03 ラチェ族
スキ族の集落を出て次の部族の集落へ向かったレオン達
川を遡る事五日、森が途切れてきた。いよいよここから水の確保が出来なくなる。背の低い草が多く茂っていたり、全く剥げていたり、たまにまばらな林があったりで景色が安定しない。
気候は暑く日中は服を脱ぎたくなるほどだ。しかし日差しが強いのであっという間に日焼けしてしまう。そして反対に夜は結構涼しくなる。また全体的に乾燥している。川の淵は灰色の固い物質で覆われていて、水分が外に染み出す事はない。
この淵は川の中の鉱物とここの土が反応して出来た何かなのだろう。触ってみると石のように硬い。
道中幸いにして水の実を見つけられたので水の残りは七日分くらいある。時々煮沸して腐るのを防いでいる。順調に行けばそう遠くないうちにその牧畜を行っている部族の集落にたどり着けるだろう。
夜になって焚火を消し、眠りに着こうとするがどうにも落ち着かない。私は用を足そうと思って立ち上がった。すると周りで多くの目が光っている事に気が付いた。慌ててマルコとアフマドを起こす。
「おい、起きろ。囲まれているぞ」
「えっ?何?」
マルコは寝ぼけ眼を擦っている。使えないヤツだ。アフマドは瞬時に状況を把握したようで弓を構えている。
「肉食獣か。こっちに来て初めて見るな」
「マルコ、火を起こせ!」
私は剣を抜いた。
「あまり矢を使いたくないな」
アフマドは弓を構えたまま動物に近づき、
「シュー!シュー!」
と、声を出しながら威嚇する。その間にマルコが焚火を付ける事に成功した。獣達の姿が見える。
大きさは狼と同じくらい。だが我々が見たことのあるどの動物とも一致しない。体躯は大きな猫のようであるが、足が蹄である。長い吻に大きな牙。
「おい一体なんだこいつは」
私も何なのか知りたい。蹄という事は草食なのだろうが、牙は明らかに肉食獣のそれである。向こうも我々のような姿の生物を見るのは初めてなのだろうか。異常に警戒している。
「マルコ、火を投げろ!」
マルコが火の付いた薪を投げると、動物達は怯えて去っていった。
「はぁー、肝を冷やしたな」
「ここは大型の生物が居るな。寝る場所を工夫しないと駄目だ」
アフマドが木を指さす。
「安全なところと言えばあの上くらいか?」
「どんな生物がいるか分からないからあそこも安全とは言えないぞ。豹みたいなのが居るかもしれん」
全員無言になった。この日私達は朝まで一睡も出来なかった。
次の日から私達は睡魔との格闘に明け暮れた。昼間は道中を進み、夜は交代で見張りをしながら眠る。だが見張りも油断すると寝てしまう。何度も危ない場面があった。いつも決まって襲ってくるのは蹄牙のあの動物。
いつもマルコが見張り役の時にそれがやってくる。つまり寝てしまっているのだ。本当にマルコは使えない。
五日も経つと体力が限界に達した。このまま寝てしまいたい。食われて死んでしまってもいい、という考えが頭をよぎった。
口には出さないがアフマドもマルコも限界のようだった。そして夕暮れになる。日が沈むとそれは戦いの始まりだ。私は夕日を恨んだ。
「お前が沈むばっかりに!」
「何を言ってもヤツは沈む」
アフマドは矢を確認している。
「おい、あれは何だ?」
マルコが夕日を指さす。その先には人影。夕日の中に埋もれて消えていく。慌てて人影を追いかける。
近づいていくにつれてその姿が明らかになってきた。今までの例に漏れず薄着で、一枚の赤い布を肩から斜めに掛けている。槍を持つその手は五本指で人間のそれ、だが指が長く爪は鋭い。皮膚は毛皮ではなくザラザラしたものだ。裸足の足は踵まで着いているが指が長く鋭い形をしている。足の爪も鋭い。
距離を詰めると彼はこっちを向いて立ち止まった。髪は無く代わりにゴツゴツした突起が四本、前から後ろに走っている。目は大きく我々の倍くらいある。鼻は無く鼻孔だけが開いている。口の形、吻の長さは人間のそれと変わりがないように見えるが唇が非常に薄い。そして今までの部族と違って大きい。我々より背が高く非常に筋肉が発達した身体を持っている。
向こうは何も言ってくる気配がない。そのまま無視して振り返り歩いていく。
そうか、今まで私は他種族がすべて友好的であるという前提で考えていたがそうとは限らないのだ。
「マルコ、話しかけろ」
「何で俺が!あいつこええよ!」
「お前が一番人当りがいい。お前が行け」
