09 カペル族4
サイメルティに勝ち、晴れて客人となったレオン達。この世界の謎に触れる。
「さて、どこから話せば良いものか」
サイメルティは私達の前に地図を広げ、アフマドと私の間に座った。地図には大きな山脈が真ん中に描かれており、山は三角形を極端にしたような形をしている。各頂点の間の辺を叩いて引っ込めたような形だ。
「私達が今居る位置はここだ」
サイメルティは図形の下を指さす。
「この山は聖なる山と呼ばれている。この山は強大な炎を持っている」
火山という事か。
「そしてこの山の複雑な形によって私達は世界を三つに隔てられている。私達はここ、そして空の民、お前達が見たあの鳥のような部族はここだ」
サイメルティは山の右側を指す。
「もう一つのこの場所には火の民と私達が呼ぶ部族が住んでいる」
山の左側だ。
「火の民?火を使うのか?」
「そうだ。彼らの攻撃力は恐ろしい」
「そいつらと揉めているのか」
「そうだ。彼らの力を抑え込めるのは私達だけだ。だが集中してやられると私達の特別な力でも対抗するのは難しい。記録によると私達の争いは百年前から続いている。停戦したり激化したりを繰り返している。だが一向に決着がつかない」
百年というとユリウス暦で五百年弱。帝国とペルシャの戦いより長い。
「あの鳥達も特別な力を使うんだろう?何を使う?」
アフマドの質問にサイメルティは擦寄る。
「風だ。彼らは風を使う。私達は彼らには無力だ」
「成程な。凍結は炎に勝ち、炎は風に勝ち、風は凍結に勝つ。見事に三つ巴になっているわけだ」
「そんな単純な話ではないがな。実際には私達と空の民が連合を組んでいて、それでようやく互角と言った所だ。それほど火の力は強い」
サイメルティがアフマドの膝に手を付く。
「太陽はどこから昇ってどこに沈む?」
「太陽は、斜め上から来て斜め下に沈む」
サイメルティは地図の右上から左下を指でなぞる。
「私達はそれぞれが川を持っていて、それぞれの川の流域にはいろんな部族が住んでいる。だがお前達が見たように私達の川は途中から汚染されている」
「その空の民とやらの場所にも川があると言うのか。この火の民の場所にも」
「そうだ。だが空の民の持つ川は水の量が少ない。だからあの流域の部族は人口が少ない。火の民の川も途中から汚染されているらしい。私達の川とは違う物質らしいが」
「あの鉄器や皮製品は空の民の流域で作られているのかな?」
「そうだ。あの鉄器はこの辺りで生産されている」
サイメルティは山脈の右側の中腹を指さす。こっちの川の流域で言うと丁度オウィス族が住んでいる辺りの範疇になる。
「昔はあれは高いモノだった。だがある事件が起きて空の民が私達に協力を要請して来た。私達が彼らに協力するようになって、モノが安くなった」
「事件?」
「火の民の川が枯れ始めたんだ。だから彼らはまず空の民を攻めた。山脈を越えるのは無理だったからこうやって迂回して攻めた」
サイメルティは山の左側から上を通って、右側へと指でなぞった。
「空の民は火の民に対抗する術がない。だから私達が代わりに戦った。それを火の民は恨んで停戦協定を破り私達の集落に直接攻め込んできた。それが四年と二ヶ月前の事だ」
こっちの暦で四年二ヶ月と言うとユリウス暦で二十年くらいか。
「先も言ったように彼らが攻撃を集中させると抗うのは難しい。かなりの犠牲者が出た。以来私達は防衛用水路を作って彼らの攻撃に備える事にした。空の民の所も同様だ。だが彼らに土木作業は無理なので私達が出向いて作っている。防衛用の人員も割いて向こうに回している。だから空の民は彼らの川の流域に住んでいる部族の品を無利益で私達に提供するようになった」
「成程な。あっちに出向く用事っていうのはこの事か」
「そうだ。しかも火の民の干ばつは深刻らしく、日に日に攻撃が激しくなっている」
「分け与えてやる事は出来ないのか?」
