06 カペル族
滝の踏破に成功し、ついに紫の部族との対面を果たしたレオン達
私はしっかりとその岩を乗り越え、上に立った。後に続いてきたマルコとアフマドの手を取って上げてやる。
「うおおおおお!」
「やったぞ!」
「ついに!クソッ!バカヤロー!」
私達は遂に、遂にあの滝を登りきったのだ。長い長い道のりだった。結局登頂を始めてから五十日も掛かってしまった。
上から下を見下ろすと見渡す限りの緑の草原が広がっていてその真ん中に真っ青な川が一本通っていた。美しい光景だ。私はそれを軽く画に描き起こした。私にもっと画の才能があればこの美しさが表現できたのだろうが、出来上がった物は味気のないただの地図であった。
上流を目指して歩く。辺りはずっと毒の岩盤が続いていて途切れる事はなかった。仕方なくその上で寝る。毒だと聞いているのでなるべく地面と身体が触れないようにした。
青い岩盤の土地を川沿いに沿って進むこと三日、だんだん緑が茂っているのが見られるようになってきた。ようやくこの毒地帯が終わったのだ。
そしてある地点を境に青い岩盤は消えそこからは平和な草原が広がる。川は急流から再び穏やかな流れに変わり所々森も見える。水の力が一杯に溢れている。とても平和だ。
しばらく歩いていると川のほとりに丸太小屋があった。その傍らにはうっそうとした森が茂っている。森の中の木は所々切られている。私はとりあえず丸太小屋の扉を叩いた。
「誰かいないか?」
しかし返事がない。扉を押してみるとあっさりと開いた。鍵がかかっていない。マルコとアフマドと一緒に小屋に入る。小屋の入り口付近には机が置いてありその上には乾燥させた草で編まれた薄い布のようなものにクニークル文字が刻まれている。内容は何かの計算式のようだが途中でそれが止まっている。
「レオン」
マルコが小声で話かけて来る。
「なんか女が寝ているぞ」
寝床にうつ伏せになっている半獣がそこには居た。全身紫色の毛で覆われているが毛自体は短髪である。頭には髪の毛のような長い毛が生えているが色が同じ紫なので境目がわかりにくい。
その頭からはねじれた短い黒い角が横に向かって二本飛び出している。下着姿で靴を履いたまま。これでなぜ女だとわかるのだろう。マルコは超能力でもあるのか。
「おいちょっと」
私はクニークル語で話しかけながら身体を揺すった。机の上に書いてあったのだからクニークル語が通じるだろう。
「ちょっと」
再び揺する。するとその半獣は飛び起きた。
「うわっ、な、何?」
振り向いて私達を見るや腕を交差させて顔を隠すその半獣。手のひらは私達のそれと全く変わらないものだった。爪も私達と同じである。半獣が隠した胸の膨らみを指さして、
「ほら、女だったろ」
とマルコが嬉しそうに言う。こいつは全く……
「ちょっと待って!違う!これは決してそういうわけじゃなくて!」
半獣の女は勝手に言い訳をし始めた。
「ただちょっと眠かったから……!」
と、そこまで言って所で片腕を下に下ろし、
「あれ?誰……?」
と、言った。間の抜けた空気が小屋に広がる。紫の部族の印象が鋭く攻撃的だったものだけにこの出会いは私達を安心させるものだった。
私はこれまでの旅の経緯を説明した。女は服を少し恥ずかしそうに着ながらうんうんと頷いて聞いていた。
私達があの滝を踏破した事を聞くと豪く驚いていた。曰くあの滝を越えてきた他部族は彼女の人生の中で見たことがないそうだ。
彼女の名前はボルダナティ。紫の部族に何人か居る隊商担当者の一人だと言う。
この小屋は隊商を組む時の筏を作る前線基地で、どれくらいの規模の隊商を編成してどれだけの利益が出るかという報告書を作っていたらしい。
ところがこの森の残りの木の数と採算が割に合わないので何度も計算をやり直していたところだったそうだ。
私がクニークル族の事を伝え、できれば水の担当者に会いたいと言うとボルダナティは顔に半分かかった前髪っぽいものを弄くりながら難しそうな顔をした。
「誰に言えばいいかなあ。フェニルプロトまで行かなくてもハロテスティでなんとかなるかなあ。でもちょっと面倒だなあ。あれくらいの量ならエナンスティでも……」
何やら個人名を挙げている。マルコがすかさず、
「あっ、お前、仕事出来ない手合いだろ!」
と言った。ボルダナティは上気した様子の顔で、
「なっ、なんでそんな事言うんだよ!私は……」
と、反論するがそれをマルコが遮って、
「思った事が口に出てしまう時点で商人としては三流なんだぜ」
と言って笑った。ところがそれがボルダナティの何かに触れたらしく、ボルダナティは
「どうせ私は……」