アフマドもマルコを焚き付ける。
「食われたらどうするんだよ!それに言葉が通じるのかよ」
「うるさい。早く行け」
「あいつ絶対人殺してるよ!無理だよ!」
マルコの言葉にその彼が振り向く。
「おい、全部聞こえてるぞ」
「あっ」
「あっ、じゃないよ。お前俺を何だと思っているんだよ」
「いやちょっと見た目が怖くて」
「俺から見たらお前らこそ怖いよ。武器沢山持って」
バリクパパと同じく流暢なクニークル語だった。こうも離れた所だと訛りだとかがあるはずなのだが全くそれを感じさせない。そもそも交流がないのに何故違う部族が同じ言語を使っているのか。不思議である。
「お前らこんな所で何をしているんだ?どこから来た?」
男は我々を一通り見ると怪訝な表情を見せた。
「この川沿いに住んでいる部族を調べている。貴方達が動物を飼って、食べる人達か?」
「そうだけど、なんでそんな事してるんだ?」
「個人的にいろいろ知りたくてな」
「ふーん、そうか。知的好奇心のために危険なこの土地に来るなんて狂っているな」
バリクパパの時も思ったが、彼らは何故こんなに言葉が達者なのだろうか。知的好奇心なんて単語自体、彼らの生活の中で使う事があるとは思えない。
「まあ、頑張れよ。影ながら応援してるぜ。多分」
彼は踵を返して立ち去ろうとする。
「待ってくれ」
私は彼の腕を掴んだ。近くで見るとあのザラザラした皮膚は鱗である事がわかった。
「もう日が暮れる。日が暮れると動けなくなる」
「毎晩動物に襲われてロクに眠れないんだ。助けてもらえないだろうか」
私は正直に懇願した。
「何言ってるんだお前。自分の事は自分で責任取れよ。自分の意志で来たんだろう?」
「そうだが、まさかこんなに獰猛な動物が居るなんて思ってなかった」
「獰猛ってあれの事か?」
男が指さす方向を見るとあの蹄牙の獣がいた。明るい中で見るのは初めてだ。豹のようなブチ柄だが毛並は緑色で、ブチは豹よりずっと大きい。顔は豚のようである。
男に指さされたそれは動きを止め、こちらを警戒している。
「そうだ。あいつだ。毎晩集団で襲ってくるんだ」
ハハハッと男が笑い飛ばす。
「見てろよ」
そう言うと男は槍を置いてゆっくりと獣に向かっていく。獣が身を翻して逃げようとしたら全速力になってそれを追いかける。その動きは信じられないほど俊敏で蹄牙の獣は数歩しか逃げられなかった。
男は獣に上から覆いかぶさった。そのまま首を絞める。獣が苦しみもがいて嗚咽を漏らすと、周りの草むらに隠れていた仲間達が救援に向かって来る。すると男は首を絞めるのを解いて、獣の尻を蹴っ飛ばした。獣は恐怖に駆られて走り出し、釣られて仲間達も一斉に逃げて行った。
元の場所に戻ってくる男。槍を足で蹴り上げてそれを掴む。
「こんなもんだ。所詮手が使えない獣なんて大したことはない」
なるほど蹄だから頭を抑えられてしまうと反撃の手段がないのか。
「おいレオン、こいつはトカゲじゃないか?」
マルコが小声で話しかけてくる。
「そうだな。俊敏な所も似ている」
「だから聞こえてんだよ」
男は槍を肩に担ぐ。
「トカゲ?似てないと思うぜ。俺達に尻尾はない」
確かにその通りなのだが、我々から見るとトカゲなのだ。
「俺は今お前達にあいつらの撃退方法を見せたよな。もう大丈夫だろう?だからもう俺は帰るぜ。幸運を祈っているよ」
「あんな速い動きが出来るわけないだろ!」
「えっ?そうなのか?それは残念だな」
男は足早に立ち去ろうとする。私達は慌てて後を追う。こうなったらなりふり構っていられない。無理にでも付いていって安全を確保したい。
「なんだよお前達付いてくるなよ」
男は急に走り出して私達を撒こうとした。私達は必死で着いていくがとても追いつける速さではない。あっという間に距離を離された。男は先で立ち止まっている。そのまま動かずに私達が追い付いて来るのを待っていた。
「しつこいな」
再び凄まじい速度で走る男。追う私達。またも男は先で止まり、こちらの様子を伺っている。私達が追い付くと同時にまた走り出す。こんな事を何度も繰り返した。息を切らしながらマルコが言う。
「なあ、あいつなんでいちいち俺達を待っているんだ?」
「ひょっとして、持久力がないんじゃないのか?トカゲと一緒で」
アフマドも息を切らしている。
「そういえばトカゲの動きそのものだな。私達が諦めずにずっと着いていけばいつかは彼が降参するのではないだろうか」