「かなり古い資料に彼等と和解してここに住まわせた記録がある。しかし彼らは一人ひとりの誇りがとても高く揉め事を起こすと火の力を使う。彼らの力は一人で一度に何人も殺せるくらい強力なものだ。ここでも事件が起きて一人の火の民によって私達の部族が何人も殺された。私達の先祖は和解は無理だと悟って彼らを追い返した」
「でもそれってそいつ一人だけの問題だったんじゃねーの?一人の例だけで全員追い返すって、ひどくないか?」
マルコが口を開く。
「マルコ、もし近くに自分をいつでも殺せる武器を持っている者がうようよ居たら、マルコは平穏に暮らせるのか?私には無理だ」
私達の例で考えると常に弓を引いている者が街中のあちこちに居るようなものか。それは確かに無理だ。平穏に過ごせるわけがない。
「し、信じれば大丈夫だ。多分」
「ではそれが猛獣だとしたら?」
マルコは黙ってしまった。
「火の民の川の下にはどんな部族が住んでいるんだ?」
「わからない。彼らの土地に関しては資料が全くない。向こうに行かなければ手に入らないだろう」
「おい、お前なんでそんなにアフマドと近いんだ?」
マルコが突っ込む。
「おっと、これは失礼」
サイメルティは私とアフマドの間に座りなおす。
「所でお前達はどこから来たんだ?私達の記録にお前達のような部族はいない。だから最初私達はお前達が火の民の川から来たものだと思っていた。ところがあの滝を越えて来たと言うではないか。私達の半分はまだお前達を信じていない」
「何から話せばいいか……」
私はこれまでの経緯をすべて話した。私達が別の世界から来た事、自分がローマ帝国の軍人であった事、マルコがヴェネツィアの商人であった事、アフマドがアッバース帝国という世界最大の国の軍人であった事。そして我々は戦争の最中にこの世界に飛ばされた事、
私達の世界では私達のような部族しか居ない事。
サイメルティはうんうんと聞いていたが、やがてこう言った。
「こんな話信じろと言うほうが無理だ。しかし現にお前達がこうしてここに居る。それにあの不思議な遺跡の事も考えると……」
「信じてくれるのか」
「お前達がそう言うのだから信じるしかあるまい。しかしその別世界、私の持っている資料にはない。火の民なら何か知っているかもしれない。或いは彼らの所にある遺跡なら……」
現状帰る手掛かりはない。その火の民とやらに希望を懸けるとしても、確実に情報を得られる保障はない。むしろない可能性のほうが高い。しかもここの部族と火の民は一触即発だ。
「火の民の所に私達が直接出向く事は出来ないのか?」
「出来る事は出来ると思うが、彼らは想像以上に話が通じないぞ」
「となると護衛が必要になるな」
「そしてその役は私達しか出来ないだろう。どちらにせよ今は間が悪すぎる」
サイメルティは立ち上がって寝る準備のために資料を片付け出した。しかしあまりにも量が多すぎる。
私は今まで通りボルダナティの家に厄介なる事で良いか尋ねた。サイメルティは二つ返事で了承すると私達に身の安全を保障する一筆を認めて渡してきた。
「明日トレナヘクトが召集をかけて全体で会議をする事が決まった。お前達はまず私の家に来て欲しい。さっきの別世界の話はしないほうが良いだろう。お前達がどこから来たのかは私が今晩考えておく」
「わかった。有難う」
私達はサイメルティに別れを告げて、ボルダナティの家に向かう。
「おいレオン」
「何だマルコ」
「あの女を信じて大丈夫なのか?これが罠で明日には取り囲まれているとかないよな?」
「それは大丈夫だろう。こうして武器も返してもらえたし」
私は剣を握る。彼らの剣が皆小振りなのが気になる。私達が使うような大振りの剣は存在しない。
「アフマド、何故彼らの剣は短いのだと思う?」
「それはお前、俺達の剣が長いのは馬上で使う前提だからだろう。それとあの力を使えば簡単に折れてしまうからじゃないのか?長い剣は鉄の無駄なんだろう」
「確かにそれはそうだが、他部族には有効なんじゃないのか?」
「相手は炎を使うんだろう?お前達のギリシャ火みたいなもんだと想像してみろ。剣なんて使うだけ無駄だ」
「そんな事より馬乗りてえなあ!」
