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宵の巫女  作者: シュリ


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第十二話 百合模様

 別棟に戻ると、案の定イシュケが怒った顔で待っていた。


「もう。部屋に戻っててって言ったのに。どこに行ってたの? まさか自分だけ、探しもの再開してたなんて言わないよね」

「ごめんなさい」リリーはばつの悪い思いで謝った。「でも、見つけたわ、イシュケ」と、手のひらを開いて見せる。


 ブローチから外した針と黒ずんだ糸を見て、イシュケは呆気にとられた様子だった。


「えっ……なにこれ、どこにあったの?」

 その問いには答えず、「これで、カイネの依頼をこなせるわ」と微笑みを返す。

「すごいや、リリー! ……でも、悔しいな」


 歩きながらイシュケがぼやく。


「僕が見つけたかったよ」

「そんな、別に誰が見つけても……」

「そうしたらリリーは、僕を褒めてくれるでしょう」


 と、こちらに視線を注ぐ。翠の瞳に燭台の火が揺れている。


「……褒めてもらいたかったの?」

「そりゃ、まあね」


 イシュケは視線をそらして、食堂の扉に手を掛けた。

 陽の沈んだ廊下と打って変わって、食堂内は明るかった。イグニスとレオによるものか、部屋中に明かりが灯され、テーブルには干し肉やポタージュが並んでいる。


「ああ、リリー、来てくれたのね」

 カイネが安堵の声をあげた。

「よかったわ。迷子になって彷徨(さまよ)って……凍えていたらどうしようかと思ってたの」

「心配をかけてごめんなさい。お夕食も遅くなって……でも、針と糸は見つかったわ」

「まあ、本当?」カイネの顔がたちまち華やいだ。「それはよかったわ。本の修復、楽しみに待っているわね」


 カイネはそれから機嫌良く食事をはじめ、ローストされた肉を咀嚼しポタージュを味わい、リリーにおかわりを勧めた。皿がほとんど空になったところで、ふと目線を移す。テーブルのそばに無表情で立っている、レオの方へ。


「あら? レオ、マントを留めていたブローチ、なくしたの?」


 リリーもつられて目を上げた。レオは眉一つ動かさない。

「せっかく綺麗なブローチだったのにねえ。あなたも、あの百合模様が気に入ったから選んでくれたんでしょう?」

「貴様」今度はイグニスだ。「クイーンからもらったものを失くしておいて、その態度はなんだ」

「申し訳なかった」


 素っ気ないレオの返答にますますいきり立ち、「貴様、あとで中庭に出ろ」と凄む。

「もう、ふたりともやめなさい」

 カイネがため息交じりに割って入った。

「食事の席が台無しじゃない。ねえリリー」


 リリーは返答に窮して、曖昧に笑った。その笑みの奥で、ブローチに刻まれた百合模様を思い浮かべていた。

 百合模様……




 深夜、リリーはひとり、蜘蛛の糸の塊から糸をいくつか抜き出して、より合わせていた。細く繊細な糸も、束ねれば太く丈夫になる。元々丈夫な蜘蛛の糸だが、ここまですれば安心だ。

