14 ジャルブ族2
遂にカンケル族と決戦するジャルブ族達。指揮官に任命されたレオンだが……
渡河してきた敵はあっという間に私達の傍に肉薄し、メキシまでたどり着いた。敵は縦に陣形を変更していたため、突破力に優れる。
ジャルブ族の機動力ならこれをかわすのは容易いが、そうすると横隊が大きく乱れて抜かれてしまう。かわすのではなく弾かなければいけない。私はメキシに言って後ろにいる自由に動ける十名を防衛に参加させた。
すると敵の突撃部隊は一度下がって陣形を変更し、再び横隊となる。少人数だとは言えここまで見事な陣形変更を戦闘中にやってのけるとは。相手の力量を見誤った。
「お前達の中で俺と勝負できるヤツはいないのか!」
目の前でカンケル族の一際大きな男が叫ぶ。この男は確か昨日殿を務めていた奴だ。
「このトルエネを倒す自信がある者はかかってこい!」
この男は一騎打ちを望んでいる。しかしこちらに今居る腕利きはメキシだけだ。メキシを戦わせてしまうと指揮系統が麻痺してしまう。私は剣を抜こうとするメキシの腕を抑えた。
「メキシ、駄目だ。抑えろ。お前は指揮官なんだ」
メキシは剣を鞘に戻した。トルエネの力は凄まじく、あっという間に止めに入ったジャルブ族三人を吹っ飛ばした。
だがそれ以上突っ込んで来ない。横隊が乱れないように計算しているのだ。この男は勇猛さと知性を兼ね備えている。アフマドが横に来る。
「レオン、この相手」
「ああ、相当戦慣れしている。手強いぞ」
トルエネ率いる敵の中央部隊は足並みを揃えてどんどん前に進んでくる。私達は押される一方だ。
横隊を二列にして押し返そうとするも付け焼刃だ。十名で埋め合わせ出来るのはほんの一部だけであって、その十名が二列になっている部分もトルエネの突破力で押されてしまっている。
「メキシ、ここは引くぞ」
「わかった」
メキシが指示を出し、横隊全体を後退させる。川を使って防御をしたかったが敵の石つぶてによってそれが裏目に出た以上、川に拘るのは下策だ。
足は圧倒的にこちらが速い。包囲さえされなければ損害は軽い。
遠方の敵右翼を見る。マッケン達と予備兵達はうまく連携し、敵を圧倒している。敵右翼は崩れ始めている。だがこちらの中央も崩れている。敵が右翼救出に向かうか、このままこちらに来るのか。
退却を続けているとトルエネ率いる中央部隊は半数を右翼救出に向かわせた。トルエネ自身と残りの半分はそのまま前進してくる。ここが勝負所と見て私は反転攻勢をメキシに伝えた。
敵中央は薄くなった分戦力が無い。そこにそのまま横隊と追加の十名をぶつける。カンケル族一人に対して三人の数的優位を作り出した。
だがトルエネの奮闘は凄まじく、いくら多数で圧力をかけても押し返される。
「メキシ、駄目だ。ここに居るんだ」
私は今にも飛び出しそうなメキシの腕を掴む。確かにメキシがあそこに加われば戦況は変わるかもしれない。何か良い手はないものか。アフマドに肩を叩かれる。
「レオン、こっちは足が速い。縦に陣形を組んで突撃させよう。それで敵右翼をまずは叩き潰す」
「どうやって」
「だから縦に陣形を組んで一点突破させるんだよ」
「それはわかるが、敵右翼に穴を開けてもその部隊はすぐに左右から挟み撃ちにされるぞ」
「レオン、もう少し下がれ。敵が釣られて出てくればあそこに隙間が出来る」
アフマドは敵右翼と中央の境目を指差した。敵右翼はこちらの予備兵に左から攻められ、マッケン率いる精鋭に正面から押されている。
敵の中央とこちらの中央は押し合っている。味方の右翼は横隊が薄いため押されて崩れ出している。右翼の後退に合わせたフリをして中央を下げればこちらが押している敵右翼側の横隊と敵中央横隊の間に隙間が出来る。
「確かにこのまま下がればあそこは空くな、だが」
敵中央がそのまま釣られて前に出て来たらうまく行くが……トルエネを見ると横隊が乱れないように常に左右を気にしている。
「敵の指揮官を欺くのは難しいぞ」
「レオン、お前達ルームの兵は目隠しを使わないのか?」
「え?何だ?目隠し?」
「砂漠の戦いでは風と砂を使って目隠しをする。砂が無ければ何かを燃やして煙を出す」
「どっちもないぞ」
「あるじゃないか」
