辞令、交付?
また新作始めました。嫌われ者、俺元魔王の三作で進めます
幼い頃は、いつも優しさに包まれていた。失敗をしても苛められても、誰かがそっと抱きしめてくれて、優しく頭を撫でてくれた。
今は包まなきゃいけない年になったんだけど、残念ながら相手がいない。
三十路の独身親父が泣いてる子を抱き締めたら、通報されるのが関の山だ。
小学生の頃は脈絡もなく自分には特別な才能が眠っていると信じていた。
ある日、誰かに見出だされ漫画の主人公のように大活躍して、将来は順風満帆な生活を送れると思っていた。
一応、才能は眠っていて大活躍も出来た……そう、あくまで過去形である。俺の中に眠っていたのは今の生活……いや、日本ではなんの役に立たない才能だった。
誰か俺の中に眠っていた才能と、営業の才能を交換してくれませんか。
「やっぱり無理ですか?」
頭を下げながら、相手の顔色をうかがう。この話がまとまらないと課長にしかられてしまうのだ。
「平野さん、すいません。このキャラはうちの店とあいませんから」
俺の名前は平野平太、三十五歳。文房具関係の営業をしている。役職はまだない。ついでに独身、正確に言うと彼女もいない寂しいおじさんである。
そんな俺が今訪れているのはデパートの中に入っている書店。プライベートでは絶対に立ち寄らない高級デパートだ。当然、客層もセレブな方ばかりで、俺の安物スーツだと場違い観が半端じゃない。
「そうですよねー。このお店の客層はハイソな方ですし」
愛想笑いを浮かべながら、テーブルに並べたポップをしまう。ポップに描かれているのはギャグ漫画テイストの狸。少年漫画雑誌ゴロゴロに連載されている“ぽんぽこタヌキたま吉”である。下ネタ満載で小学校低学年には人気があるが、PTAからは“お下品ざます”と敵視されているらしい。
俺の営業理念は“お客様のニーズに合った商品をお届けする事”だ。言葉巧みに高い商品を売りつけても、評判が下がるだけで結果的には損をする。相対的に俺の成績が下がってしまう。
そんな俺がなぜ高級店の雰囲気をぶち壊す様なポップを置いてもらえるか頼んでいるのか……答えは簡単。うちの親会社がたま吉とコラボしたので、取引先にポップを置いてもらえとの厳命がくだったのだ。
結果、俺は理念をドブに捨て頭を下げてお願いしているのである。
……理念や情熱で飯が食えたら、苦労しません。
でもこの書店は高級な文房具を取り扱ってくれる大事な取引先。下手に粘って機嫌を損ねたら、大変だ。置いて下さいとお願いした事実が大事なんです。
「平野さん、大丈夫ですか?今回のコラボ力を入れているんですよね?」
はい、雑誌広告どころかテレビCMまで出してます。購入特典のたま吉グッズが事務所を占領しており、足の踏み場もありません。
「隣町のショッピングモールにお願いしますので心配しないで下さい。あそこのお客様はファミリー層が中心ですので」
隣町にあるショッピングモールも俺のお得意様だ。子供連れのお客様が多いから、たま吉の需要がある筈。休日に行くとほのぼのファミリーオーラで、打ちのめされるのだけが難点である。
「お力になれず、すみません。うちも昔ほど文房具が売れないで……ライトノベルは売り上げが良いんですけどね」
昔は純文学や歴史小説が主力だったそうだが、今は漫画とライトノベルが棚を占拠している。
(異世界転生か……異世界って、そんな良い所じゃないんだけどな)
俺は高校生の時に異世界に召喚された経験がある。異世界の名前はエスプリ、ネットどころか電気すらない不便な世界である。
そして俺は一緒に召喚された勇者大空猛とパーティーを組み、魔王を倒したのだ。ちなみに俺のジョブは精霊剣士。剣に精霊の力を宿して戦うのである。俺には精霊とコミュニケーションを取る才能があったのだ。普通の人間は精霊の姿を見る事さえ出来ないらしいが、俺は会話をする事も出来た。そして多くの精霊と契約を交わし、無事魔王リュグジュールを倒したのだ。
……しかし、日本には精霊がいない。つまり俺の才能は宝の持ち腐れなのである。
何よりいい歳したおっさんが“俺、異世界に行った事があるんだぜ”と言っても生暖かい目で見られるのがオチである。