などと言って落ち込んでしまった。しゅんとした様子のそれは可愛らしく、ますます私の中でのこの部族の印象を変えさせるものだった。
マルコはボルダナティがそこまで落ち込むとは思っていなかったらしく慌てて取り繕うがボルダナティの心に刻まれたその何かはかなり重いらしい。目に涙を浮かべてますます落ち込んでしまった。
「そうだ、これを見たことあるか?」
マルコが宝石を袋から取り出して寝床に並べた。するとボルダナティは目の色を変えて宝石に飛びついた。
「な、何これ。綺麗だね」
「ははっそうだろう?ここにはないだろう?こんな物」
「ど、どこで手に入れたの?」
両手に宝石を持ち目を左右させるボルダナティ。解りやすい性格で助かる。そして私もそれは気になる。
「マルコお前それどこから持ってきたんだ?前から気になっていたが」
「これは持ってきたんだよ。いつでも財産を身につけておくのは商人の基本だぜ」
「何で」
「商売ってのはいつ機会が巡って来るかわからないだろ?これは得だと思った時にこいつで買い付けするのさ」
「そうか、すごいなあ。マルコって言ったっけ。尊敬するよ。ところでこの中の一つ、ちょっと貰えないかな」
ボルダナティの言葉を受けてマルコがニーッと笑う。
「水の担当者に会わせてくれたら考えてやるぜ」
「うんうん!会わせる。約束する!」
「じゃあどれが欲しいのか、選んでおいてくれよ」
そう言ってマルコは私の腕を掴んで小声で言う。
「これが機会を掴むってヤツだぜ。俺は情報を買ったんだ」
「でも対価があれで釣り合うのか?」
「俺は考える、としか言ってないぜ。あげる約束はしていない」
さすがヴェネツィア商人である。久々にマルコが生き生きとしている姿を見た。
ボルダナティは仕事を夜までに一旦片付けて明日の朝彼女らの集落に向かう事を約束してくれた。その夜私達は勝手ながらいつものようにご馳走のもてなしを受ける事を期待していた。
ところがボルダナティが夕食として出してきたのはただの草だった。しかも生である。
「おいなんだこれは!」
「っざけんな!」
切れるアフマドとマルコ。私は二人を押さえ込んで小声で注意を促す。
「何でお前達はいつも他部族の食を否定するんだよ。仕方ないだろう、違う食文化なんだから」
ボルダナティは前髪を弄りながら言った。
「そうか、レオン達は動物の肉を食べたりする?」
「おうそうだ!」
「肉あるなら出せ肉!」
いきなり図々しくなる二人。この二人は肉の事になると人格が変わる。
「困ったな。私達はこれしか食べないんだよ。他の食材はないんだ」
「これは何だ?」
「水の中で育つ草だよ。これを栽培しているんだ」
水の中で育つ草つまり水草を栽培。それは大量の良質な水が必要になるのではなかろうか。もしその通りだとしたらこの部族はこの川をどうにかして制御しようとしているはずだ。
「なあ、ひょっとして川の水を堰き止めたりしている場所はないか?」
「あっ、何でわかるの?すごいねレオン」
やっぱりそうか。そうなると下流の水不足は意図的に彼女らが作り出しているのか、だがしかし途中にある青い岩盤地帯でどっちにしろ汚されると考えると利益も何もない。
「食事かあ、困ったなあ。木の蜜じゃ駄目?」
「そんなもん食えるか!」
即座に否定するアフマド。
「下流にはそういうのを食べる部族もいるんだけどね」
「下流ってどのくらい下流なんだ?どんな部族が居る?」
「レオン達が出発した村から船で三日くらい下ると、堅い殻で身体を覆っている部族が居る。その部族が木の蜜を食べるよ」
「詳しいな」
「隊商で何度も行っているから」
何度も……これは中々の人材を捕まえたぞ。しかも口が軽いと来ている。
「それより下流にはどんな部族がいるんだ?」
「そうだなあ、やっぱり同じように堅い殻で覆われた部族がいる。でも彼等は肉を食べるね。あの辺は大きな森になっているから、そこで生き物を捕まえて食べているみたい」
「他には?」
「その肉を食べる堅い殻の部族と同じ見た目だけど、茸を栽培して食べる部族もいるよ」
「ちょっと絵に描いてみてくれないか?」
私は木の皮を渡し、机に置いてあった羽筆と顔料を差し出す。さらさらと描いていくボルダナティ。出来上がった三つの部族の外見は、
「虫だな」
「ああ、虫だ」
「どう見ても虫だ」
三人一致で虫であった。
「もっと下ると川は向こう岸が見えないほど広くなる。この川の青い毒が薄まっていくところまで行くと生き物が沢山いる。そこの水はしょっぱい。そこにも生き物を食べて暮らしている部族がいる。彼らは水じゃなくて途中で交換した野菜なんかを欲しがる」
水がしょっぱくて対岸が見えない?それは海じゃないのか?
