07 カペル族2
カペル族の集落で足止めを食らうレオン達
「うーん、栽培に使っている水は実はカツカツでね。予算一杯使っているんだけど、こうも高くなってしまってはね」
私達の前に座っている男の名前はディーエヌト。カペル族の農務長官だ。
彼の角は灰色で平べったく縦に渦巻いている。額の模様も他とは違う。この部族は今までの部族と明らかに種としての幅が違う。部族内で多くの血が入り乱れているのではないだろうか。
「防衛用の水路のほうに水を優先的に回しているから、そっちをなんとかしてくれないと俺からは何も出来ないよ」
「ええ……じゃあハロテスティと会わなきゃいけないの?」
ボルダナティは露骨に嫌な顔をする。
「残念ながら……としか言えないな。俺もあいつと話すのは嫌だ」
ディーエヌトはそのままゴロリと横になった。
「そうか……本当に残念だよ」
がっくりと肩を落としてディーエヌトの家から出るボルダナティ。私達も後に続く。
「何だ?そのハロテスティという女はそんなに嫌なヤツなのか?」
「嫌って言うか……すぐ怒るんだよ。それと彼女は外に出掛けている事が多いからあまりここに居ないんだ。結構待つ事になると思う」
「それよりさっきのあいつの態度舐めてないか?いきなり寝転びやがって」
マルコが怒る。
「ディーエヌトはものぐさなんだよ。しょうがないよ」
「だからと言って、馬鹿にしてんだろ」
「マルコ、あそこは彼の家だから彼に対して文句をつける権利は誰にもないんだよ。例え両親でも彼の家の中では彼に従わなきゃいけない」
カペル族の中で家という物が持つ意味はそんなに大きいのか。ある意味典型的すぎる農耕部族の慣習ではある。
「その習慣故に皆独立した家を持ちたがるんだろうな」
「ああ、そうかもね。子供は自由がないからね」
ボルダナティは空を見上げた。
その日から待つ事十日、やっとハロテスティという女に会える事になった。それにしてもボルダナティとメトロノティが持って来る小魚がいつも凍っているのは何故だ。そんなに寒い所まで行って取って来るのか?
ハロテスティの家はボルダナティの家から歩いてそう遠くない距離にあった。中に入ってみて驚いたのはそこにあった調度品の多さとハロテスティの身体だった。
「おいレオン、なんだこいつは。女か?」
私が調度品に夢中になっているとアフマドがこっそり話しかけてくる。
「本人が女と言っているんだから女だろう」
ハロテスティは頭頂部から後ろに向かって弧を描く立派な角を持っておりその色はほとんど黒に近い。突起が規則正しく付いていて細かい皺もある。
瞳は赤く、その髪は後ろ向きに編みこまれていて二本の角の間から首に向かって下がっている。額の模様はこれまでの誰よりも大きくて派手なものだった。マルコが話しかけて来る。
「おいやっぱカペルだって。あの角、もう間違いないだろ」
「カペルはあんなに筋肉質か?」
ハロテスティの背丈は私達より大きい。そしてその身体は見事な筋肉質で、濃い紫色の毛皮の上からでも筋肉ひとつひとつの形がよくわかる。
ハロテスティはほとんど下着のような服装だったので身体をよく観察できた。乳房を隠す布と腰回りを隠す布の間には見事な腹筋が見て取れる。まるで帝国のあちこちにある彫刻のようだ。全体的にはそれよりもずっと細身だが。
「水の都合か」
「なんとかお願いできないかな。ハロテスティ」
ボルダナティはまるでわが身の事のようによくしてくれる。
「ボルダナティ、隊商であまりここに居ないお前は知らないんだな。今、防衛用水路は急ぎの増設が必要なんだ。ここだけじゃない。向こうにも作っているんだ」
「そこをなんとかできないかな」
「お前は自分の部族よりそのウサギ族が大事なのか!しかもただの値下げ交渉だと?ふざけるな!」
「ううっ、ごめんよ。ハロテスティ……」
ハロテスティがいきなり怒り出したのでボルダナティは引き下がった。今までの話をまとめて考えるとカペル族は周囲に居る敵対する部族との関係がどんどん悪化していて、防衛のための堀を急造していると考えられる
そのために水が必要だから水の値段が高騰しているのだろう。このカペル族内部でも水に関しては貨幣で売買している様子だ。
家に帰る途中、ボルダナティが力なくトボトボと歩きながら言った。
「ごめん、レオン。助けられないかもしれない」
「いやいいんだよ。よくやってくれた」
「これより上となると水そのものを総合管理しているフェニルプロトに頼むしかない」
「なんだ?そいつに会うのは難しいのか?」
「難しいというか話がすごく面倒くさくなる。あちこちから色んな担当者を集めて会議をしなきゃいけないんだ」
