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5<孤児院での暮らし>

 幾つかの手狭な部屋に、びっちりと敷き詰められた二段ベッド。

僕もそのうちの一部屋の、下段ベッドが割り当てられた。ぼそぼそとした、何度も洗って干したと思わしきシーツだったけれど肌触りは悪くなかった。

布団は、寒暖の差が激しかった国境沿いの村よりも厚みはないけれども、眠るには十分なものだ。

枕は中が柔らかすぎるため、あとで手直ししたいところだが。

 僕は小さいなりに幼子というほどの年齢でも見目でもないためか、二人で眠ることを強要されることはなかった。明らかにおしめが必要な、あるいは夜泣きするような子供たちは奥の引っ込んだ部屋を宛がわれ、幼子と同室の年長たる女の子たちが面倒をみている。


 「新入りって運が良いよな。

  アーディの騎士に助けられるなんて」

 「……うん」


 ありきたりではあったけれど、孤児に至る経緯を話すことによって受け入れられた。

家族を失った子供はこの時代、別に不思議でもなんでもないが、ただ、僕のような殺される寸前だった孤児は同じ雰囲気を持っているらしくて、そういった悲惨な目にあった子は僕から視線を外す。

 多分、与えられた痛みを思い出すからであろう。





 孤児院での生活は、僕にとってつまらない日々だった。

騎士たちと歩いていた数日前に比べると疲弊はしないが、楽しくもなかった。とにかく同じことの繰り返し。毎日、教会が育てている紫色の草花や野菜の草とりや掃除、それに大して美味しくない料理の配膳手伝い。

 特に、出される食べ物関連は本当に不味かった。パンと味の薄いスープのみ。水は井戸から各々自分でお代わりできるけれど、正直いって従軍時よりも惨い。若手騎士がくれた携帯食だと言って笑って渡してくれた飴玉の、なんと甘ったるかったことか。農村ならではの飢えや寒さがないのは嬉しいが、一人ぼっちの僕には寂寞せきばくの上塗りでしかない。

 つまんでいた雑草を取り終えて付着した土を払い落として腰を上げると、司祭様がやってきて洗濯物を片付けろと言ってきた。担当者がいるはずだったが、時間がかかっている模様だ。素直に司祭様についていく孤児たちを背景に、夕闇が迫っていることを知った。

 僕は見据える。確か、あそこから。あの王都に繋がっている大道から、僕はやって来たのだ。貧しい村だった。だけども皆が皆活気に満ち溢れていて、どうしようもないことで笑ってさ。

 子供たちは手伝いをするけれど、大人たちは決して子供たちの飽き性を怒ったりせず、夕暮れに影を引いて帰ってきても文句は言うけれども微笑して、どこで遊んだのか、誰と遊んだのかと聞きたがった。

 同じ部屋に住む孤児が、立ち尽くす僕に気付いて戻ってきた。

 

 「アリス? どうしたの」

 「……なんでもない」


 僕は、喉を詰まらせながらも。

少しだけ、心を締めつけられた思い出たる過去に冷ややかな蓋をすることにした。





 週末に与えられるお菓子は癒しであったけれど、毎度の奪い合いにも辟易としていた。

集まる近所の大人たちはそれを見て面映ゆそうにしているが、小さな子にとっては弱肉強食を目の当たりにした心地でぎゃん泣きだ。毎月ある救済日であれば僅かばかりの甘味を必ず平等に与えられて平和ではあったんだけれど、毎週の奪い合いである、このけたたましい悲鳴は耳が痛い。せっかくの自由時間が騒々しくて、僕は地面に書かれていた文字を見下ろしてはため息をつくばかりだ。

 

 「……なぁ、アリス、

  まだ機嫌が直らないのか?」

 「うん」

 「はっきり言うなぁ、こいつ」


 覗き込むようにして口出ししてくる孤児がいる。

冴えない顔つきでやや小太り気味なこいつの名前はラビト。

孤児院の前で捨てられていた赤ん坊だった。

 

 「そんなに勉強、したかったのか?」


 ラビトは、僕が書いた文字を司祭様が足で踏みつけ、もう二度と書くなと言われたことを知っている。


 「うん……」


 ラビトからの視線を避けるようにして、せっかく書いた文字を、僕は自分の足でしっかりと、靴でぐしゃぐしゃにして消した。

 