「おい聞いたか、マルがあるんじゃないのか?アフマド、バハルだよ!」
二人は虫部族の絵を見て議論に熱中していた。海がある。そしてそこでは毒が無効という情報のほうが虫部族よりよっぽど重要だろうに。何を考えているんだ。私は二人を無視してボルダナティとの話を続けた。
ボルダナティの話は実に興味深い。私は寝るのを忘れて話に夢中になってしまった。おかげで翌朝私とボルダナティが起きたのは日が大分昇ってからだった。
マルコとアフマドが怒っているかなと心配したが、二人は小屋の中には居なかった。何処へ行ったのかと外へ出ると、川の淵ではしゃいでいる二人の姿があった。
アフマドは弓を構えている。マルコは裸足になって川に入り水面を叩いたりしている。
「おい行ったぞ!」
「よし!」
アフマドが矢を放つ。そしてマルコが駆け寄る。なんと彼らは魚を捕っていた。三尾の魚を手にぶら下げ満足そうに戻って来る。
「おおレオン、魚を捕まえたぜ」
「今から焼いて食うからな!」
「そんなにのんびりしていて大丈夫なのか?」
早く出発しないと日が暮れてしまう。だがボルダナティを見ると何の心配もしていなかった。
「大丈夫。ここから集落までは半日かからないから」
私達は火を起こして焼き魚を堪能した。見たことない種類だが香りが良くてうまい。特にアフマドは満足げだった。
「アフマド、魚が好きなのか?」
「ああ好きだ。それから鍛錬の成果も出やすい。草ばかり食って縮んでしまった身体を元に戻せる」
「あっ?あれは肉じゃないと意味ないんじゃなかったのか?」
「魚でも同じだ。というか魚も肉の一種だ」
そうだったのか。これでまたあの強いアフマドが復活すると考えると頼もしい。
私も一緒に魚を平らげるといよいよ集落に向かって出発となった。見渡す限りの大草原でひんやりした風が気持ちいい。
私達は薄手の服一枚で丁度いいが、ボルダナティは妙に厚着をしている。その服をよく見ると羊毛、つまりオウィス族の生産品で出来ている事がわかる。毛皮があるのにその上からそんなに重ね着をするとは、寒がりなのか?
