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ファーリートライブ(全年齢版)  作者: うちだたかひろ
5/70

05 オウィス族

砂漠を抜けていよいよ草原地帯にたどり着いたレオン達。そこでまた新しい部族と出会う。





 丘陵となっている草原地帯を登る。傾斜は思っていたよりもキツく、三日も歩くともう肌寒くなった。この大草原は周囲を高い山に囲まれ、そこに雲がぶつかる事によって雨が降っているがその水が川となる程の雨量はない。 時折霧と霧雨が発生する程度だ。

 唯一ある川は相変わらず真っ青で、川の周辺だけ植生がない。川は傾斜の分勢いが強くなり、またその流量も多い。

 そのまま丘陵を登り続ける事二日、一番低い雲の層を突き抜けると夜は完全に冷え込むようになった。

 砂漠は雲で見えなくなり、あの暑さと乾きが嘘だったかのように感じた。その晩は吐息が白くなった。私にとっては懐かしい感覚だ。

 朝日に照らされて起きると、遠く離れた所に何か動いている物が居た。マルコとアフマドを起こし、近づいて行くとやっぱりそれは人のような形をしている生き物だった。そこで私はひとつの提案をした。

 「この世界の住民達に名前を付けよう」

 「えっ?なんとか族ってそれぞれ付ければよくね?」

 「我々との区別が必要だ」

 「区別か。彼等は半分俺達と同じで半分獣……」

 「半獣でどうだ?差別的に聞こえるかもしれないが」

 「そうだな。俺達を指し示す単語がない以上、それでいくしかないだろう」

 私達の中で彼等の総称が半獣に決まった。そしてその半獣達は私達に気付いた様子だった。その中の一人がこっちに向かってくる。その姿は……




 〆 〆 〆




 ラコタの家に厄介になってもう十七日が過ぎた。我々がこの世界に来てから丁度ユリウス暦で六ヶ月つまり半年が過ぎた。次の集落はいよいよあの紫の部族だ。

 ラコタが言うには川を遡って行くと大きな滝が連続してある場所があり、そこの上は紫の部族の集落になっているそうだ。

 この滝を越えるには時機があるらしく、雲が掛からない日が三日続いた後でないと岩肌が弱くて登っていけないらしい。私達はここで待ちぼうけを食っていた。


 私はオウィス族を観察していて幾つか沸いた疑問を思い切ってラコタにぶつけてみた。

 「ここは随分と贅沢に鉄器を使っているが、どこから買っているんだ?」

 「君達の言う紫の部族が行商人として上から運んでくる」

 「上から?」

 「そう、上流からだ」

 私は壁に並んで掛かっている鉄製の鍋類、食器類、草を刈り取るのに使う大鎌、そして小さな鎌と小刀類を眺めた。

 これまでの集落では上流から物を買っていると明言できるのはクニークル族のあの水くらいで他はそんな事は言っていなかった。

 ラチェ族のラナングルスは行商人が川下から来るとはっきり言っていたしここにある鉄器はすべて鉄を丸ごと贅沢に使った立派な物だ。

 ラチェ族やスキ族、クニークル族が使っている鉄をケチったショボイ鉄器とは比べ物にならない。

 おそらく彼等の言う川下からの行商人があの砂漠を越える事はないのだろう。するとここは違う商人達の縄張りという事になるのか。

 「下流の部族は土器を使っていたが、ここは違うのだな」

 「ここは土が弱いから。だから雨だってみんな吸収されてしまう」

 なるほど真水の川がないのは降雨量の少なさだけではなく、土の質のせいでもあったのか。

 「ここより下って砂漠を越えた所の部族に聞いたんだが、白い連中が川を遡っていたとかなんとか。それは貴方達の事でいいのか?」

 「川を……それはきっと隊商の帰りだな」

 「隊商?何を売るんだ?」

 「見せてやろう」

 そう言うとラコタは隣の繋がっている天幕の布を捲くった。そこには女達が居た。小型の織機で機織りをしているラコタの妻、そして隅のほうで裸になっていた女二人。女二人は私とラコタを見て、慌てて服で裸を隠した。