 それから、針のとれたブローチの金具に、慎重に糸を通した。幾重にも通して長さを調節し、首の後ろで結ぶ。

 そのとき扉が叩かれて、リリーは慌ててブローチを服のなかに落とした。


「ただいま、リリー」

 イシュケが戻ってきた。どっと疲れた顔をしている。

「まったくもう、後片付けも楽じゃないよ。いや作業自体は簡単なんだけどさ……イグニスがなにかとレオに噛みつくから、もう宥めるのに苦労して」


「ああ……」容易に想像がついた。「それは……ごくろうさま、だったわね」

「レオもレオだよ。いつもあんな風なの? 素っ気ないというか、淡泊というか、冷淡というか……」

「いいえ、まさか! レオはいつだって優しいわ。確かに表情は乏しいけれど、これでも少しずつ和らいできたところなのよ」

「ほんとに?」

「ほんとうよ。今は、ただ……慣れないのよ。何もかもに。ここへ来てやっと二日目だもの」

「まあ、それはそうかもね……」


 欠伸をかみ殺して、イシュケが暖炉の前に座る。火はリリーが起こしたもので、ぱちぱちと明るく爆ぜていた。


「あったかいや」

 両手をかざして、嬉しそうに相好を崩す。

「リリーもこっちへ来なよ。窓際にいたら冷えるでしょ」

「ええ、じゃあ……」

「ほら、ソファを動かすから……これでよし。さあ座って」


 本の残骸を手に取り、言われるがままにソファへ腰を下ろす。端の方に座ったのに、イシュケは床に膝をついたままだった。


「イシュケ。いくら絨毯があるからって、床は冷たいわ。あなたもこっちに」

「僕は従者だよ」


 至極当然のような顔で返された。


「カイネのね。わかっているわ。でも、座って。わたし、自分だけぬくぬくするなんて嫌だもの」

「……そう?」


 不思議そうな顔で、イシュケはしぶしぶ立ち上がり、隣に腰を下ろしてくれた。

 それからふたりの間に会話らしい会話はなかった。リリーは本の修復に取りかかっていた。炎の明かりに照らしながら、破れた背表紙や折丁の状態を確かめる。全体的にぼろぼろだが、破損自体は縫い直せば留められそうだ。折丁自体もばらけていない……と思いたいが、万一のこともあるので内容に目を通すことにした。人様の母親の日記など、勝手に読むのは気が引けるが仕方ない。


 元は黒インクだったのだろう、褪せて全体的に赤茶けた文字が美しく規則的に連なっていた。かつて見た黒の本よりも几帳面な文字で、判でも押したのかと思うくらい整然としている。この世にいない著者に対して、「ごめんなさい、失礼します」と心のなかで恐縮しながらさらさらと読んでいった。読み進めるうち、リリーの顔は訝しげに翳る。


「リリー?」


 様子の変化に気づいたのか、遠慮がちに黙り込んでいたイシュケがとうとう声をかけてきた。


「なにか、あった?」

「……いえ……」


 ぱらぱらとめくりながら、リリーはぽつりとつぶやいた。


「これ、日記じゃないわ」

「え?」

「日記じゃない……なんというのかしら、巫女のための覚え書き、という感じ」


 目をしばたたかせているイシュケの方へ、広げたページを見せる。だがイシュケは残念そうに首を振った。


「ごめんね、僕、文字が読めないんだ」

「そうなの?」

「うん……だけど、おかしいな。クイーンは日記って言ってたのに」

「わたしもそう聞いていたわ。変ね……」


 何度目を通しても、日記らしき書き込みはなかった。


「ここに書いてあるのは、昨日カイネが教えてくれた、巫女や郷についての情報ね……『巫女とは、神より遣わされし大地の安寧を司る者』……『無垢な獣を瞳で射止め、血を与えて従者とせよ』……『郷は神聖なる守りのなかにあり。みだりに立ち入ることなかれ』……」


 従者は巫女の手足と命。巫女の命尽きるとき、従者もまた生涯を閉じる。


 千の時を全うせよ。力を正しく操り、大地に棲まう命を守れ。


 巫女の魂は神の(たまもの)。決して交わることなかれ。破れば命を以て償えよ。


「命を以て償えよ……」

 つぶやく唇が戦慄いた。血の気が引く思いだった。


 ――〝あなたは「魔女」の犯した禁忌の「結果」。外側が人間で中身は魔女だなんて、郷は赦さないわ〟

 ――〝もしバレたらたちまち追手が来て、連れていかれて封印されるか……最悪、魂ごと力を全部抜き取られて死ぬでしょうね〟


 自分がいつ殺されてもおかしくない立場にあることはもう十分に理解したし、受け入れたつもりだった。それでもなお、胸底が冷たく沈むような感覚に襲われる。

 千里眼を持つ〝宵の巫女〟……カイネは、その力が衰えているかもしれないと言っていた。だが、失くしたわけではない。いつか必ず見つかってしまう……そのとき、自分は郷へ連れていかれる。殺されるか、封じられ……レオとはもう……


「リリー!」


 懸命に呼ぶ声が、遠のきかけた意識を呼び戻した。イシュケが肩を揺さぶっている。エメラルドグリーンの瞳が至近距離に覗き込む。


「大丈夫? 苦しいの? なにか、いやなことでもあった?」


 いやなこと……いやなことではない……これはある意味希望だ。知らないまま時を過ごしていたら、ある日突然わけもわからないままレオと引き離され、レオはその場で殺されるところだった。だが今は、カイネのおかげでレオの無事は保証されている。いざというとき、自分と関係のない者だと主張できる。レオが無事なら、それだけで救われる。自分ひとりの命で済むのなら。


