20
食事の席は基本同じ場所を同一の人物が占有している。
規則ではないけれども、自然そうなってしまったものらしい。孤児院で初めて食事を摂る際ラビトの隣を使っていたので以降、まんま僕の座る席となってしまった。
お蔭でここ数日間、朝昼晩の食事がしんどい。
腹を満たす作業が、やや沈黙に保たれ続けてしまっている。ただでさえ美味しくないというのに気落ちしてしまう、が。
(このままではいけない)
僕としても、この現状はなんとかしたい。孤児院で一緒に暮らしている関係上、気まずい空気は吹き飛ばしてしまいたいものである。
あれこれと喋る切っ掛けとして話題を提供、重苦しい空気改善を試みる。
「ねえ、ラビト」
話しかけてみれば、ラビトのうだつのあがらない小さな瞳が僕のほうにほんのちょっとだけ意識を向けた。言葉を続ける。
「昨日、穀物があんまりとれてないって、
王都の人が言っていたらしいよ」
「へえ」
「それでパンの種類が変わるかもしれないんだってさ」
「ふぅん」
「でもそうなると、パンの色が黒から何色になるんだろ?」
「うん」
(駄目だった)
僕のなけなしのお話は寝物語で鍛えられているはずなのに、今のラビトにはちっとも役立たない。頷いてはいるが、返事の仕方が雑だ。上の空過ぎる。
あれこれと試行錯誤している内に、時間は過ぎ。ぼーっとした面持ちで席を離れ食器を重ねて立ち歩いていくラビト。返事ぐらいはしてくれるが、明らかにカラ返事だ。通用しなかった。
(……重症だ)
しかも芳しくない成果を得るたび、三つ編みおさげの子にじーっと見詰められるのだ。僕が。
強い視線を感じ取りそろそろと面を上げれば、僕とラビトのやり取り、しっかりと見届けていたものらしい。テーブル向かいにいる彼女に含みのある視線を向けられてしまったため、嫌な思いをする。
(勘弁してよ)
肩を竦めるけれど、彼女は駄目とばかりに真顔である。あぁ、もう。
(良かれ、と思った)
でも、そうじゃない場合もあるってことも考慮しなければならなかった。
数日前まで仲の良かったラビトの遠ざかる丸い背を見送りながら、靴の中の指をもぞもぞと蠢かす。
テーブルには未だ、僕が完食しきれていない噛み切れないパンとスープが生き残っていた。
アンジュ、トリス、テス、プティア
羅列したのは死んだ友達の名前だ。
幸せを祈りながら名づけられたはずなのに。
(今頃は空の上を漂っている最中だろうか)
深夜。寝返りを打ちながらも目を瞑る。
(どうしよう……)
それだ、問題は。
あんなに元気だったラビトがここまで引きずる、なんて夢にも思わなかった。あれから幾日かさらに経過、僕とラビトの距離は伸びやかになったままだった。僕はなんともしがたい気持ちを転がす。
今までにない経験だ、ここまで人間関係に綻びが生じるなんて。
我ながら対処のしようがない。相談すべき相手もいない僕には、今回の問題は難題過ぎた。一番の相談相手であった兄さんは僕の始末を笑いつつも、真剣に解を教えてくれただろうが。
年長組にあれこれと言うには、僕の言動はきっぱりと言い過ぎた。
あるいは、彼ら年長孤児たちにも、ラビトのような。あるいは、ラビトよりキツイ態度を取られるかもしれない。それは僕が困る。
(謝罪、すべきだろうか?)
しかし、今更な気もする。
あのラビトのことだ困った顔してうん、と言う。それだけかもしれない。
けれども、あの僕の発言は真実だった。
僕の真意。嘘、をついてしまうのはいかがなものか。
しかし、友情、を優先すべきなんだろうか。
友のためなら嘘ぐらいどうってことはないのかもしれない。
……でも、僕とラビトの間にあるものは果たして友情なんだろうか。
(あれから、僕の感覚は麻痺している)
内的なもの、といったらいいだろうか。
衝撃的なことが立て続けに起きたせいで、どう判断すべきか分からなくなってしまった。心に蓋をし続けてしまったせいかそのあたりの感覚がどうも鈍くなってしまい、途方に暮れる。
僕とラビトは外見からも出自からしても、違う性質を持つ。
ラビトは孤児院育ち、孤児院以外を知らない。
対し、僕は孤児院は入りたてだから知らないし、ちょっとぐらいなら世間を知っている。
(お金の使い方とか、社会の断片とか)
ラビトは、特に聖女様の話を好んだ。
だから聖女様のことでもしてやれば、いつものラビトに早変わり! もとに戻るかもしれない、と思ったものだが、当のラビトに話すには少々及び腰になってしまう。
(……僕が、初代聖女様への想いをけなしちゃったし)
さすがに無神経過ぎる。だが初代聖女はこの世に存在しない。それは事実だ。
もし、仮初であったにしろ、聖女様がもしおられるとしたら、それはまさしく像。作り物の中でしかないは、ず……。
「あ」
ぎゅっと、僕は布団を両手で抱きしめて発想の転換をしたことを認めた。
