11 アルパ族
空の民の集落に戻って来たレオン達
「マルコ、おいマルコ」
私はマルコの身体を揺すった。するとマルコはノーザライの羽毛が生えている乳房に顔を埋めた。
「うーん、もっと~」
何がもっとだ!サイメルティを見る。
「私は何も見なかった事にするぞ」
サイメルティはそう言い残して垂れ幕の向こうに行ってしまった。どうしろって言うんだこの状況。
「マルコ、起きろ」
私はノーザライが起きないように細心の注意を払ってマルコの頬を叩く。
「あれ……レオン?」
マルコは私に気付いた。そして慌てて起き上がると私を押して垂れ幕の外に出る。
「違うんだレオン。これは」
「これは?」
「いやだから、その、寒いから暖めてもらってて……」
「暖めてもらってて?」
「ただ、そのまま眠ってしまっただけなんだ」
「そうか。マルコ」
「決してそういう訳じゃないんだ」
「私はまだ何も言ってないがな。何がそういう訳なのか、何が違うのか」
「うっ……。だからそうじゃないんだって」
「いいから服を着ろ」
「おっおう。そうだな」
マルコは垂れ幕の中に戻っていった。私はさっきのノーザライの裸体を思い出す。彼女には乳房がある。という事は胎生だろう。
となると性器もあるはずだ。アルパクティコ……つまり鳥の特徴は当てはまらない。一体どんな種族なんだ?神話に出てくるハルピュイアもしくはセイレーンそのものであるが、神話と現実を混同してはならない。さて何と命名するべきか。
待てよ、そういえばマルコは性器があれば女だとか何とか言っていたな。あいつまさかヤったんじゃないだろうな。再びノーザライの裸体を思い出す。下半身はびっしりと毛で覆われていた。いやいや、あれとヤれるのか?無理だろう。
サイメルティがつかつかと歩いてきて、垂れ幕に手をかける。あたかも今入ってきたかのように装っている。
「ノーザライ、入るぞ」
「違うの!」
マルコと同じ台詞が聞こえてきた。まだ服も着ていなかったのか。せっかくサイメルティがトボけてくれたのに台無しだ。いや待て、手がないのにどうやって服を着るんだ?そしてどうやって服を脱いだんだ?
「これはただこの人を暖めていただけで」
「そうか。いいから服を着ろ」
私とマルコと全く同じやり取りをしている。この二人、同じ次元に居るな。
「全く、着せてやるのも一苦労だ」
サイメルティの文句が聞こえる。サイメルティが服を着せているのか。ではそれを脱がしたのは……?
「私は別に服なんて着なくてもいいんだけど」
「駄目だ。着ろ」
「でも普段寒くない時は着てないし」
「駄目だ」
「なんかサイメルティいつもと違うね」
この部族の恥の概念は他の部族とかなり離れているようだ。大抵の場合服というのは防寒という機能と、異性の目から肌を隠すという二つの機能がある。
サラセン人の場合は後者の役割のほうが大きい。ここは標高が高いから前者の機能が大事なのだろうが、それにしても片方の機能だけと言うのは聞いた事がない。
垂れ幕をめくって三人が出てくる。明るい場所でじっくりとノーザライを見るのは初めてだ。暗い場所では気付かなかった特長がある。それは鼻だ。
一見して人間のそれに似て見えるが、ものすごく小さい。顔全体を覆っているフサフサした毛に覆われて殆ど目立たない。
髪は額から顔とは違う質の短い毛が生えているが、丁度前頭部の角度が変わる所で私達の女のような長いものに代わっている。ノーザライはそれを二つに編んでいる。確かクロニクーは伸ばしっぱなしで、スパンクは短く切っていた。
「ノーザライ、あの肉はどうしたんだ?お前達が持って帰っただろう」
「あ、あれは……」
無言になるノーザライ。
「食べたのか」
「……」
黙って俯くノーザライ。
「もう一度聞くぞ。食べたのだな?全部。正直に話せば許してやる」
「……ごめんサイメルティ。クロニクーと二人で……止められなくて……」
「よしちょっと来て貰おう」
サイメルティはノーザライの羽を引っ張って外に連れ出す。外からは、
「ええ~!」
