全力立ち漕ぎのだいぶ前から鼓動は鼓膜を激しく叩いていました。
瞬くと、本棚と本棚の合間を通りすぎる同級生の姿を見つけた―—―。
図書館に来たのは、確か一年前、友達の何人かと連れだって。
自習室の長机で、結局、こそこそ話が楽しくて夏休みの宿題なんか全然進まなかった。
館内は時が止まったように以前と変わらぬ静閑な雰囲気を醸し出している。
ジリジリと肌を焦がす日射しを浴びた体が空調に冷まされていく。
夏休みだというのに、普段は定休の月曜日だからか学生の姿も疎らだった。
本当にこんな所にあの子はいるのだろうか。
半信半疑で歩いていると、母親の顔が浮かんできた―――。
宿題をしに行くと言ったら、笑われた。
一人で行くと言ったら、本気で心配された。
心配顔を一頻りしてみせた後、何かを閃いたように満面の笑みを向け、好きな人にでも会いに行くのかい、と母親は言い当てた。
色々な意味で頭に血が登った僕は、勢いのまま家を飛び出したのだった。
午前中、雑然としているプールから聞こえてきた、‘午後は図書館’という言葉を聞き逃さなかった。
その声がその人のものだと、振り返り確認するまでもなかった。
僕は白紙だった午後の予定に想いを馳せて、ぶくぶくと水中に潜り頭を冷やした。
本棚に囲まれていると、プールと同じように息苦しくなってくる。
退屈で、静かにしていないといけないと言う強迫観念に居心地が悪い。
もう帰ろう。
そう考えて、帰るついでに本棚の合間を交互に縫って進んでいたら、その同級生の姿を見つけたのだった。
淡く期待していたことが現実に起こって、一瞬、頭が真っ白になる。
その間に姿を見失ってしまい、慌てて探した。
でも、大体の居場所の見当はついていたからすぐに見つけることができた。
同級生は図書館の片隅にある自習机で勉強していた。
僕はその斜め後ろに席をとる。
位置は教室での席順とほとんど変わらなかったが、どういう訳か物凄くドキドキしている自分がいた。
館内は静かで、耳を澄ますとペンが這う音やページを捲る音まで聞こえてくる。
その人の息遣いまで聞こえてきそうで、僕は一層、聞き耳を立てる。
冬場は透き通るような白い肌の同級生も、日差しを吸って健康的にこんがり灼けた肌をしていた。
長い黒髪はいまだに微かに湿っているようだった。
ふっくらとした頬に幾筋か髪がかかっている。
横顔はノートに視線が落とされている―—―。
いや。
じっくり観察していると、どうやらそうでもないらしい。
彼女はプールで疲れたのか、頬杖をついて微睡んでいるようだった。
唇を少し開け、今にも寝息が聞こえてきそうなほど肩を大きく上下させた。
その動作に頬杖をついて見惚れていた。
なんて可愛い寝顔―—―。
考えていると、いつの間にか自分も睡魔に襲われていたらしい。
気づいた時にはもうその人の姿は見当たらなかった。
僕は慌てて適当に広げていた宿題を片付けて、周囲を見渡す。
同級生がそこを離れたのがいつだったのか、見当もつかない。
ついさっきなのか、それとも、しばらく経つのか。
館内を一周しても見つからない。
途方に暮れ、夢のような気分のまま、図書館を出た。
扉が開くと、容赦ない熱波が現実に引き戻してくれた。
暑い。
もう、早く帰ってアイスでも食べよう。
「いたんだ」
だるさ全開で駐輪場に行くと、思いがけず呼び止められた。
その人は自転車に跨って不敵な笑みを浮かべていた。
視線を向けながら、無心で自動販売機で買ったアイスを舐めている。
「君も図書館、好きなの?」
そう聞かれた僕はバカみたいに突っ立って、
「好きです」
と答える他なかった。
それ以外は同級生と話すこともなく、大急ぎで自転車に飛び乗った。
辛うじて軽く手を上げ、別れを告げる。
その人は慌てる僕を可笑しそうに目で追いつつ、緩慢な仕草で手を振った。
逃げるように立ち漕ぎでその場を離れた。
鼓動は飛び出るほど元気に脈打っている。
本当は自転車に乗る前から激しかった鼓動—――。
それを誤魔化すように、僕は限界になるまでペダルに力を込めたのだった。