「成程な、よその部族のために忙しい皆を集めたくはないって所か」
「そう。その通りなんだよレオン」
ボルダナティはしょぼんとしてしまった。
私達がそのまま歩いていると、
「おや、ボルダナティじゃないか」
と、声を掛けられた。
「サイメルティ!探してたんだよ!」
ボルダナティは嬉しそうな声を上げる。サイメルティと呼ばれたその女は少し小柄で細身だった。
色は今まで見たカペル族の中で最も薄い。角はそれぞれが三日月状に弧を描く灰色のものだ。髪の量が多く、前髪で額が隠れているので模様はよく見えない。年齢はボルダナティ達とそう大差なく見える。私達で言うと二十歳前後か。服装は他のカペル族と違って妙にぴったりしたものを着ている。
「私を探していたのか。何の用かな」
「実はこの人達が外から来て……」
ボルダナティは私達がクニークル族の里から来た事、そして自分達の部族の歴史を知りたがっている事を説明した。
「そうか。ではうちに来るといい」
私達はサイメルティの家に寄る事になった。
サイメルティの家もボルダナティと同じような造りをしているが中は様々な資料に溢れていた。
サイメルティは例の鉄の箱を表から薪で熱すると湯沸しに水を入れて暖めだした。水が沸騰する音が聞こえると鉄製の妙な取っ手が付いた器を人数分用意しそれに何かを入れてその上からお湯を注いだ。それを一人ずつに配る。
五つの小さな皿の上に五つの鉄の器が置かれた。お湯の色は真っ黒だ。
「飲むといい」
「サイメルティ、何これ?」
「話が楽しくなる」
「へぇ、どうやって見つけたの?」
「最近新しく見つけた資料に作り方が書いてあった。山の中にある赤い木の実を取ってきて、それを黒くなるまで鉄の上で熱する。次にそれをすり潰して、こうやって沸騰させたお湯と混ぜる」
「なんかいい香りがするね」
確かになんとも言えない良い香りがする。私もマルコもアフマドもそれを飲んでみた。
「げっ!苦い!」
「すごい味がするぞ!」
二人とも否定的な意見だ。たしかに苦い。これは牛乳などで割って飲むべきだろう。
「そうかなあ、確かに変な味だけど」
ボルダナティは抵抗なく飲んでいる。私達とカペル族では大きく味覚が異なるのだろうか。
「慣れれば気にならなくなる」
サイメルティは慣れた手つきで二杯目を入れていた。
「それで、何を聞きたいのかな」
「そうだなとりあえず」
私はここに来てからずっと思っていた疑問をぶつけた。
「ここの部族は何故こんなに寒がりなんだ?今まで会ってきた部族達は皆その土地の気候に合っていた」
「そうか。それで?」
「気候が合う所に住みついたのか、住んでるうちに慣れたのかはわからない。もし後者だとしたらこの部族はここに住み着いてからの歴史が浅いんじゃないのか?」
「なるほどなかなか鋭いな。名前は何と言うんだ?」
「レオンだ」
「レオン、先に私の話を聞いてもらってもいいかな?」
サイメルティは常に含み笑いをしている。その上飄々と話すので態度が大きく感じる。
「おいなんか馬鹿にしてねーか?」
マルコが噛み付く。
「私が?お前達を?それはない。私は話し下手でね、自分が思った順番じゃないと説明できないんだ」
「そうか、じゃあその説明をしてくれ」
アフマドが退屈そうに欠伸をする。
「私は最近見つけた資料を読んでいて、ひとつの可能性に気付いた」
「何だ?」
「私達の祖先は高度な文明を持っていた可能性がある」
「それだ!」
私は思わず立ち上がった。例の遺跡にあった物達はここの技術力そして私達の世界の技術力でも作れないようなものばかりだ。
「飲み物が大分効いているじゃないか。レオン」
サイメルティが含み笑いを送ってくる。そういえば心なしか気分が高揚している。少し熱を帯びているのかさっきより暑く感じる。
「私が手に入れたこれ、そもそもこれ自体が私達で作れる物を遥かに超えている」
サイメルティが取り出したそれは非常に小さく纏められた冊子だった。キメ細かい薄い素材のものが幾重にも重なっている。中にはクニークル文字がびっしりと書き込まれている。
「これはワラカではないか!しかもこんなに精巧な!」
アフマドが興奮している。
「何だそれは。アフマド」
「俺達の国が遥か東の民族と戦って手に入れたものだ。バグダードに大規模な工場がある。でもこれはその質を遥かに超えている。信じられん!」
更に驚くべき事はそれを精巧な腐らない鉄で出来た針金で束ねてある所だ。手にとって針金を触ってみるが硬い。帝国でもこんなものは絶対に作れない。
「これをどこで?」
「山の上のほうにある半分雪に埋もれた遺跡だよ。半月前に見つけた」
「連れていってくれないか?」
