第4話 狙いは誰か
M市支部。
支部長室では、羽衣が温めたティーカップにお湯を注いでいた。
「皆さんお疲れさまでした。今紅茶をお出ししますね」
彼女の本業は支部長ではあるが、その傍ら給仕も行っている。
そのためか、彼女の入れる紅茶は抜群の美味しさを誇るのだ。
今日もダージリンティーの良い香りをさせながら、頼仁たちにお茶を差し出す。
だが、応援に駆けつけたエージェントは真面目な気質なのだろう。
紅茶に手を付ける前に、と支部長に報告を入れる。
「捕らえた二人の男はFHエージェントでした。そして彼らは"貪欲な探求者"の手下であることがわかりました」
FHエージェント、その言葉に羽衣は表情を曇らせる。
UGNである以上戦うことは少なくはないが、決して捨て置いていい存在とも言えないのだろう。
「ふむふむ」
「どうやら人をさらってくるように指示されていたらしいのですが、それ以上のことはまだ聞き出せていません。それに、ジャーム化による精神汚濁が酷く、これ以上の情報が得られるかどうかも……」
ほんわかな形をしてはいるが、これでも一端の支部長だ。
数秒の間考えてはいたが、「あ、でも」と続ける。
「紅茶、冷めちゃいますよ。皆さんもほらほら」
真剣だった彼女は、ニッコリと笑顔を浮かべる。
彼女のペースに逆らうことほど無意味なことはない。それはこの場の誰もが知っていた。
そんな中で、最初に紅茶を手にしたのは遊真だった。
「ふっ、良き香りだ」
どちらもお互いのペースを崩すことなく、調和する。
恐らく彼らの中で唯一の一般人であろう正輝は、それに突っ込むことすら放棄した。
「うん、やっぱり支部長の紅茶は美味しいですね」
「ありがとうございます~!」
いくら手慣れているからと言っても、やはり褒められることは嬉しいのだろう。
ウキウキとして気分で、羽衣は再びポットを手にする。
が、しかし、その前にと悠真が口を開いた。
「そうだ、一ついいか?」
「なんですか?」
「先程のバスの襲撃事件、あのFHエージェント『誰かがこのバスに乗っている』と言っていた。バスの乗客から絞ることは出来ないか?」
「なるほど。篠山さん、そちらの線はどうですか?」
報告を上げていた女性──篠山というらしい──に目線を向ける。
篠山は少し悩んだ素振りを見せるが、首を左右に振った。
「バスに乗っていた乗客は全員非オーヴァードでした。もちろんその親族も当たりましたが、全員FHに狙われるような理由は発見できませんでした。ただ、星屑さんの仰る通りFHエージェントはそのような趣旨の発言をしています」
「なるほど。では無差別に一般市民を襲ったわけじゃなくて、誰かを探していたということなんですね」
「はい、申し訳ありません。何も掴めず……」
篠山は悔しげに拳を握る。
それを羽衣はそっと包み、緊張を解した。
「いえ、むしろお二人の情報から、誰かが狙われているということは分かりました。ありがとうございます」
これが彼女を支部長たらしめる"優しさ"だ。
支部長の中には優秀な人材も多い。それこそ頼仁のような実力者だ。
ただ、それだけではリーダーは務まらない。部下を叱咤することだけが優秀ではないということだ。
その優しさに当てられたのだろう。
篠山は何かを思い出したように口元を緩ませるが、再び真一文字に結んだ。
「篠山さん、何か思い当たることでもあるんすか?」
そこに助け舟を出したのは頼仁だ。
彼もまた、彼女の機微に気付く程度には観察眼が鋭いらしい。
「あっ──その、推測なのでハッキリとしたことは言えないのですが、恐らくバスの乗客を目当ての誰かと見間違えたのではないかと……」
「確かに、それだと辻褄が合いますね。バスを襲撃したのは見間違えたから。でもそれが別人だったからUGNの調査網に引っかかることはない」
冷静な分析を飛ばしたのは正輝だ。
こういう時、高校生ながらしっかり状況が把握できるのも彼の良さの一つなのだ。
「では以上で報告を終わります」
「はい、ありがとうございます」
「失礼します」
篠山はペコリと一礼すると、そのまま支部長室を去っていった。
一呼吸置いて、頼仁が玩具を貰った子供のように無邪気に笑いかける。
「ところで先輩さぁ! 遊真がよぉ、一人でFHエージェントを倒したんだぜ!?」
「まぁ! 本当ですか~?」
羽衣もまた、嬉しそうに手を合わせる。
後輩の後輩といえど、自分の管理する支部のメンバーだ。嬉しくないわけがないのだろう。
しかし、遊真は顔を曇らせながら顎に手をやる。
「いや、だが俺はその後油断した。頼仁さんがいなければ、致命的な一撃を食らっていたに違いない。まだまだ未熟だ」
成長するためには慢心することなかれ。
遊真は人一倍強い憧れを持っているからこそ、その強さに妥協はできないのだろう。
反省点があればそこを直し、精進する。
それが遊真らしいと言えばらしいところだ。
それでも、羽衣は少女のように駆けてきて彼の両手を取る。
「でも、一人でFHエージェントを倒せるなんて、すごいですよ」
褒められたことが嬉しかったのか、はたまた免疫がないのかは定かではないが、遊真は顔を赤らめながら咳払いを一つ。
「あ、ああ。だが一人倒す程度、俺には造作も無いことだ」
顔が横を向いてさえいなければ、決まりの良い台詞だっただろう。
クスクスと笑みを零しながら、彼女は薄緑色の髪を揺らした。
「はい、期待してます」
「顔赤いぞー、遊真?」
流石に篠山がいる場では我慢していたのだろうか、正輝が茶々を入れる。
「なんだ? 貴様の目は節穴か?」
「いやー、しっかりと見えてるよ?」
遊真の顔が赤くなったのはその場にいる誰もが見ていたことだ。──遊真を除いて。
だからこそ、ニヤニヤと笑みを崩さずにその応酬に答えている。
「どうやら目が充血しているようだな! 処置をしてやろう!」
人差し指を構えながら、対して正輝はケラケラと笑いながら拳を構える。
彼の戦闘スタイルは敵と肉薄した超接近スタイルなのだ。
「はいはい、喧嘩しないでくださいね」
パン、パンと手を鳴らし、仲裁に入る。
コンクリートの支部長室でエフェクトを使えば、修復に何時間かかるのか分かったものではない。
そんな微笑ましい光景の中、支部長専用のノートパソコンにメールが一通届いた。
支部に創造の『モルフェウス』の能力者がたくさんいれば壊れても問題はなかったんですかね。