「いいえ。だいじょうぶ。だいじょうぶよ」

「大丈夫の顔じゃないよ。どうしたの? 何を読んだの?」

「何もないわ。巫女の心得のようなものが羅列してあるだけだもの。ちょっと……目眩がしたの。疲れていたのかもしれない」

「リリー……」


 イシュケは一瞬、躊躇うような表情を見せた。だが次の瞬間、腕の中にがばりとリリーを抱き込んだ。


「い、イシュケ」

 突然のことに、言葉が続かない。イシュケはますます腕の力を強めた。

「こうしていたら、いやな気持ち、和らがない?」


 耳元の声は、とても穏やかで、優しかった。


「ただの馬だったときは知らなかったけどね。クイーンのおかげで人型になれて……こうして、体温を分かち合うってこと、覚えたんだ。僕が悪夢にうなされていたとき、クイーンはよくこうしてくれた。だから……」


 語られる言葉に、あたたかい声に、張りつめていた心が少しずつほぐれていく。


「……ありがとう」

 かろうじて、心の底から、出た言葉だった。



 冷たい廊下を這い進む。うるさい女王(クイーン)は「美容のため」と眠りについた。あの馬も一緒だ。やっと得られた自由だった。

 それでも、安易に扉を開けては気配で気づかれる恐れがある。本来の姿に戻り、隙間から這い出ることにした。宵闇に包まれた歩廊は凍てつくような空気に満ち、まるで氷の上を歩いているかのような錯覚に陥る。体毛が逆立ち、脚が強ばるが、構いはしない。リリーから目を離すわけにはいかないのだ。


 それにしても、本の修復など……何でもかんでも引き受けすぎだ。いや、自ら申し出たのかもしれない。旅の道中でもそうだった。まして今回は旅賃など必要ないのに。こんなだだっ広い城で探し物など馬鹿げている。それでも真剣な眼をしていた。そしてその眼は……とうとう、自分に向けられなかった。

 針などどうとでもなるが、糸……もっとも身近にあるはずなのに、なぜ思い至らない。なんどもあなたの体を包み、横たえ、抱きとめていたというのに。あの女王にやる気はないが、リリーが求めるならいくらでも喜んで吐き出してやるのに。

 あなたはあの女王に何を吹き込まれたのだ。


 狭間窓から吹き込む風が肌を刺し、脚を止めようとする。そのたびに体内の魔力の糸を奮い立たせ、はね除けた。炎の力……リリーは今頃、寒々しい部屋のなかで震えているかもしれない。共にいるあの馬の力は氷だ。リリーを温めるなどできはしない。忌々しい女王だ。リリーからぬくもりを奪い去ろうなど、何を考えている……


 苛々としていたせいだろうか、体を肥大化させれば歩みも早くなるということを思い出したのは渡り廊下の直前だった。慌てて体の大きさを変え、寒風吹きすさぶ歩廊を直進する。ひどい吹雪だ。これでは窓や扉をいくら閉めても寒さを防げはしない。


 暗い石床を進むうち、闇のなかにぼんやりと一筋、黄金(こがね)色の光が漏れているのを見つけた。あそこだ――急いで進む。銀の取っ手に向かって、するりと糸を伸ばした。が、途中でぴたりと止まった。

 何やら、話し声が聞こえる。囁き声……リリーのものではない。もうひとりの、あの馬だ。


「――こうして、体温を分かち合うってこと、覚えたんだ。僕が悪夢にうなされていたとき、クイーンはよくこうしてくれた。だから……」


 扉の下から漏れ出す光のなかで、影が動く。なにか、嫌な胸騒ぎがした。静かに体の大きさを戻す。冷たい床に這いつくばり、扉の隙間から中をのぞき見た。

 馬の少年の背中が見える。その向こうに白い体が見えた。ぱちぱちと爆ぜる炎に照らされて、ふたりの姿が暗闇のなかに浮き上がる。


「……ありがとう」


 か細い安堵の声が、聴毛にこだました。深く、鋭く、胸をえぐるように。

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