17 ケルウス族
鹿のような部族に連行されるレオン達
「すごい地震だったな、お前達あんな所に居て怪我はなかったのか」
「幸いない。地震はよくあるのか?」
「小さい揺れは時々あるがあんなに大きいのは初めてだ」
男は自分の事をケインシーと名乗った。やっぱり流暢なクニークル語である。てっきりカペル族の時のように武器を取り上げられるかと思ったが、そんな事はされなかった。
彼らの力を使えば私達を一瞬で殺す事が出来るからであろう。この部族は私がこの世界で見た中で初めての飛び道具を使う集団である。いや、火の民も遠距離から攻撃出来るという意味では同じか。
「サイメルティ」
「何だ?」
「彼らと火の民の関係はどうなんだ?」
「わからない。余計な事は喋らないほうがいい」
ケインシーは私達の会話を聞いていたのか、顎を撫でて私を見る。
「火の民というのは、アイツらの事か?」
「アイツらとは」
「なんかこう、小さくて胴が長いヤツらだ。変な服を着ている。火を使って攻撃してくるアイツらだ」
「ああ、それだよ」
「逆に聞きたい。ヤツらとはどんな関係だ?」
答えに詰まる。私達とは直接の因縁はないし、カペル族とは敵対しているがもしこの鹿のような部族が火の民と友好関係ならば、敵対している事は言わないほうが良い。
「答えに困っているな。先にこっちから言っておこう。アイツらと我々は長い間敵対関係にある。ヤツらは上流の水を独占しようとしているが、そうはさせない」
ケインシーは一呼吸置く。
「ヤツらはおそらく普通の部族と戦ったら最強だろう。しかし我々とは相性が悪い。一進一退の攻防を先祖代々繰り返してきた」
そうか、射程距離が同じ程度もしくはこの鹿のような部族のほうが上回っているため、火の民にも損害を与える事が出来るのか。
鎧や盾がない限りこの部族の飛び道具と渡り合うのは難しい。
「なるほど、彼らが山を越えてくる理由がわかった」
サイメルティがウンウンと頷く。
「アイツらも山を越えるのか」
「私達も同じように彼らとは長い間対立している。何故下流に抜けずにいつも山を越えてくるのか不思議に思っていた」
「その理由がわかったって?どんな理由だ?」
ケインシーはサイメルティの顔を覗きこむ。
「彼らは足止めされていたのだ。この部族の力と彼らの力は拮抗している。だから彼らは下流に抜けて私達の水系に来る事が出来なかったのだ」
確かに普通に考えたらあんな標高の高い雪山を越えたりするより、下流から回りこんだほうが楽に決まっている。
それが出来ないという事はこの部族の軍事力が相当に厄介だからなのだろう。実際全員が機動力のある弓騎兵だと考えると厄介そのものだ。
長い事帝国を苦しめたパルティアに始まり、フン、アヴァール、ブルガール。もし彼らが同じような遊牧民的性格をしているなら非常に負けず嫌いで誇り高いはずだ。
彼らの身体的特徴をもう一度よく確認する。薄着で厚めの毛皮。顔の毛皮もカペル族に比べたら大分厚い。額に模様は無く、カペル族より鼻が大きく目が小さい。
服の隙間から尻尾が出ている。ここもカペル族と違う点だ。尻尾は短い機能性が殆ど無いものだが、毛がフサフサと付いている。
太陽が落ちていくのと共に景色も移り変わっていく。禿げた土地から枯れた草原が少しずつ混ざり、やがて禿げた大地は消え枯れた草原と緑の草原、そして緑の草原のみが広がる所まで来ると 家らしきものがポツポツと見えはじめた。
先程の地震でいくつかの家は半壊している。家は天幕様式ではあるが、四角いしっかりとした骨組みを中に持っており、完全な遊牧形態ではない事を示唆している。
修復作業をしている民を見る。男は皆立派な角がある。つまり角を切っているのは戦士のみという事だ。
戦士達は民衆に人気があるようで、民は皆作業を止めこちらを見て感激している。ケインシーが手を振ると皆それに応える。
そのうち川が見えてきた。しかしこの川は流量が極端に少なく、少し助走を付けて跳躍すれば簡単に飛び越えられてしまう。
底は浅く、足を入れたら踝より少し上に水面が来る程度である。流れはこの標高にしてはとても緩やかだ。この流量はとてもウルペス族やこの部族を養えるような量ではない。