サイメルティは暫く考え込んで、
「駄目だな。今あそこは部外者が立ち入れる状況じゃない。それに使えそうな資料は私が全部運び出した。行っても無駄だろう」
と言った。
残念だ。非常に残念だ。
「さてこれの内容だが、どうも旅の日記らしい。わからない単語だらけで読めるのはごく一部だ。時々『懐かしい』という単語が出てくる。例えばその飲み物も、これの持ち主が『山中で赤い木の実を見つけて懐かしい』という書き出しから始まっている」
サイメルティは続ける。
「その山の上にある遺跡は他に沢山ある遺跡と明らかに時代が違う。それから極小さいものだった」
「時代が違う?古いのか?新しいのか?」
「新しい。痛み具合が全く違う」
「そもそもあの遺跡は何年前のものなんだ?」
「それはわからないな。知る術がない」
残念だ。その遺跡をこの目で見られないのが残念で仕方がない。
「さてさっきの質問だが、それの答えになりそうなのがこの部分だ」
サイメルティは小冊子の一頁を開いた。そこにはクニークル文字でこう書かれていた。
「この種族はこんな所にいなかったはず。『まわる ようす さだめる うつわ』が壊れたのか?それとも『みちびく うしろに』の異常が発生したか。或いは自力で」
何やら理解不可能な単語が並んでいる。
「これの持ち主が探索したのはおそらくこの山、つまりあの滝から上流の部分だけだと思う。下流についての情報は書かれていない。そこで私がこれまでの資料から導いた結論は……」
いつの間にかマルコもアフマドも話に夢中になっていた。私も固唾を飲んでサイメルティの口元に注目した。
「私達は元は下流の湿原に住んでいた。という事だ。そういう事にすれば私達の食性も、私達の力も、寒がりなのもすべて説明がつく」
「力?」
「おっと、これは他の部族には秘密だったな。失礼」
サイメルティの含み笑いを浮かべた顔が意地悪に見えた。
「力……は置いておいて、湿原って俺達が通って来たあそこか?」
「あそことはどこだ。お前の名前は?」
「アフマドだ。滝の下の草原地帯の更に下だ。ここからだと砂漠の手前になるか」
「アフマドか。そうだ。そこだと私は考えている」
サイメルティはすっと立ち上がった。
「さてと、実は私はさっき帰って来たばかりでね。ちょっと疲れているんだ。また明日話そう」
「さっき帰って来たの?何で?」
「お呼びがかかったのさ。杞憂で済んだがね」
サイメルティに合わせて私達も立ち上がる。するとサイメルティは私とアフマドの身体を興味深げに見つめた。
「お前達は強そうだな」
そして身体を触られる。
「アフマド、お前は特に強そうだ」
「はは、有難う」
少し照れた素振りのアフマド。無視されていたマルコが前に出る。
「おっ、俺は?」
「明らかに弱そうだ。名前は?」
「失礼なヤツだな。俺はマルコだよ!」
「そうか。レオンにアフマドにマルコだな。覚えたぞ。また明日会おう。暇だったら」
「私も会える事を期待している」
別れの挨拶を告げて私達はサイメルティの家を離れた。
「おいアイツ、美人だったな!」
唐突にマルコが声を上げる。
「マルコ、お前は他種族の醜美がわかるのか」
アフマドに突っ込まれる。
「相手が何であれ美しいものは美しい。アフマドは馬を見ても何も感じないのか?」
「馬……そうだな。たしかに美しいのとそうでないのが居るな」
「だろう!同じだよ。俺は感じるんだよ!」
「サイメルティは美人だよ。誰もが認める。うん……」
ボルダナティがショゲてしまった。
「いやいや私はボルダナティも美人だと思うぞ」
「本当?嬉しい!」
ボルダナティが抱きついてくるので頭を撫でてやる。素直な反応で可愛い。私達はボルダナティの家に戻って残っていた魚を平らげ、サイメルティに貰った黒い粉をお湯と混ぜて歓談しながら飲んだ。
その晩はなかなか眠りにつけなかった。私は考え事を布団の中で繰り返していた。これまでの部族の能力はそれぞれが生活に必要なモノだった。
クニークル族の虫を殺す歌は農業に欠かせないし、スキ族の伝心は狩猟に欠かせない。ラチェ族の残留思考を読む力は狩猟、というよりも戦いそのものに非常に役立つ。オウィス族は身を守るために。
ではあの泥まみれの湿原で役立つ力とは何だろうか。答えが見つからない。見つからないまま私は眠りに着いた。
次の日もその次の日も何の進展も無くただ時間だけが過ぎていった。サイメルティの家を訪ねても不在でメトロノティも用事があるのか遊びに来ない。ボルダナティは面会の準備のためにあちこちに出掛けていた。何もする事がない私達はとりあえず屋内にある厠の掃除をする事にした。厠は小用と大用が別れていて小用のほうは地中深くまで穴が空いている。問題は大用だ。
