天女 第76回連載
「ご無沙汰致しておりました。」
こんな具合に、形式的な挨拶をした。笑みを浮かべ、懐かしそうにするなど出来る次第ではなく、わだかまりがあるばかりに、全面的に再会を喜んでいない程を示してしまった。
「あの時以来ですね。」
そう、ご新造様が述べたとおり、父君からピアノの教師の職を解かれたとき以来だった。丁度、ご新造様に縁談が持ち上がり、それから逃げ出そうと出奔を企てたものの、伯爵様に露見してしまった。
「立話もなんですし、何処かで甘いものでも戴きながらお話し致しません。甘いもの、大丈夫でしたね。」
「ええ。」
何故か、甘いものが、好物だとは云えなかった。くだらない自負。そう。ご婦人の前では、こんな具合に、意地を張ってしまった。だが、自負というには単にこじつけに過ぎない感があるのも、承知していた。それにしても、甘いものを好んでいたことを知られていた、そんな細部を観察されていたことに感心する次第となっていた。
「そういったお店も、近ごろでは営業できる様になったのですね。」
「ええ、そうよ。この近くにございますのよ。」
それよりも気になるのは伴する者がいないことだった。
「お一人で芝居を。」
「そうですわ。とうにそんな身分で無くなりました。」
正直この返答には、戸惑うばかりだ。だが、その事情を容易く察せられるものではなかった。
ご新造様が、これから案内される甘味処までの道すがら、会話をしない訳にもいかず、されど不用意に、そういうことを尋ねてしまったものだと悔いた。
「歩きながらでは、なんでしょうし。お店に着いてからお話いたしません。」
「然りですね。」
私は、こういったある種の気まずさが訪れた際、愛想笑いをする。そうしつつ、思い起こしてしまった。令室の感情を害し、折檻をされたものだと。
「ほら、あそこに見えて来ました。」
でも、ご新造様が指さされた場所は、看板も暖簾も挙げていない処だった。