アフマドが指さした先には、収穫済みの何かの草の束があった。畑の傍らに大量に積んで置かれていた。
風は太陽とは逆方向、つまり崖の方向から敵の方向へ吹いている。草の束は程よく乾燥している。
「メキシ、あれに火を点けてくれ」
私が指示を出すとメキシは傍の者二人に指示を出し、着火に向かわせた。ここは乾燥しているからよく燃える。
草の束はあっという間に炎にまみれ、煙を出し始めた。そしてそれは丁度トルエネ率いる敵中央と敵右翼の間を通っていく。
私はメキシに再び指示を出し、全体がゆっくりと下がるようにする。じわじわと後退を始めるこちらの横隊を追いかけて、ずるずると前に出てくるカンケル族の中央と左翼。
こちらの中央の二列横隊を一度解き、後列を一旦まとめる。薄くなった分押される速度が増し、敵左翼と敵中央は大きく前進するはずだ。敵右翼との間に大きな隙間が出来ているだろう。そこにさっきまとめた左翼の一部を走らせる。
煙のおかげでトルエネはまだ我々の戦術に気付いていない。だがこちらからも左翼の様子は見えない。煙は確かに効果的ではあるが、逆にこちらも戦況の確認が出来ないという弱点があると解った。
敵は勢いに乗って前進を速めて来る。味方右翼と中央がどんどん下がっていく。こちらの思い通りに戦局が進んでいる。
遂に煙の地点を通り過ぎるまで押し込まれ、私達の側から敵右翼が見えた。予備兵達とマッケン、そして送り込んだ部隊は敵右翼を殲滅し、一部を残してこちらに反転して向かって来ているのが見えた。
ジャルブ族達は平原では飛ぶような動作で動き回る。物凄い速さであっという間にトルエネ率いる敵中央の後ろに迫る。
トルエネが気付いて慌てて反転しようとするがもう遅い。私はメキシに全軍突撃の指示を出した。味方が敵の背後に居るのを見てこちらの右翼と中央は息を吹き返し、今までの鬱憤を晴らすかのように暴れまわった。
敵が陣形を保てなくなり、潰走を始める。ジャルブ族の機動力を生かした悪魔のような追撃が始まった。トルエネは脚に剣を突き立てられ、地面に崩れ落ちた。
倒れたカンケル族があちこちに散らばる。しかしそんな中で残った兵士達を纏めて再び陣形を組む者が居た。友軍がそれを取り囲む。私はメキシに降伏勧告をするように指示した。
「お前達、もう勝負はついた。降れ」
円陣を組んでいる敵の残党に忠告するメキシ。
「ここに居る兵、それから民の安全を約束してくれるなら降ろう」
円陣の真ん中に居た男がメキシの言葉に答える。潰走した軍を立て直し、降伏勧告にも冷静に答える。随分と戦慣れしている。指揮官として非常に優秀だ。
「降ると言う事は奴隷になる事だぞ。良いか?」
「負けたのだ。仕方あるまい」
「お前、名前は」
「デソモルだ」
「お前が大将か」
「そうだ。何が望みだ。私の命か?」
メキシはこちらを伺っている。この男は歴戦の猛者だ。殺すのは惜しい。しかし生かしておくとカンケル族を纏めて反乱する可能性もある。どうしたものか。
「レオン、あれを殺すのか?」
「どうすれば良いと思う?」
アフマドは暫く考え込んだ後、
「あいつは王なのか?この部族の」
と、聞いてきた。私はメキシを呼び寄せた。アフマドが小さな声で囁く。
「あいつが王だったら殺さないほうがいい。ただの将なら殺したほうがいい」
「何で?」
「王を殺すと一般の民までもが復讐を誓う。それは軍を再生産させる。懐柔できるならそれが一番いい」
「確かにそれもそうだ。少し交渉してみよう」
メキシはそう言ってデソモルの元に戻る。デソモルは王だった。デソモルは労働奴隷になる条件は飲んだが、鉄の譲渡に関しては譲らない。鉄がないと死ぬのでそれならば全員が戦って死ぬ道を選ぶだろうと言う。
「鉄、お前達全員で何人居るんだ?女子供老人合わせて全部だ」
「そうだな、兵士を除いてざっと六百はいるな」
「六百!ちょっと待て俺だけで判断は出来ん。こちらも長を呼ぼう」
メキシが崖に向かって旗を振ると、三人のジャルブ族が降りてきた。
「俺達は合議制でね。それぞれ取引の長、採掘の長、製鉄管理の長だ。名前は順にアマゾ、タンザニー、カンボー」
三人の長達はさっそくメキシとデソモルに近づいて話をする。