カペル族はその食性のせいか排泄物を水で流したり埋めたりする仕組みの厠を持っていない。それは彼らの排泄物にほとんど臭いがないためであろう。或いはそれを乾燥させて何かに使うのかもしれない。
しかし同じ場所に我々が用を足してしまっているのでとんでもない悪臭を放っている。これをなんとかするべく置いてあった木製の桶で家の前の水路から水を運んできて、ひとつにまとめて流した。
厠は綺麗になったが私達の排泄物をどうするかが問題になった。どこに置いていても臭い。かといって水路に流すのは忍びない。彼らの食料に私達の汚物を振りかける事になる。
思いついた打開策は遠くに捨ててくるというものであった。落ちていたボロボロの布を使ってそれを纏めると、早速私達はそれを実行する。
弱い霧雨の中、ボルダナティの家が霞んで見えなくなる所まで歩いた。するとそこでは新しい家のようなものを建てている所だった。雨なので作業が止まっているのか、誰も居る様子がなかった。
「おいレオン、もういいだろうこの辺で」
「でもこれも家じゃないのか?」
「造り途中だから構わないだろ。そのうち雨で流れるよ」
マルコは無責任な事を言って汚物を撒いた。すると建築物の二階から声が聞こえてきた。
「おい、お前何をしている!」
「やべっ!おいみんな逃げるぞ!」
私とアフマドはマルコの馬鹿さ加減に呆れてその場に立ち尽くした。逃げるマルコを二階から出てきた長身のカペル族の男が追いかけて行き捕まえた。男はマルコを羽交い絞めにしながらこっちに戻ってきた。
「お前達、ボルダナティの所の客だな?」
男は今まで見た中で一番の長身だ。私達の背丈の位置に胸がある。そして細身である。
「これは何だ。何を捨てた」
男はマルコが排泄物を撒いた場所に連れて行き、マルコの手を掴んでそれを拾わせようとする。
「ぎゃあ~!勘弁してくれ!」
「何を捨てた!」
「う、うんこだよ。俺達の」
「何だとお前ふざけているのか?」
「ふざけてない。本当だ!」
「違う!うんこを捨てたってお前ふざけてんのか!」
「いや、これは……」
「ちゃんと始末しろ!」
拳で頭を殴られるマルコ。お、この部族は拳を知っているのか。
「お前達のそれもそうか」
男は私とアフマドが持っている布のそれを指さした。
「えーと、まあ、うんこだな」
アフマドが答える。
「全くお前達、何でこんな事を……」
と、そこまで言って男は異臭に気付いた。
「うわっ……臭っ……!」
「臭いからどう始末するか悩んでいたんだ」
私は弁解する。
「それは遠くに捨てて来い!」
「どこまで遠くに」
「ここから匂わない所だ!」
男は鼻を押さえながら叫ぶ。私とアフマドが走って立ち止まり男に合図を送ると男は頷いた。そこで汚物を捨ててからマルコの位置まで戻る。
「おいお前達、いつまでボルダナティの家に居るつもりだ」
「特に決まってない。ずっと居るかもしれない」
「参ったな。これは俺の仕事になりそうだ。ちくしょうお前ら……俺は眠いっていうのに」
「眠いなら寝たら?」
マルコが場の雰囲気を読まずに発言する。
「うるさいなお前は!眠れないから眠いんだよ!」
男が再び怒鳴り散らす。男の毛並みは濃い目の紫で、その角は漆黒であり短い。額の模様も大人しい物だ。髪は短く刈り込んである。
「お前ら、名前は?」
「私はレオンだ。こっちがアフマド。そこの馬鹿はマルコ」
「俺はクレンビュートと言う。ムカつく事に建築の担当だ」
「何がムカつくんだ?」
「ええと、レオンと言ったな。お前達は今客だ。それで今こんな問題が起きた。俺には報告の義務がある。俺がしなくてもいつか誰かがお前らの糞について報告するだろう」
報告の義務、どこに?そんな行政機関があるのか。
「それのどこがムカつくんだ?」
「そうなると俺が他の種族用の厠を用意する事を命じられる。それがムカつく」
「別にそんなの、俺達は適当に用を足すからいいよ」
マルコは相変わらず雰囲気を読まない。
「適当に用を足したからこんな事になってるんだろうが!」
男はマルコを掴み、顔を撒き散らかされた汚物に近づける。
「ぎゃああ!勘弁してくれ!」
「お前は早くそれを片付けろ!」
「わ、わかったから離してくれ!」
男に離されるとマルコはいそいそとボロ布と棒切れを使って汚物を片付けだした。
「どっちにしろこれはやらなきゃいけねえ問題だった。客はお前達だけじゃない。これからどんどん増えるだろうからな」
「そうか。それは今起きている争い事と関係あるのか?」
カマをかけてみる。
「お前、頭が切れやがるな。ムカつくぜ」
クレンビュートは引っかからなかった。