マルコが哀願するような声を出す。私も馬に乗りたい。
「馬なんて今まで一頭も見なかったぞ。本当にこの世界に居るのか?絶滅したんじゃないのか?」
「教科書に載っていたから居ると信じたい」
私はクニークル族の集落でクニークル語を勉強していた時の教本を思い出した。一体あれの原型を作ったのは何者なのだろう。
今までここで確認できなかった生物まではっきりと書かれているという事は、製作者はクニークル族ではないだろう。ひょっとしたらこの川の流域外で作られたのかもしれない。
「そうだ。メトロノティなら何かわかるかもしれないぞ。聞いてみよう」
ボルダナティの家の扉を叩く。中からはボルダナティが出てきて、
「レオン!」
と言って抱きついてくる。
「愛しのレオンのご帰宅だぞ。ボルダナティ」
マルコが何か喚いている。私は彼女の事を可愛いとは思うが、そういった感情は起こる気がしない。
「メトロノティは居るか?」
「丁度今帰ろうとしていた所だよ。何か用?」
私は木の皮の裏にささっと馬の絵を描いてメトロノティに渡した。
「こういう動物を知らないか?」
「うーん……」
黙ってしまうメトロノティ。アフマドが私の絵を覗き込んで言った。
「レオン、何だこれは。お前は地図を描くのはうまいが、絵はてんで駄目だな。貸してみろ」
アフマドが馬を描く。見事に特徴を捕えている。
「こんな生き物だ。見たことないか?」
「見たことない……家に帰って調べる……」
「助かるよ。頼りにしてるぜメトロノティ!」
マルコがポン!と肩を叩くと、メトロノティは照れた様子で帰って行った。
「みんなお腹空いてない?」
ボルダナティを見ると例の凍った小魚を沢山持っていた。
次の日、私達は起きて仕度を整えるとまずサイメルティの家に行った。サイメルティは私達の出自をクニークル族の集落よりも下った場所という事にし、未発見の部族であるという設定を作った。良質な鉄を持っているのは説明が付かなくなってまずいという事で、剣はサイメルティの家に置いていく事にした。
「おい、これ罠じゃないだろうな」
マルコは相変わらず疑い深い。
「殺すつもりなら寝てる間にあの力であっという間だろう」
暫く歩くと例の二階建ての行政機関の建物にたどり着いた。入り口に行くとそこにはクレンビュートが居た。
「待っていたぜ。こっちだ」
クレンビュートに連れられて階段を上がり一番奥の部屋に入る。四つの剣と四つの壁が勢ぞろいしていた。
私達にやられたハロテスティとディーエヌトは面白くなさそうな顔をしていた。刃を交えたオキシメトとエナンスティも歓迎しているような顔ではなかった。
奥にもう二人座っている。一人はあの若い筋肉質のフェニルプロト。もう一人は……
「おいレオン、あいつはヤバいぞ」
アフマドが小声で話しかけてくる。
「何がヤバいんだ?」
「とても勝てる気がしない」
あの百戦錬磨のアフマドがこんなに弱気になるとは、どれ……。私も一目見て絶句した。
男の背丈は私達より明らかに高く、筋肉の鎧を見に纏っているのが服の上からでもわかる。頭頂部から後ろに向かって弧を描く立派な角を持っており、その色はほとんど黒に近い。突起が規則正しく付いていて細かい皺もある。
瞳は赤く、その髪は後ろ向きに整えられている。額の模様は大きくて派手なもので、ハロテスティのものと似ている。というか顔付きや角や目の色の特徴がハロテスティと一緒である。年齢は私達で言うと四十前後といったところか。
「私はトレナヘクトだ。この部族を纏めている。よく来てくれた。そこに掛けてくれ」
男が口を開く。渋い声だ。
私達は用意された中央の三つの椅子に座る。男は立ち上がって円状に並べられた椅子に座った四つの剣と四つの壁をゆっくりと見て回る。
「まずはこれまでの非礼を詫びたい。聞くところによるとサイメルティを倒したそうだな。そんな強者にこんな仕打ちをしていたとは……」
男はハロテスティに近づき、いきなり平手打ちをかました。
「痛い!」
