新規契約?
昔は魔物を倒した時は拍手喝采だった。しかし、今は気まずさでいっぱいです。佐藤さんはゴブリンの死骸のえぐさにえづいていた……いや、平然としている俺の方がおかしいのかもしれない。
「平野さん、魔法が使えるんですか?今の技は……」
今のは風のフェアリーの力を借りた技で、魔法ではない。俺も昔は魔法を使えた。でも正直今は自信がない。魔法に必要なのは正確なイメージ。常識が邪魔をして、消えずに飛んで行く火の球とかを想像する事が出来ないのだ。
「もう気付いていると思いますが、昔この世界に来た事があるんですよ。ただ、ちょっと面倒な立場なんで黙っていたんです。出来れば忘れて下さい。佐藤さんを巻き込みたくありませんので」
……ちょっとどころか世界規模で面倒な立場です。佐藤さんが俺の事を漏らしたら、誘拐される危険性もある。
「まさか精霊剣士のヘッタ……確かにまずいですね。そうだ、ちょっと待って下さい」
佐藤さんはそう言うとバッグから何かを取り出した。
「カッターとマスキングテープですか?」
職業柄なんだろうか。どこの製品でいくらするのかまで分かってしまう。あのカッター、ドイツ製のお高いやつだ。
「ちょっと剣を貸して下さい……これで良しと。これなら目立ちませんよ。誰にも言いませんから何があったか教えていただけますか?なんで黙って日本に帰って来たのかとか」
佐藤さんは剣の柄にマスキングテープを巻き始めた。そして契約の星の所だけカッターで丸く切りぬく。これなら目立たないし、マスキングテープを剥がせば契約の星に魔力を流す事が出来る。
「……俺は英雄の器じゃなかったんですよ。自分が殺した魔物の夢を見てうなされたり、世間のイメージと本当の自分のギャップに悩まされたりして、魔王を倒す頃にはもう限界でした。だから逃げたんです。日本に帰ってからも、随分苦しみました」
みんなが復興に頑張っている中、俺だけが暖かい布団でぐっすり眠っている。
多くの命を奪った癖に、自分だけ便利で安全な暮らしを享受している。
エスプリでは俺より小さな子が自活しているのに、親の庇護の下ぬくぬくと生きている。
何もしていないのに、何もしていないからこそ、責められている感じがしたのだ。
「PTSDですね。それは辛かったでしょう」
俺は卑怯者だ。自分に都合の良い情報しか佐藤さんに話していない。英雄の責務からも、イリスからも逃げただけなのに。
「今は逃げて来て正解だったと思います。あのまま、エスプリに残っていたら勘違い野郎になるか、お飾りにされるかのどっちかだったと思いますよ」
どっちにしてもろくな奴にはならなかっただろう……今が育成成功とは言えないけど。精霊にも国からも見放されて路地裏死亡エンドよりはましだと思う。
「それで、これからどうするんですか?」
出来れば何もトラブルに巻き込まれずに二カ月を過ごしたい。しかし、フェアリー達に俺が帰って来たのは知れ渡ってしまった訳で。
「今の俺は精霊剣士ヘッタじゃなく、サラリーマンの平野平太です。本社のご意向に従うだけですよ。後任の人が来るまで人脈を広げようと思います」
異世界物の定番ボールペンを渡せば、人脈も広がると思う。カタログを見たら、丁度良いのがあったし。
幸いな事に鉱山関係者から別の鉱山を教えてもらう事が出来た。
「しかし、このボールペンってのは便利ですな。こんな貴重な物を無料でくれるなんて、異世界は余程裕福なんでしょうな」
鉱山の売買担当者が持っていたのは、企業のロゴ入りのボールペン。ご丁寧にエスプリ文字で書かれている。あれと百均は俺の天敵なんだぞ。
「か、紙は破けませんか?」
あの手のボールペンに高品質な物は少ない。不便を感じていればワンチャンスある。技術革新なんて、そうそう起こるもんじゃない。この世界の紙の質はまだ悪いはず。日本から紙を転移するには、コスパが悪いし……頼む、ワンチャン来い。
「まだ出回っている量は少ないですが、ワシと言う紙を使わせて頂いているので大丈夫ですよ。地元の人間を雇用してのワシ工場も軌道に乗っているそうですし、皆様には感謝しています」
……まじか?転移のコスパを考えると、利益はかなり少なくなる。高級万年筆なら富裕層に売れるかも知れないけど、売れ残れば大ダメージだ。筆記用具は諦めよう。市場調査して売れる商品を探すしかないか。
◇
小さな問題が起きた。日誌にどこまで書けば、部長に気にいってもらえるんだろう。新しい鉱山やノベルティグッズのボールペンが出回っている事は必須だ。問題は騎士やゴブリンの事である。後任の人の事を考えると、ゴブリンに関する注意点も書いておいた方が安全かもしれない。
(一番の問題は明日の予定がない事なんだよな。カルームさんに頼んで騎士にボールペンを渡しにいくか……アポを取ってないから止めた方がいいな)
紹介してもらえた鉱山に行くのは来週である。佐藤さんのアドバイスによると、精製前の鉱石事送った方が良いらしい。
(する事もないから、寝るか)
パジャマに着替えた途端、その声は聞こえてきた。
