2日常業務に奔走してます。
「またこの夢…」
目を覚ますと見慣れたベッドと自室が広がる。
エリウス公爵家の長女として生を受け、父との二人暮らしには大きすぎるお屋敷の一室にいた。
「なんでいつも同じ夢ばかり」
知らない場所で働いている夢を繰り返し、繰り返し見ているが、いつだって最後は天井を仰ぎ、その生涯を終えてしまう。
私はこうして生きているというのに…。
「クラウディア様、紅茶をお持ちいたしました」ノックと共に侍女の声が聞こえた。
「入っていいよ、マリン」
「失礼いたします」マリンは手慣れた所作で紅茶を淹れていく。
ティーカップを受け取り、紅茶を口に含んだ。温かなダージリンの香りが肺に満ちていく。
「今日はいい天気だね」窓の外を眺めながら、何気ない話題を振る。
「さようでございますね」マリンは手際よく衣服をクローゼットから見繕い、白いワイシャツと黒のスラックスを取り出して、手早くハンガーから外していく。
「ねえ、マリン。お使いを頼んでもいいかい?」マリンの背中に声を掛けた。
「何なりとお申し付けください」こちらに向き直り、目礼とともに返事があった。
「マリンはマカロンが好きだったろう?」
「よく覚えてらっしゃいましたね」驚いたように目を見開く彼女の表情が嬉しくて、つい笑みがこぼれる。
「ふふっ、そんな君にお願いだ。お薦めのお菓子屋さんでマカロンを買ってきてほしい」お願いポーズと共にウィンクしてみせる。
「かしこまりました。お好みのお味はありますか?」淡々と要件を受けようとする彼女には真意が伝わっていない様子で。
「君が美味しいと思った味が食べたいな。それと、一人では心配だから、誰か誘っていくように」念押しのように、“誰か”を強調して語ってみるも彼女はなお食い下がろうとする。
「いえ、お使いであれば私一人でも…」
「マリン」
彼女の言葉を遮り、口元で人差し指を立てた。
「カフェに一人で行ってもつまらないだろう?多めにお駄賃を渡すから、少し道に迷ってから帰っておいで?」私はそう伝え、いたずらっぽく笑って見せた。
「お嬢様、それは…」
生真面目というのか、堅物というのか…少し肩の力を抜いてあげたいという気持ちだった。
「連れ添いは庭師さんにお願いしようかな?いいかい、お菓子屋さんへ二人でお使いに行くこと。道草も忘れないように、ね!」話は終わり、と両手を打つ。
固まる彼女から衣服を受け取り、着替えに取り掛かった。
「お手伝いします!」真っ赤な顔で慌てる様子を見れば、私の予想が外れていないことがわかる。
「では櫛を用意してくれるかい?」
さっと着替えを終わらせて、受け取った櫛で手短に梳かす。緩いウェーブがかかった銀髪をきっちりとまとめ上げ、ポニーテールにくくっていく。前髪をかきあげてオールバックにしてからワックスで固める。サファイアのネックレスを鏡台から掴みあげ、後ろ手にチェーンを留めてからワイシャツの中に仕舞い込んだ。
クローゼットから取り出した紺のジャケットを羽織り、黒色の編み上げブーツに足を通した。
鏡を確認すれば、青色の瞳と目が合った。
切れ長のツリ目はコンプレックスでもあるが、他者に中性的な印象を与えてくれることには助かっている。
扉へと向かいノブに手を伸ばしながら、顔だけ後ろを振り向いた。
「庭師さんと上手くいくといいね」からかい半分、幸運を祈る思い半分で彼女にそう声を掛ける。
「からかわないでくださいよ!」マリンは真っ赤になって抗議する。
「ふふっ、いってきます」
扉を閉めてから、父の書斎へと向かった。正確には“元”父の書斎というべきか。
しん、とした室内で積みあがっている手紙の山に手を付けた。
銀のペーパーナイフには家紋が彫り込まれている。
封を開け中身を出せば、茶会開催に関する招待状だ。
「ルーブル侯爵か…懐かしいな」過去に母とともに行ったルーブル侯爵家での茶会は各国のお菓子が振る舞われていたと記憶している。
ペンを執り、断りの書状を作成していった。
宛名書きが意外にも腱鞘炎を引き起こしそうなほど面倒な作業ではあるが致し方ない。