「そうなる事を願うぜ」
マルコの懇願。そしてそれは現実となった。男は私達が追い付いても今度は逃げる事なく諦めた様子でこう言った。
「全くしつこいヤツらだ」
「頼む。もう限界なんだ。この借りは必ず返す」
私が頼み込むと男はフッと鼻で笑って
「しょうがねえな。面倒見てやるよ」
と、承諾してくれた。
男の名前はカーネイド。彼は日課の巡回をしていたらしい。何のために巡回するのかと尋ねると、それは家畜を守るためらしい。定期的に集落周辺の肉食獣を痛めつけて追い払う事で動物達が彼らを恐れるようになり安全が保たれると言う。集落はそう遠くない所にあった。
枯れ木で組まれた柵がぐるりと集落を囲っている。集落内にはまばらに簡易的な住居があり、動物の皮で作られたそれは天幕に近い構造をしていた。
このような簡易型の移動式住居を持っているという事は、彼らが遊牧民である事を示している。
カーネイドがそのうちの一つの入り口を開けると、中から別のが顔を覗かせる。カーネイドより一回り小さく、なんとなく丸みがある。顔に対して目の割合がカーネイドより大きい。頭部の突起はカーネイドと違って目立たない。突起が有るのか無いのか殆どわからないくらい遠慮がちなものだ。
「おいあれ多分女だぜ。やっぱりトカゲだ」
「じゃあラケルタ族、ラケ族とでも呼ぶか」
「語呂が悪いな。ラチェにしよう」
マルコの提案で我々の中で彼らはラチェ族になった。ずっと見ていると他にラチェ族の女二人がカーネイドの家から顔を出した。三人の女は私達を指さしながらカーネイドと何かを話している。
「お前達は何を食べるんだ?」
カーネイドが私達の所まで戻ってきて聞く。
「何でも!肉があれば最高!」
マルコがはきはきと答える。こいつはこんな時ばかり口がよく回る。そしてさりげなく自分の要求を通そうとする。さすがはヴェネツィア人だ。
「そうか。俺の妻達がお前達を気の毒に思っている」
「妻達?」
「そう、あれは俺の妻達だ。三人いる」
この部族は一夫多妻制なのか。
「気の毒ってどういう事だよ」
マルコの一言。
「俺は酪でも飲ませてさっさと追い返そうと思ったんだが、妻達がそれは気の毒だからやめろってな。ちゃんともてなせと言われた」
「それはありがたい」
「家では妻達に逆らえないからな。しょうがない」
カーネイドが溜息を吐く。
ここは妻の権力が強い社会らしい。権力は仕事量に比例する。家で妻達の権力が強いという事は家の仕事の大部分を女達がやっているということだ。
妻達に外に連れ出される。もう日はほとんど落ちて薄暗い。集落はとても広くあちこちで焚火をしている。暫く歩くと家畜の匂いがしてきた。外側を囲んでいる柵と同じ材料で内側にも柵が作られている。中を覗く。
「おい、牛だ!牛がいるぞ!」
マルコが興奮する。アフマドも同じだ。
「どれがいいか選べってよ。ただし子供だけな」
カーネイドがこう言った。
「これを食うのか?」
「そうだよ。デカいのは手間かかるからな。悪ィけど」
「子牛なんて何年ぶりだろう」
「あっ、あいつうまそう。でもあっちも……」
両者共に興奮冷めやらぬ様子。
「おい早く選べよ。身体が冷えて動けなくなるだろ」
カーネイドが私達を急かす。
「おい、やっぱりトカゲだぜ」
マルコが小声で囁く。
「そうだな。あちこちにある焚火はそのためか。こんなに暑いのに」
「こいつがいい」
アフマドが一頭の子牛を撫でた。するとカーネイドの妻達がその牛を離れに連れて行った。
夕飯は久しぶりのご馳走だった。妻達は自分達で子牛を殺し、解体し、料理をした。男手が屠殺、解体をしないのは珍しい文化だ。
私達は子牛の臓物と肉を平らげ、乳を発酵させた酪を飲み、そのままカーネイドの家で眠った。
朝起きるとすでにカーネイドの姿は無かった。妻達に聞くと巡回に行ったらしい。この部族では若い男は戦士としての義務があって動物と毎日戦う。そして老齢の男は牛を放牧しに行く義務があるらしい。
子供達はどうしているのかと聞くと、家にはいないと言う。子供達はこちらの暦で二十四ヶ月を超えると一か所に集められ、まとめて育てられるらしい。
その過程で男は外の、女は内の仕事を徹底的に仕込まれるのだそうだ。この習慣は昔のスパルタによく似ている。
三人の妻はそれぞれ、フラクタ、ハイドラン、ランタスと言う。
名前に特に法則性を見つける事はできなかった。彼女達は私達にとても良くしてくれ次の日もその次の日もてなしされ続けた。