プラッビーは進軍して休憩すると言っていたがウルペス族の軍は見つからなかった。ウルペス族の軍について尋ねるかどうか迷っているとケインシーの元にもう一人の指揮官と思われる人物が近寄ってきた。ケインシーよりも背が高い。
「なんだこの者達は?」
「お、ダレーマット。なんか山の向こうから来たんだってよ」
「山の向こうから?どうやって。信じられんな。敵の間者じゃないのか?」
「話を聞いているとそんな事はない気がするが」
「それはお前の独断だろう。とりあえず縛っておけ。どんな力があるともわからん」
兵士達は私達を取り囲みだした。アフマドとサイメルティは身構える。ダレーマットと呼ばれた指揮官は兵士達より一歩前に出た。
この男は両手にあの大きな針を多数持っている。両手を掲げるとその上に大きな針達が浮く。なんだこの力は。単に投げているだけじゃなかったのか。
「お前達がどんな力を持っているが知らんが、この距離でその装備、この状況、私に勝てる要素など微塵もない。覚悟しろ」
これはまずい。この男のこの態度。降伏しても最悪誤解で拷問を受けたり、殺される羽目になる。その時、アフマドが叫んだ。
「レオン!後ろを見ろ!」
何かと思って後ろを振り返る。兵士達が襲いかかろうとしている。
「そうじゃない!空だ!」
「空?」
後方上空を見ると、アルパ族の二人が飛んでいるのが見えた。
「マルコ!でかした!」
「うお……なんだあれは。あれで飛んできたとでも言うのか」
「そうだ。少しどいて貰えないだろうか。怪我してもらいたくない」
「勝手に仕切るな」
「お前のかわいい部下達が死んでも知らんぞ」
「く……」
サイメルティのギリギリのハッタリにダレーマットは引いた。サイメルティは周りの兵士に遠くに離れるように言う。
私達の周りから兵士が居なくなったのを確認するとアルパ族の二人に手を振る。急降下してくるオジークッシュとノーワイド。兵士達はそれぞれが身構えてあの大きな針のような物を手にしている。
地面に降り立つアルパ族の二人。勢い余って籠が跳ね、中からマルコが出てきた。
「イテッ!」
地面に叩き付けられたマルコ。慌てて周りを伺う。
「ははは……どうも」
私とアフマドはマルコに駆け寄り、抱きしめた。
「よく来てくれた!」
「やっぱりお前を連れてきてよかった!」
「いやぁ、なんだよお前ら。これ感動する場面なの?」
改めて周囲を見渡す。突然の空からの来訪者に兵士達は戸惑っている。本当はこの鹿っぽい部族と空の民の相性は最悪で、彼らと争ったら空の民は一方的に射抜かれるだけなのだがお互いの力を知らないためハッタリが効いている。
ダレーマットとケインシーはアルパ族の二人を舐めるように見る。勿論手にあの大きな針を持ったままだ。
「ここはひとつお互いにやめておこうじゃないか」
サイメルティの提案にケインシーが頷く。だがダレーマットは尚も身構えたままだ。
「ダレーマット、止めようぜ。相手はこれだけの複数の部族の連合体だ。争いになったら困る。地震で村も酷い有様だし」
「相手の力も見てないのに引けるか」
ダレーマットの言う事は正しい。ここで引いたら一方的な敗北である。同じ条件にはなっていない。
「仕方ないな」
アフマドが弓を素早く引き絞って、放つ。矢はダレーマットの頬のすぐ傍を抜け、空へと飛んでいった。
「似たような事は俺達にも出来るぞ」
とは言えこれもハッタリである。向こうのように複数同時発射はできないし、いくらアフマドが達人でも引き絞って狙いを定めるのに時間がかかる。そして矢は戻ってこない。
何よりこれは特別な力でもなんでもない。だがダレーマットは驚いている。あれ?通るのかこのハッタリが。
「そうか。我々と似たような力。奢りが過ぎたな」
ダレーマットは両手を下ろした。
「まぁ仲良くやろうぜぇ~」
マルコの能天気な態度はこういう時に助かる。緊張していた場の空気が一気に和んだ。
そうだ、マルコが来たので命名の儀式を済ませておこう。
「マルコ、この部族はケルウスだよな?」
ケルウスとはラテン語で鹿である。マルコは兵士達の体を見る。
「まぁいいんじゃね。特徴が似てるし。俺達がケルウスだと思えばケルウスだ」
