19
嵐のような強風が吹き抜ける早朝。夜明け前から風が強いままだった。
ガタガタガタガタ、と時折、走る暴れ馬のごとき木枠の窓に孤児たちがそろって怯えるも、灰色の空を飛びまわる愉快な小枝の動きに慣れてしまったものか、右向き左向き、次第に見守るようになる。
「うあー」
「面白ーい!」
あどけない瞳は爛々と輝いていたが、興味の対象が別のものに移り変わるのも早かった。
ひとりの少女が僕の前へと駆け寄ってきた。
「ねーアリス、お勉強したい!」
頭に一本縛りを年長女子にしてもらっているおませなおチビちゃんは、アリスのもっとも優秀な生徒だ。地面に書いて示したお手本を見比べながら、えっちらほっちら小枝で真似をする。誰よりも一番に自分の名前が書けるようになった。
「けど礼拝堂のお掃除終わってないよ」
「えー」
意欲の高い生徒に僕は苦笑する。
全員がこの子のように学ぶ意欲があればいいのだが、そうじゃない。頭っから否定する子供たちのほうが多かった。特に年長組。
縫い物を抱える、三つ編みおさげの女の子。彼女もその内のひとりだ。
「そうよ、ちゃんとお掃除しなさい」
「ええー!」
彼女は必要最低限以上の学びは必要ない、と考えている。
縋るように僕の腰回りに纏わりつくおチビの重みは、どこか既視感があってむずむずとした。
三つ編みおさげの子は、そんなおチビの態度に思うものがあるのだろう、眉をきりりと上げて詰め寄ってきた。
「だってそうでしょ?
名前以外に、わたしたち孤児に何を求めるというの」
(これだもの)
顔を顰める。
彼女たち年長組は忙しい。与えられた仕事量が多いからだ。
また、器用さを武器に仕事を得ようと思っている。最悪身を売ることも覚悟しているらしいが、その最終手段をとらないための時間を捻出しようとも考慮しないでいる。できるのに。
(なんて言うと、怒らせてしまうから……)
女の子たちを敵にして良いことはない。
黙っていると溜飲が下がったのか、足早に後姿をみせていなくなる。衣類の裾上げをするつもりなんだろう、大量だった。抱えている責任感を僕は尊敬するが、けど、でもと僕がまるで我儘みたいな錯覚に陥る。
(どうして、理解してくれないんだろう)
目下の悩みだ。
息をつきつつ、僕は小さな重みをかけてくるおチビに、まずやるべきことをやっておこうと告げる。
「お掃除、終わってからでいい?」
「いいよ!」
キラキラと光る小さな瞳に、僕は目元を和らげた。
外は灰色の雲に覆われていて薄暗い。飛び交う物があちこちにぶるかって跳ねる音がして当然、外仕事をすべきではない。大人でさえ出かけるのに渋るであろう、天候の悪い日であった。またこの時期、やることもそう多くなかったため、孤児たちはゆっくりと掃除をすることになった。ぺちゃくちゃと外の嵐に負けじと喋り倒しながら。
「そこ、さっき拭いたよ!」
「ええー早く言ってよぉ」
「さっき言ったし!」
「嘘だあ」
子供らしい騒がしさに、いつもなら叱りつけにくる司祭様はいない。
聖職者たちお偉いさんが集まる会合のようなものがあるらしく、昨日からいなかった。
今日は天気が悪いし、しばらくは帰ってこないで王都で足止めでも喰らっている……なんて、他の孤児たちも同じことを思っているらしく、真面目な先輩孤児たちも心なしか雑巾を動かす動きがトロトロと鈍い。天候は酷いものだけれど概ね、のんびりとした空気が漂っていた。
(明日晴れたら、畑仕事や教会周りの整備かな)
倒れたラベンダー株や、虫の腐った何かが固まった除去、道端に落ちた葉っぱの掃除もしなければならないんだろう。柵の手直しもしなきゃならないだろうし、明日は大忙しだ。
帰ってくるであろう司祭様の引きつった顔が目に浮かぶ。
ここは親のいない子供たちのための救済措置である。
国が支援し、聖職者が代々受け継いだ孤児院がその働きをしている。
とにかく生かす、ことだけを目的とした建築物だ。
その容れ物に入れられた僕は、大人の言うことを聞くしかないが、しかし、ある一定の年齢に達すると社会に放り投げられる。
(捨てられる、といったほうが正確かな……)
社会の厳しさは親からも言われている。
甘いものばかりではない。
問題は、僕の場合は親がいるからどういった振る舞いをすればいいか、なんとはなしに分かっている部分があるが、大問題はラビトを初めとする彼ら、孤児院育ちの子たち。彼らだ。
(……僕も、まあそういう意味ではまだマシといった部類ってだけ)