 「なんだもう刈った後だったのか。悪い」

 ラコタが女二人に謝る。女達の手には小さな鎌が握られていた。

 「刈るって何を刈るんだ?」

 「見ればわかるだろ。毛だよ。いくらでも伸びてくるからな」

 やっぱり羊ではないだろうか。しかし自分で毛を刈るとは奇怪な……だが人間も髪を切ったりするから変ではないのか。

 この女二人、裸を隠したという事は恥の概念があるという事だ。だが昨日ラコタの妻は私に下着姿を見られても平気な様子だった。つまり毛があれば恥ずかしくはなく、毛がない裸体は恥ずかしいと言う事か。この辺の概念も非常に興味深い。

 女二人はまた別の天幕に移動した後、厚着になって出てきた。ラコタの妻は一枚布を軽く着ているだけである。つまり毛を刈ってしまった後は寒いので、厚着になっているというわけだ。

 オウィス族の集落は厚着の者が多い。つまりかなり頻繁に毛を刈り込んでいるとも言える。それだけ羊毛の服の需要があるのだろう。私はラコタの妻が織っている布を見た。キメ細かく質がいい。

 「これを織って時々下流に売りにいく。それで得た金貨で鉄器とかを買う」

 一応貨幣経済を持ってはいるようだ。しかしこの貨幣が謎だ。貨幣というのは国家そのものであるはずだ。異なる文化、部族であっても使っている貨幣が同じなら、それは同じ国家に属している事になる。

 だが彼等には統一された行政機関も、軍隊も存在しない。一体誰がこの貨幣を作り、経済の管理をしているのだろうか。

 またこのような原始的な社会では貨幣の価値を無視する事だって可能なはずなのに、規律に基づいた公正な取り引きが行われているのも謎だ。

 クニークル族と紫の部族の水の売買など典型的な例だ。あの交渉決裂も、お互いに貨幣の価値を認めて規律に乗っ取ったからこそ起きた事件だ。

 ただ便利だから、では説明が付かない。ラチェ族のような独立性の高い部族だったら貨幣の価値を無視したほうが圧倒的に自分達に有利なはずなのに、わざわざ貨幣を使って取り引きしている。

 スキ族くらいか、貨幣を無視しているのは。だが彼等も貨幣経済という概念は持っていた。


 「ぼーっと考え込んでどうしたんだ?」

 ラコタの言葉で我に帰る。

 「そうだ、下流に行った後どうやって戻ってくるんだ?」

 「それは船で戻って来るんだよ」

 「この流れの川を遡るくらいなら歩いたほうがいいだろう。ここは所々浅いし、座礁するだろう」

 ラコタは頭をポリポリと掻く。

 「これは説明が大変だなあ」

 そう言ってラコタは天幕の外に出た。私も後に続く。強い日差しに冷たい風が心地いい。

 「見てなよ」

 ラコタはそう言って手のひらを広げ、円を描くように空気を撫でた。

 「何をしたんだ?」

 ラコタは空中で何かを避ける仕草をすると私のほうを向いて正面に立ちはだかった。

 「レオン、私にぶつかってきなよ」

 「ぶつかる?何を……」

 「いいから早く」

 言われた通りラコタに向かって突っ込む。すると何かにぶつかってそれ以上進めない。

 「何だこれは」

 「よーく見てごらん」

 角度を変えて見てみると、そこには透明の板が作られていた。淵が光を少し反射するので、それが円形の板状だとわかった。私の半身以上の大きさだ。

 「私達の盾だよこれは」

 「盾?」

 「そう、この力があるから私達はこんないい土地を奪われずに済んでいるんだ」

 オウィス族の特別な力はこれか。だがこれをどう使う?