そんなこんなで無事彼らの名前はケルウス族と決まった。そんなケルウス族の指揮官ケインシーとダレーマットに引き連れられて、私達は彼らの住居でもてなしを受ける事になった。
サイメルティが火の民と争っている事を具体的に話したら彼らは私達に興味を示し、同盟の提案をしてきた。
ダレーマットはこの戦士階級の長で、ケインシーは一部隊の指揮官だった。私達は最初ダレーマットの家に立ち寄ったが、地震で崩壊していたのでケインシーの家に行く事になった。幸いこちらは目立った損害がなかった。
家の内部は簡素な造りになっている。
木で出来た骨組みの上に毛皮を組み合わせた布を張っている。模様からしてこのケルウス族自身の毛皮であろう。死体から取ったりしたのであろうか。
またウルペス族とは違って銅で作られた物は一切見当たらない。金属類が一切ない。不思議な文化だ。そのうち料理が運ばれてきたが、それは土鍋で煮られた草だった。しかもそれ一種類しかない。
「え……これ食うの?」
「嫌な予感がしていたが」
マルコとアフマドが文句を言う。
「だからお前らは贅沢を覚えすぎなんだって」
私は一口食べてあまりの不味さに吐いた。マルコとアフマドは爆笑している。
「うっ……」
これはひどすぎる。なんの味付けもされていない。
「どうした?」
ケインシーが顔を覗きこんで来る。
「いや、なんでもない」
サイメルティはもぐもぐと無言で食べている。やはり種族的に近いものがあるのだろうか。味覚が同じようだ。マルコとアフマドが連れ立って外に行く。アルパ族の二人も後に続く。
「おいどこに行く」
「ちょっとこれは厳しい」
二人ともこれが好機とばかりに早足で出て行ってしまった。私がこれを食べるしかないのか。
「ここは何処とも交易をしていないのかな」
サイメルティがダレーマットに尋ねる。
「何故そう思う?」
サイメルティは辺りを見回して、
「交易品が見当たらないからだ」
と、答えた。
「前は多少していたが、今はしていない。あいつらが川下に来てから交流できなくなった」
あいつらとはウルペス族の事か?もしこれが事実だとしたらあの茶番は何なんだという事になる。
もしかしたら茶番を演じているのはウルペス族側だけなのかもしれない。しかし軍事力は普通にやれば圧倒的にこちらのほうが上だ。不思議である。
「こんな顔のヤツらか?」
サイメルティが鼻を摘んで引き伸ばす仕草を見せる。
「そうそう、そんなヤツらだ」
「成程、では奴等が来る前はどんな交易をしていたんだ?」
「主に銅器だな。だが四年とちょっと前から交易が無くなった。ヤツらが上がってきたせいもあるが、そもそも下流が荒れていて品物がない。古い時代には鉄器もあったようだが……」
四年とちょっとと言うとユリウス暦で二十年程度、前にサイメルティが言っていたこの水系の川が枯れ始めた時期と重なる。
交易とは互いに交換する物が無ければ成り立たないものである。アルパ族のように優れた移動手段を持って交通を抑えているならともかく、そうでない場合は自前の特産品が無いと交易は出来ない。
「気になったんだが、ここは何を売っていたんだ?」
「ここは何も取れない。だから角の加工品、それから死んだ者の毛皮を売っていた」
貧しい。圧倒的に貧しい。これまで見た部族の中でこれほど自然の恩恵を利用していない種族はいなかった。
オウィス族がこれに近いが彼らは自前の毛を使って物を作ることが出来る。対して彼らはオウィス族ほどの毛もないし、もし鹿のように角が毎年生え変わるとしてもそれで出来た加工品は金属類には劣る。
「その服はどこで手に入れたんだ?」
サイメルティがダレーマットの身体を指さす。その薄手の服は麻で出来ているように見える。
「これか。これは自分達で作っている」
そう言ってケインシーは奥から草の束を持ってきた。見事に大麻である。我が帝国でも色んな病気の治療に使われている。
ただ寒い地方で取れたものにはそのような効果があまりないと言われている。こんな厳寒の地でそのようなものが取れるのだろうか。
「これは薬理作用があるのではないか?」
「ああ、色々使える。麻酔、鎮痛、不眠解消、肺の病気とかだな。もちろんこれで色んな物を作ることが出来る。服、食料、それからこれ」
ケインシーが差し出してきた物は薄く白いものであった。目の粗い布のようだ。