◇
めだか文具と書かれた社用車の前に立つと自然に溜め息が洩れた。
俺が務めているのは日本屈指の大財閥である四井商事の文房具部門四井鉛筆の……孫会社めだか文具だ。正確に言うとめだか文具青森県支部の地方営業所勤務である。当然、四井商事の本社に行った事はない。
(さてと、なんて言い訳するかな)
スマホの電源を入れようとするも、手が震えて力が入らない。しかし、営業所も出てそれなりに時間が経っている。そろそろ成果を報告しないとサボりの疑いを掛けられてしまう。
覚悟を決めてスマホの電源を入れる。同時に鳴り響くコール音。
「はい、平野で……」
「ひーらの君、こんな時間までなにしたのかな?もしかして、僕のお昼休みを潰すつもりなの」
ねっとりとした嫌味な声である。電話の主は衣屋実……俺の直属の上司だ。
「衣屋課長、連絡が遅くなって申し訳ございません。取引先との話が長引きまして」
哀しいかな、かつての英雄も今やしがないサラリーマン。上司には逆らえないのだ。
「それなら当然契約が出来たんだよね?……いつも言ってるよな!契約を取れないと粘っても意味がないって。お前が無駄にした時間にも給料を払わなきゃいけないんだからな」
電話開始三十秒で嫌味とお小言の雨あられを浴びさられる。今はしがない営業でも、元は歴戦の勇士。俺は冷静に防御魔法“ヘイシンテイトウ”を発動させた。
「誠に申し訳ございません。課長のおっしゃる通りでございます。今直ぐ隣町のショッピングモールに向かいますので」
裏道を使えば、時間を短縮出来る。最悪、昼休みを犠牲にするしかない。
「無駄だよ。あそこには亜紀ちゃんを向かわせたから」
山城亜紀は今年うちに就職した新人だ。今どきの子なのか、上司にもフレンドリーに接する。俺がやったら説教確定なんだけど、衣屋課長はデレデレで山城さんを依怙ひいき……物凄く目を掛けている。
それにしても酷い。トンビに油揚げをさらわれるってレベルじゃないぞ。
「はい?なんで山城さんが行くんですか?追加の注文は来てない筈ですけど」
でも、ここで感情的になったらアウトだ。相手の言い分を聞いた上で、有利な条件に持って行く営業の腕の見せ所である。
「営業に決まっているじゃないですか。新人に大口の契約を取らせて、自信を付けさせる。職員育成の基本ですよね?」
しかし、敵もさるもの。ぐうの音も出ない正論です。でも、ここで認めてしまったら、営業成績に大ダメージが発生してしまう。
「しかしですね。先方には私の名前でアポを取っていますし」
なんの為に休みの日にイベントを手伝いに行ったり、わざわざ遠くまで行って買い物をしたりしていると思っているんだ。少しでも取引先の心証を良くする為だぞ。
「それじゃ平野君は、新人の亜紀ちゃんに飛び込み営業をしろって言うの?……平野君、僕達が頑張らないとめだか文具は名前まで無くなっちゃうんだよ」
……元々めだか文具は東北地方のみを販売拠点としている文房具屋だった。だから高卒の俺でもすんなりと入社出来たのである。
しかし、バブルが弾けて経営が悪化、四井商事に買収されたのだ。めだかが持っていた特許と東北地方に根付いた営業能力が欲しかったらしい。いわば外様会社なのである。だから営業以外は全員クビにされてしまったのだ。
結果、残っているのはめだかの名前と俺達営業だけ……その営業も個人経営の文房具屋が減り、ネット注文が主流となった今では売り上げが少なくなっている。四井内での立場が弱くなっているのだ。
◇
営業の神様いるなら、俺に起死回生のアイデアを授けて下さい……そう祈ってみた物の何のアイデアも生まれないまま帰社してしまった。
(随分と高そうな車だな……どこのお客様だろ)
お客様専用の駐車場に見た事がない高級外車が停まっていた。うちの営業所は雑居ビルに入っている。他にも色んな営業所や事業所が入っているから来客は多い方だ。しかし、あんなタイヤ一本で俺の愛車が買えるような、外車が来る事は滅多にない。
今言える事は一つだけ、あの外車にかすり傷をつけてしまったら、数か月分の給料が吹っ飛ぶって事だ。大回りして、外車を回避する。
(運転手、ごつい!もしかして、誰かやばい人の女に手を付けたのか?)