「六百人……うーん製鉄自体は可能ではある。一日で二十名程度分の鉄を生産できるだろう。純度の高い鉄のほうが良いのだろう?なら出来上がった鉄を食べたほうが効率は良いはずだ。だが採掘が追いつくか?」
「そいつらが手伝ってくれるなら出来るだろう。今掘っている場所はかなり深い位置まで鉄がある。問題は取引のほうじゃないか?」
「そうだなあ。今の取引を全部中止して生産を全部そっちに回さないといけない。そうすると貨幣収入が無くなる。物資が買えなくなるから生活が荒れるなあ。坑道内の油がまず無くなる。次は木炭。つまり鉄が作れなくなる」
「待て待て、一日二十名だとしてもそれでは三十日かかるだろ?持つのか?」
メキシはデソモルを見る。
「持たないな。かといって口減らしは避けたい」
「具体的には何日くらい持つんだ?」
「最長で二十日だ。だが殆どの者はその前に身体の限界が来るだろう」
メキシは暫く考え込んで、驚くべき事を言った。
「お前達は手足を切り離しても生きていけるよな。どの程度まで平気なんだ?四肢全部取っても平気なのか?」
「難しい。四肢を取られたらさすがに痛みで死ぬ。三から二までは可能だろう。但し人によって違う」
「よしではこうしよう。まず全員の手足を切る。これは労働内容によって組み合わせを変える。例えば手と足、両足、両手。こうすれば必要な鉄の量は少なくて済むだろう」
デソモルが怪訝な顔をする。
「もう少し思いやりを持ってもらえないだろうか。子供達まで手足を切るのか?」
「十分思いやっているだろう。生産のすべてをお前達のために使うんだぞ。こっちの不利益も省みずに」
「そうだったな。済まない」
「それに全員分は三十日掛かる。もし手足を切り取った後ならもっと少ない日数で賄える量になるだろう。二十日が限界なんだろう?」
「私達が直接採掘場に出向いて食べるのは駄目なのか?きっとそっちが掘るよりも早く食べきれるはずだ」
「それは許可できない。我々には生産計画というものがある。それを乱されるのは困る」
採掘の長のタンザニーが真っ先に反対する。次にメキシが発言する。
「手足を取るのは絶対条件だ。お前達個々の力は強いからな。特にあの狭い坑道の中で暴れられたらどうしようもない。どうしても嫌だと言うなら手足に鎖をつけて貰うが、鎖を先に作る必要がある。それまで待てるのか?」
「……」
デソモルは沈黙してしまう。
「沈黙と言う事は合意とみなす。まずはお前達からだ。お前達は兵士だからな。可能な限り切らせてもらう」
「待て!合意したわけではないぞ」
「ならばこのまま殲滅するだけだ。お前達は家族の顔も見ることなくここで死ぬ。家族たちもここまでたどり着けずに全員死ぬ」
「……」
デソモルは何も答えられなかった。メキシは弁が立つ。彼は文官の才がある。外交とかで活躍する類だ。
「皆済まない。このような結果になってしまった。痛みを耐え忍んでくれ。すべて私の責任だ」
デソモルは振り向いて自軍の兵士達に語りかける。
「何を言っているデソモル。お前は常に最良の選択をしてきた。お前が居たからこそ俺達はここまで生きてこれたんだ」
「そうだデソモル。一度の敗戦くらいでへこたれるな。少しの苦渋くらい舐めてやる」
デソモルの人望は厚いようだ。
「今ここに居るのは……」
デソモルは兵士の数を数える。
「三十五人か……随分失ったものだ」
「いやそこら中に負傷兵が落ちているだろう。どうやったら致命傷を与えられるかわからなかったから膝をぶっ刺して放置してあるのが多い」
いつの間にか近くに来ていたマッケンがそう伝える。
「そうか。出来る事なら全員運んできてくれないか?」
「先にお前達の足を切った後でな」
無慈悲な、いやある意味慈悲のある刑が執行された。ジャルブ族達はカンケル族の兵士を後ろ手に縛り、五人ずつ並ばせて、うつ伏せに倒しこんで上から四人掛かりで押さえ込む。
そして坑道から持ってきた鉄を切るのに使うであろう鋸のようなものを手にした者がその上に乗る。
股関節の隙間に鋸の歯を当て、力任せに引いていく。辺りには悲鳴が響き渡る。青い血が流れる。だがそれだけでは終わらない。
もう片方の足も同じようにして切っていく。刑が執行された後、カンケル族達は気絶していた。不思議な事にさっきまで流れていた血は止まって、傷口が綺麗な白い膜で覆われている。やっぱり蟹だ。ジャルブ族の兵士達は冷静に次の五人を並べる。