「これは!」
興味津々のサイメルティの前でケインシーは羽筆を取り、その上にクニークル文字を書いていく。太古のエジプトのパピルスに似ている。
「これは是非欲しいな。我々と交易する気はないか?」
「この草は神の贈り物だ。それを分けるには相応の対価が要る」
「ほぅ……」
サイメルティは顎に手をついて考え込む。
「陶酔の効果はないみたいだな。でも服が作れるだけで儲かりそうだ」
いつの間にか戻って来ていたアフマド。そうか、彼らの土地では陶酔目当てであれを使う者が多いと聞く。代わりに彼らは飲酒をしない。アフマドの口から肉の匂いがする。
「おい、アフマドお前何食ったんだ?」
私の質問にアフマドは、
「レオン、外で飯を食って来い。マルコ達がウルペス族の飯を持ってきている」
と、耳打ちしてきた。私は話しこんでいるサイメルティとケインシー、ダレーマットを放置してその場を離れて外に向かった。いくらなんでもここの食事はひどすぎる。
外に出るとマルコとオジークッシュ、ノーワイドがまだムシャムシャと馬肉を食べていた。私もそれに混ぜてもらう。
「ところでマルコ、よくここが分かったな」
「休んでたら地震があってよ。プラッビーが戻って来たんだ。レオン達は?と聞いたら途中にある遺跡に居るんじゃないかってよ。ウルペス族の集落はひどい損害だ。でも家が天幕式だから帝国のような大打撃にはならないだろうな。すぐに復活する」
「そうか。それで?」
「まあ色々あったんだが、一番面白かったのは家の倒壊によって戦士階級が滅茶苦茶金持ってる事がバレちまったんだ。今ヤツらは火消しに必死だよ」
「へえ、大衆が切れるくらい搾取していたのか?」
「レオン、税制を知りたがっていただろ?聞いてびっくりするなよ」
「どんな具合なんだ」
「あの集落は一見無造作に見えるけど、細かい区画に分かれている。戦士階級の家を中心として、回りに住んでいるのは庶民だ。で、一人の戦士階級がそれを監視している」
「どっかにそんな国あったよな……」
「税だけど、まず食料。馬は戦士階級しか食えないからそれ以外だな。例えば鶏とか鼠とかを飼っている。戦士階級が生産を常に確認していて、例えば一定期間内に生まれた雛の六割を税として取る」
「半分以上か、キツいな」
「金銭は月毎に金貨二枚。金貨がない場合は木の皮とか無地の布。これは元々あそこにはあまりない。みんな金貨がないから結局これで払っているみたいだぜ」
「よくわからない代品だな。金貨と等価とは思えないが」
「それから労働。年二回隊商を組んで塩湖を越えて川下に下り、武器や衣類を調達してくる。この費用は自費な。調達されたものはすべて戦士階級が受け取り、分配する。といっても殆どあいつらが貰うみたいだ」
「よく暴動が起きないな」
「そこはあいつらの耳の良さだよ。戦士階級一人がそれぞれ管理している範囲というのはすべての音が聞こえる距離なんだってよ。だから集まって密談とかしてるとやられるってよ。例え家の中でも正確に聞こえるんだそうだ」
代品の意義はこれか。彼らは文字をわざと封じているのだ。一部の者が文字を独占し、庶民の高度な情報伝達を妨害する。
「お前はその話誰から聞いたんだ?」
「どこでも不穏分子ってのはいるもんだな。向こうから近づいてきたぜ。アマンドルという若者だ。奴等は反乱の爪を研いでいる」
マルコは慣れた手つきでオジークッシュとノーワイドの口に馬肉を放り込む。オジークッシュはベタベタとマルコにくっ付いて嬉しそうだが、ノーワイドはマルコと目を合わせようとはしない。
「随分慣れたもんだな」
「ま、ずっと俺が世話してるからな」
もじもじしているノーワイドの下腹部をチョンチョンとつつくマルコ。ノーワイドはしゃがみこんで下腹部を押さえる。
「ほら、意地張ってないで俺の世話になれよ」
「くっ、くそっ……」
「何してるんだ?マルコ」
「こいつ昨日から小便してない。俺に世話されるのが嫌らしい」
「ノーワイド、漏らしたらこの寒さで病気になるぞ。お前に病気になられたら困る」
私が忠告するとノーワイドは渋々立ち上がった。マルコが下腹部の留め具を外してやると幾分か楽そうになった。マルコはノーワイドを離れた所に連れていく。
「レオン、今日はここに泊まるのか?」