「特にお前、相手の強さを推し量れなかったばかりか、非礼を繰り返し、あまつさえ負けてしまうとは我が一族の恥だぞ」
トレナヘクトがハロテスティの角を掴んで拳を顔に叩き込んでいく。私達は必死に止めに入った。だがこの男の力は相当な物で後ろからでは止める事が出来ない。アフマドが間に割って入ってようやく止まった。
「うぐっ……酷い。兄さん……もう許して」
ハロテスティが鼻血を流しながら懇願する。やっぱりこの二人は兄妹だったか。
「アフマドと言ったか。この女を許す事が出来るのか?こいつはお前を殺そうとしたんだぞ」
「彼女は彼女の職務を全うしようとしただけだ。恨みはない」
「だ、そうだ。ハロテスティ。アフマドに感謝するんだな」
トレナヘクトはゆっくりと自分の席に戻って座る。血まみれになっているハロテスティの鼻に小さな布を宛がってやるマルコ。
「ありがとう。優しいんだな、お前」
ハロテスティがマルコに小声で感謝の言葉を述べる。それを横目で見て続けるトレナヘクト。
「私達の文化は強者を尊ぶ。弱い者が強い者に意見する事はあってはならない事だ。相手がどんな素性を持つにしろ強者は尊ばれなければならない」
その言に若干のイラつきを見せたのはフェニルプロト。クレンビュートもサイメルティも嫌な顔をしている。
私はフェニルプロトが浴場で改革について言及していたのや、四つの壁が言い争っていたのを思い出した。おそらくこの三人は改革派なのだ。
「私達の間でお前達を処遇を巡って散々議論をした。ある者は火の民の間者だとして幽閉する事を提案した。ある者は面白い技術を持っているから客として扱おうと言った。ある者は私達にはない知識があるので習おうと言った」
トレナヘクトは一息置いて、椅子の背もたれに身体を預けた。
「そうこうしている内にあの脱走劇だ。しかも四つの壁までやられたと来てしまった。何の力も使わずにだ。これは私達にとって脅威だ。お前達のような部族が居たとは……私達はこの事実を重く受け止める必要がある」
「それで一体何をするんだ?」
「そこのサイメルティの強い希望もあって、お前達は重要な客として迎える事になった。何でも申し付けると良い。お前達は私達にないモノを色々持っている」
何でも、と聞いて私はすぐに遺跡の事を思いついた。
「それでは、私達は火の民と会ってみたい。協力してもらえないか?」
「それは……」
トレナヘクトは黙ってしまった。場に微妙な空気が漂う。
「なかなか難しい注文だ。我々はもう百年以上もいがみ合っている。更に四年前に彼等が大攻勢を仕掛けてきてからは泥沼の戦いだ。彼らは私達を見たら有無を言わさず攻撃してくる」
「同じ言葉を話さないのか?」
「不思議な事に彼らは私達と同じ言語を使う」
サイメルティが答える。謎が深まるばかりだ。同じ言語を使うという事は昔は交流があったという事ではないか?
尤も今まで見てきたこの世界の住人全員が流暢なクニークル語を使う事自体が不思議である。ひょっとしたらすべての部族は元は一緒に暮らしていたのではないだろうか。
「とにかくその問題は時期が悪すぎる。丁度もう冬になる。雨が少ない。火の民が最も攻撃的になる時期だ。それより……」
トレナヘクトはフェニルプロトに目配せする。
「例の水の件だが、農業用の水を調整する事で増産が可能になった。そういう訳で隊商を組もうと思う。私はボルダナティに任せたいと思うのだが」
フェニルプロトがそう言った途端に皆溜息を付いた。
「私も行こう。ボルダナティ一人では頼りない。また失敗をするかもしれない」
サイメルティがスッと手を挙げた。
「待てサイメルティ、お前が行ったら防衛はどうなる?」
「大丈夫だ。冬の間奴らがあそこから攻めてくる事はまずない。もし来た時は俺が対応しよう」
フェニルプロトがトレナヘクトの言を遮って、この会議はお開きになった。
建物の外に出ると早速マルコがサイメルティに質問を浴びせる。
「ボルダナティの失敗って何だ?」
「ああ、あれか。本人の名誉のために言って良いものかどうか」
「皆知っているから構わないだろう」
