久し振りの転移
強面にお兄さんに囲まれてのドライブ。しかもお兄さん達が巧みにブロックして、どこを走っているのか分からない……そんな事をしなくても、田舎者は東京の道なんて分からないのに。
唯一分かったのは、車がどこかの地下に入って行ったって事だけだ。
「着きました。降りて下さい」
強面お兄さんAが先に降りていく。そして後ろから押されるような形で俺も降りる……まじっすか。そこに広がっていたのは衝撃的な光景だった。
良く言えばシンプルな空間である。床や壁には一切の装飾がなく、一面グレー。唯一あるのは天井についている蛍光灯のみで、掲示板すら見当たらない。
そして十数脚のパイプ椅子と、それに越し掛けているスーツの人々。年齢性別、全てがバラバラで一見すると無作為に選ばれたかのように見える。
(ここまで素性を隠すか……まっ、本気で異世界に好んで行きたがる奴なんていないよな)
いるとしたら厨二病に掛かった奴か、人生に失望した人くらいだろう。しかもここにいるのは、会社を代表しているエリートさんばかりだ。何が待ち構えているか分からない異世界になんて行きたくない筈。エリートでもなく、どんな世界か知っている俺ですら気が乗らないんだから。
強面兄さんAに促され、空いているパイプ椅子に腰を掛ける。こんな時も誤解されないようにと、女性の隣を避ける自分が哀しい。
「失礼します。隣よろしいですか?」
先に座っていた男性に声を掛ける。五十半ばくらいだろうか。知的で優しそうな人だ。
「どうぞ。あっ、私は星菱の佐藤一と言います」
星菱財閥、四井と並ぶ大手の財閥だ。身に付けいる物は全て一流品である。それなのにおごった所が全くない。こういう人を本当のエリートっていうんだろう。
「めだか……じゃなく四井の平野です。よろしくお願い致します」
二ヶ月限定だけど今の俺は四井商事所属だ。嘘にはならないと思う。
会話を続けようとしたが、強面兄さんが無言でにらんできた。静かにしろって事だろう。強面集団が睨みをきかせている所為か、誰も話をしない。
十分くらい経っただろうか。一人の男性が姿を現した。
「皆様、初めまして。高野厚と申します。諸般の事情で勤めてる省庁や部署は言えませんが、私が今回のプロジェクトの責任者になります」
省庁って事はお役人さんか。つまりここは政府の施設で、強面兄さん達はSPとかなんだろう。
そこから長い説明が始まった。でも、情報は小冊子に書かれていた物と殆んど変わらない。
「向こうの世界は危険性が高く、政府も強く干渉できません。場合によっては命の保証を出来ない事もありますが、それでもよろしいという方だけお残り下さい」
しかし、誰も席を立たない。まあ、異世界と言われても今一ピンと来ないんだと思う。危険性も治安が悪いくらいにしか感じてないのかも知れない。
こっちの世界でいう人間は、エスプリでは猿人と呼ばれている。そしてエスプリにおいて猿人は生態系の頂点ではない。
ドワーフやエルフの様な他人種。人知を超えた存在である精霊や神。人を餌だとしか思っていない魔物。そして強大な力を待つ魔族……紛争地帯より治安が悪いかも知れない。
(一応、仕込みはしておいたけど、精霊と再契約出来るか微妙なんだよな。下手に契約したら、面倒事に巻き込まれるだろうし)
昔の知識を活かしつつも、上手く立ち回って本社に採用……とまではいかなくても、パイプくらいは作っておきたい。
「もう少し詳しいデータはないんですか?先ほど説明とおっしゃいましたが、小冊子に書いてある事と同じですよね。こんな物でコンセンサスを得られるとお思いなんですか?」
最初に口を開いたのは二十代中ごろの知的なイケメンだった。態度はあれだけど、正直ありがたい。俺は優秀なビジネスマンに囲まれながら真っ先に発言する度胸なんて持っていないのだ。
「今回のプロジェクトは国家機密です。ですので参加して下さる方だけに詳しい情報をお伝えします。まず皆様が転移して頂くのは、ラシーヌ王国でございます。皆様はその道のトップにおられる方だと伺っております。何をして頂くかは、個人々で違いますので」
