9<孤児院視察>
「元気にしていたか? アリス」
「はい!」
元気よく返事をすれば、ふ、とほほ笑む騎士様にドギマギとした。
急に恥ずかしくなり、顔を伏せる。
「司祭殿。
アリスを預かっていただき、
なんとお礼を申し上げたら良いものか。
それなのに無沙汰をし、大変申し訳なく」
「あ、ああ何の。
こちらこそ、かのご高名なサトゥーン伯爵様御自らのご来訪、
光栄のしきりでございます」
僕が俯いている間に司祭様は普段の振る舞いなんて忘れたかごとく、一般的というには、ややお淑やかな挨拶をしてみせた。聖職者なのに、下から様子を伺うような上目使いではあるが。
「その若さで近衛騎士団の副団長とは、異例の出世です。
両陛下からの信頼の証でありましょう」
「……だと、良いが」
「ご謙遜を」
騎士様は苦笑していた。
話の節々で二人の立ち話を耳にしているけれど、やっぱり騎士様は凄い人みたいで、なんでも王様が認めるほどにとんでもない功績を打ち立てたがゆえに、副団長としての地位を得たんだとか。
ほう、と僕のことでもないというのに感嘆の息が出る。
(本当に立派な人なんだなあ……)
父や兄よりも逞しい体付きで、素人の僕の目では追い切れないほどに騎士様はあっという間に敵を屠った。野盗たちにとっては呆気ない人生の幕引きではあったがあのときの、圧倒的な強さ。それほどまでの剣術を見せつけてくれた騎士様は称賛されるや否や、すぐに以下のようなことを言う。
「私よりも強い者たちがいる」
(……信じられない)
ゴマをすっているようにしか感じられないのだろう、騎士様は本気でそう思っているようだった。実に謙遜したがりだったけれど、僕みたいな弱い人間のほうが圧倒的多数だと思う。
年齢は話の流れで出た。
まだ20代、だってさ。30代じゃなかった。
(騎士様には驚かされっぱなしだよ、僕)
「……実にお若いですな」
司祭様は見開いている。
まさか、そこまで若いとは思わなかった。僕もそう。
「老けて見える、とよく言われます」
「……サトゥーン伯爵は落ち着いておられるから、
そう見えてしまうのでしょう」
大人ならではの、取り成しという名の微妙な雰囲気を形成しつつ。
先頭を歩く司祭様に誘導され、道なりに教会へと入る。
地面を踏みしめて両開きの扉から身を滑りこませれば、冷んやりとした空気が身を包む。たちまちに礼拝堂の高みにおわす、慎ましやかな微笑をたたえる聖女様のお目見えだ。昨日の掃除のお蔭で、本日はより一層ピカピカで美しい。床も塵ひとつ落ちていない。並ぶ横長の椅子と椅子の間には通路があり、僕たちは互いの歩みを慮りながらゆっくりと進んでいく。
窓からの斜陽はより一層、礼拝堂室内の厳粛な空気を醸し出しているし、騎士様の金色の髪を煌めかせた。
「ほう、これが聖女像ですか」
礼拝堂に響き渡る足音がぴたりと止まった。
騎士様は仰ぎ見る。
「ええ。聖女様の像です。
物珍しい初代の。
微笑の聖女様であられます」
「……なるほど」
「もし鮮やかな色味がつけば、この世とも思えぬ、
女神のごとき美しさでありましょう。
絶世の、世界一の美女と謳われておりましたから」
司祭様は言いながら、祈りの印を捧げる。
「ぜひ、お目にかかりたいものです。
……この老いぼれが生きている間に」
騎士様は無言だ。
返事をすることなく、祈祷中の司祭様の後方にて跪く。
僕もまた大人たちの後方にていつものように頭を下げてお祈りをしたが、気もそぞろだ。
なんだか騎士様が少し、疲れたように瞑目していたから。
盗み見ることしかできない僕は、彼の広い背中をただ、眺めることしかできないでいる。
それから、騎士様と共に教会を初めとしてあちこちを見て回った。
聖女様への解説は司祭様が専門家だからあれこれと説明していたけれど、そのたびに騎士様は眉間にしわが寄っていた。多分、騎士様は苦手なのかもしれない、聖女様のこと。ラビトは聖女様信仰に関してはやけに熱心だったから、僕としては真逆過ぎるそれぞれの反応に不思議なものを眺める心地だ。