今まさに。
一瞬のうちに閃いた、過去の幻影。
かっと両目を見開き、いつもの薄暗い天井をじっくりと仰ぎ見た。
変化のないものだというのに、それはあまりに現実的に感じた。
(僕は解決策を見つけてしまったのかもしれない)
赤毛の端がゆらりと揺れる。
過去の想い出は灼熱ではあった。だが、その燃え盛る炎が惑う先に金髪碧眼の騎士様がいらして。傍にいる赤毛の少年が、騎士様に向けてそっと手の甲を差し出した。それに、跪いた騎士様は応える。「我が君、」と。
(そうだ、たとえ誰であれ。
性別がどうであれ。
聖女様、のそっくりさんであれば)
ラビトは元気になるはずだ。
あの顔だけは良く似た、美しい赤毛の子。
僕を憎々しげに睨みつけていた、騎士様を独り占めにする悪い子……。
気付けば僕は。
奥歯を強く噛み締め。布団の裾をもぐっと握りしめ、虚空を見詰めていた。
一度、落ちた闇はどこまでも落ちるものだった。
見晴らしの良い場所へ赴きたいと思うものだが、人は、えてして暗い場所が温かいと宣うことがある。僕もまた、そのうちの一人だ。
―――――けれど、問題は山積みだった。
本当は騎士様に相談すべき、かもしれない。だが、僕は騎士様に助力を願うほどに構って欲しがる幼子にはなれない。あるいは、孤児の中にいる誰かに初代聖女の面影がありさえすれば、ラビトも少しは満足するかもしれなかった。でも、いなかった。この孤児院に、まず赤毛の子供自体がいない。
ラビトは相変わらず、微笑の聖女様の像を綺麗にしていた。
(飽きるかも……)
なんて願ってもいたが、そんなことはなかった。
ラビトはどんな日も、聖女様担当を止めたがらない。執着、といっていいだろう、あの手のものは。趣味といってもいいかもしれない。兄さんも、聖女様の絵を眺めるのが趣味であったし。ただ、兄と違い、ラビトの場合はどうも本気が混じっているようだった。だから、僕は失敗したんだろう。
兄は絵は所詮絵であると頭の片隅で分かっていた。
だから、大丈夫だと思った。でも、違ったんだ。
僕は取り戻したかった。
かつての時間を。ラビトと軽口を言い合い、あれこれと協力し合う日々を。あるいは世話を焼いてくれた風邪は、まあ、あまり意味のないこともあったけれど、気は病から、ともいう。ラビトの呑気そうな雰囲気や、他の孤児たちからの励ましは僕にとってほっとする一枚の絵のようだった。そう、兄さんが村の聖女様の絵を、どこか憧憬のように優しく眺めていたように。カビ生えてるってこっそり僕に教えてくれたけど、村の聖女様を不始末に扱ったりはしなかった。決して。
(……好ましい、と思う)
ラビトは悪い奴じゃない。
(第三者からそう見える、ってことは、友人なのかな)
布団の上に置いた、己の肘をいじいじと撫でる。
ラビト。
小太りの男の子だ。桃色で目立つ色の髪である僕とは違い、彼は茶色だ。
肉に潰れた小さな瞳をしているが黒々としていて、しっかりと両目は開いている。見えるの? なんて、だいぶ失礼な質問をした年下の子供相手に怒ることもせず、逆に笑っていた彼。
湿った顔じゃない、僕が見たい顔は。
(……楽しくないラビトなんて、ラビトらしくない)
ラビトの態度に、他の孤児たちもまごついている。いつもの彼らしくないと、もっとも身近にいる僕へ相談してくる始末。新人孤児なくせして、僕はラビトともっとも身近な関係になっている、ということらしい。いや、まあそうかもしれない。僕はずっとラビトに面倒を見て貰っていたのは、事実だもの。仲良くなっている、のは認める。
(やっぱり謝るべきかな……)
でも、世の中そんな甘くないってことは分かって欲しかった。
僕が選ばされた選択肢は、二つ。心臓が痛くなる思い出。過去。ぐっと拳を握ってしまう、苦い記憶。ぐぐぐと掴んだ指をわざとらしく解放すれば、ため息もおのずと出てくるというものだ。僕の手は汚れている。
(生きるために僕はやりたくないことをし、理不尽な暴力を受けてもなお、
死にたくないから、あんな惨めな思いをした)
「はあ……」
あの地獄は、口にすべきじゃない。
ましてや、この孤児院の世界しか知らない子供に。僕だって子供だ、でも知らなくていい苦労だってある。ということは、僕は。
(理解、して欲しかったのかもしれない……)
あの炎に包まれた村で生き残ることを選んだ僕は、どうにか痛む心に蓋をして生き残っているけれど、でもふとしたときに出てきた気持ちは釈然しがたく。
どうして、僕だけが家族を失い、友も住処も喪失しなければならなかったのか。
(……そういや、なんでラビト、太ってんだろ)
ついぞ聞くことのなかった問いかけが唐突に浮かぶ。
さすがに尋ねづらい質問だ。身体については相手が気にしている場合がある。子供同士でも気兼ねすることも、まあまあにあることだ。