カーネイドは嫌がっていたが妻達はそんな事お構いなしだった。曰くこんな所に他種族が来るのが珍しく嬉しいらしい。行商人ですらここにはあまりたどり着かないようだ。
ラチェ族を観察していてわかった事がいくつかある。まず彼らの社会は女権が強い。その理由は家庭内の仕事だけでなく外の仕事もするためだ。
家を作ったり補修したり枯れ木で作った柵の整理をするのも女達がやり、牛の乳を搾ったり必要に応じて殺して解体するのも女の仕事だ。
男達がやっている事は集落周辺の巡回と牛の放牧だけだ。だがこれで釣り合いが取れているという事は男達の巡回と女達の仕事全部が同じくらいの労力だからなのだろう。
しかし一夫多妻制についてはそれでは説明がつかない。そう思って暫く観察しているとこの部族の男女比が極端に女に傾いている事に気付いた。
これはクニークル族、そしてスキ族でもあった特徴だが、ここは更に突出して男が少ない。男一人に対して女が八人。クニークル族の一対四、スキ族の一対三よりはるかに多い。
それについて三人で話す機会があった。その時にアフマドが面白い事を言った。
「これは俺の憶測だが、もともとここは医療が発達していないから男児が死にやすいんじゃないのか?男児は病気に弱い。俺達の社会でも昔、男児は三歳までに大勢が死んだ」
「よく知っているなそんな事」
「俺の両親は医者で、兄二人も医者だからな。俺も最初はそうなる予定だった」
「そんなお前が何で軍人になったんだよ。人を助ける事から殺す事に……」
話が脱線しそうなのでマルコの口を塞ぐ。
「その説は理解できるが、ここが他に比べて特別男が少ないのは何故だ?」
「ここは今までの所と違って暑い。暑いと細菌が繁殖しやすくなる。病気にかかりやすい。特に胃腸系の病気にかかりやすい。そうなると男児はあっという間に脱水して死ぬ」
「そうか。私は別の意見があるぞ」
「何だ?」
「外を巡回している男の戦士というのはかなりの数が死ぬんじゃないのか?」
「それほど危険だと言う事か?それだと一人でウロウロしている説明がつかない」
「ではもう一つの意見だ。これは古代スパルタでもあった事だが、戦士教育の過程で死んでしまう男児が多いんじゃなかろうか」
「なんだそれは」
「スパルタでは男児同士を戦わせたり過酷な訓練を課して戦士として育てた。その過程で障害を負った子供を殺していった。そういう事がここでもあるのかもしれない」
「成程な、有り得るかもな」
その議論はそれで終わった。
次の日も相変わらず三人の妻達にもてなしを受けてご馳走を食べていた。しかし問題がひとつあった。
それは水である。ここの食事は水が出てこない。だから我々の持ってきた水を飲んでいたのだが、それもあとわずかしかない。見たところここでは水はスキ族の集落よりもかなり貴重なものだ。
勇気を出して水をもらえないか聞くと、三人の妻達は明日まで待てと言った。
翌朝私達はカーネイドに起こされる。日の出の時間だ。やたらとゆっくり歩くカーネイドに連れられて集落の真ん中の広場に行くとそこには大きな石がいくつもあった。朝露が付いている。それをカーネイドが指で救って集めて舐める。
「えっ?まさかこれだけ?」
マルコが驚きの声をあげる。
「そうだが、何か問題があんのか?」
問題大ありだ。少なすぎる。これでは私達三人分どころか一人分すら怪しい。
「そうか、大変だなお前達は。俺達はこれだけで十分だ」
カーネイドは岩に付いた水を一通り舐めると岩の上にごろりと横たわった。
「砂漠に居るトカゲと同じだ」
アフマドが呟く。水がこれしか摂取できないなら、胃腸系の病気にかかったら三日ともたずに死ぬだろう。アフマドの説は当たっているかもしれない。
「どうするんだよ。こんなんじゃ全然足りないぞ」
「そうだなしかも……」
私が周りを見渡すと、同じように水を求めてやってくるラチェ族の人々の姿があった。
「私達がこれを全部取るわけにはいかない。追い出されてしまう」
「おいこれ進退窮まったんじゃないか?」
「うるさいマルコ、諦めるな」
アフマドが叱咤する。そしてアフマドは岩の下を彫り始めた。
「何しているんだアフマド?」
「黙って見てないで手伝え。レオンもだ」
私達は岩の下を彫っていく。岩の底が見え出したらアフマドはそこに拾ってきた木を入れて梃子の原理で岩を持ち上げる。そして枯れ木を組み合わせて作った台の上に岩を置く。