正味な話、意外だった。
ラビトは、まあ……初恋のような恋煩いだし。綺麗な女性だけど冷たい体の彼女は醒める夢だ。信仰の延長にしかならないだろう。
けれど、恩人たる騎士様の場合は……貴族だ。貴族は聖女様信仰に熱心だというし、聖女様を嫌うなんてほどではないとは思うけれど、でも、綺麗な聖女様なんだもの、ただの像だとみなしていない懐疑的な目を向ける僕みたいな不心得者にとっては立派な騎士様の態度は安堵する。重荷が降りた、というか。
だって、聖女様は僕の村にもちゃんとあって、しっかりと奉られていたのに大して信仰していない僕だけが生き残ってしまったんだから。聖女様は全員に優しい手を差し伸べない。ただの人形だってことは、ここ最近の僕の思考的帰結だ。ラビトはあの見た目に惑わされているけど。
(何が微笑の聖女様、だ)
ふて腐れる。
僕のこの、聖女様への忌避感は恐らく誰にも理解されないだろうと思っていたけれど、でも恩人たる立派な騎士様の態度をみれば、別に不思議でもなんでもないと気付くことができた。聖女様を信仰することが国教であるアーディ王国において、そんな罰あたりなことは出来ないと秘していたけれど、でも、騎士様に相談したらそれなりの答えが返って来るのではないかと心がざわつく。
司祭様がいるから、そんな懲罰されそうなことはおおっぴらに言えないが、騎士様ならきっと認めてくれる気がした。
「ここが孤児院でございます。
教会と併設してる施設でございまして、
二段ベッドにそれぞれの子供たちが宛がわれております」
実際には、幼子であったり年齢は分からないがそれなりの背丈しかない子供たちは二人でひとつのベッドを共有し合っているが、そのようなことは一言も喋らない司祭様。
ベッドに添えられた洗濯物が綺麗に畳まれていることを見せつけ、ちゃんと孤児院を経営していますよと、国に仕える騎士様に宣伝していた。
「それで、ここがアリスのベッドか?」
「は、はい!」
まごつきながらも頷けば、僕の寝床、いや、僕の小さな部屋ともいうべき下段ベッドをしげしげと見定める騎士様に、僕は少し、気恥ずかしさを覚えた。立派な人にそこまで見詰められるほどの大層なものではないので、なんともいえない羞恥に身もだえした。
(き、昨日洗濯したばかりのシーツ敷いたし。
汚れもないし、ほつれだって直したし!)
おまけにベッドの具合を調べるためか手探りで遠慮なく触れている騎士様に、頭の中が真っ白になった。
(ま、枕まで!)
手に取り、柔らかさを調整した僕の枕をじっくりと検分なされている。壁の染みや天井、果てはカーテンまでめくったりしている。大きな体の騎士様が背を丸めている姿はいっそ滑稽なほどだ。
当然、他の孤児たちの部屋についても騎士様はあちこち気にしていたけれど、僕はといえば、あまりにも騎士様が生真面目過ぎて心臓が痛くなるほどだった。孤児たちの食事についても、騎士様は司祭様と話をしている間、僕は落ち着きを取り戻すために窓辺から見え隠れする他の孤児たちの様子を視界に収める。小太りなラビトが、ラベンダーの花々からその頭を突きだし他の孤児たちと談笑している姿が目に入った。この時ばかりは、ラビトが羨ましく思えた。聖女様信仰に熱心な変な奴だけど、ああして特にこだわりなく他の孤児たちと会話ができる。その心をひけらかすことが出来る。信じられる相手は生まれてすぐに周りにいて、それしかないのは分かっているけれど、でも、僕みたいに失った悲しみを知らない、捨てられた孤児と比較すると。果たしてどちらが幸せなんだろう。
とても、遠くに感じる。
これが、彼らと僕の間にある境目。
「……アリス」
振り返れば、騎士様が僕の頭を撫でてくれていた。
見上げると、騎士様はにっこりと口元を緩め次は畑に向かうという。
くすぐったくて、なんだかわからないけれど無性に騎士様に縋りつきたくなった。