残されたオジークッシュが聞いてくる。
「そうなりそうだ」
「もう食べ物がない。滞在できるのは一晩だけ。それ以上食事なしだともう飛べない」
「わかった。手短に用を済ますように伝える」
私はサイメルティとアフマドの所に戻った。サイメルティが丁度自分の能力を見せている所だった。出された水を一瞬で凍結して見せたサイメルティ。ダレーマットもケインシーも驚いていたが、すぐに自分達の能力を見せつけ返した。
手のひらの上に幾つものあの針を浮かべ、飛ばす。真っ直ぐ飛ばしたり弧を描かせたりして再び手のひらの上に戻す。
「完全に自由に動かせるわけではないのか」
「狙いと道筋は思い通りに行くが、一度その軌道を大きく外れたらそこから修正するのは無理だな」
「では叩き落されたり、摑まれたりしたら?」
「無理だな。操作できない。でも予測していた動きなら対応できる」
そう言ってダレーマットは壁沿いにある土器に大きな針を飛ばしてぶつけ、跳ね返ったところを再び吸い寄せるようにして手のひらに収めた。
「あれ、これは……」
「うむ」
私とアフマドは顔を見合わせる。
先程の戦闘ではウルペス族が盾で防御する事を前提としてこの武器を飛ばしていた事が疑われる。つまりこちらの部族も茶番を演じている可能性があるという事だ。
「ここは人口はどれくらいいるんだ?軍隊の数は?」
「人口は八千弱かな。戦士は四百だ」
アフマドの質問に答えるケインシー。八千中四百、つまり二十分の一か。遊牧民にしてはやはり少ない。私は好奇心のままに聞いてみた。
「この生活形態にしては兵士が少ないように思えるが」
「戦士は我々の長が認めた者しかなれない」
「認めた者?家柄ではないのか?」
「家柄は関係ない。指名された者が戦士となる」
なるほど、やっぱりここも戦士階級が存在する遊牧民という特殊な形態なのか。しかも世襲制の階級ではなく指名制の階級。どのような基準でそれが選ばれるのだろうか。
「ほぅ、面白いな。私達は成人したら男女問わず戦士だ」
サイメルティのいつもの含み笑いが戻って来た。
「人口は?」
ダレ―マットが身を乗り出して来る。
「子供を除いて三千程度だ」
「で、そのうちの何人が戦士なんだ?」
「防衛戦なら二千程度だろう。怪我人や老いた者、妊婦は戦えない」
サイメルティの言う事が事実ならカペル族はぶっちぎりでイカれた戦闘狂だ。あのトレナヘクトをはじめとする異常な力崇拝や、各地に顔が効く理由も納得がいく。
カペル族はあの界隈では圧倒的な軍事力を持つ集団なのだ。そしてそれを可能にしているのがあの高度に発達した農業だろう。
住民の食料生産に使う労力は他部族に比べると圧倒的に少ない。そしてあの規模。軍を支える兵糧は有り余っている。
「二千、いくらなんでも話を盛りすぎじゃないか?いくら上に立ちたいからとは言え、あまり盛ると信用されんぞ」
ダレーマットは信じていない。
「どちらが上も下もない。信じないならそれはそれでいい」
「そんな話信じろって言うほうが無理だろう。食料生産はどうする?」
「だから防衛に限った話と言っている。遠征ならそうだな、ここまでなら千だな」
「デタラメだ」
「私としてはその草が買えればそれでいい。軍事同盟までは求めていない」
サイメルティは厳しい口調になる。
「それには賛同できないな。これは貴重な物なんだ。お互いに困った時に援軍を送るという条件付きで取引したい」
ダレ―マットも厳しい口調だ。
「そんなに私達の力が必要なのか?ならそれなりの誠意を見せてもらいたい。無償でそれを提供するとか」
サイメルティが含み笑いで答える。
「なんだその言い草は。まるで臣下ではないか。私達は単体でアイツらとずっと渡り合って来たんだ。あまり舐めないでくれ」
話は平行線だ。お互いに無言が続く。
これはお互いに求めているものが違いすぎる。ケルウス族としては金貨や道具を獲得する利点がない。この不毛の土地ではそんなものあっても無駄なのだろう。軍事同盟を結ぶくらいしか対価はない。
片やカペル族としては医療用、衣類用、そして書き物用にあの草が欲しい。しかしここで軍事同盟を結んだ所で自分達の防衛範囲が広がるだけ。