「とにかくだ、すぐに設計するからそれまでは我慢しろ。用を足すときは外れに行ってやれ」
そう言って男は造りかけの建物の二階に戻っていった。私達は短い帰路に着く。
「おいなんだよアイツは。無礼なヤツだな」
「無礼なのはお前だろマルコ。人の庭にうんこを撒くヤツがいるか」
「態度はともかく、仕事熱心で真面目だと思うが」
アフマドの言。
「そうだな。文句言いつつもすぐに対応してくれるのはありがたい」
次の日になってクレンビュートが木の板と工具を持ってボルダナティの家にやってきた。ボルダナティは私達とクレンビュートが既知の仲なのに驚いていた。クレンビュートが事情を説明し早速厠を作る事になった。
クレンビュートは木の板をうまく組み合わせて箱状の物を作った。上には丸い穴が空いている。下には大きな引き出しがついておりその引き出しを開けると砂が入っていた。
「成程な。これで水分を取って、匂いも抑えるのか」
「お前やっぱり頭が切れるな」
クレンビュートはそれとは別に箱を作っており、それを厠用の箱の隣に置く。その中には砂と、それを掬う小さな鍬が入っていた。
「用を足したら上から砂をかけろ。一杯になったら外れに持っていけ」
「ありがとう。クレンビュート」
「全く眠ぃのに仕事増やしやがって……」
クレンビュートは手早く作業を済ませて帰っていった。
「クレンビュートはすごいなあ。こんなのをあっと言う間に作っちゃうなんて」
「建築担当って言ってたが、どこまで担当しているんだ?」
「クレンビュートは建築、土木の統括だよ。堰を作ったり、防御柵を作るのも彼の仕事だよ。最初に通った堰あるでしょ。あれは彼が設計したんだ。上から板を足したり外したりする事で水の量が調整できるんだよ。すごいでしょ」
確かにすごい。
「なんだってあんなにいつも不機嫌なんだ?」
「なんかすごい眠れない病気みたいなんだ。一つの事が気になりすぎるんじゃないかな。仕事が早いのもそのせいだと思う」
「要は糞真面目野郎って事だな!」
「マルコ、お前はあいつと足して二で割ったほうがいい」
その日の夜、サイメルティとメトロノティが遊びに来た。メトロノティは厠の話を聞いて食性の違いとその排泄物の違いを動物を例に出して説明し、サイメルティは各部族の厠の歴史の話を始めた。
面白かったのはスキ族の厠の話だ。サイメルティがスキ族の事を知っていたのに驚いたが、カペル族に伝わる歴史資料の中に書いてあったらしい。カペル族は彼らを森の民と呼んでいる。
それによるとスキ族が厠を川の上に作るようになったのはごく最近の事で、川に排泄物を流す事によって森に居る小さな獣達に自分達の匂いを嗅ぎ取られないようにしているそうだ。
スキ族は本来もっと小型で数もかなり少なかったらしい。その頃は今のように頻繁に狩りをして肉を食べるような習慣も無かったそうだ。
ところがある時スキ族の中に体躯の良い集団が現れ、彼らが肉食を常習化させたらしい。
そして獣達が自分達を警戒して逃げないように厠の習慣が変わったのだと言う。つまりスキ族は本来の集団から第二の集団が現れ、その新しい集団に全体が支配されたのだとサイメルティは結論付けた。
「ところでメトロノティ、この例は私達に当てはまると思うか?」
サイメルティがいつもの含み笑いでメトロノティに聞く。
「……私達はもっと複雑だと思う」
「良い答えだ。レオン、私達を見てどう思う?」
「集団としてか?はっきり言ってバラバラだな。同じ種族だとは思えない」
「そうだ。私達は個々の見た目が違いすぎる。森の民とは比べ物にならない多様性がある。何故そうなったのか考えた事はあるか?メトロノティ」
「……幾つかの部族が混ざった」
「そう、私もそう考えている。私達は元々一つの集団ではなかったと考えると辻褄が合う。しかも複数の集団だ」
「……でも食性は同じ」
「問題はそれだ。私達は元々違う物を食べていたのか、それとも近い種族だったのか。森の民のように一部の集団が私達の食性を変えたのか、もともと共通していたのか」
「前に言ってた移住の問題と関係あるんじゃないか?移住を機に食性を変えた」
「私もそう思うんだが、あくまで仮説の域を出ない。もっと昔の文献があれば」
「そもそも何で移住した?あの場所が青い毒で汚染されたからか?」
アフマドも議論に絡む。
「今考えられる中ではそれが一番しっくり来る」
「ではどうしてあの場所が汚染された?元は住めたというのだろう?あの土地が」
「それについては、仮説があるのだが……」
サイメルティはスッと立ち上がった。
「私達の秘密に関わる事だからお前達に話せない。今日はここまでにしよう」