 「これは普通身を守るのに使うんだけど、触ってみてくれ」

 指でなぞってみる。何だか異様につるつるしている。

 「これは手で作った場所に固定できるんだ。取り除く時はもう一度それに触れて念じるか、新しい盾を作る」

 「それでどうするんだ?」

 「これを川の中に作るんだ。下流を堰き止めたり、上流の流れを変えたりして川の勢いを変える。そうしたら陸上から縄で引っ張ったりしても大した抵抗は受けない。大量の物資を陸上で運ぶよりは船に乗せて引っ張ったほうが良いだろう?」

 「なるほどうまく出来ているんだな」

 ラコタは次に自分の背丈を越える物を作り出した。さっきの盾は消えて無くなった。

 「ところで本来の使い方は?」

 「レオン、私達には鋭い牙も、爪も、腕力もない。他の部族や獣が襲ってきたらただ殺されるだけだ。だから神様が私達にこの力をくれた。これがあれば他の部族と対等に渡り合える」

 神という単語が気になった。これまでの部族達も神を信仰してはいたが、あくまで自然崇拝的な物であったのに対し、彼等はまるで創造主を信じているかのようだ。そして部族間の対立というのも初めて聞いた。

 「ラコタ、部族間で抗争があるのか?やったのか?」

 「ずーっと昔にあったらしい。口伝で伝わっている」

 「そうか……」

 「私が作れる大きさはこの程度が限界だ。でも人によって限界は違う」

 ラコタがその盾に触れると、すっとそれが消えた。

 私は話を切り上げて天幕に戻った。マルコ、アフマドと相談する。マルコとアフマドはこの環境にすっかり飽きているのか、それとも肉が食えない事に嫌気が刺しているのか、とにかくここを早く超えたいと言う。私もその意見には賛成だったのでラコタに無理を言って例の滝に案内してもらう事にした。


 次の朝、ラコタは小さな天幕を抱えてやってきた。半日歩いた所に滝があると言う。そんなに近いならもっと早く案内してくれていれば良かったのに、と思った。ラコタはそれを察したのか、私達のためにあえて案内しなかったと言ってきた。

 曰く案内したら雲の無い日三日を待てずに私達が挑戦してしまうと思ったらしい。尚この日も雲がかかっていて、夜明け前まで小雨が降っていた様子だった。


 歩く事半日、眼前に広がる雪を抱いた山脈の麓にそれが見えてきた。大きな滝だ。滝壷の水しぶきとやたらと青みがかかった霧のせいで全体像ははっきりしない。

 近づくにつれその全貌が明らかになる。雲のように見えたそれは滝が作り出す霧だった。

 滝は何本も平行して降りており、垂直に降りるもの、斜面にそって斜めに降りるものが複雑に入り乱れている。一

 番大きなものは真ん中よりも左に行ったところにあり、これは崖の上にある上流から一本で結ばれている。岩肌は複雑に抉れていて、いろんな場所に空洞を作っている。

 滝の上流から滝壺までの距離は相当なもので、滝の始点は霞んで見える所にある。そしてこの岩肌はすべて真っ青だった。美しい光景だ。


 暫く見ていると、滝の一部で崩壊が起こり、岩は青い粉となって滝壺に撒かれた。

 「おい、なんかこれ緩いんじゃないのか?」

 アフマドが叫ぶ。

 「そう、緩い。この岩は水と反応してすぐに崩れてしまう。だから濡れてない所を探して進まないと上には行けない」

 ラコタが答える。雲がない日を三日待てというのはそういう事だったのか。これは命がけだ。途中で雨が降ったり、さっきのように一部が崩れて流れが変わったら一気に崩落する事もあり得る。