 僕にとって不思議でしかないがこの教会を管轄する司祭様は、僕が勉強することを疎んでいた。


 「そんなことをしている暇があるなら、少しでも手を動かし、

  聖女様に献身の姿をみせよ」


 だそうだから。

名前を書くことは出来る、という辺りまでは司祭様は感心してくれたんだけれど、それ以上の学びは僕には必要ないんだってさ。

 (訳が分からないよ)





 ぽつん、と一人で考え込む時間があれば、いつも頭の中で居座っているのは騎士様だった。


 ぎゃあぎゃあ喚く赤毛の子を無視、真っ先に僕の震えを気にした騎士様。ずっと二の腕と、吐いて吐いて具合の悪い僕の背を何度もさすり、その澄んだ瞳に、僕の汚れた顔を映しとっていた。

 騎士様だって、男だ。

だのに、どうしてか分からないけれど彼に慰められるようにして柔らかく触れられると、安心することができた。ちゃんとした恰好をしていたから、というのもあるだろうし、驚かないよう静かな語り口で僕に幾度も声をかけてくれたことも安心する運びとなったんだろう。目の前で、僕を痛めつけた原因をやっつけてくれたことも一因か。僕だって、何故あの騎士様であれば不安に苛まれないのか不思議だ。

 とにかく僕は、一人になりたくなかった。

怖くて怖くて。

排せつしに行く時も、一緒にと懇願した。

 そして、それは追いついた騎士団と合流するまで続いたんだけど、そのたびに傍にいたあの赤毛の子が不機嫌になって、リディ、と呼ばれたかの騎士様に縋りついて怒りだし、その様相はさながら毛を逆立てる猫のようだった。いや、犬かもしれない。常に騎士様の傍に居座り、騎士団に合流するまで、否、合流してから以降もずーっとへばりついていた。そして僕を睨みつけることも決して忘れない。

 農村で飼われていた犬も、あんな風にお気に入りのご主人様がいると離れず傍にいたし、どうして僕はあの赤毛の子をそんな動物に例えてしまうだろう?

 (変なの)

 不思議に思っていた。母親大好きな子供でも、あんなにべったりな奴はいなかった。

でも、簡単な答えだった。あの綺麗な赤毛の子は、決して騎士様以外と口を利かなかったんだ。そうか、なるほど。動物と一緒だった。言葉を理解できないなら、あの子供は動物と同等。人間ではないのだ。

 (本当、貴族様の考えって分からないや)

 こんなつまらないことを考え込んでしまうのも、昼間の、畑の収穫作業を終えたからこそなのかもしれない。文字を書くことは禁じられていたし、司祭様の目を掻い潜ってやることも、まあやってはいるけれど、でも、聖女様のしもべの言葉を無視するのはどうにも気が引ける。罪悪感が募る。かといって遊ぶにしては孤児たちと僕の間では僅かばかりの距離感があるし、僕は経験してしまった惨いもののせいで、どうにも心が死んでしまっている。楽しむ、ということが家族との共通の思い出である文字を書く、ただそれだけしかなくて、他は正直、心が弾むなんてことはもう。

 ベッドに横たわってぼうっとすることぐらいしか、暇な時間、することはなかった。

 ラビト。彼は誰にでも仲良くできるところがあって、僕にもそれなりに親切な奴だ。ただ、彼は見目通りにやっぱり重たいので、ベッドの天井がぎしりと鳴れば落ちてくるんじゃないかって錯覚に陥り、たまに怖く感じるときがある。

 ラビトが羨ましい。

 (……僕が失ってしまった、感情を持っている)

 他人に親切にしてやれる。

 彼は、知らないのだ。

ただ捨てられただけの子供だから。

 理不尽な暴力と、痛めつけられる苦痛。嘲笑される、情けない自分。

若手騎士も、あれから顔を出してくれない。騎士様も。

 金色の後頭部へと撫でつけた後姿。

ぎゅっと唇を引き絞り、子供たちの居眠りの声を耳にしながら両目を閉じ続ける。


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