後見人もいる。
僕は一人じゃない。
でも、彼らはそうじゃない。
(リディ様は理解しているのかなぁ……)
どうも忙しそうな騎士様だった。
この孤児院についても、気がかりなことがある。
(……疲れることばかりだね)
頭の中はぐちゃぐちゃに疲弊しっぱなしだ。
とにかく考えることが多い。
司祭様は皆の予想通り翌日に帰ってきた。
そして想定していた通りに孤児院の外周りを隅々まで整えることになった。
「まったく酷い嵐だった。
……収穫時期にあれほどの風が吹き付けるとは。
あれでは麦の穂が倒れ、得られるものが少ないだろうて。
おお、聖女様よ、哀れなる我らにご慈悲を!」
ローブ姿のままに地面に跪き、天に祈る司祭様。
ラビトはそんな老年の聖職者にある種の尊敬の念が芽生えたのか、同じように祈りを捧げている。ぎょっとした。
「ら、ラビト……、
そんなことしたって、聖女様が慈悲をくださるとは思わないよ」
「馬鹿だな、アリス」
しかし、ラビトは頭のつむじを天へとへりくだったままに、僕に教えてくれた。
「敬虔なる信徒の、強い願いが、祈りが、
ちょっとした奇跡を叶えてくれることだってあるんだよ。
たとえば、微笑みの聖女様が御姿を現してくれるとか!」
「あり得ない」
「即答すんなよぉ」
(そんな欲望まみれの願望)
涙目のラビトをしり目に、僕はひたすらに考える。
(どうして、そんな夢やありもしない希望に縋るんだろう)
僕にも覚えのあることだ。
ただ、僕の場合は現実に即した本物の生きた騎士様であったし。実際に助けてくれた。奇跡の体現者だった。けど、聖女様は違う。ただの像で、過去だ。本物の、悪い言い方だが残飯。粒さえ残っていないだろう。
「ラビト、夢を壊すようだけど。
聖女様、ってのは確かにいた。
でも、もう遠い昔の話なんだよ。
……ラビトが一生懸命綺麗にしているあの聖女様の像は、
初代聖女様だけどさ、初代はもうこの世にいない。
どれだけピカピカにしたって、帰ってこないんだよ。
その努力は実らない。見返りなんてありえないよ、
ラビトのささいな願いさえ叶えてくれないんだ」
「……アリス……」
ラビトは目元を擦りつつ、立ち上がった。
「お前、本当、手厳しいよアリス」
「どうも」
「褒めてないから」
それから、木枯らしの飛ぶ草の上のゴミをまとめたりして燃やしたりしたが、小太りの少年は黙りこくったままであった。僕とも話をしようともしないし、遠いところを見詰めている。
(はあ)
現実を知らしめ、諦めたら良いと思ったけれど。
早すぎたかもしれない。夢に浸かるぶん、彼は熱心な聖女様信仰者なんだろう。
(聖なる国、か……)
一番知っているのはその国の出身である司祭様である。
物憂げにしているラビト。食欲も前よりも良くはないし、もしかすると、いやもしかしなくても僕のせいなのかもしれない、なんて。
思う頃に、年長組の女の子に言われてしまった。
王都からやってくる幌馬車。僕たちはそこに、言われるがまま薪や樹枝を積みこんでいる。指示された量は半端ではない。だがやり遂げさえすれば、来年の孤児院運営費にはなる。
幌馬車の中でしっかりと組み上げていると、そそそと近寄ってきた。
「ねー、アリス」
「なに」
「アリスはラビトの友達なんでしょ~?」
「友達……?」
ぼけっとしていたせいか、首を傾げる。
頭が働かない。幌馬車の薄暗い中で樹枝込みの薪を運ぶことばかりしていたせいか。
「もう!
わたしからしてみたら、そうとしか見えない。
……ね、ラビト大丈夫なの?」
「え?」
「聖女様の像を綺麗にする係はちゃんと毎日こなしてるみたいだけど。
なんか、危なっかしい」
「うん……」
それは、僕も同意見だ。
「ねえ、アリスなら知ってるでしょ?
ベッドだって同じ二段ベッドなんだからさぁ、
しっかりしてよ~。
ラビト、友達なんでしょ。
友達の面倒、みてあげたらどう?
アリスだって看病してもらったでしょ~?」
正確には騎士様のお蔭だ。
けど、それは口にできずモゴモゴと舌の上に転がった。
僕のためとはいえ、こっそり忍び込んだせいで公言できない。
(あのふやけたパンとか正直……)
栄養不足さは否めない。熱は上がるばかりだったし、騎士様が来なかったらどうなっていたことやら。そんな困惑気味の僕を気付きもせず尖った棒状の枝をくるくると回しながら、年長女子はアリスにあれこれと指示してくる。
「アリス、ラビトのこと心配じゃないの?」
「……そういう、訳じゃないけど」