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天女  作者: 南清璽
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天女 第14回連載

 ある種の陽動作を講じることにした。すなわち、事態として令嬢が誰かに連れ去られたふうに装うという。そうした場合、おそらく、令嬢を連れ去った人物を特定すべく、捜査を行うだろうし、おおよそ、特定に能わない人物を捜しだすのは、徒に時間を費やす始末になろうと考えられたからだ。

 そのために変装を企てることにした。少し前に読んだ小説だ。何でも大学時代の同級生が、しかも、瓜二つの様に似ているその者が亡くなったと知り、土葬の慣習であることを思い出し、誤って生きたまま葬られたふうに装い、その者になりすますという話だった。ただ、それらの事情を知るため、その地を訪れるにあたり主人公は変装を施すのだった。

 確か、顔の輪郭を変えるために含み綿を使ったはずだ。そうして、これを試みる。確かに。鏡に映した自分を見るとそれなりに変わっては、いた。だが、これだけでは変装を為したとは言い難い。その程度の想定はできていた。それ故、こうなるものと考え、予め友人を通じて鬘と伊達メガネを借りていた。その友人とは、音楽学校からの友で、当初は声楽を学んでいたが、学校を卒業してからは、歌劇ではなく、芝居というか、新劇の世界に身を投じた者だった。私は、仮装パーティに使うなど、適当に取り繕い、それを彼の所属の劇団から借り出したのだ。

 含み綿と鬘、そして、伊達メガネ。大丈夫。十分翁に見えた。これが耐えうるものか、私は、上野の界隈を、この変装で遊歩することにした。だが、思いの通りだった。音楽学校の近くとあって、多くの友人、知己とすれ違ったが、その誰一人として、私のことと気づかなかった。丁度向こうからピアノの師が、現れた。良い機会だった。自分のこの変装が如何ばかりのものか試すのには。私は、師を認めるや深々と頭を下げた。

「失礼ですが、どちらかでお会いしたことがあったのでしょうか?」

私は、

「ええ、先生のこの間のピアノの独演会参りました。ほんと楽聖の奏鳴曲の演奏は素晴らしいものでした。」

と述べた。

「それはどうも。とても光栄です。」

「特に作品90は、秀逸でした。よくあそこまで譜読みをできていらっしゃると感心致しました。」

「ピアノをお弾きになるのですか?」

「正直、下手の横好きです。」

「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「先生の様な大家を前にして名乗るのは少々照れくさく存じます。」


 これ程までに。私は、正直思ってしまった。そう、こんな風に卑屈になれる御仁であったということを。師は教授の肩書を持っていた。だから、私は、この師を、ある意味敬いから、教授と呼ぶことにした。

 もちろん、その教え方は、威厳めいたものではなかった。ただ、少々、修辞が多く、その大仰な面がどことなく陳腐に思えたのだ。例えば、飛んでいる蛾の翅を包み込む様な仕草でレガートを、という具合に。流石に吹き出しはしないが、その陳腐さは否めない。

 出奔の決行は、教授が実習を施す日のこの時間帯にしよう。そうして今日の様に話しかけて、令嬢を連れだっていることを印象付けよう。きっとあの教授のことだから、何かの所以で警察に聴取でもされたら、例の調子で大仰に説明するに違いない。


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