6メアリは黒髪美人です。
メアリとテラス席で隣同士に並び、注文を受けに来た執事に紅茶のオーダーを伝える。
「クラウディア様…ありがとうございました」俯いたまま、ぽつりと零した。
「感謝されることなんてしていないですよ。仲裁しようと思ったのだけど、余計に面倒事にしてしまいました…申し訳ないことをしました」
「いえ…!わたくしではバルト様に何も言えませんでしたから…」
「私がいなければ、バルト様も出てはこなかったかもしれないでしょう」
「クラウディア様がいなければ、わたくしはアイリス様に酷い言葉を投げつけてしまっていました」
「メアリ様は冷静な方とお見受けします…貴女がそこまで感情的な発言に至る理由がわからない。何か理由があるのですか」
「買いかぶりすぎですわ」誤魔化すつもりなのか、苦笑いで彼女は答える。
「メアリ様はアイリス様の母君を知ってらっしゃるの?」
メアリとの間に沈黙が落ちた。
遠く鐘の音が鳴り、昼休みの終わりを告げていた。
彼女の言葉を静かに待つ。
「……知っています。しかし、今ここでお話することは…ご容赦ください」
「わかりました」無理に聞きだすわけにもいかない。深入りしすぎというものだろう。
丁度、執事がカップを2つテーブルへと運んで来たところだった。ありがとう、と礼を伝えカップを口に運ぶ。
茶葉の香りが抜けていった。
「そうね、では楽しい話をしましょう?」
「楽しい話ですか?」
「ええ、くだらない話をしましょう。メアリ様はマカロンを食べたことある?」
「いえ、マカロンですか?」
「そう、外はさくっとしていて、中に甘いソースが入っています。城下の若い女性達に流行っているみたい」侍女のマリンが買ってきてくれたマカロンの味を思い出し、口の中が幸せな気持ちになる。
「ふふっ、美味しそうですね」メアリは小さな花が咲いたように笑う人だった。
「今度、よろしければお店へ行ってみない?」
「是非ご一緒させてください」そう言って、メアリは少しぬるくなった紅茶へと手を伸ばす。
芝を風が凪いでいき、サラサラと音を立てる。
空高くうろこ雲が視界の端に映った。
目を細め、遠くを見やる。
カップを手で包み込む。少なくなった中身が揺れた。
ふいに、影が落ちる。
「ここにいたんですね」声の方へ振り向けば、栗毛の少年が後ろに立っていた。
「フィーネ?」
「クロ…ウディア様が揉め事を起こしたとお聞きしたものですから…」
「失敬だね、起こしてないよ。それと…クローでいい」
「クロー様ですか?」フィーネは困惑ぎみだ。
「クラウディアだからクロー。私の愛称」
「あ!そうなんですね!では、クロー様とお呼びします」フィーネは嬉しそうに笑う。
「予鈴はとうに鳴ったけれど、フィーネはなにをしているんだい?」意地悪く聞いてみれば、彼はバツの悪そうに頭を掻いた。
「…野暮用です」考えた挙句の答えはなんだか間抜けで、微笑ましくなってきた。
「わたくしもクラウディア様も野暮用ですわね」メアリが助け舟をだす。
「そうですね、では野暮用ついでに城下へ出てみませんか?」
午後の授業はだいぶ前に始まっていて、途中で教室へ入るのも気後れする。
入学初日からサボりとは感心できないだろうが、こんな日があってもいいだろう。
私は紅茶のカップをテーブルに置き、立ち上がる。
「わたくしマカロンというものを食べてみたいわ」メアリが手を叩き、楽しそうに提案する。
「いいですね。私もメアリ様にマカロンを食べてほしいです!いきましょう」思いのほかノリノリなメアリの様子に嬉しくなる。
メアリも立ち上がり、2人芝の道へと向かった。
柔らかな土をヒールで踏みしめて、歩幅なんて気にせず歩く。
太陽の熱が背を温めた。
「ん?フィーネ!遅いよ、早くおいで!」ふと振り向けば、フィーネは先ほどのテラス席で立ったまま動かずにいる。声をかければ、驚いたように目を見開いてから「はい!」と元気な返事が返ってきた。
