりと振り返って、「あれ」とつぶやいた。

「レオもいないや。クイーンについていったのかな?」

「じゃあ、わたしたちも始めましょう。わたしはまずこの大広間から順に見ていくわ」

「また手分けするの?」


 イシュケは少し不満顔だ。


「ええ、その方が効率的かしらって……」

「今回は競争なんだよ? もし僕がヒントなり現物なりを見つけて、そのままこっそりクイーンに渡しちゃったらどうするのさ」

「どうする、……って」リリーは困った顔でイシュケを見返した。「どうもしないわ。ゲームはカイネの勝ちだし、日記は早く見つかるしで、いいことしかないじゃない」

「ああもう! 君ってほんと……まあ、いいや」


 怒ったり呆れたりとめまぐるしく表情を変えながらも、イシュケは扉の方へ向き直った。


「じゃあ、僕は食堂の方からいくよ。せめて同じフロアならいいでしょう?」

「ええ。ありがとう」


 イシュケを見送り、リリーは大広間の中央に立ってぐるりと見回した。ここへ来た初日に派手に壊れた石床、壁……すべてがそのままだ。幸い、物がありそうなのは前方の石段のあたりで、そこは無傷だった。カイネが登場時に座っていた椅子もある。袖にはすり切れた垂れ幕が中途半端な格好でぶら下がっており、棚やテーブルなどが乱雑に置かれていた。

 ひとつひとつを探ってみたが、書物どころか紙片らしきものの影もなかった。カイネは初めから、ここに何も無いのを知っていてスルーしたのかもしれない。


 それから居館二階の空き部屋を片っ端から捜索したがそれらしいものは見つからず、反対側から歩いてきたイシュケと鉢合わせてしまった。


「見つかった? ……わけないよね」

 無邪気に苦笑する。

「どうする? このまま三階も見る?」

「ええ」


 三階はカイネの居室を合わせて部屋が三つ。カイネの部屋はさすがに入れないので、両側の空き部屋を覗いてみた。


「うぇ、ほこりっぽいな……」

 片側を覗いたイシュケがくしゃみを飛ばす。リリーの方も同様だった。探す気も起きない有様だ。


「空き部屋は、もう一切使う気はないの?」

「ああ、うん。クイーンの行動範囲って結構せまいんだよね。たまーに気まぐれで麓まで下りたり、山を散歩したりするけど、城の設備は正直もてあましてるかな」

「三百年もそれじゃあ、とても退屈だったでしょうね」

「実際、退屈していたよ。それで僕たちにいつも無茶ぶりばかりしてさ。僕なんて、中庭の雪と氷を使って芸術作品をつくってみろなんて急に言われてさ、僕が取りかかってる間、クイーンはテラスで優雅にお茶して、上から眺めてたんだよ」

「まあ」

「それもすぐ飽きて、そっぽを向いて寝てたりするし。朝から晩までほとんど寝てばっかりのときもあったり……だから、リリーとレオが来てからのクイーンは本当に、変わったよ」


 階段を下りながら、感慨深げにつぶやく。


「すごく楽しそうだ」


 たった三百年、と彼女は言うが、リリーにとっては気の遠くなるような時間だった。人間と関わらず、雪と氷の狭い世界で、ふたりの従者と長い時間、共にする……延々、延々と続く五百年……倦怠、食傷……すべてに倦み、すべてに辟易しても届かぬ一生。気まぐれで、奔放で、周囲の者を振り回すカイネの性格は、果てしない退屈の海のなかで必然的に培われたものなのだろうか。