この作業を繰り返し合計六個の岩を持ち上げた状態で固定した。アフマドは岩の位置を調整し丁度尖った面が下に来るようにしてその下に我々の水袋を設置した。そしてアフマドは枯れ木の柵の配置を変え岩に風がうまく当たるようにした。
「これで少しはマシになるはずだ」
岩を見ると露が下に流れ落ち底の尖った面に集まって大きな水滴を作って水袋に水滴が落ちていく。さすが砂漠の民だ。
この調子なら少しずつだが一日の飲用分以上の水が得られるだろう。ここから次の部族の集落までどのくらいかかるのかを寝転んでいるカーネイドに聞くと岩の水を舐めている女を指さした。
「あいつの親父が川上の方向の巡回をしている。あいつに聞けばわかるだろ」
と言ってめんどくさそうに寝返りをうった。私達がその女に話しかけると女は手で少し待ての合図をした。日光で身体が温まってくるまで動きが鈍いのだろう。私達はのろのろ動く彼女を待った。
女の名前はテレクスタ。見た目から推測するに人間で言うと十六歳前後だろうか。まだ顔にあどけなさが残る。テレクスタが言うには川上に行くとそこから完全な砂漠が始まるらしく生物は殆ど居ないらしい。水は全くない上に灼熱の太陽が照りつけるためそこを超える事は無理だと言う。
距離を聞くとここからその砂漠までは徒歩で約十日、その砂漠の広さはわからないそうだ。これはかなり絶望的な状況ではあるがここで諦めたら私達の人生はここで終わってしまう。あの紫の部族が超えているのだ。私達も出来るだろう。
砂漠の分を考慮して水の保持量を二十日分と決めた。かなりの量になる。アフマドの作った装置で二十日分を集めるには四十日以上かかるだろう。
私はその事をカーネイドに説明しここで厄介になる代わりに仕事をくれないかと提案した。カーネイドは私達に牛の放牧をあてがった。
朝、戦士達が集落の周辺に散らばって行きなんの異変もない事を確認すると私達は老齢の男達と一緒に放牧に出掛ける。
放牧の仕事は単調だがとにかく暑い。体力の消耗が激しく私達は難儀した。
夕方になって日が傾いてきたら牛を元の場所に戻す。牝牛はその時に女手によって乳を搾られる。この作業が終わると一日の仕事は完了だ。
そんな生活を三十日続けた。水の溜まり具合は順調ではあるがまだ必要量の半分にも達していない。これは六十日くらい見なければ駄目だと思った。
ところで彼らは身体の割にはとても食が細い。私達の十分の一以下だ。だから家畜も集落の規模の割には少ないし、女達の解体作業もそう滅多に行われるわけではない。だから釣り合いが取れているのだと解った。
そしてまた彼等が貨幣を持っている事もわかった。貨幣を見せてもらうとそれはクニークル族の集落で見た物と全く同じだった。だが日常生活ではほとんど使う事が無く、婚姻の時の贈品そして滅多に無い行商人との取り引きに使うだけだとの事だった。
ある日の朝珍しく日の出前に目が覚めた。暗がりの中外に出ると、アフマドが半裸で立っていた。アフマドの身体は最初に会った頃の大きさに戻っており、筋肉がはち切れそうなくらい張っていた。
「アフマド、どうしたんだその身体」
「ここは肉が沢山食えるからな。鍛錬の成果が出やすい。スキ族の所ではイマイチだった」
「鍛錬?どうやってやるんだ?」
アフマドは手に握っていた剣を見せる。
「重い物を振り回すんだ。いろんな方法で。剣でもいいし、そのへんの石でもいい。毎日少しずつ重さを増やしていくのが秘訣だ」
「そうか、私もやろう」
私はアフマドに習って剣を持ち振り回す。最初は両手で上下に次に片手でぐるぐると回す。それから下から上に膝を使って振り回す。なかなかしんどい。
「これをやっていればお前みたいな身体になれるのか?」
「なれる。でも肉を沢山食わなければ駄目だ。効果がない」
「では私も沢山食べる事にしよう」
私とアフマドが鍛錬をしているとカーネイドが寝惚け眼を擦って家から出てきた。すでに日は半分以上登っている。
「何やってんだ?お前達」
「鍛錬だ」
「ほーうそうか。アフマド、お前は良い身体をしているな」
カーネイドはアフマドの身体をじろじろと見て、
「後で話があるからそこにそのまま居ろ。俺が水飲んで帰ってくるまで待っていろ」
と言ってゆっくりと岩場へと歩いていった。
暫く経ってカーネイドが戻ってきた。沢山の男を後ろに連れている。彼らはアフマドを囲みカーネイドと一緒にじろじろ見始めた。