「レオン、ちょっといいか」
私はメキシに連れ出されて凄惨な現場から離れた。メキシに付いて行くと少し離れた場所に倒れたトルエネが居た。まだ息がある。
「こいつはどうする」
「この男は優秀な指揮官だが」
「殺すしかないだろうな」
アフマドがボソッと呟く。
「そうだな。惜しいが」
「反乱の種を摘むのか?」
「それもあるが、メキシ、部隊の被害状況は?」
「六人死んだ。十人大怪我だ」
「すると昨日と合わせて十一人死んだ事になるな。その兵士の家族は収まりがつくのか?処刑無しに」
メキシは無言で兵士を呼ぶと、トルエネを縛らせた。そしてカンケル族が足を切られている場所まで運ぶ。三十五名の足切りは終わっていた。真ん中に残るのは唯一五体満足のデソモル王。
「デソモル、俺のせいで」
トルエネが弱弱しい声を出す。
「いや勝敗は誰のせいと言う事はない。戦は準備で八割方決まる。敵が予備兵力を持っていた時点で私達の負けは決まっていた」
このデソモルという男、戦略をよく理解している。この部族は相当な戦闘の知識の積み重ねがあるはずだ。私の頭の中に好奇心が湧き上がる。トルエネは気絶している三十五名の体躯を見る。
「そうかこれがお前達のやり方か。いいだろうさっさとやるがいい」
地面に膝を着いたトルエネにメキシが冷酷に言い放つ。
「いや、お前のは切らない。お前はそのままだ」
トルエネとデソモルはその意味を一瞬で理解したようで、ガクリと肩を落とした。
〆 〆 〆
カンケル族の損害は戦死十八、戦傷十七。但し足切りを実行したので実際の戦傷者は五十一。それに五体満足のデソモル王とトルエネ。戦果だけで言うと大勝だが、これは防衛戦である。勝った所で何かが手に入るわけではない。当然皆それでは納得しない。
そこで奴隷割り当てが行われ、カンケル族の兵士達は鉱夫として働かされる事になった。
残りの農業奴隷、工業奴隷は一般民衆から出す事で合意し、デソモルとトルエネは牢に入れられた。
次の日の早朝、ジャルブ族の兵士達が足のないカンケル族の兵士を抱えて外に出て行った。そして日が丁度真上に昇ったあたりで、六百名程のカンケル族の大集団を連れて戻って来た。何と彼等は鴨に似た生物を大量に連れていた。天幕も抱えている。
「遊牧民だったのか」
道理で兵士の割合が異常に多い訳だ。統率が取れた動き、あの戦術も長い歴史の中で培ってきたモノなのだろう。
連れて来られた一般大衆も少人数に分けられ、崖の下で腕や足を切断される。岸壁に悲鳴が響き渡る。工業奴隷の殆どは両足を切断され、農業奴隷は片足と片腕を切断された。
鴨のような生き物をどうするかは彼等の貴重な食糧になるとデソモルが懇願したため、この家畜はそのまま管理される事が決まった。
デソモル曰くカンケル族は肉を食べていないと栄養が足りなくなって死ぬらしい。まるで私達のようだ。管理する役割のカンケル族が両腕を落とされて、ようやくすべての刑が終わった。もう日没になっていた。
岸壁の下にうず高く積まれた切断した彼等の腕や足をゴールティーが拾ってきた。そしてジロジロと見つめてこう言った。
「これ、原料として利用できないか?」
相談の相手はパナム。
「もう一度炉に入れるのか?何か不純物が入りそうで怖いな」
「じゃあ原始的な炉を作って加熱してみよう」
ゴールティーとパナムは他のジャルブ族に指示して下に落ちていた手足をすべて引き上げた。
そしてそれを坑道の一つに運び入れ、厳重に蓋をした。何か確信めいた発想があるに違いない。私がそれを見ていると、オリッサというあの歴史研究家の女がサイメルティと一緒に歩いて来た。
「あっお前、何してるんだこんな所で。早く家に戻れ」
ゴールティーがオリッサを叱る。
「何だ?どういう関係?」
「オリッサはゴールティーの奥さんだ。私が紹介した」
サイメルティがサラッと言う。なるほど世話したってこういう事か。
「帰りたいけど、例の人の様子が変で」
「例の人って?」
「最初に捕まった人」
ブロムと名乗っていたヤツの事か。私、サイメルティ、ゴールティーとオリッサ夫妻、そしてメキシとマッケンが様子を見に行く。
