天女 第81回連載(令室の館)
「こんな時間に帰ってくるなんて。一体、何処をほっつき歩いていたのかしら。」
御令室一流の嫌味だった。思えば、Kをご新造様に引き合わせるという約束をし、程なくあの甘味処で別れたときは、すでに、黄昏ていた。其処からまっすぐこのお館に戻ったのだが、何分、芝居を観たり、ご新造様と甘味処に行ったりしたものだから、夕食の時間は、当に過ぎていた。普段なら、食事の用意を願うのだが、今宵は、執事から、今すぐにも、御令室が、私と話がしたいとのことを聞いたから、こんな具合に話す次第となった。
「気晴らしに、友人の芝居を観ました。そこで、偶然に伯爵家のご令嬢、いや、ご新造様が。せっかくなので、甘味処で、近況を聞かせてもらいました。こんな日に限ってと、さぞ、ご立腹のことと存じますが。」
「気にしていないわ。そこで何を話していらしたのかしら。」
令室には、うってつけだと思った。醜聞とはいえないものの、興味を持てる話の内容であるからだ。これで、いつもの癇癪が起こらなければと想う次第でもあった。ただ、事のほか機嫌は悪くない方だった。
「ご新造様の夫君には、別に懸想人がいらっしゃるとか。また、嫁ぎ先での人間関係でも、いろいろとある様で。」
「それはお気の毒ね。それで、慰めや機智に富んだ言葉でも、かけて差し上げたの。」
「いいえ。別段な物言い何て、とても出来ませんよ。」
「何だったら、その心の隙間に入り込んで、間男にでもなれば。」
「ご冗談が過ぎます。それに、私が、そんな真似のできる人間でないことぐらい承知されているはず。ところで、何か急ぎの用件がおありだと。」
「そうよ。主人が今朝、亡くなったことは、あそこの医師から告げられ、知っているわよね。」
「存じています。」
「その医師の図らいで、その場で荼毘に付してくれたとか。何でも、感染防止のためとかで。遺骸がない状況でお葬式をどうするのか。きっとあなたのことだから何かいいお考えでもお持ちでいたのでは、と。」




