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3婚約しますか?

クラウディア・エリウス、それが私の名前だ。1歳年上の兄、クロードは1年前に母が病により亡くなってから行方知れずとなっていた。父は母を亡くした失意から自室に籠ってしまい、陽の光を浴びることは久しくしていないだろう。


さて、ここで困った事態が発生した。


エリウス公爵家は王家に仕える貴族である。

父が働かなければ公務は滞り、本来その穴を埋めるべき長男が不在となれば、多くの者にその余波がきてしまう。そうした事態を免れるためには公務をこなすしかないのだが、悲しいかな貴族社会…公務を行うは男性の仕事であり、中には女性もいるのだが、いかんせん発言権は低くなってくる。

そこで思いついたこと、それが兄への成り替わりだった。

幸いなことに長身であり、悪人面とも称される切れ長の瞳は中性的な雰囲気を醸してくれる。声音は女性にしては低音であり、声変わりを終えていない少年と思えなくはない。

「クロード・エリウスにございます。国王陛下への謁見をお願い申し上げます」扉の前に立つ騎士へそう告げれば、すぐに扉を開けてくれた。

「ああ、よく来たね。クロード…お父様の件は非常に心配している。しかし、君がこうして頑張っているところを見てあげられないとは、親として寂しい部分もあるだろう。さあ、座りなさい」玉座に王の姿を認め、片膝を床に立てて頭を垂れた。

「エリウス公爵家嫡男、クロード・エリウスと申します。この度は、謁見をお許しいただきましたこと大変光栄に存じます」

「顔をあげなさい」王の言葉を聞いてから面をあげれば、以前と変わりなく美しい王の姿が目に映る。

「話があって君を呼んだんだ」」張りのある声が鼓膜を揺さぶる。微笑みとともに刻まれる皺も決して年を感じさせるだけではない。

「ご用件をお聞かせ願えますか」

「妹さんがいるね」

「はい、クラウディアと申します」

今日はなにやら、私の話がよく出るようだ。

「もうすぐ17歳だろう?どうだろう…カロリング学園に入れてみる気はないかい?」

カロリング学園、王家が運営する貴族向けの学び舎の名だ。身分に依らず官吏や女官を目指す者が通う学園として位置づけられているが、実態として平民から入学に至るケースは極めてまれである。

「学園ですか?」

一般的に16歳に到達した貴族の子息や令嬢は、一般教養を身に着ける意味合いで学園へ入学することが多い。

だが義務ではなく、必須というわけでもないのだ。

「ああ、実は学園に我が愚息も通っていてね。同じ年の子供同士、仲良くなれるきっかけになればと思ったんだ」

「お心をさいていただきましたこと、感謝に堪えません。しかし、こればかりは妹の意志を聞いてみなければ…父の件もありますから」今ここで私が学園へ通い始めれば、公務が滞り本末転倒も甚だしいと言うしかない。

「わかっているよ、だから…これはまあ気が向いたらでいい。本題は別でね…」そう言うと王は手近な騎士を手招きし、なにやら指図を出す。

「本題といいますと?」先を促すが王はニヤニヤと笑みを浮かべたまま何も言ってはくれなくなった。

嫌な予感がする。

こういう時の王はろくでもないことを考えているに違いないのだ。

父に連れられ王と謁見する中で、王のニヤけ顔にはいつも悩まされていたことを思い出した。


「失礼します」


扉が開き、見知らぬ少年が入室してくる。

私は即座に頭を下げる。

誰かは分からずとも、その身分は一見して王家とわかる。

金糸の短髪は王と同じもの。私よりまだいくらか低い身長は華奢な少年のそれではあるが、人を従えることに慣れている様子は王族と言って差し障りがない。

「御用ですか?お父様」不遜な態度の少年は王に向かって開口一番そう言った。

「クロード楽にしていい。これは我が愚息でね、名をバルトと言うんだ」

「お初にお目にかかります。エリウス公爵家嫡男、クロード・エリウスにございます。」頭を下げたまま名乗る。

「あんたがクロードか」少年は気にくわないと言いたげに鼻で笑う。

「すまないね、長い反抗期真っ盛りなのだよ」

「いえ、とんでもございません」

王はバルトへと近寄り、肩に手を置いてからこちらへと向き直る。

「さて、本題なのだけれどね…君の妹、クラウディアと息子の婚約を申し願いたい」

「…妹ですか?お言葉ですが、バルト殿下との婚約となりますと将来的には王妃となる存在、妹に務まるとは思えません。お考え直しください」

「すぐに断りをいれるなんて、さてはシスコンかい?」

「いえ、決してそのようなことは…」真面目な話に冗談を交えられると困惑せざるを得ず、どうしていいか目を泳がせてしまう。

「エリウス公爵家はあまりにも多くの権力が集中している。王家を中心とするピラミット式の爵位制度を改めんとする勢力が君を利用しようとしていることには気づいているだろう?」

