4<孤児院へ>
僕の恩人、命を救ってくれた騎士はそうして一緒にいてくれて、しばらくの間僕の話を頷いて聞いてくれた。アーディ王国へ向かう途中に見た景色のこととか、若手騎士たちとの話。国境沿いにある村で育った僕には、何もかもが新鮮で目新しいものばかりだった。特に王都は。身振り手振りで伝えてもみたが、
(ただ、ただ、)
つまらないだろう、と思う。
でも、僕が語れるお喋りはこんな程度だ。僕の人生はこれだけしかなかった。
それでも騎士様は、そうか、と頷き。
見上げるまでもなく、また僕の頭は前後に回される。撫でられているのだ。
そのせいで、騎士様の表情は分からなかったが。
(……こんなことする人、初めて見た)
大人になったら分かることだが叙勲を受けた騎士であり、かつ貴族の地位さえも持ちあわせるお人が、たかだが孤児になったばかりとはいえ、このような子供相手にこんな真摯な態度をとるなんて。普通はありえない。ましてや腰を曲げ、背中を丸めてまで、小汚い子供と視線を合わせる大人なんてものは。肉親でしかありえない所作であった。
小さな両手を合わせ鏡のようにモジモジと摩りながらも、僕は、命の恩人と向き合った。
背丈がちょうど、騎士様の視線とぴたりと合う。
(緑……、ううん、碧?)
騎士様の眼は、透き通って見える。
顔は真顔だと強面だけど、すっと通った鼻筋は綺麗に真っ直ぐだし悪いものではなかった。
じっと見詰めていれば、その唇がやにわに開いた。
「アリス。
これから、君は孤児院へ入れられることになる」
「孤児院?」
「ああ」
と、そこで王の門から慌ただしい足音がして、恩人たる騎士は、目端に捉えたらしい彼を迎えるために背を直立に正した。
さてやってきたるは、見覚えのある若手騎士であった。
若手騎士の中で、もっとも僕を可愛がってくれていた人だ。
「副団長!」
彼は年長である金髪碧眼の騎士に、小声で用件を告げた。
「……がお呼びです」
「今すぐ、か?」
「はい」
唸り始めた騎士様、気難しそうに眉根を寄せて僕に視点を移す。
その表情、困惑したものだった。
僕が瞬いている間に、迷いながらも騎士様は決めたようだった。
「すまないアリス。
私がその孤児院に掛け合い、
見ておきたかったんだが……」
「孤児院?」
それにぴくりと反応を示したのは、若手騎士である青年だった。
「孤児院にアリスを連れて行くんですか?」
「そうだ。
本当は伯爵家に連れて行けばいいのかもしれんが」
「え! じゃあ、それならそちらのほうが、
将来安泰じゃないですか!」
アリスにとっても良いことじゃないですか!
と、若手騎士は叫んだ。僕は突然の大声にびっくりした。
「……だが、それではアリスの、
将来の選択肢を狭める可能性がある」
「へ?