ブロムは狭い坑道に幽閉されていた。手は後ろに縛られたままである。全体的に色が少し燻んんだ感じになっている。
「おいブロム、大丈夫か?」
ブロムは返事をしない。後ろ側に回ってみると背中の甲冑が剥がれて中身が飛び出しているのがわかった。これはもう脱皮に入っている状態だ。
「おい急いで縄を外せ」
全員で慌てて縄を解く。するとブロムは前進を大きく伸ばし、背中の切れ目から少しずつ前の身体を脱いでいく。だがそれは非常にゆっくりとした動きであり、すべてが終わるのは明日の朝以降になりそうだった。サイメルティが背中の新しい部分に触る。
「柔らかいぞ」
いつもの含み笑いではなく嬉しそうな顔だ。彼女は好奇心が満たされる時だけ表情が変わる。同じようにオリッサも嬉しそうに触っている。私は蟹の性質を知っている。下手に邪魔するとこれは失敗に終わり彼は死んでしまう。
「これ以上触り続けると死んでしまうぞ」
私が言うと二人ともすぐに引き下がった。
「おい、終わった後に暴れられたらどうする?」
メキシが心配する。しかしあの海にいる小さな蟹ですら新しい甲羅が安定するまでには最低でも三日、長くて十日ほど掛かる。これだけの巨体でしかも構成物質が鉄ではかなりの長い時間を要するだろう。
「もう放っておいていいだろう。下手に刺激したら死んでしまうぞ。それほどこの状態の彼等は弱い。どうしても心配なら鍵を掛けておけばいい」
私の言葉に納得し、一同は大きな製鉄炉がある坑道まで戻った。マルコとアフマド、アルパ族の二人と合流する。彼等が浮き足立っている理由は簡単に推測できる。
「マルコ、アフマド。期待しているな?」
「そりゃ勿論!」
「早く食わせろ!」
と言われてもあの鴨のような生物の所有権はジャルブ族にあるのであって私にあるわけではないのだが。
「なんだ、お前達。あの鳥食いたいのか」
ゴールティーが察した様子。
「おい、二、三羽取ってきてくれ」
「うん」
ゴールティーがオリッサにそう言うと彼女は外に出て行った。
「ふふ、うまくやっているようだな」
サイメルティに突っ込まれるゴールティー。
「ああ、最初は何て可愛げのない女を紹介してくれたんだ、と思ったよ」
「今でも可愛げがないのか」
「最近それは見る側の問題だと知った。俺は俺でそれを見つけたからいいんだよ」
「ほう、つまり可愛いと」
「……んだよ。俺の事より自分の心配しろよ」
ゴールティーは照れ隠しか、顔を背けた。その仕草はとても可愛い。さっきゴールティーが言った見る側の問題というのは真にその通りで、私が今彼を可愛いと感じたのも、私達に近い見た目であり、私達に近い感情表現をしたからだ。それに比べるとカンケル族は全く可愛げがない。見た目も仕草も違いすぎる。
では向こうから見た我々はどうなのだろうか。おそらく同じで全く可愛いとは思わないはずである。となると親近感は湧き辛い。
奴隷は我が帝国にも大勢いるが、黒い皮膚の奴隷や瞼の厚い民族の奴隷に対して市民は非同情的である。
またその奴隷側も私達の事は信用していない。このジャルブ族とカンケル族にも同じ事が言えるだろう。これは反乱が起き易い状況とも言える。アフマドの言う王の懐柔策はなかなか妙手である。
オリッサが鴨のような鳥を三羽取ってきた。雁と同じくらいの大きさだ。足には水掻きがあって、歩くのは苦手そうである。
翼を触るとその中の骨は折れていた。おそらく生まれた時に折るのだろう。嘴は鴨のように平たくはなく、雁のそれに近い。ガチョウに良く似ている。というかそのまんまガチョウである。草食性の強い鳥で確かに遊牧には打って付けだ。
「メキシ、デソモル王は何処にいる?」
「何だ、会うのか。何のために」
「これを彼に料理してもらおう」
「お前達はそれを出来ないのか?」
「どんなやり方をするのか聞きたい。出来れば彼らの料理も知りたい」
デソモル王にやり方を聞いて共同作業をすれば、ジャルブ族と彼の間に信頼関係が少しは築けるだろう。同時に私達は肉を食べられる。そして私はこの部族の文化を学ぶ事が出来る。良い事ずくめだ。
「しょうがねえな。付いてこいよ」
私達はメキシに連れられて奥の坑道に行く。ブロムが居た坑道より更に奥だ。中を進むと鉄で作られた頑丈な牢があった。中にはデソモル王が居る。