「はい、私の不徳の致すところにございます。」

「責めているんじゃないんだよ、ただね…君を中心に勢力が分断しようとするなら、君と結びついてしまえば話が早いと言いたいんだ」王はすっと目を細める。

「王家と強い結びつきがあることを周囲に示せますね」

王の言葉を聞いて、これは断るべきではないと冷静に判断する己がいた。

妹…つまりは自分自身のことであるはずなのに、実感が薄くどこか他人事のようにさえ感じられる。

クロードとして公務に関わっている中、存在する派閥や王にあだなす勢力との調整に苦慮した経験は一度や二度ではない。

「いいお話しかもしれませんね」

請け負っていい話のように感じられた。


「それじゃ、あんたの妹は人質と同じじゃないか?」


急に割って入ってきた声にはっとさせられる。

それは今まで黙っていたバルトの声だった。

「黙って聞いていれば、親父はあんたが王家に盾突かないよう妹を差し出せと言ってるんだぞ?」不機嫌な表情を取り付くおうともせずに、言い放たれる言葉に裏はない。

「婚姻は家と家の結びつきにございます、バルト殿下」私は彼に言い聞かせるようにそう言ったが、それが気にくわなかったのだろうか。

彼は一気に歩みを詰めて、私の眼前まで迫ってきた。

背伸びをした彼に両肩を掴まれる。

「俺なら嫌だね、どこの馬の骨とも知らない男のとこに嫁ぐなんて」睨みあげられながら、告げられた言葉は甘く響く。

「おい、やめんか!クロード申し訳ない!」慌てて引き剥がそうとする王の声は遠く耳に入ってこなかった。

「…バルト様は嫌ですか?妹との婚約は」

「あ?そうだな…あんたみたいな薄情な兄と家族になるのは御免だな」そう吐き捨てると彼は私から離れていく。

頭の中が真っ白で、動けなくなっていた。

「すまないねクロード…おや、顔が赤いようだが熱でもあるのか?体調不良の時に申し訳なかったね、また話そう。下がっていいよ」

「申し訳ありません。失礼いたします。」体調不良というわけではなかったが、有難く席を立たせてもらうことにした。

そのまま退出し、しばらく続く廊下を進んでいく。

「なんなんだ…」

柄にもなく火照る頬を両手で挟み込みパンッと叩く。

いつもより両足に力を込めて、勢いよく脚を前へ投げ出していった。

これからの仕事について段取りを考えようにも、すぐに思考は霧散する。

薄紫の瞳が脳裏にちらついて集中できない。

緑の葉をつけた木々はサァァ…と音を立てて遠く過ぎていく。

「ふぅ…」深く息を吐き出した。

夏も終わろうとしているように冷たい風が凪いでいく。

「仕事しよう」言い聞かせて前を向いた。

無機質な大理石の廊下は人びとが世話しなく行き交っている。

スカートを履く女性は侍女ばかりで、女官として働く女性はほとんどいない。男性社会のこの場所で、慣れるまでは萎縮していたことが懐かしい。

羽織ったジャケットの襟を正して背筋を伸ばす。

見慣れた扉の前で足を止める。

「おはよう」声を掛けながら扉を開いた。

「おはようございます」返ってくる返事に安堵しながら、自身のデスクへと向かった。

「クロード様、お時間よろしいでしょうか。こちらの資料ですが…」手渡された書類に目を通すと、女性差別撤廃法に対する審査請求書類だった。

「はあ、またこの旦那か?このような苦情対応のため時間を割かれるのは悲しいね」つい出てしまう本音は内輪しかいない職場内でのみ許される発言だろう。

「そう仰らずに…彼にも生活がかかっているのですからあ」

「けどな…妻を国に誘拐されたなんて人聞きが悪い。暴力を振るったのはあなたでしょうに、逃げる奥さん追いかけても悪戯に恐怖を煽るだけってわからないのか?」

「いかがされますか?」

「回答書を作成後に見せてくれ、裁判所へ提出するから。弁護士にも本件について相談を入れておくよ。奥さんには教会から決して出ないよう伝えて」いわゆるDV被害を受けた若い女性を教会で保護しているのだ。

私は机に設置された電話機に手を伸ばしダイヤルを回す。ただの電話であるのに豪奢な布が巻かれた造りは貴族らしいのか、らしくないのかセンスは不明だ。

相手方の声が聞こえ、話始める。

「やあ、久しいね。クロードだ。君に相談したいことがあるのだが、今お時間よろしいかな?」承諾の返事を待ってから要件を伝えた。

「ありがとう、実は審査請求を受けてね、そうそう以前話していた件だ。回答書に不備がないか確認してほしいのだが…――…そう言ってくれると思ったよ。ありがとう…—―…冗談じゃないさ、感謝している。ああ、今度な」受話器を置いて通話を終了した。

「今日の午後に弁護士のとこに回答書を持ち込むよ。私も内容をチェックしたいから、今日の午前中に案をあげられるかい?」そう指示を出す。

「承知しました。用意出来次第、午前中にお持ちいたします」

「ああ、頼んだ」この部署は本当に優秀な人材が多いと誇りに思う気持ちは日々持っている。私一人では仕事が回るはずもない。引き抜いた父の手腕は素晴らしいと感謝するしかないだろう。