「アフマド、お前は強そうだな」
カーネイドの言葉にアフマドが頷く。
「そうかもな」
確かにアフマドの筋肉はラチェ族に負けないくらい太い。
「よしアフマド、お前がどれくらい強いのか試したい」
「どうやって」
「俺達の部族に伝わる力比べの方法がある」
そう言ってカーネイドはアフマドを連れ出す。私も後に続く。
カーネイド達は集落の開けた場所まで来ると円形の線をぐるりと引いた。ラチェ族の男達は線の周りを囲む。
「簡単な力比べだ。相手を地面に押さえつけて十数えるか、相手が降参するかだ」
「この線は?」
「ここを超えようとすると周りの男達に押し戻される。つまり押し出されるとその分挟み撃ちになって不利になる」
「そうか、じゃあやってみようか」
アフマドが了承すると一人の男が前に出た。カーネイドが説明する。
「じゃあ最初の相手はロードデンド、こいつは若いがなかなかの腕前だぞ」
「構わんぞ。さあ来い」
カーネイドが審判をやって二人の戦いが始まった。ロードデンドは組技の構えをしている。距離を測って俊敏な動きで一気にアフマドを掴む。その時アフマドがロードデンドの顎に拳を当てた。ロードデンドは膝から崩れ落ち、前のめりに倒れて動かなくなった。盛り上がっていた観衆が静まり返る。
「あれ、これじゃ駄目なのか?よし」
アフマドは気絶しているロードデンドの上に覆いかぶさった。するとカーネイドが十数えアフマドの腕を掲げて勝者とした。観衆はざわめいている。ロードデンドはフラフラしながら立ち上がりアフマドに言った。
「何だ今のは。どうやってやった?」
「どうも何も普通に」
私は慌ててアフマドに近寄った。
「アフマド、彼らはこれを知らない」
私は拳を作ってアフマドに見せた。
「あっ、そうか……それで……」
「アフマド、次からそれは使うな。それは禍根を残す。組技だけでやるんだ」
「そうだな。怪我させてしまうのは力比べとは言えないしな」
アフマドの物分りが良くて助かった。ラチェ族は指が長すぎるのと爪が長すぎるから拳が作れないのだ。クニークル族やスキ族も爪が原因で拳が作れない。
アフマドは続けて三人の戦士と戦った。彼らの俊敏な動きと強靭な力はアフマドを苦しめたがアフマドは彼らの持久力がない事を利用して相手が疲れるまでのらりくらりと防御に徹し、後になって攻めるというやり方で相手を撃破していった。
次の相手はカーネイドだった。
「まさか俺まで出番が回ってくるとは」
「何だお前、そんなに強いのか?」
アフマドの言に観衆が反応する。
「カーネイドは戦士の中の戦士だ!」
「カーネイドより強いのはアストラガルだけだ」
「おいおい、俺はあいつに負けたと思っちゃいないぜ」
カーネイドは群衆に釘を刺す。
群衆から出てきた別の男が審判をやり、力比べが始まった。カーネイドはさすが群衆から支持されるだけあって策略家だ。これまでの男のようにいきなりアフマドに掴みかかったりはせず、陽動の動きを入れながらアフマドの周りをゆっくり回る。両者共に間合いを詰めたり開いたりする攻防が続いた。
カーネイドが手をアフマドの膝を引っかけて引っ張るとアフマドが姿勢を崩す。その隙を突いてカーネイドがアフマドに突進し脚を取って下に引っ張る。
アフマドは劣性になると思いきや、カーネイドの腰を上から掴んで強引に後ろに投げた。
二人とももみくちゃになりながら地面に膝を付いた。カーネイドはアフマドの頭を抑えながら素早く横に回り込み、アフマドを後ろから掴もうとする。
アフマドは即座にカーネイドの首を掴んで下に引っ張り、防御する。するとカーネイドは自ら地面に突っ込みそれを外す。そのまま前転し膝裏をアフマドの首に引っかけた。
カーネイドは地面に両手を付き、頭を支点に回転してアフマドの首を捻る。投げ飛ばされそうになったアフマドはカーネイドの胴にしがみ付いてそれを防いだ。
人間同士では見られない技だ。膠着状態になったので審判が二人を引き離す。仕切り直して再び陽動の掛け合いが始まった。
試合が長引くほどカーネイドは不利になる。それを悟ってかカーネイドが盛んに攻勢を掛けるがアフマドはそれには付き合わない。
痺れを切らしたカーネイドは強引にアフマドの脚を取りに行くがアフマドに上から被せられてしまう。
