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天女  作者: 南清璽
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天女 第5回連載

 つい見とれてしまう。これも男性に属する故の性か?つまりは、女性のデコルテに視線を落としてしまうという。これは、数年前の事柄でありながら、その残像は、艷やかを保っていた。彼女はそんな私を見て取り、薄笑みを浮かべていた。ただ、愛らしく。否、ただ、愛らしくの言葉で、尽きさせていいものか。はにかんだ笑みであるというのに、知らず知らずのうちに、極々いとけなき日々に母の背中を追った、そのときに感じた母性に近いものも感じられたからだ。こういった性分だから女性と交際しても永く続かないのかもしれない。性的な、そう極めて性的なものを求めなくなっていた。

 だからかだろうか。そこに何か魂胆を秘めているにではという、蔑みなど感じる訳はなかった。その一方で、その御仁に反作用ともいうべきものが生じていた。つまりは、好気な目でご淑女の露出した肌を見るといった男の性分を受容しているのかもしれないという。それとも、男そのものを知っているのか?しかし、これは不謹慎極まりない。伯爵家の令嬢ゆえに(ただ、厳密にいえば、元伯爵になるのだが、皆は、慣行上あるいは儀礼上、単に伯爵と呼んでいた。)。だが、そんな彼女に、私は、淫らな面を全く見出せないことはないという、ある種の妄想も、そして、それが、自己の深層に、願望として、窺われもした。一方、その手の妄想は、とめどなく誇大へと発展を遂げていくものだった。そう、彼女から、我が胸にしなだれ、我が身を求められんという。

 それは揺らぎだった。観念上の令嬢であるべきなのに、そういった想いは、令嬢を物質化させるものだった。だが、淫靡な感はなく、むしろ、捉えようによっては、健全ささえ感じる向きになった。やはり、令嬢の屈託のなさが、そう感じさせるのかもしれない。

「どうでした、私の演奏?」

 その物言い、そのあどけなさに、愛くるしさを覚えていた。やはり、否定できない。それは、作為を施しているのではという想いが。彼女を称えるべきだという気持ちと、それとは裏腹に憧れと妬みがない混ぜなった不思議な感情が沸き起こっていた。今、顧みて、これは、そう、特に妬みが、その後、やらかした不始末に繫がる所以たる事象であったかもしれない。だが、詮無きことであった。

 そのときは、ただ、令嬢の見目から目を逸らすことにした。何分、自身の不埒な想いが読み取られるのを嫌った次第だったからだ。彼女にあてがった楽曲はシューベルトの「楽興の時」だった。それも、この宴に相応しくあったからだ。そして、何より一番満悦していたのは、母君であり、その御祖父母であった。それもそのはずで、その御祖父母の結婚記念の催しであり、孫娘のピアノは何よりの贈物であったに違いない。

「ありがとうございました。それもこれも、先生の指導のよろしき賜物ですわ。」

「いえ、とんでもございません。御令嬢が心を込めて弾いたからです。その心持ちが指先に伝わったのです。ほんと,よかったよ。あの曲の持つ包容力が如何なく伝わる具合でした。」

 こうして、母君の謝辞に満悦しつつも、すべからく、奏者の日頃の心得が成果として結実したものだと思うように努めた。しかも、微塵にも、我が成果と態度に出さない様にも。もっとも、そこには、謙遜の意味合いなど、全く存しないという屈折した心情があった。ある意味、歪みであったが、信頼を醸成、維持するために、媚びを売ったまでだ。現に,伯爵令嬢も,私の,この言葉に安堵を得ていたようだ。いや,むしろ,安堵を得ていたのは,私の方かもしれない。このときの母君、ご令嬢の様子からして,当座も,ここの伯爵家で音楽の家庭教師が続けられそうであったからだ。


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