机上に乗る書類の山はいずれも決裁を待つ部下たちの起案だった。順次目を通し判を押していく。

「クロード様は真面目なお方ですよね」部下の一人がそう声を掛けてきた。

「唐突だな、公爵家長男として不真面目ではいけないだろう?」

「仰る通りではありますが…細かな実務は私たち官吏に任せきりの方も多くいらっしゃいます。議会への出席は貴族の方々しか行えないとはいえ、執務室へ出勤しているのか、議会室へ出勤しているのか…分からないようなお方が一人二人ではないことも事実。こうして私たちのあげた起案に逐一目を通して頂いていること感謝いたしております」

「やるべき業務だからね…こちらこそいつもありがとう」なんとなく照れくさくなってしまい、侍女が入れてくれたブラックコーヒーに手を伸ばした。

苦味が眠気を一気に覚ましてくれる感覚は仕事中であることを自覚させてくれる。

「クロード様、市街地を徘徊していたため、昨夜から保護している高齢男性の引受先がないとして、騎士団から連絡がありました。いかがなさいますか?」慌てた様子で部下の一人が要件を伝えてくる。

「引受先がないって言っても…徘徊する以前はどこかで暮らしていたんだろう?お家へ帰すのが賢明ではないのかい?」コーヒーをお茶のようにすすりながら話を促す。

「それが…認知症状の悪化に伴い居住していた教会の窓を破壊し脱走に至ったことから、教会側としては再度の受け入れを拒否しており、行き場を失っているとのことで…」心底どうしていいかわからないという顔で眉を下げる彼はまだ若い。

「他に受け入れ可能な教会はないのかい?」

「衣服のあちこちから石やガラスの破片を出して周囲を威嚇するものですから、他の居住者に危害を加えられては厄介であるとして、どこも受け入れできない状況です」

「ふーむ…他害が疑われる危険な状態ということであれば、精神科病院への緊急措置入院も検討すべきだけど…精神疾患はあるかい?」

「いえ…通院歴自体がないとのことで、診断は下っていません」

「できれば措置はしたくないね…任意入院にもっていくため説得しようか。何か所か医療機関に連絡をとってみてくれるかい」

「やってみます」

「騎士団での任意保護は最大12時間程度だ…昨夜から保護しているとなると、急ぐ必要があるな。何人か手伝える者は連携して受け入れ先を探してもらえるかい」周りを見回しながら、手が空いていそうな者に声を掛けていく。

「すまないが、会議があるから私は1時間ほど席を外す」そう告げて席を立った。

いくつかの書類を手に持って、会議室のある広間まで急ぐ。

廊下を進み階段を駆け上がれば、ぎりぎりで会議室にたどり着いた。

会議室の中へ入れば見知った顔がずらずらと。

高価な衣服を身に着けている姿はいかにも貴族といった風情である。いくつかの勢力に分かれていることは一目瞭然で、座席も自然と同一の派閥でまとまっていく。

いずれにも籍を置いていない身としては肩身がいささか狭くもあるが、人が少ない扉近くの座席について会議開始を待った。

中央に座っているのは議会長を務めるルーブル侯爵だ。黒髪を刈上げ、刻まれた皺が威厳を感じさせる。

「それでは、みな揃ったところであるし始めるとしよう」ルーブル侯爵の声が広間に響いた。

「本法立案について説明は福務大臣、エリウス公よりお願いできますかな?」話を振られ、席を立つ。

「ご紹介に預かりましたクロード・エリウスにございます。本件について、僭越ながらわたくしよりご説明させていただきます。では、座って説明いたします。」

初めて法案説明を行った際は緊張で声が出なかった。けれど慣れとはすごいもので、今は淡々とこなすことのできる業務にすぎなくなっている。

この席に座る貴族はみな法律制定自体への興味など皆無に等しい。特に私が担う福祉分野は、だ。

興味関心は主に軍事政策や外交に向いており、それ以外の議案はほとんどお決まりの通過儀礼のようなものだった。

いつものように過ぎていく時間とともに、気づけば議会が終了していた。

「以上で本議会を終了とする」

みなが席を立つのと同じく、私も出口へと向かう。


「エリウス公」呼び止められ振り向けば、今朝方に会った赤髪の青年がいた。


「ラングストン卿…今日はよく話すね」彼の長く伸ばされた髪は緩いウェーブがかかっているが、後ろ髪は寝癖で飛び跳ねている。

「そうですね」優しげな笑顔は相変わらずだ。

「どうかしたかい?」

「ちらと噂に聞いただけですが、妹さん…バルト殿下と婚約するのでしょう?」情報が速いようで、つい先ほどの出来事がすでに広まり始めているらしい。

「いや、どうだろう?私にもわからないよ。用件はそれだけかい?」

「え?…いやまあ」

「悪いが急いでいるんだ。今日は失礼するよ、また今度話そう」

こういう類の話はボロが出てしまう自覚があった。

そそくさとその場を立ち去り、執務室へと戻った。

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