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天女  作者: 南清璽
74/112

天女 第74回連載(ご新造)

 私は、控え室へと、そのご婦人に誘われる様に、連れられた。おそらく、会場の係員ではなく、その化粧の具合や立ち居振る舞いから役者であると窺われた。ただ、感心したのだった。私は、立ち入った事情など何も話さず、単に友人であることを告げるだけで、取り継いでくれたからだ。一見しただけで、私が、友人とそれ程までに昵懇な間柄であると、察したのだろうか。そんな、機転と、その優美さに比例しているのが、不思議と合点がいく次第となっていた。

「それにしても随分と長い期間、入り用の様だったな。」

「申し訳ない。もっと早く返さなければならないのに。相当に遅れてしまった。」

 私は、こんな具合に、友人の物言いに対して取り繕った。不思議なもので、こうやって旧知に会うと、人を殺めたという罪責感が幾分か和らぎ、普段の表情が取り戻せた感が出た。だが、そうも長居はできない。例え舞台などない平場での芝居で、それが、一世一代という類に見えなくても、出る者としては、それ相応の本番に向けての心の準備をしなければならないはずだからだ。

「何だったら観ていかないか。」

 思えば、この友人の誘いは都合がよかったともいえる事柄だった。私は、館に戻るまでに、なるべく多くの事象を経て置きたかったからだ。それは、すなわち、これらの事象の体験が、殺人という体験を、都合よく紛らわせるのではと思えたからだ。

「そうだな。」

 そうして、友人にその観覧の代金を支払った。もちろん、友人は、招待したつもりなのだろうが、鬘を長く借りてしまったという想いもあり、その厚意にそうそう甘える訳にはいかなかった。

「それにしても当局の監視の目は厳しい。」

 その当局とは占領軍のことだった。友人たちが演じようとしているのは、ゲーテの「ファウスト」だった。ただ、原作が、ドイツ文学であることから、難局を示したというのだ。だが、その尽くが、上の空で聞いてしまう仕儀となってしまった。そうしたのも、先程のご婦人が、そう、私を、こうして友人の元に連れてくれた方の、どうも、その艶やかさが、頭にもたげ出していたからだろう。一方で、人を殺めておきながら、こんな不謹慎な想いも持てたものだとも思った。


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