「それもそうだな。私達の隊商の主体となるのは水だ。これは私達の特別な力で常に凍結させておく」
「あの筏に乗せている奴か」
「そう、その筏だ。ボルダナティはその筏を留めて置くのを忘れて、氷が流されてしまったんだ。皆で追いかけたが追いついた時にはもうすべて溶けていた」
「え、何だその失敗は。ありえないな」
「何故フェニルプロトはそんなボルダナティを指名したんだ?」
「フェニルプロトはボルダナティの甥だ。ああ見えて昔は泣き虫だった。ボルダナティによく助けられていたんだ。フェニルプロトはその恩を忘れていない」
「へぇ、恩返しに仕事を割り振ってるってところか。ところでお前は何故来るんだ?」
「個人的な好奇心だよ。お前達に興味がある」
そうかフェニルプロトはボルダナティに実績を作らせて汚名を挽回させたいのだな。あの若者どうしてなかなか義理堅いではないか。
私達はサイメルティの家に戻り、昨日と同じように歴史の謎を語る事にした。サイメルティが資料を出してくる。
「私が持っている資料で一番古いのがこれだ。これは百と四年前に書かれたものだ」
こっちの暦の一年が千七百四十八日なのだから、ユリウス暦で言うと四百年程度か。
「何が書いてあるんだ?」
「旅の記録だ。湿原から川を登っていく様子が書き記されている。私がこれを読み解いたところ、この前の時期に聖なる山が爆発して炎が降り注いだ事になっている」
火山の噴火か。
「この聖なる山の爆発は相当な規模だったようだ。これを機に色んな部族が移動したと私は考えている。気候がや環境が変わってそれまで住んでいた場所に住めなくなったのだろう。あの火の民もそうだろう」
火山の噴火で地形や天候が変わった例は帝国にもある。二つの街を埋没させたヴェスヴィオ山の噴火がそれだ。
その後のクラカタウと呼ばれた東方の火山の噴火はそれ以上だった。気候が変わって疫病が蔓延し、アヴァールやスラブといった民族が侵入し、帝国は荒れに荒れた。
「彼らも適応していないのか?」
「そうだ。私達と同じように厚着をしている。そしてここからは私の完全な憶測なのだが……」
サイメルティは資料をくるくると巻いて閉じる。
「彼らはその攻撃力の高さ故にあちこちで恐れられて、迫害を受け続けてきたのではないかと思われる。そう考えるとあの話の通じなさも納得がいく」
「それは妙な話だな。それほど攻撃力が高いなら支配する側に回る事が常だと思うが」
「彼らが支配に回る事は出来なかったと思われる。ここに彼らと和睦して彼らを住まわせていた記録があるのだが……」
サイメルティは別の資料を出して指でなぞる。
「この部分だ。火の民は身体が弱く、その半分以上が病気で死んだ、とある。私達が尽力してもこの結果だ」
「その様子だと平地ではその三倍は死んでいただろうな。支配に回るなどとても無理だ。平地では細菌の力が強いからな」
アフマドが暑さと細菌論を展開する。
「ほうアフマド、面白そうな事を知っているな。教えてくれ」
「暑い場所では細菌が繁殖しやすい。すると胃腸系の病気にかかりやすい。俺はこれを各部族の男女数の違いで見分けた」
アフマドがクニークル族、スキ族、ラチェ族、オウィス族の例を交えて説明する。カペル族からはそれぞれ、土の民、森の民、砂漠の民、草原の民と呼ばれているらしい。
「アフマドの論だとここは男女比が他に比べて偏っていない事になるな」
「実際他に比べて平衡気味だ。それでも女が多いが」
確かにここは一対二くらいの割合だ。
「火の民はどうなんだ?」
「男のほうが多いかもしれない。ここに書いてある記録も男ばかりだ」
「実際見てどうなんだ」
「彼等は厚い防護服を着ているから男なのか女なのかわからない。パッと来て火を放ち、こちらが反撃に出るともう逃げてしまう」
「一度見てみないとなんとも言えないな。サイメルティ、見れないのか?」
「私は危険だからお勧めしないが、どうしてもと言うなら案内はできる」
「お願いしたい」