「ボルダナティ、寒いのか?」
「寒いよ。今日は特に寒い」
「その服は?」
「滝の下にいる部族から買ったんだよ。レオンも見たでしょ」
「ああ、でもその靴は?」
靴は何かの皮で出来ていて紐でしっかり足に適合するように縛られている。
「これはまた違う部族から買った。私じゃない隊商が持って来る」
私がマジマジと見ているとボルダナティは靴を脱いで見せてきた。
「欲しいの?レオン」
むしろ私が興味あったのは彼女の足だ。足は毛で覆われ、踵が高い蹄足だった。
「か……カペル」
マルコがボソッと呟いた。カペルはラテン語で山羊を意味する。確かに身体的特徴、蹄と角は山羊が当てはまるが毛皮の長さがピンと来ない。食性も違うような気がする。
「これは鉄付きなんだ。すごいでしょ」
ボルダナティが靴の底を掲げて見せる。私はそれを手に取る。蹄鉄が付いていて傷みにくいようになっている。蹄鉄とボルダナティの蹄の大きさが合致するのを見てひとつ気が付いた。
「これは注文して作るんじゃないのか?」
「すごいなあレオン、よくわかるなあ」
「そうでなければそこまで君の足に適合しないだろう」
「プッ、馬鹿だなお前。そこは言わないで自分で注文を受けているって事にしないと」
「いちいちうるさいなマルコは!私は私のやり方があるからいいんだよ!」
「だから口にいちいち出すなって。だから三流なんだよ」
「うっ……」
ボルダナティが落ち込む。私は慌ててボルダナティをマルコから引き離した。
「おいやめろ!」
「はいはい、わかったよ」
「ボルダナティ、この馬鹿の言う事は気にするなよ。ほら靴ちゃんと履け」
「ありがとう。レオンは優しいね」
ボルダナティは靴を受け取るとしゃがんでいそいそと靴を足に縛り付けていく。ボルダナティは驚くほど素直な性格だ。確かに商人には向いていないのかもしれない。
夕暮れが迫ってくる。日が沈み始めると小高い壁のようなものが見えてきた。ボルダナティに尋ねるとあれが堰だと言う。
近づいていくと中央部から川の水が溢れているのが見えた。その脇にある道を歩いていくと小屋があった。その小屋に入るボルダナティ。
「おっ、なんだボルダナティ、サボりは終わりか?」
中から出てきたのはこの部族のまた別の女。紫の毛皮は一緒だが髪型、と言って良いのかそれが違う。そして角の形と色も違う。
ボルダナティの黒に対して彼女の角はもう少し明るい灰色であり、ボルダナティのつるつるした一直線の表面に対して、彼女のそれは細かい節を伴うものだった。何よりも彼女の角は長くて立派だった。額には黒い模様がついている。
「お客が来たから連れてきた」
「客?」
中に居た女はボルダナティの横から顔を出して私達を覗き見る。
「へぇ、見たことない部族だな。どっから来た?」
私はこれまでの道中の経緯を説明した。女は矢張り私達が滝を越えた事に驚いていた。
「そうか、ひとまず敵ではなさそうだ。私の名前はエナンスティ。四つの剣と呼ばれている内の一人だ。この堰の管理をしている」
「敵?なんだここは戦争でもしているのか?」
アフマドが突っ込む。
「戦争……までは行かないが近い。小競り合いがある」
「四つの剣って何だよ」
マルコも突っ込む。
「ええと、ここは非常時になった時にそれぞれに役割が与えられている。四つの剣はそれぞれの方角に攻め込む部隊を率いる役。四つの壁はそれぞれの方向を守る部隊を率いる役だ」
なんだと?ここには軍制があると言うのか?
「戦争をした事があるのか?この部族は」
「あーっ、えーっとそれは」
エナンスティは誤魔化そうとする。
「今はないな」
「じゃあ昔はあったのか?」
私は疑問に深く切り込む。
「それはちょっとわからないなあ。サイメルティならわかるんじゃない?」
サイメルティという名前が出てきた。
「そのサイメルティに会って話を聞いてみたいな」
「おいレオン、その前に水の話だ」
マルコに諫められ、私はクニークル族の水の事について話した。
「ああ、なんだあのウサギ族の事か」
「こいつ、ウサギって言ったぞ!」
マルコが騒ぐ。
「だってウサギみたいな顔してるじゃないか」
「まあ、そうだけど……」
「私の権限でここの水を融通する事もできるけど、ちゃんと担当者と話し合ったほうが後々問題にならなくて済むと思う」
「担当者って?」