 「なあこれ、いつもどれくらいで登ってるんだ?」

 「半日以上かかるらしい。慣れている人間でそんなもんだから君達はどうかな」

 どう見てもまる一日はかかる。滝壷を見ると特別に濃い青のせいで底が見えない。相当な深さがある事は間違いない。

 「崩落しても滝壷に飛び込めばなんとかなるかもしれない」

 「水を飲まなければね」

 「そういえば毒だ毒だって聞かされてたけど、飲んだらどうなるんだ?」

 「ゆっくり衰弱して行って死ぬ。だいたい一ヶ月で死ぬ。わずかな量でも一度飲んだら助からない」

 そんな劇毒だったとは。これじゃ事実上運任せ。厳しい道のりだ。

 ところでこの毒はここで精製されているのではないか?滝の上部に行くほど水の色は薄いし、一本で落ちている滝に至ってはほとんど透明に近い。

 「ラコタ、上流の水はどうなっているんだ?ここと同じで青いのか?」

 「いや、透明だ。飲める。君達の言う紫の部族の所まで行くと完全に透明になる。ここから彼等の集落の間にこの青い岩盤地帯が広がっていて、そこで水が汚染される。この岩盤は不思議に出来ていて、崩れても崩れても中から新しい岩が生まれて出てくるんだ」

 「ラコタ、上に行った事があるのか?」

 「私はない。死んだ叔父が行った」

 「そうか……」

 私達は滝壷を迂回して奥へと回り、一番大きな滝の後ろにある通路を登ってみた。この通路は途中までしっかりした道になっており、この岩盤は固くて安心できる物だった。

 しかし途中で道は途絶え、降り注ぐ青い水と岩肌だけの光景になった。こんな中から安全な道を選んで進むのか。前の湿地も似たような行程を迫られたがここのように失敗が即死に繋がっていたわけではない。

 ラコタは水が流れていない岩盤に近づき、足でそれを引っ掻く。すると傷が大きく残った。もう一蹴りすると岩盤の一部が剥がれ、滝壷に落ちていった。

 「やっぱり雲がない日を三日待たないと駄目だ」

 「三日間雲がないと乾燥するのか?」

 「そうだよ。乾燥する。乾燥してないとこの通り、体重を預けたら落ちるくらい脆い」

 「これ何日掛かるんだよ」

 マルコが嘆く。

 「待つしかないだろう」

 「あの紫の部族はここを超えていくのか。どうやって」

 「さあ、それは彼等の秘密だね。教えてくれないし登る時は人払いをする」

 この日は無理だと悟った私達は集落へと戻った。


 次の日から辛抱との戦いが始まった。二日雲のない日が続いたと思ったら三日目で雲が来て霧が発生したりする。機会はなかなか訪れない。三日雲のない日が続いてさあ登るぞ、と滝壷まで行ったら霧雨が降ってきた、なんて日もあった。

 マルコもアフマドも徐々に憔悴していく。彼等の気分はどうも肉に左右されているように見える。ラチェ族に貰った大量の干し肉が少なくなっていくにつれ、彼等の精神状態も悪化していくようだ。


 そしてある日遂に登る条件が整った。私達は例の滝壷の後ろの通路から、登れそうな道を探しておっかなびっくり進んでいく。何度も行き止まりに突き当たり、挑戦と失敗を繰り返した。だが日が真上を通り過ぎたため、その日は引き返して滝壷で天幕を張って眠った。朝起きると雲が掛かっていた。私達は最高到達点に目印を付けておいたが、それを下から眺めるとそこには既に道筋を変えた滝が覆いかぶさっており、私達の挑戦は全くの徒労に終わった。

 ラコタの家まで引き返して、再び時を待つ。しかし何度やっても途中で雲がかかり、せっかく見つけた道が無くなってしまうという事態が何度も続いた。滝への挑戦を始めてからすでに二十五日が経過していた。私達の焦燥も限界が近くなっていた。

 「なあ、ラコタ達に協力してもらう事はできないのか?」

 アフマドが夕飯を食べながら言う。

 「どうやって?」

 「その盾とやらは作った場所に固定できるんだろ?じゃあそれを水平に作って踏み台にしていけばいいんじゃないか?」

それは名案だ。しかしあのつるつる滑る盾に乗る事なんて出来るのだろうか。私達は夕飯を終えるとラコタの天幕へ行き、事情を話した。

 「確かにそういう使い方も出来るかもしれないが……」

 ラコタは水平方向に小さな盾を作る。

 「こんなに滑るんじゃ、無理じゃないか?」

 表面を撫でながら困った顔をするラコタ。マルコとアフマドもそれに触れる。

 「布を巻けばいい!」

 マルコがパッと明るい顔をする。ラコタの妻が小さな布を持ってきて、その盾に固く縛りつけた。だが今度は布自体が盾を軸に回転してしまう。摩擦がないに等しい。そのうち布は盾から外れてしまった。