見張りの兵士二人がそれを監視している。メキシが牢の鍵を開けて、私達は中に入る。
「この牢、意味がないな」
アフマドが格子を触って呟く。
「何で」
メキシがむっとした顔をする。
「この部族は鉄を食べるんだろう?鉄くらい簡単に噛み砕ける。現に兵士達が表の壁を食い破って侵入してきたのを見たぞ」
「では後ろ手を縛り、足枷も頭が届かないように付けよう」
「それは駄目だ。今彼は何の束縛もされていない。この程度の見張りなら脱走も容易い。だが何の行動も起こしていない。民を護るために問題を起こさないようにしている。これは王の振舞いだ。王が王として振舞う以上、王として扱わなければならない」
アフマドの言葉にデソモルが立ち上がる。
「どこの部族か知らないが、お前からは高潔さを感じる。名前は」
「アフマドだ」
「良い名前だ。私はデソモルと言う。してアフマド、用件は何だ」
「この鳥をどうやって料理するのか教えてもらいたい」
私は三羽の鳥を差し出す。
「ああ、これか。これはまず……」
デソモル王は牢内の厠に近づくと、いきなり鳥の頭を食いちぎった。絶命しながらも暴れる鳥の足を押さえて逆さまにし、血を下の厠に流す。
同じ手順でもう二羽も絞めて、血が出なくなった所で私達の前に置く。
「熱い湯を用意してくれ」
メキシが若い戦士に指示して、お湯の入った桶を持ってきた。デソモル王はそれに鳥の身体を突っ込み、毛穴が開いたところで横に開く第一の口を使ってそれを毟り始めた。
やっぱりあの手はこのような細かい作業には使えないのか。
「手伝おう」
アフマドが羽毟りを手伝い始める。私達にも目配せするので私とメキシ、サイメルティ、ゴールティー夫妻でそれを手伝う。マルコは呑気にアルパ族の二人と見ていやがる。こいつは本当に空気が読めないヤツだ。
私達が作業を手伝っているとデソモル王は手を止め、それを黙って見ていた。相変わらず目と頬が動かないから表情が読めない。
羽を毟り終えるとデソモル王は鳥の肛門に指を突っ込み、力任せに腹まで引き裂いた。
うーん、荒っぽい。これは繊細な味は期待できそうにない。内臓を全部捨てて、さっき用意したお湯で洗う。
「これは使わないのか?」
私は鳥の心臓と肝臓を捨てられた内臓から取って、デソモル王に見せた。
「それは食べない」
「そうかじゃあ俺達が頂いて……」
マルコがしゃしゃり出てきた。コイツ本当に調子いいな。
「後は焼くか煮るかだ」
一通り処理が終わると三羽の鳥を差し出すデソモル王。
「え?味付けは?」
「他に素材があれば何でも混ぜる。混ぜながら焼く」
「塩とか入れないのか?」
「あれば何でも入れる。途中で味見して不味かったら何か足す」
なんていい加減な料理だ。料理に民族性が出るとは言うが、あの規律正しい軍隊を操る民族とは思えないこの適当さ。しかしまあ見ておくべきではあろう。
「料理には何が必要なんだ?」
「何があるんだ?」
「ええと、鍋かな。あとはうーん。うちに行けばわかるけど」
オリッサが答える。
「メキシ、デソモル王を外出させるのは駄目か?」
「え、何で」
「ゴールティーの家で料理を作ってもらいたい」
「そんな事出来るわけないだろ」
「じゃあ食材と鍋を運んできてもらおうか」
「なんでそんなめんどくさい事しなきゃいけないんだよ」
ゴールティーが反発する。
「ゴールティー、お互いの文化をよく理解して尊重し合う事が和平への道だぞ。彼らは脚を切ったんだ。家に招くくらいいいじゃないか。どうせ幽閉は意味がないし」
「それはそうだけどよ」
ゴールティーはサイメルティをチラりと見る。サイメルティはアフマドを見る。アフマドは黙って頷く。
「私もその意見には賛成かな」
サイメルティがそう言うとゴールティーは苦い顔をした。
「まあ、サイメルティがそう言うなら……」
ゴールティーとメキシは不満そうだったが、結局皆でゴールティーの家まで移動する事になった。住居地区は製鉄炉のある大きな坑道を滝方向に真っ直ぐ行った所にある。
大きな坑道から交差する細い坑道に入ると忽ち複雑に別れ、各穴がそのまま住居となっている。
