天女 第1回連載
迂闊だった。その場を和まそうと微笑んだのに過ぎないのに、当の令室は、それを嘲りと捉え、例の如く、私に、折檻を施そうとするのだった。
大凡、彼女の面前で、微笑みを浮かべること自体禁忌だった。それは、先にも述べたとおり、嘲りと捉えるばかりに、逆鱗に触れてしまう。だが、これが如何なる所以をもってそう捉える様になってしまったか、分からなかった。一つだけ、推し量ろうものなら、幼少の頃から、親しんできたピアノにあるのかもしれない。
いや、そんなことより、心して置かないと。そう、やがて、始まろうとする折檻が、どれ程矛盾を孕み、不条理であるか。そうして、苦痛を伴い、聞かされるのだった。と思いつつ、今では、然程苦痛を伴わなくなっているのにも気付いていた。それどころか、余りにも支離滅裂なゆえ、言葉が、発せられるや、たちまちに雲散霧消する仕儀となった。意味をなさないから、心裡に及ばなくなっているのだろう。
「あなたは、いつもそうなのよ。」
だが、そんな彼女の指摘も、毎回異なる点に及ぶのだった。円舞曲を練習していたとき、私は、「そう、典雅に、流麗に。」と述べたことがあった。でも、令室はその言葉に対し、「何、私にそういったものがないっていうの。」と述べるや、如何に自分が、その育ちがいいかを語り出すのだった。学校へは、馬車に乗り、女中を従え通っていたなどと。そうして、何も私のことを、つまりは令室のことを知ろうとしないと詰るのだった。
一方で、主知的にと心がけて演奏している様だったので、それを褒めて見せると、自分は、そんな冷めた女ではないというのだった。いささか令室を慮った処があった。高等女学校では、級長を務めるほどだったというぐらいだったから。私は、そんな彼女の、そんな、そう、ある種の矛盾を孕んだ言動への分析を試みたりもした。そうして、得た結論が、令室は、極めて快もしくは不快といった感覚によって支配されているということだった。道理で。その程度のものにしか過ぎないので、心裡に何も及さなかった。
だが、それをおくびにも出せなかった。だったら何時ものように,黙する外はないようだった。令室の、こういった私の何気ない仕草に対しての癇癪には。
「申し訳ございません。」
平身低頭に。下手な釈明は厳禁だった。更なる追い打ちを招くばかりに。ただただ,黙し,彼女の気が収まるのを待つのみで,その時が早く到来せんと望む仕儀となった。反面、心底において狡猾にも、どこまでも沈着を装い、彼女の更なる苦悶を誘おう何ぞの想いもしていた。