天女 第75回連載
友人が演じていたのは、ファウストではなく、メフィストフェレスだった。だが、正直なところ、芝居の鑑賞に集中できず、筋書きはところどころしか分からなかった。ファウストは読んだことはあった。だが、例え、あの美しい文の気に入った一節を、書き写していたものの、そう暗記できうるものではなかった。ただ、ファウストに心酔していたのは確かなことで、その気に入った一節を書き写すだけで、あの美しい修辞を、自分の述べた言葉の様に、ある種の体現を施した様に思えるのだった。
だが、こういうことは、往々にしてあることかもしれない。お芝居を観て、原作を読もうと、あるいは、原作を読んで、お芝居を観ようとも、もちろん、それは、至極当然であろうと、媒介を違えたに過ぎないだけではなかった。
一方で、あのご婦人のことが気になっていた。見立てたとおり、友人のもとに私を連れて行ってくれた、その女性は、俳優だった。演じていたのは、マルガレエテ。もちろん、佳人であったが、私には、その役を演じる技量がない様に思えた。その器量からその役を演じるに相応しい素養を持っている様だが、でも、鑑賞している者を惹きつけられずにいた。
分析を試みた。どうして、芝居を観る者の心を惹きつけられないのかを。そこに感じたのは、声の深みが、不十分であるということだった。やはり、役者にとって大事なのは声質なのだと。華やいだ雰囲気を持ちながら、でも、それは、決して、外連味の類いでなく、その芝居の中に調和するものだというのに、その発する台詞が、体感として伝わらないのは、至極残念なことに思えた。
でも、それは滑稽なことでもあった。その名前も素性も何も知らない役者に対し、何の所以があってその様な感想を懐かなければならないのか。今後、どう精進しようが、その者の自在ではないか。
終演となった。ふと、客席のご婦人が私のことが気になる様だった。改めて気づいた。ご令嬢だ。否、今や、ご新造様。