 「駄目か」

 一同がっくりと肩を落とす。

 「穴を開けられないのか?」

 アフマドが剣を抜く。

 「無理だろう。試してみるといい」

 アフマドが全力で突くが、盾は全く傷つかない。剣が表面をつるっと滑って、アフマドは転んだ。

 「駄目だ。ビクともしない」

 「これを使うのは無理そうだ」

 私の一言でマルコもアフマドも諦めたのか、口を開かなくなった。

 「ありがとうラコタ、付き合ってくれて」

 「構わないよ。君達は客だ」

 冷静に考えたら彼等が容易く上に行けるなら、もっと交易などを幅広くやっているはずだ。私とした事がそんな事も考え付かなかったとは、焦りが来る所まで来ている。


 その夜、遠くで獣の遠吠えが聞こえた。私達の世界の狼の声によく似ている。我々の習慣ではこの声が聞こえたら警戒する。だがしかしここでは誰も何も騒がなかった。

 次の日その獣達は早朝に姿を見せた。私達の世界の狼そっくりだが、一回り大きい。群れは八頭と小規模だった。狼はオウィス族を遠巻きに威嚇していたが、皆無視して草を刈っている。

 「餌が無くなって山から降りてきたんだろう」

 と、ラコタも全く気に留める様子はなかった。そのうち狼が子供を狙う仕草を見せると、オウィス族は密集してそれぞれがあの盾を作った。

 空中に固定されて大きな壁状になったそれを狼達は看破できず、突進しては盾にぶつかって転んでいた。それを見るとオウィス族達はまた草を刈る作業に戻る。

 「ああ、あれは重装歩兵の横隊だな」

 アフマドが呟く。

 「城壁とも言える。あんな自由に持ち運びできる城壁があったら……」

 私達はやっぱり腐っても軍人だ。軍事利用ばかり考えてしまう。マルコはと言うとぶつかっては起き上がって辺りをキョロキョロしている狼を見て爆笑していた。そのうち狼達は疲れたのか、諦めて去っていった。


 次の日もその次の日も狼達は奇襲を試みる。だがことごとくオウィス族の盾に塞がれ、地面に這い蹲る。更にその次の日、狼の群れは倍の十六匹になっていた。だがまだオウィス族の男達は、

 「おかしいな今年は餌がないのかな?」

 などと言って狼を無視していた。その次の日、群れは六十頭まで増えていた。この集落の住人が女と子供を合わせて八十三、成人の男はたったの十六人しかいない。

 さすがにこの状況にうんざりしたラコタ達は狼に対して攻撃を仕掛けて追い払う事にした。だが彼らには決め手となる武器がない。大鎌で追い回しても脚の速い狼に逃げられるだけであった。痺れを切らした彼らは私達に協力を求めてきた。私とアフマドが軍人であった事を伝えてあったからだ。


 ただで食事を頂いているからには断るわけにはいかない。そして何よりも私達の焦燥は限界である。一旦登頂作業を中止して狼の討伐に乗り出す事にした。

 まずは全体の指揮権である。これは私かアフマドかと頼まれた。アフマドは私に指揮権を委ねた。続いては連携である。幸いオウィス族は壁を作る動きに慣れていたのでこれは苦労せずに済んだ。

 私はオウィス族の特別な力を見た時から、アレクサンドロス大王の槌と金床戦術を思い浮かべていた。これは左翼に壁となる重装歩兵を置き、右翼に騎兵を走らせて挟撃する戦術である。この動きの練習もたった三回で皆習得した。