「本当はこのボルダナティなんだけど、彼女に価格を取り決めする権利はない。だからもっと上のほうと話し合わないと駄目だと思う」
なるほどここは高度に組織化された文化を持っているようだ。エナンスティはもう日が暮れるから泊まっていけと言った。ボルダナティもそれに同意したのでその言に従う事にした。
日没間際、堰の下に居る魚をアフマドとマルコが追い込んで捕え、外で焼き魚として食べた。
エナンスティの小屋には来客用の寝床が沢山あり私達はその一角で眠りに着いた。夜中私は小便がしたくなって目が覚めた。ボルダナティとエナンスティはまだ起きて歓談していた。そのうちこんな言葉が聞こえてきた。
「ところでボルダナティ、あれは見せてはいないよな」
「大丈夫だよ」
「お前は嘘が下手だからね。心配だ」
「連絡はしたの?」
「さっきした」
あれとは何だ?彼女らの不思議な力の事だろうか。連絡はどうやって行ったんだ?私は聞かなかった振りをするため彼女らが寝るまで寝床でやり過ごし、機会を見計らって小屋の外に出て用を足した。二つの月が広い川に写されてとても幻想的な景色だった。そのまま寝床に戻って私は寝た。
翌朝、小屋の扉が叩かれる。エナンスティが扉を開けると二人の男女が立っていた。やっぱりそれぞれが違う形の角を持っている。女のほうは大きく横に巻いている太くて白い角、男のほうは上に向かって曲線を描きながら伸びている黒い角だ。
女のほうの角は細かい皺が横方向に沢山刻まれている。男のほうは大きな節がいくつもあるエナンスティと似た形状だ。耳は全員すこし尖っていて上を向いている。
「か、カペル……」
またもやマルコがボソッと呟く。
「でも特徴が……」
「もういいよカペルで」
マルコの強引な一言により、彼らの名称はカペル族と決まった。
「やあ、早かったな。でもなんで二人なんだ?」
エナンスティが男に声を掛ける。男は長身で私の背丈の位置に首がある。
「たまたまあっちに出向く所にお前の連絡が来た。だからついでだ」
「ま、面白そうだったし」
女のほうは軽い感じだ。こちらは長身ではなくボルダナティとエナンスティと同じくらい、人間の女の平均的な背丈と同じだ。毛並みの色が四人の中で飛びぬけて濃い。反対に男のほうは少し薄かった。それぞれ額に黒い模様があるが形が違う。カペル族は統一性がない。
「じゃあ早速始めようか」
エナンスティは私達のほうを向いた。
「始めるって何を?」
「レオン、ごめん。この堰を通るには検査が必要なんだ」
ボルダナティが申し訳無さそうな顔をする。
「じゃあ昨日の泊まっていけというのは……」
「済まないね。昨日お前達を通すわけにはいかなかったんだ」
エナンスティは何の悪びれもなく話す。
「ふーん、安全上これは当然だとは思うが、嘘をつかれていたのは気分が悪いな」
アフマドが呟く。
私達はまず身なりを改められ、続いて武器である剣を取り上げられた。
「なんだこれは。まるで容疑者だな」
「決まりなんでね。済まないね」
エナンスティは相変わらず悪びれた様子もない。アフマドの弓について男が言及したがアフマドは楽器だと言い張って取り上げられるのを防いだ。
鉄の矢尻がついていたため矢に関しては誤魔化しが通らず、矢筒ごと取り上げられた。
「ここまでやるという事はお前達、さては他の部族と相当揉めてるな?」
アフマドの鋭い指摘。男が答える。
「我々は常に争っている。それもこれも……」
「デュラボート!あまり喋るな!」
エナンスティが男の言葉を遮った。この男はデュラボートと言うのか。エナンスティは随分と用心深いというか、秘密主義というか、なかなか曲者で油断ならない。私が最初にこの部族に対して抱いた印象通りの人物だ。
「ま、いいんじゃない?知らないって事は向こうの回し者じゃないって事だし」
「トゥリナブティ。これが演技だったらどうするんだ」
エナンスティはまたもや不快な事を言う。この女はトゥリナブティと言うのか。
「何だか気分が悪いな。ここを強引に押し通ると言ったらどうするんだ」
アフマドがスッと立ち上がる。その前に立ちはだかるデュラボート。睨み合う両者。
「アフマド、止めろ!」
私はアフマドに組み付いた。
「レオン、このまま殺されてもいいのか?」
「あははっ、殺すつもりなら何も言わずに寝てるところをやるよ!」