しかもサイメルティは先の茶番を見ている。軍事同盟を結んだ所でタダ働きさせられ、彼らがちっとも戦わない可能性は高い。どうやら交渉は決裂しそうだ。
やがて日が傾き、夜の帳が下りてきた。来客があったのでケインシーがそれに対応する。そして中には若いケルウス族の女が一人入ってきた。
「ダレーマット、お前の客だ」
「ケインシー、ここでも構わないか?」
「存分に使ってくれ」
ケインシーが若い女をダレーマットの前に座らせる。
「結局金貨は集まらなかったか」
「……」
女は無言でうつむく。
「では仕方ないな。約束通りにしてもらうぞ」
ダレーマットは女の腕を掴むと、奥の仕切られた部屋へと連れて行こうとする。女は少し抵抗したが、ダレーマットが耳元で何か囁くと大人しくなった。私達は突然の出来事に固まっていた。
「何だ?私達の交渉よりも大事な用事か?」
サイメルティはダレーマットの突然の行動に面食らっている。
「大事な用事だ。交渉はこの用事の後だ」
ケインシーは堂々と答える。そのうち聞こえる微かな悲鳴。
「おいあれは何をしているんだ?」
「ん?野暮な事聞くな」
ケインシーは特に気に留めた様子もない。
「私には同意なしに乱暴しているように聞こえるが」
サイメルティははっきりと私が思っていた事を言った。
「何だと?失礼な。これはれっきとした取引だ。民に税を課す。その税が支払えない時、娘を持っている家は娘の初夜を差し出す」
「ほぅ、面白い習慣だな」
「考えてもみろ、俺達は常に命を危険に晒して民を守っている。それ相応の対価を貰いたい所だが、ここは貧しくてどこも税はおろか食料すら私達に提供できない。だから私達は代わりに女を貰う。戦士達はいつ死ぬかわからない身だ。確実に子孫を残す権利くらい貰いたいと思うのは望みすぎだろうか。俺はそうは思わない」
これだけ理論武装しているという事はどこかで罪悪感を感じているか、不満を持った大衆に反乱を起こされた事があるかのどちらかだろう。
「確実に子孫を残すって、初夜だけではわからないだろう」
「妊娠するまで毎日通ってもらう。その間に他の男と姦通していたら、その娘、その男と、娘の家族は処刑される」
「ほぅ、で、誰が子供を育てるんだ?」
「妊娠して子供を産んだ娘が育てる。時に家族がそれを支える」
こんな制度でよく誰も文句を言わないものだ。それとも一頭の雄が複数の雌を独占し、子育ては手伝わないという鹿の習性を彼らが引き継いでいるから家族のほうも何も思わないのであろうか。
「痛い!」
奥から大きな悲鳴が聞こえてきた。
「おいあれいつまで続くんだよ」
マルコが苦い顔をしている。
「ダレーマットの気分次第だな。三十回以内で終わると思うが」
「なんだよそれ、やってらんねー。俺は外に行くぞ」
「私も」
私、マルコ、アフマド、サイメルティの四人は外に出る。アルパ族の二人はお構いなしに眠りこけていた。
「サイメルティ、あれどうすんだよ。あんな連中と取引するのか?」
マルコが尋ねる。
「正直好きになれないな」
「俺はああいうヤツらは大嫌いだね。権力を傘にやりたい放題じゃねえか」
「私は部族同士の交渉よりも自分達の欲望を優先したあの態度が気に入らない。私を馬鹿にしている。不真面目だ」
サイメルティは珍しく怒り気味だ。
天幕から外に出て暫く歩いていると、地面に座ってすすり泣いているケルウス族の夫婦に出くわした。何故泣いているかを尋ねても頑なに理由を答えようとしない。
「ひょっとして、あの娘のご両親か?」
アフマドが尋ねると、夫婦はより大声を上げて泣いた。やっぱり嫌なのか。性質が鹿と全く同じならば強い雄が雌を独占するのは当然だという価値観になるはずなのだが、この部族も鹿だけではなく私達のような価値観、文化が混ぜられている。
「泣くくらい嫌なら逃げればいいじゃねえか」
マルコが怒り口調で言う。
「無理なんだ。上に行っても下に行っても敵が居る。私達はここから逃げられない」
「なら反乱でもしたらどうだ」
アフマドの言葉に一瞬固まった両親。
「無理だ。戦士には勝てない」
「何故戦士が相手だと勝てないと思うんだ?」
この部族はウルペス族のように戦士階級が武器や富を独占しているわけではない。その気になれば蜂起は出来るはずだ。出来ないとすれば能力の差か?