その点、俺はここ数年お店でしか女性と触れ合ってないから安心だ……少しだけ泣きそうになった。
たま吉グッズが入った段ボールがとんでもなく重く感じる。ドアを開けたら、鬼のような顔になっている課長がお待ちかねなんだろう。
営業が上手くいった時は天使の羽なみに軽く感じられるドアも、今は魔王城の扉より重く感じられる。
「平野君、暑い中ご苦労様。荷物重いでしょ?僕が持つよ」
出迎えてくれたのは満面の笑みを浮かべた課長……この数十分で何があったんだ?あんな笑顔、奥さんが里帰りしている時しか見たことないぞ。
「君が平野平さんですか。私は江里唯人と言います。少しお話があるんですが、時間は大丈夫ですか?」
話し掛けて来たのは高そうなスーツを着たイケメン。年は二十代半ばくらい、頭も良さそうで正にエリートって感じだ。そしてエリート独特の威圧感が凄いです。しかし、ここは俺の城、負けてたまるか!
「平野君、江里様部長は四井商事の本社からお見えになれたんだよ。江里部長、時間いくらでもありますので、あちらの応接室をお使い下さい」
課長が揉み手をしながら、江里にすり寄っていく。課長のお子さんと年齢は変わらないのに。
(ほ、本社?四井商事の本社?しかもあの若さで部長なのか。本物のエリートじゃないか……しかし、そのエリートさんが俺に何の用だ?)
ここは俺にとっては城でも、向こうにしてみれば歯牙にもかけない小さな砦だ。そこの平社員なんて道端の石みたいなもの……俺、なんかしたか?法に触れるような事はしていない筈。まずい、もう胃が痛んできた。
「衣屋課長、ありがとうございます。平野君、良いかい?」
漫画やドラマならへらへらした態度で“俺、これから昼飯なんですよ”とか答えるのだろう。そして俺は幾千もの戦場を駆け抜けきた経験がある戦士だ。
「もちろんでございます。江里部長は、お茶とコーヒーのどちらがよろしいですか?」
戦場での鉄則、上官や強敵にはむやみに逆らわない事。本社の部長に逆らったら無職になってしまう。
◇
応接室、掃除以外では入る事のない禁断の部屋。そこで本社の部長と面談なんて胃が悲鳴をあげるぞ。
「平野平太さんですね。改めまして四井商事資材部の部長をしている江里です」
資材部、四井商事で作っている製品の資材を一手に取り仕切っているエリート部署だ。そんなお偉いさんが俺にさんづけ?……決めた!今日の晩飯はインスタント雑炊にしよう。昼飯は胃が受け付けないからパスだ。
「ひ、ひ、平野平太でございます。今日はどういったご用件で、このド田舎に起こしになられたのですか?」
そして沈黙……俺なんか失言した?夏だと言うのに冷や汗が背中を濡らす。
「先日行った健康診断で秘密裏に行われた検査があるんですよ。ある適性を調べる物だったんですが、平野さんの数値が我が社の中でトップでした」
なんだろう。嫌な予感しかしない。何万人もいる四井商事社員の中で俺がトップになれる値ってなんだ。
「そ、そうなんですか?後学の為にお聞きします。なんの適正値でしょうか?」
再びの沈黙。体感時間と実際の時の流れの格差が凄まじい。
「……平野さんは異世界って信じますか?数ヶ月前、異世界人を名乗る者が、日本政府にコンタクトを取ってきたそうです。その人は地球では存在しない鉱石を持っていたそうなんですよ。異世界人の要件は日本の優れた文明を教えて欲しいとの事でした。その代わりに向こうでしか取れない物を輸出してくれるそうです。資源問題に頭を悩ませている日本政府はすぐさま了承しました。しかし、ある問題が発生しました。異世界に転移出来る人間には条件があったんですよ」
魔法抵抗力か。異世界転移には凄まじい魔力が必要だ。いくら魔法陣で保護しても、普通の日本人には耐えられないだろう。
「もし、信じると言ったらどうなるんですか?」
俺はいかないぞ。危険でなんの娯楽もない世界に決まっている。
「平野平太に四井商事資材部異世界資材確保係への出向を命ず。勤務地は異世界エスプリ。ちなみに君は私の直属の部下になる。ここまで話を聞いたからには、断れないからな」
エスプリって俺が前に召喚された世界じゃないか。そりゃ、適正があるって……あそこ元カノや王族と結婚したダチがいるんだよな。
(断るか?しかし、断ればクビになるし、政府を敵に回すのはやばい。出向とはいえ、本社と繋がりが出来れば、出世の糸口になるよな)
「お受けいたします。具体的な日付等を教えて頂けますか?」
町から出なきゃ魔物と遭遇する事はないだろう。過去を隠して、出世に繋げてやる。
午後五時に二話を更新。一週間連続更新を予定してます