 次の日、狼達が姿を見せる。十六人のオウィス族、最右翼にアフマドを配置し私は中央に布陣して迎え撃つ事にした。狼達は警戒していて中々掛かってこない。私がアフマドに合図するとアフマドは弓を引いて一頭の狼を射る。

 狼達は砂漠に居た獅子達と違い、アフマドから離れようとする動きを見せた。これを利用する事にして、アフマドをどんどん右前方に行かせる。狼達は私達とアフマドを結ぶ線の中に入った。すかさず全員に横一列の盾を作るように命じ、そのまま横に移動して挟撃体制に入ろうとする。

 オウィス族の男達を見ると素早く動くどころか、どこか気だるい様子すら見せた。私はこの日はもう駄目だと判断し、解散を命じた。


 夜の天幕で何がまずかったのかをアフマドと相談する。

 「レオン、今日は大失敗だな。頼んで来たくせにやる気がないとはどういう事だ」

 「それをどうにかするのが私達将たるものの務めなのだが、私は致命的な欠陥を見つけてしまった」

 「何だ?」

 「私が考えていた戦術はアレクサンドロス大王のものだ。右翼を担当するヘタイロイは国の領主達で構成されていた」

 「イスカンダルの……それがどう致命的に繋がるんだ?」

 「勝てば領土が与えられる。負ければ自分達の領土が蹂躙される。だからこそヘタイロイは強靭な団結力と、戦うやる気が保てた」

 「それで?」

 「ところが彼らは違う。勝っても負けても得るものもないし失うものもない。槌と金床戦術はそれぞれが定住した市民だったからこそ出来た戦術なんだ。古代ギリシャも、帝国のそれも同じだ」

 「ふーん、つまり最悪移動して逃げればいいや、という考えがあるからその作戦が出来ないと言う事だな?」

 「そうだ」

 「それは砂漠の民も同じじゃないか?お前達の帝国の北の遊牧民も」

 「全然違う。砂漠も、北の平原も糧が得られる土地は限られている。ここを見ろ。どこに行ったって彼らの一生を費やしても食べきれない程潤っている」

 アフマドはそのまま続ける。

 「思い通りにさせてやればいいじゃないか。逃げたほうがいいだろう」

 「頼まれたんだ。そうも行かない」

 「律儀だな」

 アフマドが溜息を吐く。

 「密集陣形が使えればいいのだが、人数が足りないし、戦うやる気のない奴だらけではそれも出来ない」

 「その戦うやる気っての、何か単語を決めよう。これは俺達軍人にとっては一番重要な言葉だ」

 「そうだな。じゃあ兵士の気持ちという事で士気にしよう」

 「士気か。いい響きだな。気に入った。実は密集陣形じゃなくても士気のない兵士を無理矢理前進させるやり方はある。相手は獣だ」

 アフマドがニヤリと笑った。


 朝日が昇ると同時に十六人のオウィス族は昨日と同じ布陣で狼達と対峙する。最右翼のアフマドが弓を構えると狼達は退却姿勢に入る。昨日の事を覚えているのか、狼達はアフマドを異常に警戒している。

 それをうまく追い込んで昨日と同じように盾を作らせてから横に移動させる。昨日と違って展開が速い。何故なら各個人の腰に縄を縛り付けて、無理矢理連携させるようになっているからだ。

 個人間の縄の長さはだいたい六人分、端はそれぞれアフマドと私に繋がっている。本来こんなやり方は戦争では通用しないどころか逆手に取られて弱点になってしまうが、相手はそんな知能を持たない獣である。また個人間の縄がうまく包囲の一手として作用し、まるで漁で魚を捕るように狼達を包囲できるはずであった。

 ところが狼達は予想とは違う動きを見せた。戦闘開始からオウィス族には目もくれず、そのまま下がってアフマドだけを囲み出した。オウィス族の男は誰もアフマド救援には向かって行かなかった。

 アフマドは矢を放てない状況になってしまった。私はアフマドが孤立して囲まれているのを見てまずいと思い、大急ぎでアフマド救援に向かった。私の突然の動きに臆したのか、狼達は逃げていった。この日も作戦は失敗に終わった。