「軍備が足りないからさ」
闇の中から別のケルウス族の若い男が現れた。片方の角は折れており、手にはあの大きな針を持っている。
「アンタら、山を越えて来たんだってな」
男の後ろからもう二人、若い男が現れた。三人とも手に大きな針を持っている。
「長い事こんな習慣が続いているせいで、ここの住人共はすっかり感覚が麻痺している。こんな搾取構造が続いて、自分達の娘が全然関係ないヤツらに種付けされて、その子供を育てろと強制されているのに反撃しようとも何とも思わないほうがおかしい」
男は私を見る。
「アンタみたいな外の部族から見たらわかるだろう?いかにここが狂っているか」
子の教育にかかる代償が安いのなら、特に問題はないはずだ。しかしこの者達は不満を持っている。
矢張り野生の鹿とは随分と違うという事だ。自分が望んでいない子供を押し付けられて、その養育にかかる労力が大きいなら不満を持つのも当然だろう。
「ほぅ、それで私達に接触してきたのは何故だ?」
サイメルティが飄々と尋ねる。
「率直に言おう。俺達三人は反乱を企てている。その時、アンタらに協力を頼めないかと思っている」
「それをして私達に何の得がある?」
「まず俺達の力の秘密を教える。それから反乱が成功したら、アンタらの盟下に加わろう。見た所アンタらは相当強大な連合だ」
「特に同盟は募集していない」
サイメルティは一蹴する。
「どうかな、アンタらはあのイタチ野郎共と対立しているんだろ?俺達の力はきっと役に立つぜ。どうせヤツらに見せられただけで詳細までは分かってねえだろ?」
「ほぅ、よく知っているな」
「戦士階級にも内通者がいるんでね。アンタらとダレーマット、ケインシーの会話は全部筒抜けだ」
サイメルティは私とアフマド、マルコに助言を求める。
「さてこの話受けるべきかどうか」
「その反乱軍の規模と錬度を見てみないと何とも言えないぞ。反乱が成功しなければ何もかも無意味だ」
私は現実実のある回答に徹した。
「戦争には多くの物資が要る。ここに物資を提供して儲かるなら話を受ける価値はあるけどよ、払えそうにないぜ、この貧乏っぷり」
マルコは徹底して商売主義だ。
「人の娘を取り上げて婚姻もせずに孕ませて捨てる。この時点で俺は強い憤りを覚える。だから彼らに手を貸すことには賛成だ。感情論ですまんが」
アフマドは人道主義的な意見を出す。サイメルティは暫く顎を撫でていたが、ふと空を見上げて言った。
「そうか、アフマドがそう言うなら仕方ないな。私もその意見には賛成だ」
なんかこの形、前にも見たような。確かジャルブ族とカンケル族の争いに手を貸すかどうかの決断で、サイメルティはアフマドの意見を二度も採用した気がする。
これはカペル族の力崇拝から来ているのだろうか。この場で一番強いのはアフマドである。しかしサイメルティはフェニルプロトと同じく力崇拝主義には反対だったはずだ。
「ではそういうわけで『特別な力』『反乱軍の規模と錬度』『物資を提供した場合の支払い』を順番に語ってもらおうか」
サイメルティの中ではもう決議されたようだ。その言葉を受けて三人の男はまず泣いている夫婦を立たせ、私達にも付いてくるように言った。これがもし戦士階級の罠で、反乱軍の話がデタラメなら私達は皆殺しだ。
「おいそう易々と付いて行けるか」
「なんだ、疑い深いな。では良い事を教えてやろう。俺の名前はフェルコ。この二人は俺の両親だ」
「えっと、つまり……」
「そうだ、今ヤツらに犯されているのは俺の妹だ。俺は今すぐヤツらを殺したいのを必死に堪えている。お前達にわかるか?血の涙を流したくても流せない。牙は隠さなければならない」
フェルコは握っていた手を開いた。強く握りすぎたせいで手のひらに爪がめり込み、血が流れ出ている。
「フェルコ……」
夫婦はグチャグチャに泣き腫らした顔でフェルコに抱きつく。それを振り払うフェルコ。
「親父、お袋、今は泣く時じゃないぜ。感情に流されるな。牙を隠せ、奴等を最後の最後まで騙すんだ。最後に考えうる限りの惨めな方法で皆殺しにしてやる」
私達はフェルコの気迫に圧倒された。歴史上反乱を起こす者は皆カリスマ性を備えているが、フェルコもその例に漏れず圧倒的なそれを持っている。
言葉の選び方、声の質、そして話の進め方、どれを取っても帝国の王族に負けていない。
フェルコの家にたどり着く。残りの二人はそれぞれエスティット、バンブーレンと言った。それぞれフェルコの従兄弟らしい。フェルコはまず自分達の力の説明から始めた。
「俺達の力は何も物体をなんでもかんでも飛ばせるというワケじゃない。自分の身体の一部しか飛ばせない」
フェルコはあの大きな針を手の上で弄ぶ。
「それは角を削ったものだな?」
「そうだ。レオンと言ったか。勘がいい。但しこの角も取る時期というものがある。俺達は年に四回角が生え変わるが、血が通わなくなる前に切り落とさないと武器として使えない」
「どういう原理かわからんが、完全に硬質化する前に切り取っておかないと身体の一部として認識しなくなるわけか」
