異世界のお役所仕事
……今回の異世界交流プロジェクトは政府がメインで動いている。悪い言い方をすればお役所仕事。
(これをエスプリでつけろって言うのか?)
翻訳機能が付いていると言う道具はかなりダサいバッチでした。日の丸から連想したのかバッチには太陽のイラストが描かれていた。
昭和テイストな絵柄でサングラスを掛けた太陽がピースをしているのだ。
“日本と言えば日の丸。でも、日の丸をバッチにしたら、日本とエスプリの関係がばれてしまう。日の丸と言えば太陽。だから太陽をモチーフにしたナウでヤングなイラストにしました”
そんな会話が聞こえてくる。
「平野さん、ゲートを潜った先に転移部屋がありますので、中にお入り下さい。数分でエスプリに転移します。転移した後は向こうにいる職員の指示に従って下さい。それとゲートを潜る前にこちらの書類に署名捺印をお願いします」
言われるままに数枚の書類に名前を書き、ハンコを押す。ふと書類入れを見ると、左に傾けて捺印されている物があった……習慣って怖い。
対応はお役所仕事だが、転移は本当らしい。ゲートを潜り抜けた先は普通の廊下だったけど、マナが濃くなっていたのだ。
(マナの出所は、あの部屋か……ここもお役所仕事が、ファンタジー感をぶち壊しているな)
エスプリ転移待機室と書かれたドアを開ける。広さは畳一畳分くらいしかない。部屋の中にあるのは一脚のパイプ椅子だけ。
エスプリとの交流が始まって一年も経っていないのに、これだけの設備が造られた事に驚く。それだけ政府も本気だって事だろう。
(みんなにどんな顔して会えば良いんだろう)
自分の仕事を卑下する気はないが、昔一緒に戦った仲間は国の第一線で活躍していると思う。富も名声も手に入れ眩しいくらいに輝いている筈。俺もエスプリに残っていたればお大尽みたいな生活が出来てた思う。
……でも俺は逃げたんだ。戦う事や責任ある立場から……そして彼女からも逃げて、日本に帰ってきた。
その俺がまたエスプリに戻って来たと知れば、あの頃の仲間はどんな反応するんだろうか。再会を喜んでくれるだろうか?いや、パッとしない俺を嘲笑するかも知れない。
勝手に帰って、辞令が出たからまた来ましたなんて身勝手過ぎるよな……やっぱり会わない方が良いかもしれない……事前にアポを取らないと会えない人ばかりだし。アポを取る手段も伝手もないんだよな。
部屋が魔力で満たされていく中、色んな事がとりとめなく頭に浮かんできた。
◇
俺がエスプリに召喚されたのは高校一年生の夏休みだった。部屋で音楽を聴きながらボッーとしていたら、光の奔流に飲み込まれたのだ。そして気付いたらいつの間にか見知らぬ部屋にいた。
召喚されたのは俺と猛の二人。猛と話をしていたらお約束のように姫と騎士が出て来て
“勇者様、魔王を倒して下さい“
と……猛に言った。後から聞いた話では勇者の因子を持つ猿人は殆んどいないそうだ。ついでに姫が猛に一目惚れしたのも原因らしい。
そこから俺と猛は戦い方の基礎を教え込まれえ、魔王軍との戦いに身を投じたのだ。パーティーは勇者の猛・精霊剣士の俺・鹿人のレンジャーフェーフ・ドワーフの神官アイゼン……そしてエルフの魔法使いイリスの五人。
文字通り命を懸けた戦いだったけど、あの五人での旅こそが俺の青春だった。日本に帰って来ても親の世話になっているのが、歯がゆく高校卒業と同時に就職。何人かと付き合ったけど、結婚には至らなかった。
(家庭でも持っていれば、堂々と会えるんだけどな……うん?もう転移が終わったのか?)
魔力の流れが落ち着くのと同時に、部屋の扉が開いた。まずい、エスプリの人間なら俺が誰だか分かるかも知れない。混乱を防ぐ為にも、偽名を使うべきだろうか?