サイメルティはしぶしぶ私の願いを承諾すると色んな人の承認が要るとの事で出掛けていった。私達はその旅が最低三日の行程を必要とすると言われ準備に取り掛かった。
準備がひと段落して私達は浴場に出掛けた。星空の下屋根を開放して湯に浸るのは最高の贅沢だ。マルコもアフマドもここを最大限楽しんでいるようだ。クニークル族の村から無理矢理連れてきて本当に良かった。
「レオン」
名前を呼ばれたのでその方向を見るとそこにはサイメルティが居た。
「う、うわあああ」
マルコが叫ぶ。
「居るなら居るって言えよおお」
「うるさいなイチイチ騒ぐな。乙女かお前は」
アフマドは堂々としている。そのアフマドの股間をサイメルティはじっくり見つめて、
「ほう、生殖器の作りは我々と大差ないな」
と言った。
「お前も入ったらどうだ?サイメルティ。今日の夜空は最高だぞ」
アフマドがそう呼びかけると、
「私は人前で肌を晒さない主義なんだ。お前が私の配偶者だと言うなら別だが」
と、いつもの含み笑いで返した。
「それで、何だ急に」
私が問いかけるとサイメルティは咳払いをして、
「レオン、許可は取れなかった。今は余程悪い事態になっているらしい」
と言った。私はがっかりした。
「だが手はある」
「無許可で行くのか?」
「そうだ。こっそり行ってこっそり帰ってくればいい」
「こっそり?どうやって?」
サイメルティが上に手をやって指を鳴らすと、闇の中に大きな翼が浮かび上がった。
「うおお、何だこいつ!」
マルコが腰を抜かした。それは例の半鳥であった。だが先日見たものとは種類が違うように思える。目が大きく、黄色い結膜を持ち瞳孔が広くて猫っぽい顔つきをしている。
額がほとんど無く髪っぽい毛が目のすぐ上から生えていてその一部は角のように頭から飛び出している。
「私が懇意にしているクロニクーだ」
そして闇の中からもう一人音もなく現れた。
「こっちはノーザライ。二人とも夜飛べる」
「よろしくね」
半鳥二人に挨拶される。二人とも女のようだ。
「おいサイメルティ、今ここで彼女らを紹介するって事は……」
アフマドがうろたえる。
「そう、今から出発だ。明日ではもう遅い。トレナヘクトが気付いてしまうだろう」
「マジかよ」
「時間はないぞ」
「着の身着のままでいいのか?」
「私が毛布を用意した。寒くてもこれで凌げるだろう」
「一度帰って仕度を……」
「それは駄目だ。ボルダナティにも内緒だ」
「大丈夫だろう彼女が密告するとは思えない」
「いや駄目だ。密告とかそういう問題ではない。ボルダナティの性格を考えればわかるだろう」
確かにボルダナティに知れると余計な事を喋ってすぐにバレそうだ。
私達は急いで服を着ると、交易用の籠を見せられた。これで運ばれるという事か。
「おい大丈夫なんだろうなこれ!」
「心配するなマルコ。その籠は普段は鉄を運んでいる」
「そんなに力があるのか、彼女達は」
「特別な力を使うからな」
私とアフマドがクロニクーの籠に乗り込む。するとサイメルティが首を傾げた。
「体重が平衡になるようにしたほうがいい。つまり……」
サイメルティは私を押しのけてアフマドの隣に乗った。
「この組み合わせがいい。レオンはマルコと乗ってくれ」
私とマルコが籠に乗るとノーザライが羽を広げた。途端に凄まじい風が下から吹いてくる。クロニクーの身体も浮いてサイメルティが籠の両端をクロニクーの足首に結び付ける。
私にも合図を送ってくるので同じようにノーザライの足首と籠に付いている紐を結ぶ。
クロニクーが先に上がり私達も後に続く。あっという間に私達の居た浴場の明かりが小さくなる。夜の闇の中、私達の下には各々の家の灯火が小さな点となって散らばった。
「はははっ!何だこりゃ!神話の世界だぜ!」
マルコが嬉しそうに叫ぶ。
「本当に神話の世界なのかもしれないな」
下に見える小さな点はやがて少なくなりカペル族の集落の灯火の群れは遥か後方へと押し流されていった。
眼前には月夜に照らされた山が広がる。二つの月に照らされる雪を頂いた山が神秘的な景色を作り出していた。