というスパンクの声が聞こえてきた。クロニクーとノーザライは結構だらしない性格をしているのだと知った。
スパンクは意地でも今日中にあの肉を報酬として貰わなければ今後一切サイメルティのためには働かない、と言う言葉を吐いて飛び去って行った。
「ノーザライ、クロニクーと一緒に責任を取ってもらう。金貨は持っているな?私達の集落まで飛んで、あの肉を調達してきてもらう」
「駄目だよサイメルティ。今は寝る時間だし、今日中に取ってこれるほど速く飛べないよ」
全くだらしない。本当にだらしない性格だ。
「なら速く飛べる者に金貨で頼めばいいだろう」
「そんなに金貨ないよ~」
サイメルティの顔からいつもの含み笑いが消えた。
「あるはずだ!」
サイメルティの剣幕に、ノーザライはたじろぐ。そしてしぶしぶ飛んでいく。
「肉、か。俺も肉が食べたい。ネズミ以外で」
一連の騒動をのんびり眺めていたアフマドがごろんと横になって呟いた。
「あの~」
「うわっ!何だお前!どこから出てきた!」
寝転んだアフマドに奇妙な小さい生物が話しかける。本当にどこから出てきたのか。さっきまでこんな生物居なかったぞ。
「ペヨータじゃないか。今まで何してたんだ」
サイメルティはこの生き物を知っている様子。
「昨日ノーザライが帰って来た後、明日まで外に居ろって言うから」
「ほう、つまり追い出されていたという訳かな」
「そういう訳じゃないと思うけど」
「そうか」
この生き物は背が低く、私達の腰ほどしか背丈がない。服の後ろから細長い尻尾が飛び出している。
胴が長く四肢が短い。手は私達と殆ど同じである。火の民のように被り物をしているが、顔は鼠によく似ている。ラットゥス族とでも名付けようか。話しぶりからして男のようだ。
「サイメルティ、彼は?」
「ああ、ペヨータだ。彼はノーザライの使用人だ」
「使用人?ちょっとよくわからないな」
アフマドがそう言うとサイメルティは私とアフマドの傍に来て小声で話す。
「この部族は空の民と共存関係にある。空の民は手がないから生活の色んな事を彼等に代わってやってもらう。服を着せてもらったり、料理を作ってもらったり、家を作ってもらったり」
「おいそれって召使いじゃないのか?」
「そうだ。実質彼等は空の民に隷属している。仕事の対価として身の安全を保障されている。私達は彼等を渓谷の民と呼んでいる」
サイメルティは続いて支柱のようになっている台地の下を指さす。
「ここを見て何か気付かないか?」
「川が多いな。浅くて小さいが」
「そこじゃない。ここはかなりの人口が居る集落だ。何か足りないと思わないか?」
「ははぁ、なるほど」
アフマドが呟く。
「レオン、ここには道がないぞ」
「そうだ。ここはわざと道を作っていない。下に降りる階段もない」
「何で」
「道を作ると渓谷の民の移動が容易くなる。道がなければ移動を空の民に頼らなければならなくなる。そのほうが都合がいい」
「移動の自由もないのか。何だか割に合わない気がするが」
「そうか?彼等は何の力もない。保護されていなければ生きていけない脆弱な存在だ。これくらいの処置は当然だと思うが」
「何の力もないって、特別な力がないって事か?」
「そうだ。何もない」
もし我々が太古の昔の状態でこの世界に来ていたらどうなっていたのだろう。私達にも何の特別な力もない。
彼等渓谷の民と同じように隷属するしか生き残る道がなかったのだろうか。いやしかし我々には反骨精神と団結力がある。かのアリストメネスやスパルタクスのように武器を取って反乱を起こしていたであろう。
サイメルティはパッと振り返ってペヨータに近寄る。
「ペヨータ、外で寝ていたのか?」
「うん。倉庫で」
ペヨータが指さした先には小屋の脇に取り付けられた小さな納屋があった。
「なんかそこの人が肉が食べたいってさっき」
アフマドをチラチラと見るペヨータ。
「ああ、何かあるのか?」
アフマドが急に元気になる。
「山羊が丁度あるよ。この間ノーザライが捕ってきたやつ。サイメルティはあの草でいい?」