と言って帰ってしまった。メトロノティも帰り、私達は床に着いた。アフマドが言う。
「民族の移動というのは殆どが寒い場所から暖かい場所、狭い土地から広い土地だ。大抵は寒波の影響で起こる。俺達は山から砂漠へ移動した。お前達の帝国を散々苦しめたゲルマニア人達やフン人なんかも寒い所から暖かい所へ移動した」
「なるほど。アフマドの理論だと、暖かい所から寒い所、広い所から狭い所に移動したカペル族は何かしらの必然性に迫られたというワケか」
「そうだ。だが移動には必ず戦争が付きまとう。その記録があるはずだが、サイメルティの言う秘密がそれなのかどうかはわからない。戦争の記録を秘密にするというのも変な話だけどな」
「ラコタは昔戦争があったと言っていたな。ひょっとしたらこのカペル族と争ったのかもしれないぞ」
「そうか。わからない事だらけだな。考えてもしょうがない。寝よう」
私達は先にグーグーいびきを掻いて寝ているマルコとボルダナティに同調するように眠った。
次の日もまたその次の日も更に次の日も交渉に進展はなかった。私達はまたもや暇を持て余し、オウィス族の草原で雨の日にやった以来の水浴びに挑戦した。
寒いので最初私とマルコは嫌がったのだが、あまりにも身体が臭くなりすぎたのと、清潔を重んじるサラセン人のアフマドが強く希望したので我々はこれを敢行した。
だがあまりにも寒い。水に身体を付けたら痛みを覚える。全身浸かるなんてもってのほかだ。
そこで私が考えたのが、我が帝国に三百年程前まで沢山あった浴場である。
まずはボルダナティの家の前の水路の脇に三人が入れるような穴を掘る。そしてそこに水路から水を引く。続いて薪を使って火を起こしその中に適当な石を放り込む。石が程よく温まったらそれを水の入った穴に入れる。
これで簡易浴場の出来上がりだ。水が茶色く濁っているがないよりはマシだろう。
私達三人がくつろいで入浴しているとボルダナティが帰ってきた。
「あれ、何してるの?レオン」
「水浴び、いやお湯浴びだな」
「気持ち良さそう。私も入るよ」
「えっ……?」
私達が止める間も無くボルダナティは家に入り、下着姿で出てきた。
「寒い寒い!」
そしてそのまま私の隣に入った。濁った湯の中で下着を脱いでまとめて表に置く。
「ふぅ~これいいなあ」
私がボルダナティの身体をマジマジと見ると、
「レオン。そんなにジロジロ見ないでよ。恥ずかしいよ」
と、言ってきた。なら最初から入ってくるなよと言おうと思ったが、カペル族の恥の概念がよくわからない。
「あったかいな~。初めてだよこんなの。これがあればいつでも水浴びできるね」
「今まで水浴びはどうしてたんだ?」
「えっと、すごく天気がいい日に急いでやってた。そうしないと病気になっちゃう」
「そうか。本当に寒さに弱いんだな」
暫く浸かってのんびりしている所に男の集団が通りかかった。その中の一人はあのクレンビュートだった。怪訝な顔して私達に近づいてきた。
「ボルダナティ、お前何やってんだ?」
「クレンビュート!これすごいんだよ。暖かいお湯がこんなに沢山」
「どれ」
クレンビュートは湯に手を突っ込む。
「ほぅ。これはすごい。どうやって作ったんだ?」
私はこの簡易浴場の作り方を説明した。
「レオン、お前やっぱり頭が切れるな。ムカつくぜ」
「何でムカつくんだ?」
「お前はこれを今後も使うんだろ?ここで」
「そのつもりだったが、駄目だと言うなら撤去する」
「違う。どうせ噂になって俺の仕事が増えるんだ。クソが」
クレンビュートは一緒に居た男達を呼び寄せてお湯を触らせた。そしてそのまま去っていった。
翌々日、一向に進展しない交渉にうんざりしていた私達の所にクレンビュートが訪ねてきた。曰く浴場が出来たから見に来いとの事。
私達三人は暇を持て余していたので喜んで付いて行く。するとボルダナティの家からそう遠くない位置に新しい丸太小屋が出来ていた。
小屋は煙を出している。中に入るとそこには木製の大きな風呂桶があった。高い位置からお湯が滝のように注がれ、そのまま風呂桶の中を通り、最後は溢れて回りにある溝に落ちていくという素晴らしい仕組みの浴場が出来上がっていた。
「すごい、これを一日で作ったのか」
「いや、お前達のあれを見てからすぐ設計に取り掛かった。小屋は他の場所にあったものを分解して持ってきて組み立てた。つまり丸二日以上かかってるってワケだ」
「それでも十分すごい」
「眠ぃってのによ。あんな物見せられたら気になって眠れないじゃねぇか」
「まさか寝ないで作ったのか?」
「眠れなかったからな。ムカつくぜ」
