花の都、大東京
詳しい話は東京でするので、四井商事の本社に来る様にとの事。今分かる事はエスプリに滞在する期間は最低で二カ月。成果があれば本社採用もあるらしい。
でも世の中、そんな甘い話がそうそうある訳がない。俺は営業成績が飛び抜けて良い訳じゃないし、日本では目立った活躍をした事もないのだ。それに本社は俺がエスプリにいた過去を知らない筈。
(他の会社に遅れを取りたくなかったんだろうな。俺が向こうで知り合いの一人でも作れば、イニシアチブの端っこくらいは握れるだろうし)
別れ際、江里部長は一冊の小冊子をくれた。題名は“初めての海外転勤”海外に転勤する時に何を持って行けば良いのか書かれている。エスプリの名は伏せられているが、異世界何を持って行けば良いのか、持って行っては駄目な物が書かれていた。
とりあえず、電化製品は持っていけないらしい。重量のある物を転移するにはコストが掛かる上に、転移の際に機械が壊れてしまうそうだ。
原因は不明と書いてあるが、恐らく電子基板やバッテリーに魔力が流れて過電流状態になるのが原因だと思う。その所為で発電機も持って行けていないとの事。
(あの頃の魔力があれば発電機くらい余裕で保護出来たんだけどな……)
全盛期の魔力があれば大規模な結界を展開してトラック一台分の荷物でも保護出来たと思う。でも、今の魔力だと一人分の手荷物くらいしか保護出来ないのだ。
正直全盛期の魔力まで戻すには、かなりの時間が必要だろう……体力と一緒で魔力も使わないと衰えてしまのだ。充電は諦めて、電池を使う物に限定しよう。
幸いな事に支度金がいくらか出たので、必要な物を買い揃える事が出来る。ちなみに持っていける重さは一人十キロまでとの事。
二カ月暮らすにしては微妙な重さである。しかも規定が細かい。
例えば下着類はオッケーだけど、衣服は出来るだけ向こうの物を着用する様にとの事。これは“異世界人を誘拐して身代金ゲットだぜ”なんて展開を防ぐ為だと思う。
そして豪華な装飾品もNG。小冊子には盗賊に襲われない為と書いてあるが、王侯貴族の心証を考えての事だと思う。
エスプリの殆んどの国が未だに絶対王政が敷かれている。王族と会う事はないと思うが、貴族には警戒した方が良い。人にもよるが貴族の選民思想は、日本人の理解の範疇を超えている。“下々の者が僕ちんより豪華な物を持つのは許せないお!難癖つけて奪ってやるお”そんな危険なお馬鹿貴族が実際にいたのだ。
(基本は今ある物で賄って、足りない物だけ買うか。冷蔵庫の食い物は実家に持って行って……一応、これも持って行くか)
押入れの奥から出て来た物をトランクに詰め込む。それは手のひらサイズの円形の銀製品。円の中には六芒星が刻まれており赤・青・茶色・白・黄色・黒・透明の宝石がはめ込まれいる。貴族に絡まれそうな物だが、その心配ない。宝石は往時の輝きを失い、くすんでいるのだ。
何より、エスプリでこれを奪うとする馬鹿はいない。それは己の身の破滅を意味するからだ。
◇
俺がエスプリに持って行く物一覧
手回し式の懐中電灯(タブレットも充電可能)二つ・漫画やラノベをダウンロードしまくったタブレット・電池式のLEDランタン・大型のリュックサック・ソーラー充電可能な腕時計・携帯用のシャベル・アウトドア用の食器と箸スプーン・レインコート・市販の医薬品・電池式虫除け・予備の電池・防犯ブザー・下着類・パジャマ数着・十徳ナイフ・固形石鹸・シャンプー・歯磨き粉・歯ブラシ・洗濯石鹸・タオル大小・安全カミソリ(替え刃付き)・箱ティッシュ・トイレットペーパー・ファブリ○ズ一箱・安全靴・作業着三着・防刃グローブ・空のスプレーボトル・大型の水筒・寝袋・テント・保存食(缶詰等)・日持ちするお菓子・大袋の飴を六種類・各種調味料・ヘルメット・爪切り・厚めのクッション・クーラーボックス・お酒。