「それでお願いしよう」
「僕が好きな林檎もあるよ。食べる?」
「おっ果物があるのか。何でも揃っているな」
私も思わず唾を飲み込む。
「ノーザライは結構手広くやっているからね」
「豪華にお願いしよう。ノーザライは償いをしなければならない」
「わかった。少し待ってて」
ペヨータはそう言って家の中に入っていった。火の民と同じで胴が長いせいか、よちよち歩きに見える。なかなか可愛らしい。そしてマルコの、
「うわっ!何だお前!」
という声が聞こえてきた。あいつはまだ家の中に居たのか。
暫く包丁の音が聞こえたと思ったら、次は何かを炒める音が聞こえてきた。そして出来上がった料理を運んでくるペヨータ。
「お待たせ」
料理を次々と運んでくると、次に大きな布を運んできて外に敷くペヨータ。そしてその上に置かれる料理。
肉と野菜を炒めたもの、肉を焼いたもの、野菜だけを炒めたもの、そして綺麗に切られて盛り付けられた林檎。
「サラセン様式だな」
そう言って地面に敷かれた布の上に座るマルコ。そういえばいくつかの部族は机を使って食事をしていたが、彼等は違うのか。屋外で食べるというのも新鮮だ。
「いつもこうやって外で食べるのか?」
「そうだよ」
「レオン、空の民は手がない。それから翼だ。室内で食べると滅茶苦茶になる」
「そういう理由があるのか」
「ここは雨も降らないし標高が高すぎて虫も居ないからな」
ペヨータがよくしなる木を皆に配る。どうやって使うのかを見ていると、それを二つに折って曲げ、それで食材を挟んで口に運んでいた。さっそく真似して食べてみる。美味い!
調味料や香辛料が効いている。マルコとアフマドを見ると同じく感動しているようで、無言で首を横に振っている。
「俺ここで暮らそうかな……」
マルコがボソッと変な事を言う。だがその気持ちも解らないではない。今までこの世界で、いや私達の世界を含めてもこんなに美味いものを食べた事はない。
「ペヨータ、みんなこんな料理を作れるのか?」
「えっ?うん。作れるよ」
何という事だ。サイメルティは彼等には何の特別な力もないと言っていたが、あるではないか。
こんな素晴らしい料理を作れる味覚、これは物凄い潜在能力だ。貨幣経済が発達して街が出来て、多くの部族が混ざって暮らすようになれば彼等の地位は一気に上がるだろう。
皆が食べ終わると、ペヨータは食べ残しを一箇所に集めて、空に放り投げた。下に落ちていく途中で小鳥の群れがそれをかっさらっていった。そして地面に敷いてあった布も同じように捲って、上に乗っていた食べカスを空から蒔いた。矢張り同じように小鳥の群れがそれをかっさらっていく。
「群れがだいぶ大きくなってきたなー。あれも今度捕まえて食べよう」
ペヨータが呟いた。ここは何でも食べるのか。
胃袋を満たして昨日のぶんまで寝ていたら、バタバタと音がしてノーザライが戻って来た。後ろには違う種類の空の民が居た。
二人揃って空中から家の中に直接飛び込んできたので入り口近辺で寝ていたアフマドは思いっきり踏みつけられていた。このために家屋に不釣合いな大きな入り口が開いているのか。
「ぐっぐおお……」
痛みでもんどりうっているアフマド。その声に反応して起きるサイメルティ。寝惚け眼を擦っている。
「戻って来たか」
「彼女なら最速で取りにいけるよ」
ノーザライの後ろからひょこっと出る半鳥。ノーザライと違って顔全体の毛がとても短い。顔と頭は黒と灰色が入り乱れていて精悍な顔つきをしている。ノーザライよりも目は大分小さい。羽は黒で、身体は白い羽毛に黒が斑に混ざっている。背丈はノーザライよりも一回り小さい。
「おいやっぱりアウィス・ラパクスいや、アルパクティコ……」
「もうめんどくさいからアルパクティコでいいよ。アルパ族」
またしてもマルコによって強引に彼女達の名称が決められた。そのアルパ族の黒い女がサイメルティの前に立つ。
「おおっ、あんたがサイメルティか。名前は聞いている。宜しくな」
「名前は?」
「ルビネヘイズだ。多分ここで最速の部類だ」