「え―と平野平太様ですね。ようこそ、エスプリへ。まだ体調が優れないと思うので宿屋でお休み下さい」
扉を開けたの日本人だった。しかもスーツを着て髪を七三に分けた真面目そうな男性である。恐らく転移で体調を崩す人が多かったんだろう。俺の場合、マナが豊潤にある分むしろ体調は良い。
「ありがとうございます……ここが異世界なんですか?」
(しかし日本人ってのは、どこに行っても日本を作るんだな)
扉の向こうにあったのは昭和の村役場を連想させる和風の木造建築だった。でも木材が新しいので、妙な違和感を覚えてしまう。平屋で十人も入れば手狭に感じる大きさだ。
「ええ、鉄筋やコンクリートは転移出来るのですが、重機が転移出来ないので現地で木材を調達して作ってもらいました。宿は玄関を出て右手にあります。落ち着いた頃に、身の回りを世話をする者が訪ねていくと思います」
この建物を建てたのは、日本の大工さんらしい。日本を思い出せる数少ない建物で、転移してきた日本人の心の拠り所になっているそうだ。
「ご丁寧にありがとうございます。町の中を見て回る事は可能ですか?」
俺がいなくなった二十年で何が起きたか知りたい。エスプリは平和なのか?昔の仲間はどうしているのだろう?……そしてイリスは幸せななのか?知りたい事は山ほどある。
(良く考えれば身勝手な話だよな。最近じゃ滅多に思い出さなくなった癖に)
いつまでも昔の栄光にすがってられないので、エスプリの事をわざと忘れようとしたのだ。その癖、エスプリに来た途端、元カノの現状を探ろうとしている……もう、結婚して幸せに暮らしているって分かっているのに。
「二時間後にこの世界に関する説明会を開きますので、それからにしていただけますか?」
冷静に考えれば転移してきたばかりの異世界人が、英雄の話を根掘り葉掘り聞いて回るのはかなり怪しい。しかも結婚した元カノの現在を知ろうとするなんて犯罪一歩手前である。
「分かりました。これからよろしくお願いします」
扉を開けて外に出ると真っ青な空が目に飛び込んで来た。日本の空より濃い青で、それでいて澄み渡っている。建物は昔と変わらずレンガ造りの物が多い。
町の人々は西洋人に近い容貌で、髪は金色や茶色が多い。
(エスプリに戻って来たんだな……二カ月間、足掻いてみるか)
前回と一番違うのは俺が大人になっている事だろう。昔は何も知らない子供だったから、何も疑わないで魔王軍との戦いに身を投じる事が出来た。
今考えればとんでもない話である。縁もゆかりもない子供を無許可で召喚して、魔王を倒してくれなんて犯罪にしか思えない。
俺は帰れたから良いが、もし残っていたら両親や友人はどれだけ心配した事だろう。事実、猛の両親は未だに捜索を続けているそうだ。
……おかしい。外に出たのに全く精霊を見かけない。昔だったら一人になるのが大変なくらい精霊が寄って来たのに。
……いや、おかしくない。精霊を見るには純粋な心が必要だという。俺はもう三十五歳だ……純粋な心を持ったまま大人になるなんて不可能だ。
昔と違い嘘もつくし、夢や希望もなくした。変化を求めようとせず、ただ無難に過ごす事だけが日々。精霊が毛嫌いするつまらない大人になってしまったのだ。
(こりゃますます昔の仲間に会わせる顔がにないな)
◇
日本人が利用している宿屋は石で造られた大型の宿屋だった。まだ新しいところを見ると日本とコンタクトを取る前から作っておいたのかも知れない。
宿屋のカウンターには日本人男性と現地雇用と思われる女性がいた。
「すいません。転移して来た者ですが」
頭を下げながら日本人男性に話し掛ける。
「転移お疲れ様です。日本語で構いませんので、こちらにお名前をお願い致します」
差し出されたのは羽ペンと質の悪い紙。厚さが均一ではないので、ボールペンだと引っ掛かって破けてしまう危険性がある。
(この紙質だと硬度の低い鉛筆でも、消しゴムを使った時に破れてしまうか。紙に負担を掛けないボールペンが売れるんじゃないか……問題は転移に掛かるコストだよな)
筆記用具はあくまで日用品である。ステイタスを証明する為に高級な物を求めるお客様もいるが、気軽に使える安さがなければ一般の人には普及しないと思う。
どうやら俺は元英雄ではなく、骨の髄までサラリーマンのようだ。