この男は相当な負けず嫌いで誇り高いのだと私は思った。幾ら仕事が増えると言っても適当に手を抜けばいいのにこの男はそんな事はしない。いつも完璧に近い仕事を最速でこなすことばかり考えている。だから眠れないのだ。
「クレンビュート、色々教えてくれ。まずこの木の板同士を止め合わせている材料は何だ?」
私は風呂桶を撫でる。風呂桶は複数の木の板を合わせて作られている。どうやってこれを作ったのだろうか。
「これは何も使ってない。枠を作ってそこに嵌め込んでやるだけだ。あとは木が勝手に水を吸って膨らむ。だから漏れない」
なるほど樽と同じ原理なのか。四方を見るとそこには太い木の柱が地面にめり込んでおり、溝が切ってある。そこに板を差し込んでこれを作ったようだ。私の作った泥風呂と違いここのお湯は澄んでいる。下を覗き込むと底も木で作ってあった。
「底も木なのか。抜けないのか?」
「底は厚い木を使っているから抜けない」
「このお湯はどうやって作っているんだ?」
私の質問に対しクレンビュートは外を見てくるように言った。
外に出ると丸太小屋の横には大きな水車がついており、脇を流れる水路から水を引き上げて私達の背より高い位置にあるこれまた木製の溝にどんどん流し込んでいた。
その溝を辿っていくと小屋の裏にある小さな別の小屋に行き着いた。この小屋は屋根が薄い鉄で出来ている。非常に簡素な造りをしていて風通しが良い。
小屋の中には例の鉄の箱のようなものを裏返したものが置いてあり、それに溝から水が流れ込んでいる。鉄の箱の下で薪を燃やし、通り過ぎる水を熱している。
そこからまた木製の溝に戻り、風呂小屋にそれが突き刺さっている。また別の溝も風呂小屋に突き刺さっており、それはさっきのものより一回り小さな水車で冷たい水を直接運んでくるものだった。これで湯加減を調整をするのだろう。
「クレンビュート、これは凄いな。今までこんなに完成された仕組みを持った浴場なんて見たことなかったよ」
「鉄の所に改善の余地があるな。もっと長いのを頼まないと湯の量を増やせない」
「頼む?どこに?」
「おっとそれは秘密だ」
鉄器を作っているのはどこか他の所、あるいは他の部族なのだろう。何故それを秘密にするのか。それで交易しているというならありえなくもない話だ。
「レオン、そんな難しい顔してないで、早く入ろうぜ」
マルコに肩を叩かれる。
「そうだな」
私達は服を脱いで湯船に使った。たっぷりしたお湯で気持ちがいい。三人でくつろいでいる所にクレンビュートが外から話かけて来る。
「お前達、見てろよ。これが俺の最高傑作だ!」
外で何か歯車のような音がした。すると屋根と前面の壁が外れて一緒に倒れていく。私達の眼前には空と、美しい雪を被った山脈の遠景が広がった。
「どうだ、見たか!これがこのクレンビュートの技ってもんよ!」
「うおー!クレンビュート万歳!天才ぃぃいい!」
お調子者のマルコが絶叫する。私とアフマドは逆に落ち込んだ。
浴場と言えば我が帝国の伝統。そしてそれを引き継いだハンマームと呼ばれるこれまた素晴らしい浴場文化がサラセン帝国にもあった。だが石造りの建物も作れないようなこんな文化の部族に完敗しているのだ。
帝国の浴場は確かに素晴らしいがその閉塞感ゆえに陰湿な印象があった事も確かだ。
歴代の浴場設計技師達はいかにしてこれを取り去るかを課題にしていた。そのために小窓を付けたり四方を囲って空が見えるようにしたものもあったが、ここまでの開放感と機密性を両立するような大胆な設計は誰も出来なかった。
「アフマド……」
「ああ、わかっているよ。なんだこいつは。化け物か」
「これは結構苦労したんだぞ」
クレンビュートが私達の前に立って後ろを見ろと合図する。後ろには大きな二本の支柱が地面から延びており、その上から前方に倒れた屋根まで大きな縄が付いていた。
縄は支柱の上に彫られた溝を伝って地面まで延びており、そこには二人のカペル族の男が居て縄の余りを結んでいた。クレンビュートは支柱の上を指差して、
「あれは近い内に鉄の回転式のものに換える」
と言った。
「実は男と女で間に壁を作って分けるかどうかすごく悩んだ。だが分けてしまうとこれだけの開放感は得られないだろうし、家族で入りたいだとか、親族で入りたいだとか、隊商の皆で入りたいだとか言う要望もあるだろうと考えた」
「そうだな。それはあるだろう」
「なので見知らぬ男女が一緒に入る時は下着を着けたままなら良いだろうという緩い規制に留めておくことにした。もしそれで不満が出るようなら真ん中に簡単な仕切りを置こうと思う」
なるほどカペル族の恥の概念は下着までなら良いと言う所か。勉強になった。
「はあぁぁ~。クソ眠ぃ。一仕事終わったから俺は寝るぞ。まあ楽しめ」