「そうか、ルビネヘイズ。ここに行って私の名前を出せ。例の肉を金貨十枚で売ってくれるはずだ」
サイメルティがカペル族の集落の地図を見せる。ルビネヘイズはそれを受け取る事もせずに、
「わかった」
と、言った。あの距離でも詳細が見えるのか。この部族は目が良いのか、それともいい加減なのか。ルビネヘイズはそのまま脚に籠を取り付けられて飛び立って行った。確かに物凄い速さだ。
「レオン、俺昨日からここに居るけどよ」
「何だ?」
マルコが話かけて来る。
「男を見たことないんだよ。この家に来る客は女ばかりだ」
「空の民は男が極端に少ない。三十五人に一人以下の割合だ」
サイメルティが話に割って入ってくる。
「何でそんなに少ないんだ?」
「わからない。元から女ばかり生まれてくる」
「それじゃあ男は大変だな。妻を三十五人持つのか」
アフマドも割り込んでくる。
「ところがここは一夫一妻制だ。だから……」
外に居るノーザライをチラリと見るサイメルティ。
「男が居たら奪い合いだ」
「そうか。道理で」
マルコがウンウンと頷いている。
「何だ?マルコ」
「いや、何でもない」
何だコイツはさっきから不審な言動が目立つな。私とアフマドが居ないといつもこんな感じだ。一体何をしているんだ。
ドタドタと音がして入り口にクロニクーが飛んで来た。クロニクーは外に居るノーザライに声をかける。
「あ、いたいた。スパンクが呼んでたよ。直ぐに行ってあげてよ」
「え、何の用だろう」
ノーザライは羽を広げて飛んで行った。こんなに頻繁に交流があるなら皆でまとめて住めばいいのに、何故一つの支柱に一つの家しかないんだ。それとも彼女達にとって移動というのは全然労力を使わないものなのか。
ふと気付くとクロニクーは居なくなっていた。私達は再び毛布にくるまって眠りに着こうとした。するとノーザライが戻って来た。
「クロニクーの奴!」
何だか怒っている。
「何だ。どうした」
サイメルティが尋ねる。
「あいつ、嘘じゃない。スパンク寝てたし。マルコは?」
「いないな」
あれ、マルコが居ない。どこに行ったんだ?
「あいつ!」
サイメルティは怒り心頭のノーザライを無視して、ゴソゴソと毛布にくるまった。
「ちょっとサイメルティ、寝ないでよ」
「どうにもならない事だ。お前達の率直さが今は羨ましいよ」
「ちょっと意味わかんない事言ってないで手伝ってよ」
「私を巻き込むな」
そう言ってサイメルティはノーザライとは反対の方向に寝返りを打ち、手であっちに行けの仕草をする。ノーザライは再び慌しく飛び立って行った。一体何なんだ。
ジュージューと何かを焼く音と香ばしい匂いで目が覚める。日はすっかり落ちて辺りは暗くなっていた。ノーザライは相変わらず戻って来ていないし、サイメルティの姿もない。
「あ、起きた。お腹空いたでしょ」
ペヨータが調理器具を持って話しかけてくる。私もペヨータのような使用人が欲しくなってきた。気が効くし見た目が愛らしい。
「食事を作ってくれていたのか。サイメルティはどこに行った?」
私は思わずペヨータの頭を撫でていた。
「サイメルティならさっきルビネヘイズが戻って来たから、スパンクの所に肉を届けに行ったよ」
「そうか。で、今何を作っているんだ?」
「鳥を焼いている。見る?」
入り口傍の厨房に移動して料理の製作現場を見る。これは鴨?いや大きいから雁か。内臓を綺麗に取って、その中に香草類を詰め込んでいる。そしてそれを丸ごと串刺しにして下から火で炙っている。
「うまそうだな」
私がそう言うと、ペヨータは壁に掛かっていた長い包丁を取った。
「食べてみる?」
「あ、ああ」
ペヨータは雁の臀部に包丁を当て、ゆっくりと横に引く。そうして取れた切端は脂が程よく乗っていて、皮はパリパリに焼かれている。肉は内部に赤みが残る最高の焼き加減だ。
それを受け取って、しっかりと噛み締める。美味い。塩が効いている。
ペヨータは長い包丁で手際よく肉をそぎ落とすように切っていくと、皿に盛り付けていく。ここも皿は鉄製だ。