トゥリナブティが笑う。アフマドはますます不快そうになった。
「落ち着けって。私達としてもこれ以上争う相手は増やしたくないんだよ。ここは引き下がってくれよ」
トゥリナブティがそう言うがアフマドの怒りは収まらない。
「こんな理不尽な扱いを受けて、屈しろというのか!」
「そうか、随分と誇り高いんだな。あはっ」
そう言うとトゥリナブティは突然アフマドに抱きついた。そして耳元で囁く。
「許してくれよ。決まりなんだ。お前を馬鹿にしているわけじゃない」
「うおっ、何だ急に、止めろ」
アフマドはトゥリナブティを引き剥がそうとする。
「許してくれるまで、離さない……」
何だこいつは。何だか妙な艶やかさがある。帝国に沢山いた売春婦のそれに近しい物を感じる。
「わかったわかった。許すから離れてくれ」
アフマドが懇願するとトゥリナブティは舌で唇を舐めてから、
「許してくれないほうが良かったかな。あはっ」
と笑った。
「クソッ!俺とした事が!」
アフマドは頭を抱えてしゃがみこんだ。
武器一切を小屋に置くと、堰に掛かっている階段を登る事が許された。デュラボートとトゥリナブティはそのまま下流に向かって行った。私達の武器はエナンスティが小屋で管理する事となった。
再びボルダナティとの同行が始まる。堰の上まで上りきるとそこには一面の綺麗に整備された水路群が現れた。なんと美しい事か。
「綺麗だな」
「クソッ!ヴェネツィアより整ってる!」
マルコが悔しがる。
「ここはまだ外れだからね。家がない。もっと進むと家が沢山あるよ」
ボルダナティに連れられて私達は美しい水路の中を進む。
水路は二種類ある。ひとつは生活圏全部を囲っている広く浅いもの。もうひとつはその中にある深いものだ。
深い水路はどれも私達の背丈より深く、綺麗に形を整えられており、中の水は澄み切っている。魚も泳いでいるし、中には水草が豊富に生えていてまるで水の中に草原が広がっているかのように見える。
更に進むとチラホラと家が見えてきた。遠目にしか見えないが住人達は矢張り少しずつ見た目が違う。特に角はそれぞれが違う形と色をしている。
途中ある水路は中の水がごっそりと抜けて住民達が水草を刈っていた。成程この水路はそれぞれが水草の畑の役割を果たしているのか。それにしても水を抜くだなんてすごい技術を持っている。
このような景色とは無縁の生活をしていたせいかアフマドはずっと圧倒された様子で景色を眺めていたが、ふと我に返ってボルダナティに質問を浴びせる。
「さっきの二人は何者だ」
「デュラボートとトゥリナブティの事?」
「そうだ」
「二人とも四つの剣だよ。つまり四つの剣のうち三人ともう会ったことになるね」
「ほぅ。強いのか?」
「あのまま素手でやりあってたらアフマドは死んでたよ」
「俺が死ぬ?馬鹿な事を」
「本当だよ。一瞬で死ぬ」
「それは君達の秘密の力と関係あるのかな?」
私はボルダナティに探りを入れてみる。
「あっ!ああっ!今言った事は忘れて!」
「ヒュゥ~。三流ゥ~」
「うるさいなマルコ。傷つくからやめてよ」
私はボルダナティの耳を塞ぐ。
「そうだぞマルコ、彼女をあまり苛めるな」
「なんだよレオンはこいつに甘いなあ。惚れたか?」
マルコの馬鹿な言葉は聞き流す。だがこのボルダナティが私の中でカペル族の希望となっている事は確かだ。
他の連中は随分辛辣だが彼女は見ていて和む存在だ。私を安心させてくれる。もし彼女がいなかったら私もアフマドのようにカペル族に対して敵意をむき出しにしていたかもしれない。
「で、今どこに向かっているんだ?」
家が増えてきたがクニークル族の集落と同じで村程度だ。お世辞にも都市と呼べるものではない。
「私の家だよ。ああ、久しぶりだなあ」
「何でお前の家なんだよ」
マルコが即座に突っ込む。
「まずはディーエヌトに会いに行きたい。ディーエヌトは水草栽培の纏め役だ。まず彼に会って外に売る水を増やした場合どうなるかを聞きたいんだけど今日は視察に行ってていないんだって。だからとりあえずうちで過ごしてよ」
栽培の纏め役、つまり農務長官か。
「ところでボルダナティ、この部族はトで終わるのが男、ティで終わるのが女という規則があるように思うが、合っているか?」
「わあ!すごい。すごいねレオン。頭がいいよ」