私達のような部族が入る事を想定されていないこの住居は天井が低く、頭が付くか付かないかギリギリの高さである。圧迫感が凄い。
手前に厨房、奥に行くほど個人的な部屋になっていくのはアルパ族の住居とよく似た造りである。
デソモル王は油があるのを確認し、底の浅い鍋を両手でしっかりと掴んでかまどの上に置く。油を引いて鍋が温まるのを待つと、おもむろに鳥を鋭い歯で噛み千切って次々と鍋に入れていく。
彼らの文化に刃物がない事は薄々感づいていたが、これは非常に見た目がよくない。熱が通る事によって殺菌はされるだろうが、なんとも言えない不衛生さと大雑把さを感じる。
次いでデソモル王は食材として積まれていた根菜やニンニク、玉ねぎなどをやはり口で噛み千切って入れていく。
「アフマド……」
「うーん……」
私達の間には何とも言えない空気が漂った。
一方もう一つのかまどではマルコが鍋に鳥の肝臓を入れて焼いていた。表面だけ焦がして中は半生で頂く。最高の贅沢料理だ。
それを鍋から取り出して包丁で切ってハフハフ言いながら食べている。クロニクーとノーザライも同じように食べている。
「いやぁ、もう最高!」
「マルコ素敵!」
「ちょっと、私の分まで食べないでよ!」
こいつらうるさいな。というかその肝臓は私達には分けてくれないのか?なんて身勝手なんだ。糞マルコめ。
デソモル王は野菜を加えながら、塩をまぶしたり発酵調味料を入れたりして、首をかしげている。そのうち、
「ま、こんなもんだろう」
と言って私達に料理を差し出してきた。早速皆で分けて頂くが、味は微妙……普通と言えば普通であるが、さっきの料理過程を思い出すと一気に不味さが加速する。
アフマドはあっという間に食べつくして、デソモル王の腕を褒める。同時にメキシとゴールティーの皮膚をつねって同じ感想を言わせる。アフマド……お前はなんて立派なヤツなんだ。王の懐柔と言ってもお前には無関係な事ではないか。
私とサイメルティは残念ながら食べ残した。サイメルティは肉のみ食べ残していた。
「さて、腹も一杯になった事だし、私達の里に帰ろうか」
サイメルティがそう切り出す。
「もう少しこの周辺を見て回りたいんだが、駄目か?」
「ここから先はもう高度が低くなる。空の民にとっては暑すぎる。彼女らの活動範囲ではない」
「そうか」
「あと一箇所だけ行ける場所があるが、こことは方向が違う。どちらにせよ一度戻る必要がある。私も家に戻らないと心配だ」
私達が帰途の準備をして桟道に立っているとサイメルティがぼやいた。
「結局今回も私は遺跡の情報を掴めなかったな」
「でもあの製鉄炉の秘密がわかったろ?」
「ほんの一部でしかない。レオンはどうだ?満足したか?」
「色々面白い物を見させてもらった。有難うサイメルティ。おまけに戦もやらせてもらった」
「お前とアフマドの用兵を上から見ていたが、見事だったぞ。私達にはない文化だ」
「ははは、アフマドを堂々と投入できていたらもっと簡単に片付いた」
私達が話していると、ジャルブ族の若者達が例の浴場に使う道具を運んできた。二つのそれをそれぞれの籠に入れる。クロニクーとノーザライは重さを確かめて、問題ない事を確認した。
坑道からパナムが出てくる。砂が箱に入った型枠を持っている。
「危ない危ない。肝心な事を忘れていた」
「おっと、そうだったな。レオン、アフマド、マルコ、足の型を取るぞ」
「えっ?何のために」
「後で解る」
私達は言われるがままに素足になって砂の上に両足を置く。足は砂を押し込み、私達三人の足の形がしっかりと残った。
「よし、もう用事はないな」
坑道から見送りのためにゴールティー、オリッサ、メキシ、マッケンが出てきた。私達はしっかりと抱き合って別れの挨拶をする。
「メキシ、本当は事態が安定するまで居てやりたかったが」
「気にするな。むしろ何の報酬も無しに今までありがとう」
ゴールティーと抱き合っているアフマドもこう言う。
「ゴールティー、デソモル王とは親睦を深めておけ。出来ればメキシも。そうする事で彼らを抑えられるようになる。今日やったように度々食事を一緒にすると良い」
「わかった。ありがとうアフマド」
ゴールティーもアフマドを抱きしめながら返事する。
「オリッサ、彼から色々話を聞きだしてくれないか?」