「その包丁とか、この皿だとかは随分精巧に作られているが、どこで買ってくるんだ?」
「ここより少し下流に行った所。鉱山があるんだ。そこに住んでいる部族が作っている」
鉱山がある?興味深い。
「近い内にそこに行く用事はないのか?」
「ノーザライが?多分あると思うけど」
これは決まりだ。是非この目で見てみたい。サイメルティに頼んでみよう。
私とアフマドが食事を楽しんでいた所に、丁度スパンクに乗ったサイメルティが帰ってきた。
「何だ、まだノーザライはどっかを徘徊しているのか」
「あっ!鳥じゃん。おいしそう」
スパンクは食欲全快だ。ブレない。
「食べて食べて。サイメルティの分も用意してあるよ」
ペヨータは抜かりなくサイメルティの分の食事も用意していて、サイメルティはそれを食べた。スパンクは私達と一緒に雁を食べた。食事の後、サイメルティが持ってきた赤い木の実を焦がしてすり潰し、皆で飲んだ。
「なあサイメルティ、私はこの鉄器を作る部族のところに行ってみたいんだが」
サイメルティはいつもの含み笑いで私を見る。
「鉄器はお前達には珍しいものじゃないだろう」
「そうだが、どんな技術で作っているのか興味がある。それとこの精巧さの秘密も知りたい」
「興味と言われると私は弱いな。私自身が興味だけで生きているようなものだからな」
「じゃあ連れて行ってくれるのか?」
「連れて行くのは私じゃない。ここの民だ。そこの場所も断崖絶壁になっている。私達が自力で行くのは無理だ」
「じゃあ彼女達が同意しない限り無理という事か」
サイメルティは暫く考え込んで、
「レオン、私に考えがある。ちょっと一緒に来てくれ」
と返事して私を連れだした。
私達は一緒にスパンクの籠に乗った。スパンクはすっかり寝静まったアルパ族の集落を飛ぶ。それぞれの支柱の上にある家に灯火がかかっている。昨日の夜遠くから見た時に灯火の数が寂しかったのは、家と家の間が離れているからだ。
時々ペヨータと同じ渓谷の民が火の番をしているのが見て取れる。幻想的で美しい光景だ。スパンクは羽を殆ど動かさずにそのの中を無音で飛ぶ。
大きく旋回して下降するスパンク。その視線の先には一軒の家があった。その支柱となっている土地はノーザライの土地よりもだいぶ狭く、不安に駆られる太さだった。着地して家に向かうと、ひょこひょことまた渓谷の民が出てきた。それに話しかけるサイメルティ。
「サンペド、久しぶりだな。クロニクーはまだ帰ってきてないか?」
「久しぶり。うん、まだ帰ってきてないよ」
声からするとこれは女だろう。ここはクロニクーの家か。
「ノーザライはここには来たか?」
「うん、夕方に来たよ。クロニクーを探してた」
「ほう、なるほど。レオン、行くぞ」
サイメルティに言われ再びスパンクの籠に乗り込む。
「スパンク、あの洞窟に行ってくれ」
「ああ、あそこね」
スパンクが羽を広げるとあっという間にクロニクーの家は点になった。今度は大きな山の断崖絶壁の際を飛ぶ。
「さっきの女も使用人か」
「そうだ。クロニクーのな」
そのうち断崖絶壁に大きな穴が空いている場所にたどり着く。入り口に音もなく着地すると、サイメルティがまず降りる。
「レオンはここで待っていてくれ」
そう言って奥に進んでいくサイメルティ、そのうちにクロニクーの声が聞こえた。
「うわっ!サイメルティ!何でここが」
「ちょっと来てもらおうか」
ガサガサと音がして、ショゲている様子のクロニクーが出てきた。
「ここはお前の両親の倉庫だろう?私とも取り引きがあったんだ」
「あっ……」
「私が何を言いたいかわかるだろう?」
「……うん」
俯いているクロニクー。服をサイメルティに直されている。
「そこでだ、取り引きをしないか?」
「えっ?どんな?」
クロニクーの顔が明るくなる。
「明日の朝、鉄の民の場所まで私達を運んで欲しい。その時マルコと一緒にノーザライの家に立ち寄って欲しい」
「えっそれはちょっと」
「クロニクー、私はこのままあの家に行ってもいいんだぞ」