ボルダナティは素直でかわいい。
そのまま進んでいくとやがて丸太で出来た平屋にたどり着きその中に入る。靴は脱がない。堰の外の丸太小屋だけがそうなのかと思っていたが普通の家も同じだった。まるでガリアの住居のようだ。
奥から一人の女が出てきて挨拶するが声が小さくて何を言っているのかわからない。
「メトロノティ、声が小さいよ」
「……ごめん」
「従姉妹のメトロノティだよ」
「……」
「だから何言ってるかわからないって」
私達はそれぞれが自己紹介をした。メトロノティと呼ばれた女はコクコクと頷いて私達の言葉を聞いていた。
メトロノティはボルダナティと背丈は同じくらいだがやっぱり角の形が違う。彼女の角はエナンスティのものに似ているがあれよりも小振りで漆黒である。額にはやっぱり黒い模様が付いている。
「ところで両親は?」
「ここにはいない。違う所に住んでいる」
「一緒に住まないのか?」
「レオン、ここでは大人になったら家から出るんだよ。家から独立して初めて成人として認められるんだ。私もこの家を買ったのはつい最近なんだよ。苦労したなあ」
「まあ食事もあんなんだし、家族で助け合う必要性は薄いんだろうな」
マルコの分析。確かにその通りだと思う。
「そういえばレオン達は魚を食べていたな。メトロノティと取ってくるからくつろいで待っててよ」
そう言ってボルダナティとメトロノティは家の外に出て行った。家は台所が必要ないせいか至って単純な作りで梁が剥き出しになっており天井はない。個別の部屋は存在せず簡単な仕切りが置いてあるだけである。
また壁の端に鉄の箱のようなものが置いてあり壁を超えてその一部が家の外に飛び出している。それを家の外から見ると空洞が開いていて薪をくべていた跡がある。これは囲炉裏のようなものと考えられる。
鉄の箱の上には細い注ぎ口の付いた鉄製の湯沸しが置いてあった。これだけの鉄器を作れるだけの文明力があるのに都市が存在しないのは不思議である。
やがてボルダナティとメトロノティが帰って来た。手には小魚を持っていた。小魚は異常に冷たく殆ど凍っていた。
そのままでは食べられないのでどうしたら良いか聞くと壁の端の鉄の箱の上に置くように言われた。メトロノティが外で薪に火を点けると鉄全体が温まって来てそのうち魚にも火が通った。
これは優れた暖房装置であると共に調理器具としても使える。煙の出ない囲炉裏のようなもので画期的だ。
「ふわー、あったかい」
ボルダナティは服を二枚脱いだがまだ一枚、それからその下に肌着を着ていた。
「おいボルダナティ、暑いぞ」
マルコの文句。
「えっ?」
「……彼らにとっては暑い」
いつの間にか中に入ってきたメトロノティがボソッと呟く。
「えっ?そうなの?」
「……私達が寒がりすぎるだけ。普通の動物にとってもこれは暑い」
「そ、そうだったの。早く言ってよ」
ボルダナティは唖然としている私達を見て慌てて取り繕う。
「メトロノティは動物の生態の研究をしているんだよ。勿論私達や他の部族の生態の研究もしているんだよ」
「それは興味深いな」
「それより先に火を消してくれ」
汗だくのアフマドが耐え切れない様子で懇願するとメトロノティは無言で頷いて外に出て行った。ボルダナティもメトロノティも優しくて思いやりがあって助かる。これでまたカペル族の希望が一人増えた。
私達は魚を食べながら、ボルダナティ達は水草を食べながらこの世界の生物、部族について語り合った。今まで私一人で考え込んでいた事なのでこの話題について議論出来る相手がいるのは嬉しい。メトロノティも話が進んでくるに連れて饒舌になって行った。
まず野生動物についてだが基本的に私達の世界に居る物と殆ど似たようなものだという事が彼女の情報でわかった。唯一謎だったのは蹄牙のあの生物だがどうも話を聞いていると肉食化した猪のようだった。
次に部族の話になった。メトロノティの分析は生物学的なものに限定されていて、なぜそうなったかを考察するには歴史家のサイメルティという女を交えないと人類学的な着手は出来ないだろうという結論に至った。
私達は近いうちにサイメルティを呼ぶ事にして話を締めくくった。例によってマルコとアフマドは先に寝てしまった。そんな二人に毛布を被せてあげるボルダナティ。私達は彼女の優しさにどっぷり浸かって眠った。