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2-1.地獄の生き方 [J.G]

育て方を間違えたのだと思う。

何度整えても何度言っても、少しでも目を離せばすぐにぼさぼさの髪とぼろぼろの服になっている養い子を見て、頭痛を覚える。

良いのか悪いのか、この少女は誰かにいじめられている訳ではない。まるで自らを否定するように、自分で自分の身なりを乱している。

死んだ目をした少女はまったく笑わない。それどころか、どんな感情も表に出さない。そもそも感じていないのかもしれないが。

しかし私の目には、少女が何かにひどく絶望しきって全てを諦めているように見えた。この子はまだ三歳だというのに。


「ナンシー、幸せになりたくはないのですか?」


もう言葉もわかるようになった少女の目の前にしゃがみ、私は優しく丁寧に問い掛けた。私は外面だけは良い。その方が生きられるからだ。

少女は――切ろうとする度暴れるので危なくて切れない為に伸び切った――前髪の隙間から、少しだけ目を上に向かせて私を見た。


「ナンシーなんて知らない。ナナは、ナナだもん」


少女は、かすれた小さな声でそれだけ言った。私は少女が声を発するのを聞いたのも久しぶりな事に気付き、苦々しい気持ちになった。

この子は、自分の名前が嫌いなのだろうか。ナナという呼び名は確かにナンシーのあだ名としてはおかしいものではないが。


「ではナナと呼びますね」

「……うん」

「ナナは何が嫌なのですか?」

「……」


会話が好きではないのか、それとも得意ではないだけか、少女の返答は遅い。私は笑みを絶やさず気長に言葉を待った。

ややあってから、少女がぽつりと呟くように答えてくれた。


「ここが、天国じゃないこと」


テンゴク? 聞いたことのないものだ。何を指しているのか見当もつかない。


「テンゴクが何か、教えていただけますか?」

「……天国は、優しいところなの。幸せなところなの。そこにパパとママもいつか行くの」


どうやらテンゴクとは場所の名前らしい。しかし、私から教えたわけでもない父親と母親の話が出たという事は……そのテンゴクとやらは、恐らく架空の場所だろう。

そういう幸せな所がこの世にはある、と少女が心の中で作った。そう考えるのが自然だ。

少女は先程まで黙っていたのが嘘のように、堰を切ったように話し出した。


「でもナナは天国に行けなかったの。きっとわるいこだったからなの。パパとママとお友達の優しいに、応えられてなかったの。お返しが足りなかったの。だから、ナナは、地獄に落ちたんだよ」


テンゴクとやらが、架空の幸せな世界。なら新しく出て来たジゴクとやらは、今のこの不幸せな世界を指しているのか。

つまり要約してしまえば、私の元に居ることが辛く不幸せで悲しいから、この少女はこんな有様らしい。

教会に来る人を見たり話を聞いたりして、普通父親と母親が居て子供が生まれるという事や、自分が一般的な環境で育っていない事を知ったのかもしれない。そうして空想の世界に逃げたのだろう。


そこまで聞いた私は、少女を置いて教会を出た。

……仕方ない。このまま育ててもあの死神達の言い残した「幸せにしてやれ」の条件は果たせなそうなのだから。

ならば、私は――




「つまりは、ナンシーの実の父親と母親の話聞きに此処まで来たのですか? エル様の監視という建前の本来の身辺警護の役割も放り出して? それはそれは」


ああ、ああ。そう言われるだろうから来たくはなかった。

私は無理やり笑顔を作って、死神の一人を見返す。特徴の薄い、何処にでも紛れられそうな顔立ちだが、中身も能力も事情も知ってしまってから彼らを見れば、あえて目立たないようにしているのがわかりその見た目さえも恐怖で薄ら寒くなる。

死神は、単純な圧倒的戦闘力にあぐらをかかず、暗殺や騙し討ちも視野に入れてどんな相手でも全力で息の根を止める。私が裏切った日には、どれだけ逃げても即日に何故か先回りしている死神に殺されるだろう。


しかし、そんな恐怖はいつもの事で、気持ちいいものではないが慣れたものだ。

この敬語を使う方の死神は、もう一人の方の死神よりも取り扱いには気を付けなければならないのでそれだけは注意するが、必要以上に怯える気もない。

私は態度からしてへりくだりつつ、言い訳する為口を開く。


「ナンシーは両親に会いたがっている、ようでしたので……」

「そうですか」


淡々と答えたのとは裏腹に、死神は舌打ちした。私はそれに条件反射で体を跳ねらせてしまう。

普段必要以上に取り繕っているこっちの敬語の死神の方が見るからに苛立っているという事は、私にまでとばっちりが来る程の怒りの危険性がある。だから怯えるのは生存本能。仕方ない事だ!

私のそんな内心での言い訳など知っていてもどうでもいいだろう敬語の死神は、嫌そうに話し出した。


「あの子の両親はクズです。会わせたところで状況が好転する事は万に一つもあり得ません。ナンシーが両親に夢を見ているなら、それこそ絶望するだけでしょうよ」


言い切られたそれに、私は目を見開く。敬語の死神は淡々と言葉を続けた。


「私も相棒も、ナンシーにとっての最善を考えた結果としてあなたに育てさせる事にしました。知る事が幸福とは限りません。ジャック、あなたならそれがわかるでしょう?」


敬語の死神の暗い瞳と目が合う。無論、否定出来ようはずもなく私は素直に肯定した。


「はい」


知るという事は――悩み苦しむ事だ。責任を負わされる事だ。戻れない、事だ。

私はいつだってそれに苦しめられた被害者だが、同時に死神達もエル様も、それに苦しめられた被害者だ。

だから、教えない方がいいと死神が言うのであればそうなのだろう。


最善と言われたあの少女の現状さえ正直見ていられないような酷い有様だが、それでも苦しみに底は無い。延々と、人は落ち続けられる。だからこれ以上苦しめる事をしてはいけない。


「期待していますよ」


それだけ言うと、話は終わりとばかりに敬語の死神は城へと戻って行った。私も止めはしなかった。

だが居なくなってから深い溜息と共に言った。


「期待されても嫌だし、私にどうこう出来ると思うなよ……」


大人として貴族として、目に見える害意から守るなんて簡単だ。

だけど平凡な人間には、特別じゃない私には、人の心を動かす何かなんてやり方もわからないから出来ないんだよ。荷が重過ぎる。現状維持がやっとだ。

ああ、少女の事情など聞きに来るのではなかった。情が湧きそうな話なんて聞きたくなかった。どうせ何も出来ないのに。


大丈夫。ああ、大丈夫だ。まだ私はあの少女を愛していない。

心の中では名前も呼ばない、ただの預かり子だ。

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