「……わかったよ。言われた通りにする」
「助かる。では私達はこのまま帰るぞ」
再びスパンクの籠に乗って飛び立つ。
「あれ、何でマルコの居場所をクロニクーが知っている事になっているんだ?」
「レオン、気付かなかったのか」
「何を」
「いや、いい。ここの部族は目で美貌を判断する」
「それが?」
「マルコの目は青い。お前とアフマドは黒い。そういう事だ」
「何がそういう事なんだ」
「青はここには居ないからな」
「何だかよくわからないな」
「わからなくていい」
謎の会話を終え、ノーザライの家に戻って毛布にくるまって寝た。スパンクはそのまま帰って行った。
翌日、朝日に照らされて目が覚めた。周りを見渡すといつの間にかノーザライが戻って来て寝ている。包丁の音が聞こえる。厨房に近づくとペヨータが一生懸命朝食の準備をしていた。私はまたもや思わずペヨータの頭を撫でた。
「ペヨータ、何を作っているんだ?」
「野菜の煮込みと、バンミー」
「バンミー?」
「これだよ」
ペヨータが蓋を開けた大きな鍋から、黄色い棒状の物体が出てきた。良い香りだ。
それを二本の木の棒で掴み取って鉄の皿に載せ、包丁の背の部分で引っ掻くと細かい粒状の黄色い物が沢山落ちてきた。
手際よくすべてのそれを処理すると、次は別の鍋を開ける。すでに沢山の野菜が煮込まれていたが、そこに香草を加える。そしてその上から白い液体を注ぐペヨータ。
「今それは何を入れたんだ?」
「山羊の乳だよ」
山羊の乳が手に入るという事はどこかで牧畜をしている部族が居ると言う事か。悲しい事にこっちのアルパ族の水系のほうが圧倒的にカペル族の水系よりも食文化が高い。
「牛の乳はないのか?」
「えっ?牛?牛は聞いたことないなあ。あれ食べられるの?」
なるほどこの点だけに於いてはカペル族水系に分がある。ラチェ族の集落にペヨータを連れて行ってみたいものだ。一体どんな料理を作るのだろうか。
私はサイメルティとアフマドを起こして、朝食を頂いた。バンミーと彼等が呼ぶそれはとても甘いものだった。食感からしてこれは穀物だと思われる。サイメルティはそれを食べなかった。ノーザライは起きるのを拒んだ。本来朝は寝ている時間らしい。
朝食を終えて例の黒い液体を飲み、サイメルティに言われて出発の準備をする。そして家の外で待機しているとクロニクーが飛んできた。サイメルティが私の肩を叩く。
「レオン、ノーザライを起こしてくれないか?」
「え?さっき起きなかったぞ」
「今なら起きるはずだ」
私は言われた通りノーザライを起こした。ノーザライは起きたがらなかったが、外にクロニクーとその籠に入ったマルコが居るのを見ると、慌てて起き上がった。
サイメルティはノーザライが起きたのをチラリと見て確認すると、アフマドを籠に乗せてクロニクーを飛び立たせた。ノーザライは下着姿のままで外に出た。
「サイメルティ!クロニクーはどこに行ったの?」
「確か昨日下流のほうに行くとか言ってたな。すごくいい景色があるとか」
「サイメルティはその場所わかる?」
「わかるぞ」
「案内してくれる?」
「構わんが、レオンも連れて行ってくれるか?」
ノーザライは返事をする代わりに家に入って、片足で籠を掴んで外に放り投げた。ペヨータが急いで服を着せている。
「早く!」
「そんなに慌てなくても景色は逃げないぞ」
そう言いながらゆっくり籠の紐をノーザライの足首に結ぶサイメルティ。それを確認するとすぐさま飛び立つノーザライ。サイメルティは私に小声で、
「うまくいった。金貨の手持ちが無かったからこんな手段に頼るしかなかった」
と、言った。どんな手段だ。というか一昨日は体重の平衡がどうたらとか言ってなかったか?私とサイメルティの組み合わせでも平気なら最初からこうして欲しかった。
「くそー、クロニクーのやつ!」
ノーザライはぼやきながら大きく羽を動かした。風が冷たい。アルパ族の集落を越えると辺り一面には肌色の岩石地帯が広がる。私達はその間に深く潜り込んで蛇行する川に沿って飛んでいく。