審判が数を数えだしこれで決着かと思ったらカーネイドがアフマドの肩を掴みぐるりと回ってひっくり返す。上半身と下半身が別の方向を向いていた。ラチェ族は身体が柔らかい。
アフマドをひっくり返したもののお互い仰向けになっていたため、別々の方向に起き上がって仕切り直しとなる。間髪入れず今度はアフマドがカーネイドの脚を取る。アフマドが力で押し続けるとカーネイドは後退して線をはみ出し、群衆に背中を押される。
その一瞬の姿勢の乱れをアフマドは見逃さなかった。今度は掴んでいるカーネイドの脚を引っ張り肩でカーネイドの腰を押す。カーネイドはぐるりと横に回され、仰向けに倒された。
アフマドは丁度カーネイドの腰を跨ぐ状態になっていた。アフマドはそのまま上から覆いかぶさってカーネイドの両手を塞ぐ。審判が数えだす。一、二、三……カーネイドは重心である腰の位置を抑えられているため身動きが取れない。審判が十数え終わって、アフマドの勝利が決まった瞬間、群衆がアフマドに群がって抱き着いた。
「おっ?何だ?」
「アフマド!アフマド!」
群衆はアフマドの名前を一斉に叫びながら、アフマドを担いで歩き出した。
「クソッ!負けた」
カーネイドがやりきれない様子で立ちあがった。
「あれは何をしているんだ?」
「あの野郎が強いからそれを称えているんだよ。集落を一周する。クソッ!」
群衆はカーネイドには目もくれずにアフマドを担いだまま歩いていく。
「お前に勝った事はそんなに名誉な事なのか?」
「ああ、ここ二年負けた事はねえよ」
この世界の二年だとユリウス暦では十年だ。十年負けなしというのは相当な腕だ。私はひとつの疑問をぶつけてみた。
「アストラガルというのは?」
「戦士だよ」
「その相手とは?」
「負けたな。二年前に。でもあれは審判がちゃんと数えていれば俺の勝ちだった」
つまり僅差の相手だと言う事か。
「この二年その戦士とはやりあってないのか?」
「あいつはずっと猛獣狩りをやっているからな。ここに帰って来る時はボロボロだ。戦える状態じゃねえな」
「猛獣狩り?何だそれは」
「猛獣狩りの儀式だよ。それを成し遂げないと成人になれない」
「じゃあその彼はずっと成人になっていないのか?」
「違う。猛獣狩りには先導役が要る。一番危険な仕事だ。それを二年もやっている」
「危険?どれくらい危険なんだ?」
カーネイドは空を見上げた。
「半分は成人になれない。つまり……」
「つまり?」
「一回の儀式で半分が死ぬ」
衝撃の事実だった。私の説、つまり戦士教育の過程で青年が死ぬというのも当たっていたわけだ。
これでここの人口比の説明がつく。それにしてもそれほど危険な儀式をユリウス暦で十年もやり続けているアストラガルという男はどれほど強いのだろうか。
そしてこのラチェ族自体も身体の構造といい教育過程といい、正に戦うために存在しているような部族だ。帝国軍人的には小食なのも素晴らしい。兵士としては超優秀だ。
それから五日経った。
集落は静まり返っていた。男達は一歩も外に出なかった。何か様子が違うなと思っていたら外から戦士の一団が帰ってきた。
「アストラガル!」
男達はその先頭に居た男に群がった。アストラガルと呼ばれた男は皆に囲まれながら集落の中央まで群衆を一切無視して歩いた。そして立ち止まってこう言った。
「今回の儀式の犠牲者は二十名!これから名前を読み上げる!」
群衆は固唾を飲む。いつの間にか女達も家から出て来て群衆に加わっていた。
「サングイス!シリングブル!フラガストロ!ビスアルガム……」
アストラガルが名前を呼ぶ度に泣き崩れる男女が居る。犠牲者の両親だ。この悲惨な光景が暫く続き、次にアストラガルがこう言った。
「そしてここに居る十二名、新しく戦士と成った者達だ!」
すると今度は喚起の声を上げる男女が居る。同じ空間に悲しみと喜びが混在して混沌とした空気になっていた。
嘆きと歓喜に沸く群衆を後目にアストラガルは一人その場を離れた。カーネイドがそれを追う。私も続く。
「アストラガル、なんでこんなに死んだ?」
「疲れているんだ。後にしてくれないか」
「お前が責任者だろ。説明しろよ」
アストラガルは顔をしかめて横を向いた。
「古い塔があるだろう。あそこに住みつかれた」
「それで?」
「睨みあいが二日続いた。出てこないから突っ込んだんだ。そうしたら待ち伏せされていた」
「何で突っ込んだんだ。お前馬鹿か!」
「俺は止めたんだよ!あいつらは臆病になって突っ込んじまったんだ!」