オリッサと抱き合っているサイメルティ。
「うん。やってみる」
「最後にあのトルエネという指揮官の処遇だが」
私の言葉にメキシとマッケンが真顔になる。
「きちんと処刑しておかないと後で大変な事になるぞ。軍人として同情するのはわかるが、禍根は断たねばならない」
その場に居た全員が黙りこくってしまった。
こうして私達は鉄の民、ジャルブ族の里を離れた。サイメルティはアフマドと乗り、私はマルコと乗った。
サイメルティを乗せているクロニクーが時々こっちを振り返る。するとマルコは手を振る。それを見て安心したように前を向き直すクロニクー。
そして反対に不機嫌になって飛び方が荒くなるノーザライ。マルコお前は一体何をしているんだ……
寄り道を全くせずにアルパ族の集落まで戻り、ペヨータの素晴らしい料理を堪能するとすぐに別のアルパ族に乗り換え、カペル族の集落まで戻る。
二人のアルパ族はそれぞれノーワイドとオジークッシュ。二人とも女だ。クロニクーやノーザライと違い、黒や茶色一色の地味な羽を纏っている。角のようになっている羽もない。
ノーワイドの顔そして髪は真っ白だ。反対にオジークッシュは頭も身体も同じ色をしている。そして二人ともスパンクより大きい。驚くべきはその速さで、スパンク、クロニクー、ノーザライより明らかに速い。
夕暮れ前にカペル族の里のあの交易所に着いた。積荷を降ろすと金貨を計算していたカペル族が二人に支払いをする。
アルパ族の二人はもう遅くて帰るのが大変だからここで一泊させてくれないか、と言った。その時彼女らは交易所の脇に置いてあった例の干し肉をチラチラ見ていた。サイメルティはそれを承諾し、脚から籠を外して私とマルコ、アフマドに直接彼女らの脚に捕まるように言った。
私達が準備をしているとサイメルティが干し肉を買ってきた。アルパ族の二人の目が輝いている。
翼を広げて飛び立つ二人。足で干し肉のズタ袋を掴みながら、私達をぶら下げて薄暗くなってきたカペル族の里の上を飛ぶ。
あちこちには灯火が点いている。たった五日しか離れていなかったのに随分懐かしく感じる。
サイメルティの家に到着して食事にする。私とマルコもネズミの干し肉を食べてみることにした。意外とうまくてびっくりした。アフマドは宗教的理由からか、食べなかった。
サイメルティの家はやっぱり資料に埋もれていて狭すぎるので、私達はボルダナティの家に、そしてアルパ族の二人はメトロノティの家にそれぞれ向かった。
「レオン!」
ボルダナティは私を見るや、抱きついてきた。彼女の頭を撫でてやる。
「マルコもおかえり!」
「あ、ああ……」
マルコはなんか暗い様子だった。しかし私達は長旅で疲れていたので、ボルダナティが用意してくれた凍った魚と水草を食べてさっさと眠りに着いた。
翌朝、朝食を食べているとクレンビュートがやって来た。そして私達三人を外に連れ出し、サイメルティの家に向かった。途中でフェニルプロトが合流する。サイメルティの家の扉を叩くと寝惚け眼を擦っているサイメルティが出てきた。
「どうしたんだこんな早くに」
「サイメルティ、表に出ろ」
フェニルプロトが厳しい表情をしている。サイメルティは欠伸をして一度家に入ると、着替えて出てきた。
「サイメルティ、お前火の民と争ったな?」
「ああ、だが死者は出して……」
サイメルティが喋り終わる前にフェニルプロトの拳がサイメルティの顔に真正面から叩き込まれる。サイメルティは吹っ飛んで家の壁に叩き付けられた。口から血を流して立ち上がるサイメルティ。
「お前は四つの壁の自覚があるのか?いい加減にしろ!」
激怒しているフェニルプロト。
「すまない。軽率だった」
私もアフマドも突然の出来事に呆気に取られて固まってしまった。マルコは私達の後ろに隠れた。口から流れている血を手の甲で拭くサイメルティ。それを遮るフェニルプロト。
「血は拭くな。これからトレナヘクトと面会する。トレナヘクトにやられるより俺にやられるほうが気が楽だろう。これは俺なりの情けだ。改革の同志としてのな」
「すまない。恩に着る」
サイメルティと私達はあの行政機関へと連れ出された。二階に上がって奥の部屋に行くとハロテスティとトレナヘクトが待っていた。