天女 第10回連載
翌朝のこと。私は令室と一夜を過ごした臥床を抜け出し、ピアノと向き合っていた。そうしてかの“月光”と称されている奏鳴曲を弾きはじめた。
気づけば、令室の姿があった。既に私の背にしなだれかかっていた。どんな面持ちなのか。そこにあったのは、作為ともとらえられる薄笑みだった。だが、私は、平静を装い、ピアノを弾き続けた。そうしつつも、そこにある笑みの意義が何か、との考察は巡らしていた。一つは、私に対する愛玩だった。しかも少しの蔑みを伴いつつ。一方でジェンダーとしての愛らしさを意図的に感じさせようとしたのかもしれない。
心底において、異性からの愛らしさ、愛おしさを感じてもらいたかったのかもしれない。令室の普段のあり様は、ある意味、彼女の片意地であった。そう想うと今度は、それが、高貴な意味合いにとれる次第となった。確かに、人間の本性には、意地汚い面がある。だから敢えて、作為的にしている様に装う。ただ、令室のそういった面、つまりは、知性を重んじる面に共感をいだいたのも事実だった。普段から会話にあまり形容詞を使わなかったが、それは、もちろん、主知的に物事を観察しようとする心持ちの顕れと考えた。
我が背にある令室の頬。きっと私のピアノに何かを感じてくれている。何かを。でも、それを言葉で表すと安っぽくなる。