「それで勝ったのか、負けたのか」
「負けだ……」
カーネイドはそれ以上何も言わなかった。アストラガルはやるせない様子でトボトボと歩いて行ってしまった。
戦闘経験がない若い兵士が睨みあいに耐え切れず先走るのは古今東西共通だ。私達のタグマもそれでアフマドのサラセン帝国軍にやられてしまった。
「カーネイド」
「何だ」
「塔って何だ?」
「ああ、あれか。俺達は古代人の塔って呼んでいる」
「ひょっとして中に変な物が沢山転がっていたりするのか?」
「さあ、中を探索した事ないからわからねえな」
「私は是非行って見たい」
カーネイドが怒る。
「馬鹿かお前は。さっき猛獣が住み着いているって言ってただろう!」
だが猛獣と遺跡、どちらも興味がある。命の危険があると言うがアフマドの弓があればだいぶ違うのではないだろうか。
「アフマドを連れて行く」
「何?」
カーネイドの顔が変わった。
「アフマドはお前達とは違う戦い方が出来る。駄目か?」
「アストラガルと相談する。どちらにせよ次の成人の儀式まで待て」
そう言ってカーネイドは広場から離れて行った。
アストラガルとカーネイドの話し合いの結果次の成人の儀式は二十日後となった。本来なら成人の儀式は二か月毎に行われるらしいのだが今回の儀式が失敗、つまりラチェ族側の敗北に終わったのですぐに復讐しないと猛獣が集落の範囲まで来るようになってしまうとの事だった。
我々は夜も昼と変わらず動けるという事で討伐隊に組み入れてもらう事が出来た。マルコは使えないからと集落に残される事になった。
二十日後の朝、まだあどけなさが残る若者達三十名を引き連れてアストラガルと私達は出発した。新成人となる予定の若者達は一様に白い布を身に纏い槍を持っている。曰くこの白い布を猛獣の返り血で染めれば染めるほど戦士としての名誉が上がるらしい。
私とアフマドは不安だった。何故なら彼らの武器の素材が統一されておらず、鉄の槍先を持っているのはごく少数、他は石片を削ったもの、木の先端をそのまま削ったものなど武器としての性能が怪しいものばかりだったからだ。
歩く事三日、私達は猛獣と遭遇した。姿形は獅子に似ているが色が青である。鬣の質も違っていて滑らかなうねりを作り出して肌に張り付いている。アストラガルは猛獣の姿を見ると全体に止まれの合図をし、戦闘のための陣形に変えた。
陣形は四角形の方陣であり、どこから猛獣が襲って来ても対応できるように武器をそれぞれ外側に向ける。そのままゆっくりと移動する。
久しぶりに戦の雰囲気を感じたため私は軽い興奮を覚えた。アフマドを見ると同じ様子であった。私達は矢張り骨の髄まで軍人なのだ。
猛獣は私達が陣形を変えたのを見ると小走りに去っていった。
「もうこんな所まで来ているとは、急がなければならない」
アストラガルが新成人となる予定の若者達に号を掛けた。
それから私達は夜の見張り番を任された。昼は彼らに担いでもらい眠りながら移動し、夜になると我々は集めた薪で焚き火をし、ラチェ族達が身体を冷やさないように火の番をしながら周囲の警戒をした。
猛獣は度々姿を現すが、警戒心が強く襲ってくる事はなかった。そして四日歩いた所で例の塔にたどり着いた。
塔は今までの物と同じ素材で出来ていたがその大きさはクニークル族やスキ族の所で見たものの倍以上あった。倒壊して横たわっている塔はそれ自体が巨大な猛獣達の要塞と化しており猛獣達は中に潜んでこちらの様子を伺っていた。ざっと数えて三十以上は居る。
「やっぱり出てこない」
アストラガルが呟く。
「横一列になって押せばいいだろう」
アフマドの言。
「駄目だ。あの中は冷たい。俺達は力を失ってしまう」
成程、猛獣側もラチェ族の知識があって戦術を立てているわけか。
「おい、なんだそれは」
アフマドが弓を引いているのを見てアストラガルが驚く。アフマドが矢を放つと一頭の獅子の眼にそれが突き刺さった。大きな叫び声を挙げる青い獅子。獅子は矢を抜こうとするが手が矢を掴める形をしていないため抜き取れない。
もがいているうちに地面に矢の端が当たり獅子の目の奥に矢がめり込んで行った。獅子はそのまま動かなくなった。続けて矢を放つアフマド。またもや違う獅子の目に命中した。
獅子達は弓矢を理解していないがアフマドを放置しておくとまずいと考えたのだろう。塔の中から出て突進してきた。陣形を整えていなかった若者達は混乱に陥った。