「ヘータ、そこにいるのは分かっています。この窓を開けなさい」
俺の部屋は二階にある。それにも関わらず、窓の外から声が聞こえてくるのだ。
優しく、涼やかな声である。女性の様にも聞こえるが、男性独特の力強さも感じられる。
(でも、どこかで聞いた事のある声なんだよな)
「ドーファン、ヘータが賊に襲われている危険性があります。私の雷で窓をぶち破ります」
この世間ずれした物騒な発想。それにドーファンさんを呼び捨てに出来るとしたら。
「サツーカ様お待ち下さい。今開けますから」
大慌てで窓を開けると、人間が宙に浮いていた。二人共も人間離れした美貌の持ち主である。
「ヘータ。久し振りですね。貴方は猿人だから、もう耳が遠くなったのかと思いましたよ」
そう言って柔和な笑みを浮かべるのは、シルフのドーファンさん。淡い色のカーディガンを羽織り、純白のパンツをはいている。一見すると女性にも、見えるが立派な男性なのだ。女性シルフの間にはファンクラブまであるらしい。
「私達の声が聞こえなかったのは、あれが原因ですのね。危うくヘータが襲われていると勘違いして、窓を壊す所でしたよ」
穏やかな笑みを浮かべながら、物騒な事を言うのはサンダーバードのサツーカ様。風の精霊の頂点におられるお方だ。サツ―カ様は純白のドレスを身にまとっている。二人共二次元から飛び出してきたような、人間離れした美貌の持ち主だ……まあ、二人共、人間じゃないけどね。
「あれって翻訳機能のついたマジックアイテムの事ですか?」
確かに、あれを騎士に渡した途端、風のフェアリー達の声が聞こえた。
「そのマジックアイテムにはブロキュスの石が使われています。ヘータ、壊しても良いですか?」
ブロキュスの石は魔力や精霊の力を遮る事の出来る石だ。エスプリでは忌み嫌われているが、絶縁体代わりに使ったんだと思う。
「ちょっと待って下さい。ブロキュスの石だけ取り除きますので……でも、良くこの場所が分かりましたね」
このマジックアイテムは、もらったのでなく貸与扱いになっているそうだ。壊されたら弁償しなきゃいけなくなる。
十徳ナイフについていたドライバーでバッチを分解し、ブロキュスの石だけ取り除く。これは、これで保管しておいて返却する時に組み込みなおそう。
「契約を解除したとは言え、貴方の魔力を覚えています。それにその子が詳しい場所を教えてくれましたので……ラルバ、出て来なさい」
ドーファンさんがそう言うと契約の星から、一人の風のフェアリーが飛び出してきた。
「一人残っていたんですね。この子を迎えに来たわけじゃないですよね」
ドーファンさんだけなら、その可能性も高い。しかし、フェアリー一人を迎えに行くのに、サツ―カ様まで来るのはおかしい。出来たら旧交を暖めにきただけであって欲しいな。
「相変わらず察しが良いですわね。今、エスプリでは色々な問題が起きています。精霊関係だけで構いませんので、ヘータが解決してもらえますか?」
問題と言っても大小様々ある。今の俺に出来るのは、日本人技術者の仲介くらいなんだけど。
「しかし、移動手段がありませんよ。馬車だと時間が掛かり過ぎます」
現場に視察に行って、ここに戻り相応しい日本人技術者を探す。それからまた戻ってなんて効率が悪過ぎる。
……昔ならドーファンさんやサツーカ様の力を借りて、空を飛ぶ事が出来たけど自由のじの字もなくした俺じゃ契約は無理だろう。
「大丈夫ですわよ。契約は出来なくても、加護を与える事は出来ます。それにフェアリーなら契約出来ますし……ラルバを通じて今の貴方が契約相手に相応しいか判断させてもらいます。そうですね、貴方が本当の自由に気付けたら、再び契約しますね」
サツーカ様は優しい顔でそう言うが、絶対に落ちる自信がる。今の俺は法律や常識にに縛られたつまらない大人だ。金曜の夜から月曜の朝に備えておくタイプなんです。
「この子を媒介して飛空の加護を発動させれば良いんですね。それにしても随分大人しい子ですね」
普通の風のフェアリーなら、隣の部屋に聞こえるような声で騒いでいる筈なんだけど。
「才能はある子なんですが、引っ込み思案なんですの。自信さえ持てばシルフになれる筈です」
ギブアンドテイクって事か。力を貸す代わりにこの子を育成しろと。ついでにラルバに俺を監視させる算段なんだろう。
「皆さん、お元気ですか。ユニコーンのユウキ様やイフリートのコロコ姐さんとか」
ユウキ様は精霊の頂点におられる方で、コロコ姐さんは昔世話になった人だ。
「みんな、元気ですよ。コロコは会いに行くのが遅くなると怒るかもしれませんね。では、契約出来る日を楽しみにしています」
コロコ姐さんが根城にしている火山地味に遠いんだよな。
「分かりました。何かありましたら、連絡して下さい。ラルバさん、お願いしますね」
出来る限り優しい笑顔を浮かべて、ラルバに話し掛ける。
「よ、よろしくお願いしますなの~」
俺の顔が怖いのか、それとも自身がないのかラルバは涙を浮かべながら答えてくれた。




