天女 第56回連載
「そのぐらいにされたらと。」
「もう少しだけ。かまわない?」
天女のその応えに対し、例の運転手は、訝しむばかりだった。おそらく、お館様の意を察し、私たち二人の、会話を止めさせようとしたのだろう。だが、正直お館様に嫉妬してもらう方が都合がいいのも確かだ。そうすればまたいつかのように、私の眼前で天女と情を交わし、そして、私に対しても、情を結ぶように命じるであろうからだ。少なからず、私という存在と相関するものであり、天女を介しての私への最大の嫌がらせであるからだ。そうともなると、ここは天女を慮る物言いをして、その事をお館様に告げてもらうのがいいに違いない。
「いいじゃないですか。もう少しぐらい。」
私のこの物言いに、運転手は少なからず戸惑いの表情を見せた。やはり、迷いがあるのかもしれない。その全てをお館様に告げていいものかどうかと。
この忠僕ぶりに、その所以なるものを探りたくあった。そうして、私との間にある、一つのわだかまりを取り除いて置きたいと考えるのだった。何分、来るとき、この運転手には、多いに活躍してもらうつもりでいたからだ。
「先日は、お世話になりました。思ったより早く回復できました。」
私は、あの日、この運転手に診療所へ連れて行ってもらったことの礼を述べた。
「元は奥様のお計らいです。私何ぞに。」
「さっきも述べた様に、かなり早く回復を迎えられました。ところで、私が、ここに来る前からいらした様ですが、そんなに古くからここの運転手を?」
「いいえ、違います。元は廓で働いていました。ひどい旦那で。私が、そこの女将さんと懇ろになったって疑われまして。で、そこをクビにされて困った私をお館様に雇ってもらいました。」
「お館様は、相当慈悲深い。」
「ほんとそうですわ。」
この運転手の答えに、少々大仰なところはあったが、決して作為を施したものではなかった。そうして、それがこの男にどれほどありがたい事柄であったか、十分知れる仕儀となった。
「こちらともう少しだけ話したいことがあるもので。だからもう少し、このままにしておいてくれませんか。」