 夜になって天幕でアフマドと相談する。

 「今日の失敗点は二つある。まず縄という目に見える物があったから奴等は全体を一つの壁と認識した。だから下がった」

 「そうか。では次からは先に盾を作らせてから右翼だけに展開させるようにしよう」

 「二つ目だ。レオン、俺の回りに護衛を付けてくれないと攻撃に集中できない」

 「やっぱり散兵役が必要だったか」

 「わかっていたなら最初から用意しろよ」

 「アフマド、この散兵というのが一番士気が必要なものなんだ。なんせ一対一で敵と戦うような状況が多いんだからな。だが彼らの士気ではそれは難しい。わざわざ危険を冒してまでお前を護衛するとは思えない」

 「職業軍人のように訓練を施せば改善するのだろうが、何年もかかるな」

 「うーん」

 「レオン。一つ手がある」

 アフマドは静かに切り出した。


 翌日も狼の群れと対峙する。基本の布陣は昨日と同じだが、アフマドの傍にラコタをつける事になった。そして前回の教訓を踏まえて戦闘の前に予め横一列に盾を展開させておいた。盾を左翼に見立てて、右翼だけに縄で繋げたオウィス族の横隊を並べる。

 狼達は前回と違って最初から後退する事は無かった。

 アフマドはラコタを連れてかなり右まで行ってから、前進を開始した。アフマドの服はこんもりしている。

 昨日アフマドが囲まれて弓を使えなくなったことを狼達はすっかり学習していて、早くもアフマドを囲みにかかった。護衛のラコタが尻込みしてアフマドに付いていかない。するとアフマドが叫んだ。

 「ラコタ!これを見ろ!」

 アフマドの首の後ろからはラコタの一番下の子供が顔を覗かせていた。

 「あっ!なんてことをするんだ!酷すぎる!」

 「俺がやられたらお前の息子も死ぬ!」

 アフマドの背中に括り付けられた子はまだ物心つかないのか、状況を把握できずにキョトンとしている。そんな息子に必死で駆け寄るラコタ。

 「よーしそれでいい。しっかり俺の背中を守れよ」

 アフマドは弓を引く。非常に胸糞が悪いやり方だが兵法とは元来こういうものだ。まだ本人達を罰として切り捨てたりしないぶん良心的ではある。

 アフマドはラコタに守られながら数頭の狼を射抜いて、うまく狼を片側に寄せた。これで槌が完成した。

 金床は予め作っておいた透明の盾達だ。狼側はそこに盾の壁があるとは把握できておらず、まんまと引っかかっている。

 アフマドがそのまま狼の後ろに回り込む。狼達は完全に盾と私達の横隊の間に挟まれた。

 私は指示を出して縄で繋がれた右翼の中央部を下げ、右のアフマドと左の私が前に出るようにした。こうして縄の壁を半円状にする事により、狼達は中央部に集中して後退ようになった。

 私とアフマドが金床となるオウィス族の盾の両端に達すると、完全包囲完了だ。漁師が魚を網で囲むみたいに私達は狼達を完全に輪の中に入れた。

 狼達は必死で逃走を試みる。だが逃げようとすると狼達は把握できていないオウィス族の盾に阻まれて弾き飛ばされる。私達は慎重に歩を進めた。

 アフマドは黙々と狼を射殺していく。次いでオウィス族の男の一人が大きな鎌で逃げようとする狼を突き刺した。それを皮切りに次々と狼達を殺していくオウィス族の男達。

 狼達は逃げられない状況を察したようで、一同こちらを向いて牙を見せる。こうなると厄介である。歯向かってくる敵を倒すのは逃げる敵を倒すより十倍以上の労力と勇気を使う。

 この事態を見てアフマドは自分と隣の男をを結んでいた縄を切った。するとそこに包囲網の穴が出来た。これは古典的な兵法の一つであるが、わざと退路を作ってやる事によって敵に逃げられるかもしれないという希望を抱かせ、仕留めやすくする方法である。

