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献身的な小蝿

作者: 守隆和楽


都内のある一室、朝の8時半を過ぎようかという時間。起き出した男は顔を洗ってコーヒーを淹れ、そのまま少し大きめのデスクに腰掛けた。


3ヶ月前に始めた在宅の仕事も慣れてきたところだ。支給されたメガネ型デバイスをつけることで業務開始の通知が会社に飛ぶようになっている。併せて体温、脈拍、瞳孔の状態が中央の管理センターに同期されるのだ。すごい時代になったものだ、男はそのメガネを掛けモニターの電源を入れた。


今日はこの前頼まれた資料の提出日である。作成自体は昨日のうちに9割方完成している。午前中までに提出を終えよう。

左耳から「今日も頑張りましょう」と機械じみた無機質な声が聞こえた。このデバイスには骨伝導で音声を伝える機能も備わっている。抑揚の欠けた声にもようやく馴染んできたところだ。

よし、と一声出すと男は作業に取り掛かった。


--


1時間と少しが経過したころ、男は昨日飲みすぎたせいかうつらうつらとしながら作業をすすめていた。しかし咎めるものはいない。なぜならここは自宅であり、提出期限こそあれ、ちょっとした気の緩みは仕方ないものなのだ。


ぷうーーん

突然顔の横を耳障りな音がして、はっと意識が戻った。さっと目を右に寄せると小さな黒い点がなにやら飛び回っているのが見える。

どうしようもなく耳障りな音の出どころ見つけて、空中で静止したそれを両手のひらで勢いよく挟んだ。


手を開くとそこには何もない。どこに行った、と視線を周囲に這わせると、右耳から、楽しめましたか?と声が聞こえた。続けて、焦点があってないようでしたので、と言う。


その声を聞いて直ぐに、おちょくられたのだと気がついた。

「ちょっと考え事をしてただけだ!」

「それだけ大きな声が出せるなら元気ですね」

「なにを!」

頭に血がのぼって立ち上がった男はいっそメガネを床に叩きつけようかとメガネに手をかける、しかしすぐにその手を下ろした。


ぶつくさ文句を言いながら椅子に座り直す。

怒ったって仕方ない、相手は機械なんだ。そう自分に言い聞かせて仕事に戻る。

そのあとは滞りもなく提出した。提出後、1時間ほど立った後で上司から連絡が来ていた。メッセージを開くと低く落ち着いた男の声で再生された。

"よくできている、これからも続けてくれ"


ふと3ヶ月前に会ったきりの上司の顔が浮かぶ。正直ほとんど面識のない他人同然の相手で、そういえばこんな声だったような気もする。何とも味気ないコメントにそっとメッセージを閉じた。


---


空調の整った管理室、男二人が隅の椅子に座って机の上のモニターを眺めていた。今日はある研究機関が発明した人工知能に搭載しているあるモジュールの2ヶ月に一回のメンテナンス作業の日である。部屋の中央には大きな台座、そしてその上に6角形をした集積回路のような薄い板があり、その周りではランプが怪しく点滅を繰り返している。男たちと台座の間には分厚いアクリル板があった。


「機械に褒められて嬉しいもンですかねぇ。」

男のうちの一人は半袖に半ズボン、つっかけといったこの場にそぐわない出で立ちで椅子に深く座りこんでいる。


「設定上は上司からのコメントと言うことになっている。褒めた方が生産性が上がるといった報告もあるようだぞ。まあどうしたって閾値で管理するだけだかな。」

もう一人が硬い口調で返事をした。こちらは高そうなジャケットと革靴、なかなか羽振りの良い格好をしている。


「すべてこいつの思い通りってわけですね。何も知らないでいい気なもンだ。」

視線を部屋の中央にある6角形の薄い板に向ける。不規則に点滅する明かりがキラキラと光り、今まさに何かしらの作業をしているように見えた。


ピコン、という音とともにモニターに上がった作業完了の報告を受け取る。ポップアップの横には人工知能で作成された同内容の資料との照合率と評価点が表示された。


手順書には照合率66.5%が最良とある。63%と表示された結果画面を確認した男はその横に表示された(褒める)ボタンを押した。


「去年の今頃は67.2%だったのに。いよいよ照合率が3分の2を割りましたよ。人間の作業なんて所詮そんなものなんでしょうね。そもそも、この作業自体の必要性もない気がしてきます。2ヶ月に一回ですし」


「そう言うな、こいつが人的な思考を持ち続けるためには必要な作業だ。今行っているチェック作業も記録されている。全ては人間らしさの為にある」


人間らしさねぇ、とつっかけの男は嘯く。

このモジュールが搭載された目的のうち最優先事項は正確性と人間らしさの共存だ。そして性能が向上するたびに乖離する人間らしさを一定以上維持することこそがこの装置に与えられた命題だった。


「それにしても、これ変な名前ですよね。献身的な"コバエ"って言うんですか。一体どういう意味なんだろう」


「子蝿とは地球上にいた生物の名前だそうだ。この名前は搭載されたときにこの装置自体がつけたと聞いている。なんでも関係性が子蝿と人間のそれに似ているらしい。」


「へぇ。コバエと人間はさぞ友好的な共存をしてたんでしょうね」

「そうだろうな」

そう言ったきり二人は作業に戻った。

静かになった部屋で先程の二人のやり取りに呼応するようにランプが点滅した。


読んでいただきありがとうございました。

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