……ちょっと待て。俺は営業マンだけど、お世辞にもトップではないぞ。異世界で文房具のルート開拓をしろって言うんじゃないよな。
(……ラシーヌか。トロンともフールルとも離れているし、顔見知りも少ないから助かる)
そこから詳しい説明があったけど、俺の知っている情報ばかりである。
説明会が終わると江里部長が近付いて来た。
「平野、上手くやれそうか?」
俺の方が年上なんだけども、年齢より役職の方が物を言うのが会社だ。ため口で話し掛けられても笑顔で応対する。
「向こうに行ってみない事には、何とも言えませんね」
ここで任せて下さいと言ったら、しくじった時に責められる。なにより向こうで何をしたら、良いのかも分からないんだし。
「君には現地の人との交渉役になってもらう。向こうとの共同開発で作った翻訳機能付き道具があるらしい。安心しろ」
……俺の心配は言葉じゃないんだよな。道具がなくても言語スキルは持っているし。
先の事を考えても仕方ない。今は花の都東京を満喫するとしよう。この日の為に、きちんとネットで下調べしておいたのだ。別れ際、部長から日報を手渡された。休みの日以外は夕方四時に提出しないといけないらしい……でも、なに書けばいいんだ?本日はオーク三匹討伐。毛皮を加工場に預ける……変だよな。
部長に別れを告げて会場を後にしようとした時、佐藤さんが話し掛けて来た。
「平野さん、良かったらこの後一杯どうですか?池袋にマンサンっていう良い居酒屋があるんですよ。値段も手頃だし、接客も気持良いんですよ」
ネットより安心出来るし、何より天下の星菱と繋がりを持てるのは嬉しい。
移動の間、話をしたら佐藤さんは何年も外国に行っていたそうだ。しかも単身赴任、後数年で終わりって時に転移の辞令がくだったそうだ。
「佐藤さんのお住まいはどちらなんですか?」
東京の人なら、一次会で失礼して夜の東京を満喫させてもらおう。
「東京ですよ。でも、何年も家から離れている所為か、居場所がないんですよ。今日はホテルに泊まって、そのまま向こうに行こうと思っています」
普段は稼ぎ良くてビジネスマン羨ましいと思っていたが、エリートさんはエリートさんで大変なようだ。
一時間くらい過ぎた頃だろうか。突然、佐藤さんの携帯が鳴った。
「ああ、父さんだ……また明日立たないと駄目なんだよ……ああ、子供達を頼む」
会話からすると電話の相手は奥さんのようだ。正直気まずいです。ぎこちない会話を続けていたら、子供を連れの中年女性が近付いて来た。
「パパー、お帰りなさい。由華ちゃんと良い子にしてたよ。ママや志緒姉の言う事きちんと聞いてたよ」
小学校低学年くらいの可愛いい女の子が佐藤さんに抱きつく。
「父さん、家に行こう。また遠くに行くんでしょ?だったら今日だけでも、お話聞かせて」
小学校高学年くらいの男の子が佐藤さんに手を握ってせがむ。
「この子達、パパを迎えに行くってきかないんですよ」
奥さんが優しい眼差しで話し掛ける。それは暖かな家族の光景。
(佐藤さんの事は守ってやるか)
今はどこまで戦えるか分からないけど、この家族は悲しませたくない。
佐藤さん家族と別れた俺は夜の街に繰り出す気も失せて、一人寂しくホテルへと戻って行った。
◇
そしてエスプリに転移する日がやって来た。あらかじめ送って置いた荷物の重さがオッケーなら、ゲートを通って転移するとの事。
「次、平野平さん……重量オーバーですね。荷物を減らして下さい」
おかしい。きちんと五キロ以内にした筈……まじか!俺の目に飛び込んで来たのはめだか文具と書かれた段ボール。中身は俺の商売道具である事務用品や文房具達である。
そして課長からのメッセージも入っていました。
“平野君へ、頑張って外国にも我が社の製品を広めて下さい 衣屋”
うん、課長には海外出張って言ったもんね。上手く出来なきゃ、元の木阿弥ならぬ元の三下営業だ……クーラーボックスと酒は諦めよう。