天女 第58回連載(臨終)
「いつものインテリゲンチャ気取りか。」
もちろん、お館様の憤慨ではあったのだが、その理不尽さには、どうしても蔑みを覚えてしまった。先日の様に、私に、その御前で天女と交わるように言いつけた。ただ、述べたのは、「申し訳ありません」の一言だけだった。何ら断りの理由を付するものではなかった。敢えて、少ないながらもその言葉数から何かを察したらとした方が、お館様の憤慨をより招かれると考えたからだ。
「さっきから右のポケットが気になるようだな。」
「これですか。」
私は、即座にフラップポケットから、Kが調達してくれたピアノ線を取り出し、これをお館様に見せた。そして「後で張り替えるつもりでした。」と取り繕った。幾分なりとも意識はそのピアノ線にあったらしく、それを入れていたポケットを気になる次第から、つい、手を触れてしまうのだった。
少々迂闊だったが、お館様はこれと言って詮索はしなかった。所詮、興味があるのは、異性との情交のみで、それ以外のことは、悉く無頓着であったとした言いようがなかった。
それにしても、やはり、ポケットにあるピアノ線は極力意識しないように努めようと考えた。だが一方で、手にかけるとしたらどのタイミングかとも考えていた。
「人間の尊厳とかいうものか。」
「そうです。他には考えられませんよ。」
お館様の問いに対し私は少しぶっきらぼうとも言える物の言い方をした。確かにそこには作為があった。それはある意図があってのことで、この私の言い方でお館様から反感を買ってみようという次第だった。そうして予想どおり、お館様は、以前、私に殴りつけた錫杖を取り出したのだ。
「後生です。ご婦人の目の前で血を流す姿を見せるのは憚れますので、二人きりになりたいのですが。」
「それもそうだな。」
お館様は、そうして、天女に目配せをして、この部屋を出る様に命じた。だが、思いもよらない事象が生じた。