藤のトンネル横を過ぎ、花壇を抜けて、芝を苅る職員に挨拶して、木々で囲われた庭園から舗装された道へと出た。後ろにはレンガ造りの学園がそびえ立つ。小高い丘になっている学園からは城下が一望できた。賑わう市場に、お洒落なカフェエリア、遠くには港も見える。長く伸びる線路の先は外国へと繋がる蒸気機関車が走る。
潮の香りがわずか風に運ばれてくる。
カモメが空高く飛んでいる。
スカートが風ではためく。
結んだリボンが胸元で揺れる。
「クラウディア様!わたくしのことはメアリと呼んでくださらない?」はにかむ笑顔が愛らしい。艶のある黒髪には天使の輪ができている。薄紫の瞳が優しげに弧を描く。
「では、私のことはクラウディアと」浮き足立つ思いで坂を下った。
道沿いにタンポポの花が揺れている。
「メアリは城下におりたことはあるかい?」敬語で話す必要はないように感じられ、普段の口調に戻す。
「初めてですわ。城下におりようと思ったことがありませんでしたから」
「何かあっては困るから、私から離れない様にしてくれるかい」微笑みかけて彼女の手をとった。
「…クラウディアは不思議な喋り方をするのね」
「そうかい?メアリは愛らしい喋り方をするね」素直な感想を伝えれば、メアリはわずかに頬を染めていた。天然たらしです、とフィーネの小言は聞かぬふりをする。
メアリの存在を確かめるように、手のひらを握る。転ばないよう歩幅を合わせて歩いた。
ふと、視線を横に向ければ、見知った場所に目がいく。
丘の麓には古びた木造の家屋が立っていた。人の気配を感じない薄暗く湿った場所である。
「…フィーネ、少しメアリを頼めるかい?」フィーネに視線で家屋を示し、メアリを預ける。
散乱する生ゴミからは異臭が放たれ、玄関口のポストには手紙や領収書と思われる紙切れが押し込まれている。
壊れたチャイムを鳴らすことはできない。
「クロードです、カウチさんはいらっしゃいますか?」3回ノックし訪問を伝えた。
「………」物音はしない。
再度、ノックを繰り返す。
返事はなかった。
「またお伺いいたします」そう玄関扉に向かって話しかけ、その場をあとにした。
フィーネたちのいる場所へと戻る。
「悪い。待たせたね、行こうか?」
「反応なしですか」フィーネが真顔で聞いてくる。
「ああ、ポストに昨日の日付で食材を購入した際の領収書が詰め込まれていたから、生きてはいるだろうね」ため息が出てしまうのはこの訪問がすでに10回以上続いているからだ。
「クラウディア、あのお宅はなんなの?」訝し気にメアリが口を挟んだ。
「奇声が聞こえるからなんとかしてほしいと言われている家さ。兄は福務大臣として勤務しているから…話を聞いていたんだよ」
「あまり近寄りたくはないお家でしたね」
「ああ、できれば見て見ぬ振りをしたいな。けど、仕事だから仕方ないさ」与えられた責務は果たさなければならないから。やりたくなくても、嫌なことも仕事だからやる。
木漏れ日の中を進みながら、そっとメアリの手をとる。
「クラウディアのこと噂では聞いていたわ」ぽつりとメアリが話し始める。
小鳥の鳴き声が聞こえた。並木道の先に街並が覗いている。
「噂になってたのか、二年次からの編入では目立ってしまったかな」
「編入はさほど珍しくはありませんわ…バルト様の婚約者とはどのようなお方なのか…という噂です」
木陰の湿った空気が心地よく吹き抜けていく。ゆっくりと歩きながら、メアリの言葉の続きを待った。
「みなエリウス公爵令嬢のお姿を拝見したことがなかったものですから…家に閉じ込められた深窓の令嬢なのではないか?家柄をかさにきた高飛車な一人娘かしら?世間知らずの箱入りお姫様では?…なんて、いずれも違っていたのですね」目を細めたメアリの視線とぶつかる。
「そう?あながち間違っていないよ?」
「いいえ、深窓の令嬢でも高飛車でも箱入りでもありませんでした。クラウディア様は信頼できるお方です」