そう言ってクレンビュートは去って行った。この男は紛れもない天才だ。我が帝国に居たらどれだけ歴史を変えてくれた事か。
私達が湯船にふやけきって湯船と一体化して空を見ていると、鳥が飛んでいるのが見えた。アフマドが口を開く。
「レオン、あの鳥デカくないか?」
「そうか?目の錯覚じゃないか?」
「いや、あれはデカいぞ。俺の目でもはっきりとは見えない。相当な高さで飛んでいる。でもあれだけデカく見える」
「目の良いお前でもはっきり見えないのか」
「そうだな。だからあの鳥の翼の幅は俺達三人の背丈を合わせたくらいだろう」
「おい、そんな事どうだっていいだろ。今はこうしてくつろいでいようぜ」
マルコが話を遮る。
「そうだな」
あまりの心地よさに私も色々考えるのが面倒臭くなってきた。私達は十二分に浴場を堪能して湯船から上がった。するとさっき柱の下に立っていたクレンビュートの班の一員が私達に服を渡して来た。なんと洗濯されて乾かされていた。
「何時の間に……どうやって乾かした」
「お前達が湯に浸かっている間にだ」
そう言って男は私達を小屋の後ろに案内した。さっきの熱いお湯を作る小さな小屋の薄い鉄の屋根の上に洗濯物が並べて干されているのが見えた。
「すげえなおい。至れり尽くせりだな」
「なんだあの男は。恐ろしいな」
「全くだ。帝国の伝統を二日で飛び越えられてしまった」
一つの無駄も作らない。クレンビュートの徹底した完璧で合理的な設計に私達は完全に打ちのめされてしまった。
そしてまた何の進展も無く四日が過ぎた。最早入浴だけが楽しみであった。
入浴には規則が出来て先に入っている者が適用している規則がその時の規則となる。その人が抜けたら今入っている人の適用する規則となる。
例えば混浴で下着だとか、混浴で全裸、別浴で下着、男のみ全裸、女のみ全裸、屋根及び前面を開放するかしないか、など。
規則が意にそぐわないなら先客が上がるまで待て、というのがクレンビュートの作った規則だ。
また入浴するのに薪を三つ持っていかなければならない規則も出来た。私達三人はそれぞれ三つずつ薪を持って浴場に出掛けた。
浴場には札が掛かっている。なんと男のみで全裸である。これを適用した人は今まで居なかった。中に入って脱衣所を見ると、何やら太い鎖が大量に置いてある。
「おいレオン、鎖だぞ」
「結構精巧に出来ているな」
私はクレンビュートが新しく何かを作るのだろうと思った。そしてそのまま浴槽へ向かう。中には一人の男が大の字になって空を見上げていた。男の身長はかなり低い。サイメルティよりも低い。
だがその筋肉の発達は凄まじくアフマドを凌駕していた。毛皮の色はボルダナティと同じで濃くもなく薄くもない。角は薄めの灰色で、大きく後ろに一度巻いた後それが更に横に捻れている。額の模様もこれまでのカペル族とは違いかなり大きい。
男は私達に一瞥くれるとすぐに視線を空に戻した。何も言ってこないので私達も湯船に浸かる。今日も素晴らしい湯加減だ。
「おいアフマド見ろ!この人お前並みに凄い身体しているぞ!」
マルコは相変わらず空気を読まない。その人は放っておいて欲しい類の人だぞ。
「ああ、そうだな」
アフマドも察しているのか、マルコに付き合わない。
「なあなあアンタ、触ってもいいかこの身体」
「別にいいぞ」
男はそう言って目を閉じた。声の感じや顔つきからして相当若いと見える。マルコは本当に遠慮なしに触り出した。
「スゲー筋肉だ!」
「おいその辺で止めろ。くつろげないだろう」
男が少し不快そうな顔をしたので私はマルコを諫めた。そのまま私達全員で壁に背を付け雪を頂く山脈と青空を眺めた。
「あっ、おい。またあのデカい鳥が飛んでるぞ」
アフマドが指さす方向を見ると例のデカい鳥が二羽連なって飛行していた。
「おかしい。何であんな所を飛んでいる」
男がボソッと呟いて立ち上がった。初めてカペル族の下半身の裸体を見たが尻尾はついていなかった。
「おかしいって?」
アフマドが質問する。
「本来あれがあそこを横断する事はないはずだ。怪しいな」
「これで二回目だが」
「二回も……。偶然ではないな」
「まあ動物だから気まぐれなんじゃね?」
マルコが適当な事を言う。男が私達をジロジロ見る。若い。人間で言うと十五歳、いやもっと若いかもしれない。
「お前がレオンだな?」
いきなり私を指さす。
「そうだが、何故わかった?」
「それぞれの特徴は聞いている。お前がこの素晴らしい浴場の発案者だそうだな。礼を言おう」
「ありがとう。で、君は?」
「フェニルプロトと言う。ここの水を統括管理している」
男は再び湯船に浸かった。