何をおっしゃいます。
サトゥーン伯爵家のお屋敷って普通に良い職場ですよ?」
「そう、だといいがな。
しかし、このようなまだ若い身空で、
いきなり将来まで定めてしまうのはいかがなものかと思う。
最初だけは保護できる……、
だが、ずっと面倒を見てやるには難しい。
いずれにせようちの家令が黙っていない」
「おっかないんですか?」
「……まぁ、な」
言いながら、サトゥーン伯爵家、と関わり合いがあるらしい金髪碧眼の騎士は、ふう、とため息をついた。腰にある剣の柄に手を置いて金属音を鳴らし、小さな僕を瞳にうつす。
「伯爵家は厳しい家柄だ。
子供だからって容赦はしない。
本当は私が側にいればいいのだが、
……アリス、君は可能性のある子だ、
貴族の家に子供の頃から奉公させられるよりも、
君にとって見合う仕事が見つかるかもしれない」
それから、金髪碧眼の騎士が告げた通りに僕は孤児院へと連れて行かれた。
若手騎士は最後までサトゥーン伯爵家に下働きでもいいから子供でも働かせたらいい、厳しくてもなんとかなる、って言ってくれたけど恩人たる騎士は、その太い首を横に振ってばかりだ。
そして僕に対し、一旦貴族の家に入ってしまったらそこから出ることはできなくなるだろうと、何故かすごく僕を心配した目で見詰めてくる。
それもあの、翠とも碧ともいえる瞳で。
(僕としては、まぁ、貴族は気に喰わないけど。
でも、食べていけるなら仕方ないと思う。
けどあの人がそこまで否定するなら)
そのほうがいいのではないか。
まだ見ぬ末来は不安だが、大人たちに言われるがままに僕は歩む。
「ごめんな、アリス」
道中、茶色の髪を持つ若き騎士はそう言って僕を慰めた。
絶対、伯爵家が良かったのに! うち、貧乏な漁村でさぁ、と続く言葉は若い騎士の実家の話に繋がった。彼は平民出身の騎士で、他の若手騎士からの話によればそれ相応の槍を使う、槍の名手なんだとか。若手騎士の間でも頭角を現している内の一人なんだという。
その噂を本人に教えてあげると、彼は照れて無口になるんだけれも、今はその口を尖らせている。
「あの副団長、頑固な時は凄く頑固だから」
でも優しいんだよ、などと、ついでとばかりにぼやく。
騎士様は誰にでも親切で、騎士の鏡とか理想の騎士だとか言われ放題であるらしい。
「……我らが幼き主は、そのせいか我儘で」
騎士は、言いながらその眼差しを王城へと向ける。
丘の上に立つかの城は、下々の住む家々を睥睨するかのように荘厳な佇まいで夕日を浴びていた。
王都から少し外れたところに、孤児院はあった。
孤児院は教会と併設されていて、ちょうど教会入口から出てきたのはいかにも真面目そうな老年の司祭様。彼は当たり前のように僕の身柄を引き取った。
司祭様の後ろには教会の窓があり、そこからさまざまな顔を持つ孤児たちが興味深そうに僕たちを見詰めていた。彼らもまた、僕と同じ孤児のようだった。手に手に雑巾や木でできた掃除道具を持っている彼ら。今後の僕はあの子たちと同類になるのだと直感する。どうしようもないほどに見知らぬ狭そうな世界に、僕は放り投げられようとしている。まるで見えない穴倉の底に。身震いがした。
「じゃあな」
若い騎士は少し涙目になりながら、僕をここに置いていった。
急にやってきた心細さにしがみつきたくなった。
(行かないで!)
何度そう思ったことか。騎士の後姿に手を伸ばし、裾を引っ張ろうとした手を緩めて脇に下げた。
僕の幼い手では、若手騎士の青年に負担を強いるだけのことだと分かりきっていた。
短い間だったとはいえ、まるで弟のように面倒をみてくれた人である。これ以上の厄介になりたくはなかったし、それに。
意気地なしの僕は、これから生きていかねばならない。
死を選ばなかった僕は、生存しなければならなかった。あの時の家族のように死にたくはなかった。だから、なにがあっても僕は生き延びようとしていたのだ。死ぬ勇気はない。
「アリス、お前にはこれからこの孤児院で生活してもらうことになる。
我儘も不満も口にしてはならない。
何故なら、ここにはお前と同じ孤児が多くいて、
お前よりも小さな子が暮らしている。
お前よりも泣き虫でいつだって悲しみを抱えている子がいっぱいいる。
聖女様はおっしゃられた。
誰にでも悲しいことはある。当たり前のことだ、と」
「はい……」
「よろしい」
司祭様はそう言って聖女様へ捧げる印を祈ったあと、孤児院へと続く扉へと向かった。ゆったりとした歩みでローブの裾をさばく老年の動きを認めつつも、ついて行こうとする最中、教会に設置されてある聖女様の像をこっそりと盗み見る。村にあった聖女様の絵よりも立派で、美しい笑みをたたえている。ピカピカだ。カビが生えてない。それでいて冷ややかな体を持ち、真正面から側面へ視点がずれると麗しの輪郭が見え隠れした。
(……なんだろ)
ふと、脳裏に誰かの横顔がよぎった気がした。