7<微笑の聖女様への敬慕と、司祭様による唐突な警告ならぬ伝達事項>
そのせいか、誘われるかのように続々と他の孤児たちもこの部屋に集まりだした。ひょっこりと顔を覗かせた彼らは僕たちが外の世界の話をして盛り上がっていたことを知り、駄々をこねる。仕方なく、また四方国家の話をしなければならなくなった。僕は断りきれない。
だって、こんなにもせがまれたら、誰だって。
孤児院における労働の後、一通りの作業を終えた孤児たちのお楽しみ、それが寝物語。
そう、僕が父さんから聞いたような、そんなものだった。僕の役割は。
(父さんも、こんな気持ちだったのかな)
僕の洗濯物を畳む合間も、彼らは待ち構えている。まだかまだか、とそわそわして。
――――そして、それが毎日のように行われたためか。
子供たちは、僕の聞きかじった知識を水を吸うようにして吸収していく。もっと未知なる外の世界について知りたいと、彼らは頼み込んできた。父さんは話上手だったから、僕はしっかりと語ることができたか自信はなかったけれど、もっともっと、と言い張る子供たちを話し終えた後も寝かしつけねばならないほどには喜ばれたようで、好評いただいた僕としても嬉しくて嬉しくて、嬉々として喋った。
生活の張りが出てきたように思う。子供たちの表情も心なしか明るい。僕も、この語りにおいて彼ら孤児たちとの間に距離が縮まって、仲良くなっていったように感じる。
(僕も孤児だけどさ)
ここでの生活はだいたいにおいて同じことの繰り返し、ではあったから。そんな折、ふと僕は考えたことがある。でも、それは土台難しいことだとも悩んだ。僕は字の書き方も、本当は教えたかった。僕だって学びたいことであったから、きっと彼らにとっても良いことになると思った。練習すればするほどに上手くなるのが字だ。脳裏に描いた若手騎士たちの字面を思い起こしながら人に教えることにより、自分で自分を高めていけるだろう、彼ら孤児たちは素直に僕の話を聞いてくれた最中でもあった、きっと真っ直ぐに線を引けるはず。
(そのはず、だけど……)
司祭様に禁止されている以上、おおっぴらには教えられないことだった。
でも、アリス先生と呼ばれて。あれこれと質問され、答えられることに僕は少し鼻高々、とまではいかないけれども、単純に。僕は必要とされているって実感できた。
特にラビトはその一番の生徒で、気になることは何でも尋ねてきた。
ラビトは聖女様に拘る。多分、聖女様が理想的な女性像、ってやつかもしれない。兄さんと一緒だ。だから、余計に親近感が湧く。パッと見、ただの冷たい像でしかない聖女様の像だけれど、ラビトはもぞもぞと、あの服の上から女性的な盛り上がるものを目にしては、少し視線を落として恥ずかしそうにしている。そこは兄さんと同じじゃないけれど、同じ男だから意味は分かった。
「……恋?」
「うわあ!」
ぼそっと囁けば、ラビトは飛び上がるようにして横に跳ねて転んだ。僕は、そんなラビトに苦笑する。礼拝堂には他に複数の孤児たちがいて、そんなラビトと僕の諍いを眺めては、またかと言わんばかりに各々、それぞれの中断していた仕事を再開した。
「ちょ、アリス!」
「悪い、悪い。いや、なんというか。
微笑ましいというか、気持ち悪いというか」
「どっちだよ……」
ラビトの手には綺麗な布が収まっている。拭くようにと割り当てられた担当だけれども、どう考えても奥手そうなラビトには、この像を綺麗にするという作業は気恥ずかしいものなんだろう。ましてや初恋のようなものを抱いているようだったし。
(像に恋、か)
確かに理想的な美女だ、聖女様は。