 狼達はそこに殺到した。叫ぶアフマド。

 「お前達、詰めろ!」

 アフマドの一声で包囲網は一気に縮まり、逃げまどう狼達の大量虐殺が始まった。なんとか包囲を突破した狼もことごとくアフマドに射られた。


 こうして狼達は壊滅し、後には沢山の肉塊が転がった。私とアフマドは一頭ずつ確実に止めを刺すと同時に、矢を回収していった。するとラコタが近づいてきて興奮冷めやらぬ様子で私とアフマドに言った。

 「ありがとう。でも君達のした事は許されざる事だ」

 そう言ってラコタはアフマドの背中に括り付けられていた子供を抱いた。

 「別にどう思おうが勝手だが、戦いというのはこういう物だ」

 「ラコタ、軍人というのはこういう人種なんだ」

 私がラコタの息子の紐を解いてアフマドから解放すると、ラコタは子供を抱えて無言で立ち去った。後にはなんとも言えない空気が漂った。

 「やっぱりあんな手は使うべきじゃなかった」

 私が呟くとアフマドが怒った。

 「じゃあどうすれば良かったんだ?命令違反で首を切り落とすのか?それともこっちに犠牲者が出るまで戦い続けたほうが良かったとでも言うのか?」

 「まぁまぁ、俺はアンタ等の作戦が最良だったと思っているぜ」

 一人のオウィス族の男が近づいて来て言う。この男の名前はワグルと言ってラコタの天幕の隣に住んでいる。

 「結果として相手は全滅、一人の犠牲者も出していない。問題解決に掛かった期間はわずか三日。これを責めるのは酷ってもんだぜ」

 「そう言って貰えると、救われるな」

 私は安堵の溜息を吐いた。

 「ラコタの奴は熱くなってるだけなんだよ。アイツも馬鹿じゃない。理屈ではわかっているはずさ。でも実際自分の子供が危険な目に晒されたら、どう思う?」

 「……」

 私もアフマドも黙ってしまった。子供が居たらどんなものだろうか。同じ目に合わされたら頭では理解していても耐えられないものなのだろうか。或いは帝国の歴代軍人のように息子を容赦なく突撃させられるくらい冷酷になれるのだろうか。

 「まあ、俺がラコタを説得して謝らせるからよ。アイツが来たら許してやってくれよ」

 ワグルはそう言って、

 「この死体は俺達が片付けるからよ。先に帰っていいぜ。疲れただろう。感謝してるぜ本当に」

 と、私達の肩を押す。

 「片すってどうするんだ?」

 「毛皮を取って服でも作って売るさ。こいつらの毛は暖かいからな」

 ここに織りの技術はあるが皮をなめす技術はないはずだ。それ用の道具を見たことがない。

 「やった事あるのか?」

 「あるよ。俺は別の集落の出でね、今回みたいにこの獣を皆で殺した事がある。その時はかなりこっち側も死んだんだよ。だからアンタ等がどれだけすごいのか、身を以ってわかっているんだよ」

 「別の集落?」

 「この平原には五つの氏族がいるんだよ。三十の集落がある。それぞれが親戚だ。まあ、帰れって」

 ワグルに押され、私達は帰途に付いた。夜になって私達の天幕にラコタが現れ、謝罪と感謝の言葉を述べてきた。

 私達も謝罪したが、ラコタは筋が違うと言って謝罪の言葉を受け取らなかった。

 次いでやってきたワグルとその妻、そしてラコタの妻が大量の料理を運んできた。彼らの感謝の心遣いはよくわかった。しかしやっぱり全部草なのであった。

 

 次の日からまた辛抱と挑戦が始まった。私達は何度も挑戦と失敗を繰り返し、遂に七割の地点まで到達した。この日はそれで引き返したが、得るものがあった。なんとなく上に通じる道が読めるようになってきたのと、一目で脆い岩盤と堅い岩盤が見分けられるようになった事である。以降挑戦はだんだん容易になってきて、最高到達点は九割近くに達した。



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