一枚一枚の書状に対して断りを入れるため、返事を書いていくこと1時間ほど経ったろうか。最後の手紙に手を伸ばした。
「失礼します」ノックと共に執事のセバスチャンが入ってきた。
「お嬢様、お時間でございます」
「わかった、今行く」私は最後の手紙を箱に戻し、席を立った。
執務室を出て廊下を進む。
他の部屋よりもいくらか豪奢な造りとなっている扉で立ち止まり、ノブに手をかける。
少しだけ押し開けて、顔だけをそこからのぞかせた。
「いってきます、お父様」薄暗い室内に対して声を掛けるが返事はない。
こもり切った空気は不健康さが全体的に醸し出されていた。
ゆっくりと扉を閉じて、控えていたセバスチャンとともに玄関へと向かう。
馬車に乗り込むと、セバスチャンからバスケットを手渡される。
「いつもありがとう」受け取ったバスケットからサンドイッチを取り出し口に放り込む。
「いえ、このくらいしかわたくしには出来ません故…いってらっしゃいませ」恭しく礼をする執事に頷き返す。
「行ってきます」
揺られる馬車の中でサンドイッチを口に次々と放り込んだ。
外は朝の景色で、人々は世話しなく動いている。城下町を抜けていき、遠く伸びる道を進んでいく。揺れる馬車の中でうたた寝していれば、いつの間にか目的である王都へと入っていて、そびえる門を抜けると美しい庭園が続いている。城内の敷地へと入っててすぐのところで、馬車から降りた。
城の1階部分は開放廊下となっており、窓や壁が取り払われ庭園を見渡せる造りとなっている。
正門もあるにはあるが、距離が遠いため億劫だった。
馬車から芝生を突っ切って、玄関でもなんでもない廊下の途中から侵入する。
秋風が髪を凪いでいった。
通路のすぐ脇には草花が揺れている。
聞こえてきた足音に視線を前方へと移せば、目立つ赤色が歩いてくるのが目に入った。
「おはようございます。エリウス公」赤髪の青年はそう声を掛けてきた。
「おはよう。ラングストン卿」にこりと笑みを返して、そのまま通り過ぎようとしたが、彼は横に並び歩きはじめた。
ラングストン男爵からすれば、来た道を逆戻りすることになる。
わざわざ私と話をしに来たのだろうか。
「お父様のお加減はいかがですか?」ラングストン男爵は心配そうにこちらを窺う。
「心配してくださってありがとう。身体的には問題ないよ、あとはお父様次第さ…今はまだ待つ時のようだね」
毎朝、繰り返し、繰り返し、返事のない部屋に対し”いってきます”と挨拶し、父の返事を待っている。
「そうでしたか…しかし、こうしてエリウス公が頑張ってらっしゃるのですから、すぐにまた元のお姿を見せてくださいますよ」
ラングストン男爵が眉を下げながらも元気づけようと声を掛けてくれるのは、純粋な善意と心配からだとはわかっている。
わかっているが、傷つかないわけではない。
「ああ、ありがとう」
詰まりそうになる言葉を抑えて、張り付けた笑顔を返した。
ラングストン男爵は気づかないふりをしてくれたのか、こちらを見ないまま話題を変える。
「それはそうと、妹さん…そろそろ17歳になりますし、社交界デビューも近いのではありませんか?お美しい方と聞き及んでおりますし、お兄様も気が気ではありませんね」悪戯っぽく笑う彼にどう反応していいか困った。
「いや、妹にはまだ早いさ」
「シスコンですか?お兄さん。それでは、妹さんに嫌われてしまいますよ?」
ラングストン男爵はそう言って軽く肘で小突いてきたが、廊下を左に折れることで距離をとった。
「心配には及ばないよ、では私はこれで失礼するね」
別れざまにそう答えて、ラングストン男爵とは異なる方向に廊下を進む。
「今度、妹さん紹介してくださいよ!」
「ああ、いつかな」それはできないけれど、と心の中で呟く。
だって私は兄ではなく、その妹自身なのだから―――。
「エリウス閣下。国王陛下がお呼びです、至急ご同行願えますか」
国王就きの騎士が一人、一礼とともにそう要件を伝えてきた。
「わかった、いま向かうよ」
私は騎士の後について、そう答えた。