医療の知識があるアフマドの分析。
「そうだ、だからまだ血が通っている内に切り落とす必要がある。但しそんな事をしているのがヤツらに見つかると、ヤツらは殺しに来る。だから俺みたいにわざと怪我をしたフリをして角を集めるしかない。これが最初に言った軍備の差だ」
フェルコは一息置く。
「堂々と角を切り落として武器を貯蓄できるヤツらと、いちいち言い訳を用いてコソコソ集めなければならない俺達。もし今の状態でやり合ったら俺達の武器が先に尽きて、あとは良い的になるだけだ」
「今すぐ蜂起というワケにはいかないんだな。準備にはどれくらいかかる?」
「このままいくと四ヶ月はかかるな。しかしヤツらが外部との戦争で長く留守にするなら話は別だ」
「外部との戦争なら、下に居る狐みたいなのとやっているのではないか?」
フェルコ、エスティット、バンブーレンは大笑いする。
「あんなのは茶番だ。ヤツらは自分達がいかに苦労しているかを俺達に見せ付けて、富や女を独占する事の建前にしているだけだ」
ウルペス族と違ってこちらには茶番とバレてしまっているわけか。しかしどうしてそれがわかっているのか。
「実は私達もあの戦いを二回ほど見た。ひどい茶番だ。私達は職業軍人でそれが茶番である事を見抜けたが、お前達はどうやってそれを見抜いたんだ?」
「大衆はまだ騙されたままだよ。俺達の同志だけがそれを知っている。さっきも言ったろ。ヤツらの中にも同志が居るんだ。まあ元から戦闘に使う武器が全然減らないからおかしいとは思っていたみたいだけどな」
「力と武器についてはよくわかった。さっき言ってた火の民との争いに役立つというのは何だ?」
サイメルティの質問に今度はエスティットが答える。
「単純だぜ。奴等の攻撃が届かない所からこっちの攻撃が当たる」
「あの強烈な爆発で相殺されないのか?」
「俺達にはヤツらとの長い戦いの歴史がある。爆発の前兆を掴める。前兆が見えたら後は機動力でかき回す。簡単だろ?」
「なら何故奴等を全滅に追い込まなかったんだ?」
「サイメルティ、だっけか。俺達は会戦ではヤツらに圧勝できるが、森林や敵の集落という場所で戦うのには不利なんだぜ。遮蔽物があると俺達は攻撃できないからな。奴等は複雑な渓谷地帯に住んでいる。あそこは奴等の要塞だ。絶対に落とせない」
「そうか。では次の質問だ。私達の部族には個人によって力の差がある。時にそれは何百倍から何千倍にもなる。この部族はどうなんだ?」
バンブーレンが舌打ちする。
「あんまこういうきめぇ話はしたくねえけどよ。ここで生まれてくる子の半分以上はヤツらの子だ。差なんてねぇんだよ。まんべんなく犯しやがるからな!」
「いつからこんな事になっているんだ」
「交易が無くなった頃からだ。四年とちょっと前からだ」
ここでもあの水の枯渇が関係してくるというのか。交易が無くなって上流階級が潤わなくなったから庶民から吸い上げる構造に切り替えた、と見るのが正解か。滅びの道を突き進んでいる。
「そうか、では続いて反乱軍の規模と錬度を教えてもらいたい」
「規模か、だいたい四百人だな。正規軍も四百程度だ」
「錬度は?」
「はっきり言って素人だ。練習する場所がないからな。だがこの戦いは内戦だ。陣形を組む必要はない。個の力で勝負がつく」
「ふむ……では次に支払いだ。どうやって支払う?」
「支払いか。反乱が成功しないと支払えない。そこは賭けてもらうしかない。もし成功したら対価を物品で支払おう」
「物品とは何がある?」
「色々と役に立つ草がある」
「ああ、あれか」
「知っているのか」
サイメルティはウンウンと頷く。四人は色々と話し合って何を提供するのか、そしてその対価の量をそれぞれ決めた。
反乱軍に提供するのは刀剣と盾、そして大量の兵糧。幸いカペル族とケルウス族は食性が近いらしく、カペル族の余剰生産分をそのまま回せるとの事だった。
「ここまで話しておいて何だが、これは決定事項ではない。私はこの話を議会に持っていく。最終的な決断は私達の長が決める」
「別にいいぜ。だがあのイタチ野郎共が憎いのは俺達も一緒だ。敵の敵は味方。それを忘れないでくれ」
別れの挨拶を済ませ、外に出る私達。フェルコは三人の中でも極端に背が低く、私の顎くらいまでしかない。残りの二人は私達より大きい。中でもバンブーレンは長身で、トレナヘクトと同じくらいあった。
私達がケインシーの家に戻ると、すっかり眠りこけたケインシーがいた。奥の部屋から音が聞こえなくなっていたので興味本位で覗いてみる。そこには矢張り眠りこけたダレーマットがいた。若い女はいなくなっていた。私達はもうやる事がなかったので眠りについた。
翌朝、冷たい風と強い日差しが気持ちよくて私とマルコ、アフマド、サイメルティは外に出た。少し散歩をしていると、人だかりが出来ている事に気が付いた。何だろうと思って覗くと、そこには首を吊ったケルウス族の遺体があった。昨日の若い女だった。