けぶるような長いまつ毛までも再現されているし、ただ、あの薄らとした色使いまでは像だから肌の色までは分からずじまい。色素が付着されていないのが残念だったけれど。
国境沿いの村にあった教会の絵は古ぼけたものだから、さほどの鮮やかさはなかった。でも、ほんわかとした聖女様の笑みは、好きだった。綺麗な聖女様。
(この像に色がつけば。どれだけ、美人なんだろうな)
ラビト、失神しそうだな。
僕は人知れず、くすりと口端を緩めた。
「交代しようか?」
「い、いや、いい!」
聖女様の像を掃除する担当は、ここ最近ラビトばかりがやっている。
女の子が担当のときはラビトだって文句は言わないけれど、
「オ、オレがするから!」
異性が担当しそうになると、こうなる。
頬を染め、気恥ずかしそうに丁寧に拭き抜く彼の姿は滑稽ではあったが、しかし、第三者からの視点からしてみれば、どこか初初しいものがあって。
(にやける、ってこういうことを言うのかな)
ラビトの、女性の魅力的な部分を頑張って視線を逸らしながら綺麗にしようとする、その涙ぐましい努力は称賛に値する。はっきりいって僕はいじり倒したかった。でも、ラビトの果断なき努力の為に、ぷるぷると震えることにする。我慢するのは大変なことだったが、唇を引き締め、礼拝堂の床を濡れ雑巾で拭くことでなんとかその瘧を治めることができた。
振り返り見やれば、どうにかラビトはやり遂げたようだ。
僕は褒めちぎろうと近寄ったが、彼はぎくりと身を強張らせて逃げ出した。
そんな、大した日々ではない毎日のある時。
すでに日数さえ分からないぐらい孤児院に馴染み始めた僕を、司祭様は呼び出した。礼拝堂の奥に部屋があって、そこが司祭様の居室だ。孤児たちの狭いベッドが部屋のようなものだとすれば、司祭様の自室は大変広くてよろしい。僕は羨ましいとは思ったけれど、でも、ラビトを初めとして仲良くなっていった彼らと離れ離れになりたいとは到底思えなかった。
文字を書くなと禁じられて以来、苦手意識を持っていた僕は初めて入室した司祭様の部屋が想像していた以上に綺麗にされていて、棚には聖女様関連の書物でいっぱいになっていたのを興味深く眺めていた。埃ひとつ落ちていない。アーディ王国の国教でもあるこの聖女様信仰は、はっきりいって僕の村では毎週祈るほどのことではない。ただ、毎月行われる救済日だけは僕の萎びた村でもしっかりとやっていて、王都ではちゃんと毎週祈りが捧げられているということを知り、驚いた当時を思い起こしていた。
「アリス、明日、お前にお客様が来られる」
「え?」
しょっぱなから、司祭様はとんでもないことを言い出した。
ぱちくりと瞬く小さな僕を睥睨する老年の大人は椅子にゆったりと座りながらも、机越しに僕を見据えながら大事なことをゆっくりと、子供でも忘れないようにと言い含める。
「近衛騎士団の王族付きの騎士、副団長様だ。
この教会にとっても、まさかあのお方がわざわざ、
アリスを指名して来られるとは思わなんだ」
「え、あの」
「……ただ単に、そこいらのアーディの騎士に救われただけかと思っていたが、
…………伯爵様に拾われていた子供であったとは」
皺が寄った目を僕に注ぎながら、司祭様はため息交じりに語る。
「かのお方は我々よりも遥かに身分が高く、貴族だ。
お前のような農村の孤児には、有難いお方だ。
……寵愛される、とは思わんが……」
僕は怒られるかもとびくびくしていた。でもそれは、毎夜のように行っていた僕の話ではなかった。ただ、どうも面倒そうにしていた。
「まぁ、良い。
お前があのお方に好かれるなら、それに越したことはない。
……かのお方に失礼なことをするなよ。
余計なことは喋るな。何があのお方の不興を買うか分かったものではない。
良いな、アリス。
貴族を怒らせるな」