天女 第104回連載
「あの一軒家ですから、空襲で燃えずに済みました。帝都とは違いますよね。」
そう述べつつ、手当たり次第に持ってきた楽譜をテーブルに置いた。
「疎開先に持ってゆけばよかったんでしょうが。」
ご新造は、その全てを手に取り、どれを持ち帰ろうかの品定めを始めた。実家は、あの大空襲で焼失し、そこに置いていた楽譜も同様になった。それに較べ、あの人里離れた館なら、空襲に遭うことになどはなく、手持ちの楽譜は無事だった。
「それにしても、此処の品数、少しだけど、増えたこと。」
「半年ほどでしょうか。此処に一緒に参ったのは。」
私は、ご新造と同じく、この甘味処で、串団子を注文していた。以前にあったものは、お汁粉と餡蜜だけだった。そうだったと思うとかえって感慨に耽るものへと変容していた。殺人を犯したあと、友人の芝居を観に行った。ご新造は、その場に偶然に居合わせた。それが、半年余り前のことながら、遠い記憶を懐かしむ次第になっていた。
「酷いわ。あの遊廓の女と一緒の処に居たというのに誤魔化すなんて。Kって方から伺って、本当にそう思いましたわ。」
「何分、懐剣を見せられたものですから。怯みましたよ。面倒なことになりはしないかと。」
「その懐剣も取り上げられました。夫に。一度も見せなかった形相で。」
「また、どうしてですか。」
「この喉をそれで掻っ切るとと云ったら。」
「どうしてそんなことを。」
「ただただ、すまないって。私たちが夫婦になれないのを。云ったは、このままあの女を思い続けるのならと。」
「天女ですか。」
「そうよ。天女って呼ばれているのね。」
「私だけかもしれません。そう呼んでいるのは。」
「でも、お会いしたいわ。どんな方かしら。」
「Kは、私を含めた四名で会ったらと云ってましたよ。」
「別にそうしてもいいけど。」
正視せず、伏目がちにそう述べていた。惹かれている。私はそう意識せざるを得なかった。単に、その境遇に同情を施しているという類ではなかった。