エスプリの酒はエールが一般的で常温で飲むのが普通だった。一日の仕事を終えてキンキンに冷えたビールで喉を潤す。それが数少ない俺の楽しみなのである。
向こうでも日本製品が買えるらしいが、輸送コストが掛かる分、少しお高いそうだ
◇
むわりとした熱気が身体を包み込む。周囲を見回すと忙しそうに歩く大勢の人。そして乱立する高層ビル。
田舎者がキョロキョロして怪しまれないかと心配になったが、誰も俺に関心を示していない。さすがは東京だ。
向こうに送る荷物は四井商事の本社に送ってある。まずはホテルに荷物を置いて、本社に顔を出す。 そこで詳しい話を聞いたら、残り時間は自由らしい。折角、東京に来たんだ。今の内に目一杯羽を伸ばしてやる。
……でけえ。そして立派だ。無事に四井商事の本社ビルに辿り着けたけど、圧倒されまくってます……これだけは言える、絶対に俺が来て良い所じゃない。
(負けるな、俺。俺の売り上げも四井商事の年商に含まれているんだ)
きっとタイル一枚分くらいは貢献出来ている筈。
出来るだけ平静を装いながら、ビルの中へと入る。当たり前だけど、スーツを着た人が大勢いた。俺もスーツを着ているのに、妙な居心地の悪さを感じる。
そうか、ここにいるのはサラリーマンじゃない。ビジネスマンなんだ。訳の分からない横文字ビジネス用語を使い、こっちが理解出来ていないと分かると憐れみを浮かべながら懇切丁寧に説明してくる奴等だ。
(さすが天下の四井商事.受付け嬢のレベルが凄い)
……俺なんかが話し掛けて苦情が出たりしないよな。いや、下心を厳重に封印して自然な笑顔で話し掛ければ大丈夫だと思う。
最高の作り笑顔で受付嬢に話し掛けようとした瞬間、誰かにがっしりと肩を掴まれた。驚いて振り返ると、ターミネ○ターみたいなごつい男が立っていた。
(どこかで見た事が……確か江里部長の運転手をしていた奴だ)
「平野さんですね。江里さんがお待ちです」
低く野太い声である。男は用件を言い終えると、俺の返事を聞かずに踵を返した……黙って着いて来いって事だろう。
(殺意や敵意はなかったけど、こうも簡単にバックを取られるとは油断しすぎだよな。ジョウ団長にバレたら説教確定だ)
ジョウ・ノミキヤ、人種は鬼人。俺と猛が召喚されたトロン皇国の騎士団長だ。そして俺の師匠でもある。豪快な人柄で部下から慕われていた。俺が日本に帰って来れたのも団長達の力添えがあったからだ。
男の後を着いて行くと、辿り着いたのは駐車場。高級車の展示会場並みに外車が並んでいる。
「あのどこに行くんですか?約束の時間がもう少しなんですけど?」
良く考えれば、こいつが江里部長と知り合いだと言う保証はないのだ。
(平和な日本に慣れ過ぎたな……待てよ、同じ会社の人間にさん付けはおかしい。普通は役職で呼ぶよな)
「江里さんは“詳しい話は東京でするので、四井商事の本社に来る様に”と言った筈です」
男は俺が疑いの眼差しを向けている事に気付いたのか、そう説明した。つまりこれから説明会場に移動するって事か……一休さんのトンチかよ。
「秘密漏洩を防ぐ為ですか?」
秘密裏に異世界と交流を持っていたなんて、他国に知れた大問題だ。
「詳しい話は向こうでしますので。乗って下さい」
男はそう言うと、あの高級外車の前で立ち止まった。中々の好待遇と喜んだのも束の間。車の中には堅気には見えない強面のお兄さん達が四人もいらっしゃいました。秘密漏洩&逃亡防止なんだろう……このまま行方不明にされてもおかしくない展開です。