真っ直ぐなメアリの視線に気恥ずかしくなる。
照れから顔を背ければ、フィーネのニヤついた顔が視界に入った。
「僕もクロー様を信じています」
…知ってるよ、フィーネの言葉に小さく返し、メアリに向き合おす。
サァァァ、木々の葉が風に揺れる。
道の石ころがつま先にあたった。
「私もメアリは信頼できる人物だと思うよ。これからよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
人の優しさとはあたたかい。
安心、というものなのだろうか。
学生も悪いものではないと思える。
並木道を通り抜け、市街地へと出れば人が集まり賑わっていた。
市場から1本中に入り、ミントグリーンの看板を下げたお店へと入る。
カランカラン、扉を開けばベルが鳴った。
「これだ。マリンが買ってきてくれたマカロン。メアリはどれが食べてみたい?」ショーケースを見ながら、メアリに訊ねた。
「どれもカラフルですわね、味が想像できないわ」
「僕は奥のカフェで席をとっておきますね」そう言って、木製の扉を抜け奥に続くカフェスペースへと消えていった。
「美味しそうで、どれも選べないわ」興味津々の顔でメアリはショーケースを眺める。
「じゃあ全種類買ってみて、みんなで分け合おうか…すみません!マカロン全種類を三個づつください」
「え!?多くありません…?」
「選べないんだろう?」
「それは言葉のあやといいますか…!」メアリは焦ったように口を開く。
「そういえば、ここ隣接するカフェにはチョコレートもあるんだよ。あとで注文しよう」
「カロリーのお化けです!」
「カロリーにカロリーを足せばゼロになるさ」
「ただのカロリー爆弾生成しておいて、どんな理屈ですか!?」
「可愛い子は甘やかしたいじゃないか」
「久しぶりに会った親戚じゃないんですから…」
「飴ちゃんをあげよう」メアリの手に飴玉を握らせる。
「要りません」
「ありゃ、残念」飴玉を回収し、自身の口へ放り込んだ。
「カフェをご利用ですか?」店員の質問に肯定を返し、フィーネのいる店の奥へと進んだ。
カフェスペースは焦げ茶色の家具を貴重として、机に置かれたランタンが橙に灯っている。緑の植木鉢が壁際に置かれていた。
フィーネは窓辺の席で、こちらに手を振っている。
メアリとともに席につけば、水の入ったグラスが置かれた。
カラン、と氷が溶ける。
「ところで、クラウディアとフィーネ様はどのようなご関係なのかしら?」興味津々といった風にメアリは体を机に乗り出し聞いてきた。
「関係ですか…」フィーネが困ったように眉を下げ、こちらを見てきた。仕方ないので、私から説明する。
友人、同僚、部下…単語はいずれも当てはまらないように感じて、思いついた言葉を告げる。
「拾った」
「僕は犬ですか?!」フィーネが唖然と目を見開く。
「まあ、そんなものだろう?」
「ひどい!吠えますよ!?」
「吠えてもいいが、迷惑だから店の外へ出ろよ?1人で」
「ただの変質者じゃないですか」
「"僕は犬です"ってプラカードつくってやるよ」
「悪化した!」
「優しささ」
「悪意しか感じません」
「そういうプレイだと思え」
「変な性癖つくらないでください」
「あ!そうか、私たちはプレイを楽しむ関係だ」
「爛れた関係じゃないですか!」拗ねたようにフィーネは頬を膨らませる。
その頬を両手で挟み、パンッと叩いた。空気が漏れる音と不貞腐れた顔が面白くて、栗毛の頭をかき回す。
山盛りのマカロンとコーヒーや紅茶が運ばれてくる。
「仲が宜しいんですね」微笑ましいものでも見るように、メアリは目を細めてこちらを見いていた。
フィーネはその視線から逃げるように俯き、落ち着かない様子で手元の水グラスに手を伸ばす。
「拾われたのは本当です」
ぽつりと、フィーネが零した。
「栗毛の触り心地がよかったから、連れ帰っただけさ」
口の中にコーヒーの苦味が広がる。
カランと、氷が少しづつ溶けていった。