天女 第29回連載
「カシ何だったか、カシヤマ、カシモト、カシダ…」
どうやらKのことらしい。医師もその名を覚えられずにいた様だ。
「私は、単にKと呼んでいますが。」
「そう、そのKが、近々、例の診療所を処分してくれるとか。」
それにしてもKという奴は便利というか、使えるというか、閉鎖された診療所をどう周旋するというのだろうか。
「ほんと、使える男ですよ。」
率直な向きを述べた。ただ、感心とも蔑みだとも窺わせない物言いにした。
「どういったことで知己に。」
「お館様の処へは、彼の口利きだったのです。もちろん、それ以前から彼のことは存じておりました。父も、開業医だったもので、色々と手助けを受けていました。」
医師は、察しているに違いない。Kに関わっているということは、それなりの事情が存するということを。そうして、この医師も、自分と同様に何らかの事情があってお館様の土地で開業しているのだと。
「お察しでいらっしゃるのでしょうが、その事情を他人様に申し上げるのは、憚れるものがあります。私は、高貴な家の醜聞に関わったばかりに、ピアノの教師としての職を失いました。そんな折、そのKからお館様の処で書生とも食客ともつかぬ身分でのピアノの教師の口を紹介されたのです。その他に父の金銭面の問題でも手を煩わしました。」
だが、医師はそんな私の説明に何一つ関心を示さなかった。
「独立不覊。自分が望んだ道だというのに。」
こんな風に医師は唐突に述べた。
「大学の研究室を飛び出し、病院の勤務医になったものの、そこでも診療に対する考えの相違から辞める羽目になりました。」
一息つき、続きを述べた。もちろん、そこにあったいささかの躊躇いは、苦悩や葛藤の結果であると察せられた。
「たとえ恩義があるにせよ、医者として、あるまじき行いを冒してしまいました。」
「天女のことですか。」
「天女?」




