藤原道隆四女 御匣殿(みくしげどの)
中関白、藤原道隆には四人の姫がいました。
長女は、一条天皇の皇后定子。
二女は、三条天皇の東宮妃としてあがった淑景舎の御方、原子。
この二人についてはすでに書きました。
三女は、冷泉天皇の第四皇子敦道親王の妃でしたが、道隆の死後は離縁されてしまいました。
一説では、精神に少し異常があり、親王の客人が着ている場に胸をはだけたあられもない格好で現れ、屏風の上から砂金をバラまいたりと、常軌を逸した振舞いがあったそうです。
冷泉天皇、花山天皇のご父子などが有名ですが、この時代そういった人は決して少なくなかったようですね。
今日ここで取り上げるのは、四女の「御匣殿」という方です。
御匣殿というのはもともとは、宮中の衣類の管理をする場所──または、そこを管轄する女官の長を指す役職名でした。ですが時代が下がるにつれてその意味も変わってきて、この時代には摂関家の子女が正式に入内をする前段階に任命される名前ばかりの役職となっていました。
『源氏物語』では、光源氏と密通事件を起こして朱雀帝へ、おおっぴらに入内することが出来なくなった朧月夜の君が、尚侍となる前にこの御匣殿の職についています。
御匣殿は、原子同様、何度か『枕草子』にも登場しています。
その容姿はとても美しく、また姉妹のなかで一番定子によく似ていたようです。
三度目の出産の直前、何か予感があったのでしょうか。
定子は子どもたちのことをこの御匣殿によく頼んでいたといいます。
はたして、三人目の子となる媄子内親王内親王の出産後、定子は亡くなります。
悲しみにくれる一門の人々。
御匣殿は懸命に残された皇子、皇女たちのお世話をしました。
その姿が、皇子たちを案じてしばしば訪れていた一条天皇の目にとまります。
御匣殿は天皇の寵愛を受けるようになりました。
やがて懐妊した彼女でしたが、その子を出産することなく身重のまま亡くなってしまいます。
まだ、十七、八歳という若さでした。
『栄花物語』には、『亡き皇后(定子)の御有様にも劣らず、物静かで控えめなお美しい方だった』と書かれています。中関白家は本当に美形揃いだったのですね~。
『枕草子』が定子とその一家を褒め称えるのは当たり前だと思うのですが、父の道隆、兄の伊周らも『大鏡』をはじめ、他の作品でもその容貌の美しさ、端正さを称えられています。
御匣殿の生涯は幸薄いものでしたが、もし生き永らえて男皇子を産んでいたら、道長一家が上り坂真っ盛りの当時、中関白家への風当たりはもっと厳しいものになってしまったのかもしれませんね。
しかし、『栄花物語』のなかで涙ぐましいばかりに、まだ少女の彰子に気を遣いまくっている一条天皇がその裏で、定子の面影を宿した妹姫に心を寄せていた……というのが、一条天皇&定子さまカップル推しの私としてはなんとも泣ける……。(彰子さんも好きなんですけどね 汗)