「リリーはこれからどうするの?」

「そうね……居館(パレス)は見たから、主塔かしら」

「わかった。主塔ならこっちだよ」


 と、扉を抜けて中庭に出ようとしたときだった。

 ひゅん、と風を切る音がし、次の瞬間、冷たい塊がリリーの顔にべしゃりと直撃した。

 慌てて振り払うと、白い雪がさらさらとこぼれ落ちる。うふふふ、愉快そうなと笑い声が前方からこだました。


「うふふ、やったわ、大成功ね!」


 見ればカイネが中庭の茂みから飛び出し、肩を揺らして笑っている。後ろではイグニスがしゃがみこんで、せっせと雪玉を作っていた。


「な、何をしているの?」

「だってあなた、居館から見ることにしたんでしょう? ここで待っていたら絶対通るだろうと思って待ち伏せていたの! びっくりした?」

「びっくりしたもなにも……もう、心臓が止まるかと思ったわ!」


 少し怒った風に言うと、カイネは余計に喜んだ。


「イグニス、もっとよこして!」と雪玉をうばい、リリーに向かって投げつける。慌てて茂みに隠れながら苦言を呈した。


「ねえ、日記を探すんじゃなかったの?」

「探すわよ。でも言ったでしょう、これはゲームよ! あなたは今、敵から妨害を受けているの。そら、そら、やられっぱなしでいいのかしら?」


 次々に雪玉が飛んできて、茂みに当たっては砕け散る。時折飛び越えてくるものもあるが、やたらとコントロールがいいのでイグニスも参戦しているのだろう。

 見れば、イシュケもしゃがみ込んで地面に手をかざしている。彼の力で、瞬く間に雪玉が量産されていった。


「……イシュケ?」

「やられっぱなしはだめだよ、リリー」


 にっこりと、天真爛漫な笑顔が輝く。雪玉をこちらに寄越して、彼は茂みの陰から雪玉を投げた。


「まあイシュケったら! そっちについたのね?」

「おい! おまえ一体誰の従者のつもりだ」


 口数少ないイグニスまで声を荒げている。彼の場合は本気で憤っているようだ。


「だって僕がいないと、リリーに味方がいないじゃないか!」

 言い返しながら雪玉を投げつける。「フェアじゃないよ!」

「いいわ、あなたがその気なら、こっちだって――」

「いけないリリー、クイーンが本気で投げてくるよ。ほら、はやく応戦して」


 何が何だかわからないままに雪玉を手に握らされる。

「ねえ、わたしたち、日記を……」と言いかけたが、「ほらほら!」と促され、リリーは仕方なく立ち上がった。飛んできた雪玉をかろうじて避けて投げ返す。――が、雪玉はカイネの眼前でじゅっとはじけ飛んだ。


「わ、ずるい」イシュケがぼやく。「兄の力だ。雪を溶かしてるんだ!」

「ほほほ! いいでしょう」高らかな笑い声。「そら、当ててごらんなさいよ!」


 イシュケはすぐに茂みにひっこみ、「これじゃ埒があかないよ」と唇を噛む。初めこそ巻き込まれただけだったリリーも、相手が炎を使うのはちょっと卑怯だと思い始めていた。


「イグニスの意識を逸らしましょう」と真面目に提案する。

「イシュケは投げるの、得意かしら?」

「投げるどころか、もっと良い方法があるよ」と意地の悪い笑みを浮かべた。

「僕の力を使えば、クイーンやイグニスの足元の雪を自在に操れる。足を取って転ばせることだって……」

「それは怪我をするからだめよ! そうじゃなくて、雪玉をイグニスに当て続けて気を逸らすの。たくさん作って集中的に投げつければ……」

「なるほどね。あったまいい」


 イシュケはすぐさま、雪玉の山を作り上げる。


「僕は手を使わずとも、これ全部イグニスにぶつけられるよ。あっちだって熱壁を使ってるんだからフェアだよね」


 とウインクして、イシュケは指先をぴんと立てた。ふわりと雪玉が宙に浮く。


「それいけ! イグニスにぶつけろ!」


 雪玉が凄まじい速さで飛んでいく。一つや二つではない。百をこえる雪玉が山をなして飛んでくるので、イグニスも「くそっ」と喚いて自分の前に熱壁をつくる。


「今だ、リリー!」


 左腕に雪玉を抱え、右手に一つ持つ。茂みから素早く立ち上がり、前方へ向かって投げた。――が、同時にカイネも投げつけていた。互いに「あっ……」と声を上げる。リリーはぶつかる寸前、茂みに避けた。


「カイネ!」


 カイネは避けようとして足をすべらせ、膝から思いっきり転んでしまった。慌ててリリーが飛び出す。


「カイネ、だいじょうぶ? 怪我、してな――」


 その瞬間、カイネはニヤッと笑って、隠し持っていた雪玉を投げつけた。

 完全なる不意討ち、いや騙し討ちだ。駆け寄っていた足を止めることもできず、雪玉はまっすぐリリーの腹に直撃する――


 寸前で、雪玉は瞬時に霧散した。ジュッと高熱に溶けたようにかき消える。カイネもリリーも、同時にイグニスを見た。


「オレじゃない」焦ったように首を振る。

「じゃあ誰が……」

 言いかけて、ふたり同時にはっとした。

「レオ!」


 カイネが中庭の中央に出て、口元に手を当てる。


「レオったら! 参加するならすると言いなさいよ!」


 返答はない。だが、リリーの足元には、きらりと光る細い糸の網が丸まって落ちていた。彼は確実にどこかにいて、雪合戦の様子を見ていたのだ。


「まったくもう。レオが入ったら三対二じゃない。やめよ、やめ!」

 カイネはぷんぷん怒って、かと思えばたちまち顔を青くしてぶるりと身を震わせた。

「寒いわ! イグニス、早く来て!」


 イグニスがすっとんで行く。不機嫌な女王のために熱の膜を張っているのだろう。ふたりは中庭を突っ切って居館に入っていってしまった。


「……あーあ、クイーンが拗ねちゃった」

 のんびりとイシュケがやってくる。

「それにしても、レオってばどこにいたんだろうね? 君を助けるつもりで隙をうかがってたのかな。なんかずるいなあ……」


 リリーは答えず、中庭をぐるりと取り囲む城壁を見上げた。居館、主塔、小塔、胸壁……気配はどこにもない。

 だが、彼は消えたようにみせかけて、体を瞬時に縮めて身を隠すことができる。初めの大広間でも突然姿を消していた。実は……もしかして、そのときからずっと……


 白く霞んだ空を見上げながら、リリーの手は、無意識に胸元を掴んでいた。服の下に隠した、百合紋章のブローチを。

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