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18

 アーディ王国の誰もが、この日常が続くとばかり考えていた。


 きな臭い悲劇が時たま転がり込んでも、所詮野盗のやることだ。

数か月前、僕の故郷が滅ぼされたが、でも、それだけ。王都の人々は一瞬悲しげな表情を浮かべたが、同情するだけ同情し、時間がないから、といつもの生活に足を向けて動き出す。不審者はあちこちにいる。四方国家に囲まれているアーディ王国の土地柄である、どこからでも侵入口はあった。

 だから、ちょっとした不幸があったとしてもただの事件のようなものとして扱われ、右から左へと通り過ぎる。キリがないからだ。事実だ。日々の生活はたゆまぬ努力がなければ成り立たない。野菜も勝手に口の中に入るものじゃない。誰かが働いて作っているから食卓に上がるものだ。薪だってそう。どこぞの誰かが汗水たらして切ってくれるからこそ、暖炉に温かな光が灯る。談笑も、誰かがいなければ声は二重にはならない。

 不審な出来事は色褪せる。忘れ去られる。歴史学者が記述し、記録に村の名前が載れば御の字。

 

 でも、確実にその足音は近づいている。

執念深く、しっかりと見定めればその兆しはあったのだ。





 あれから、手紙を使う機会はなかった。

薬は必要な分薬箱に入っていたし、実質文字が読める僕だけが使えるものになってしまっていたが、子供が多い孤児院において傷薬の必要性は絶対だ。血をみて舐める子供たちを叱り、慌てて傷口を綺麗にする。たったそれだけのことなのに、クサイ臭いのする薬を塗りたくるのは嫌だとあえて傷跡隠す孤児が出始める始末。ため息をつく。

 僕は夜の寝物語を再開し、どれだけ傷口を清潔に保つのが大事かを解説するのに苦労した。

理解してもらう、という過程が辛い。子供たちはすぐに楽しい物語ではないことを看過し、嫌がる素振りをする。でも把握してもらわねば。

 (でないと、僕がいなくなったら)

 それこそ、大変なことだ。

過去、大きな事故にまみれて骨折した子がいたそうだが痛みに我慢をしてそのままにしてしまい、あらぬ方向に曲がったまま孤児院を卒業してしまった子もいたという。よっぽどのことでない限り、王都から医者を呼ぶことはないのがこの孤児院の方針であるらしく、本当にこの孤児院って何を考えているのかと子供ながらに僕は怒りを覚えた。でも、口にすることは叶わない。

だって僕はちからのない子供だから。

 後ろ盾、はいる。

騎士様のお蔭で僕は命を救われ、風邪も治すことができた。さらには騎士様は幼馴染みを介し、司祭様に苦言を呈したものらしく、司祭様から僕へ注がれる無言の視線は含みがあって気持ち悪い。

 司祭様はやはり、貴族位を持つ騎士様を恐れているものらしい。

けれど、どこまで融通を利かしてくれるのかさっぱり分からず。謙虚にすべきか、どうすればいいのか分からなくて、でも手紙で送るのはやはりよっぽどの場合だ。風邪を引いた以来、まったくもって僕は騎士様とお会いしていないからだ。

 (……分かってる)

 僕は構って欲しいだけだ。

 はあ、と息を吐き出す僕と、聖女様を綺麗に磨くラビトの息が重なった。

 互いに目と目を合わす。ラビトは相変わらず布きれ持って、聖女様像をピカピカにすることに執念を燃やしていた。


 「ねえ、ラビト。

  本当、ラビトって聖女様が好きだよね」

 「なななな、と、ととと、当然だろ!」


 挙動不審だが、ラビトはラビトなりに聖女様信仰をしている。

僕は長椅子の背もたれによしかかりながら、ラビトのうっとりとした、鼻の下を伸ばしきっただらしない顔を見上げる。

 (うーん……)

 良くわからないが、しかし、美女にたかる小太りな子供って構図はなんだか……ラビトが哀れに感じる。年齢差も甚だしく、これじゃもし聖女様が現実にいたとしたら豚に女神だ。そして女神様の好みにラビトが範疇なのか、僕には謎極まりない。


 「ラビト、あんまり寄りかかると聖女様、根本から折れるよ」

 「折れない!」


 ふんがーと怒り出すラビト。聖女様像に当たらないよう、遠心小さく腕を回していた。努力しているさまは滑稽だけども、熱意は感心する。雲上の人に恋焦がれるラビト。図らずとも、他人事ではない、と思い至り、はっとした。ふと、騎士様のことがよぎったのだ。

 

 「はあ」


 そういえば騎士様と僕の年齢差も、相当なものだった。





 食事は元々貧しかったものだったから、大した変化はなくいつものスープに、黒いパン、そして井戸から好きなようにお代わりできる新鮮な水という三点であった。

 

 「ねー、アリスー」

 「んー?」

 「あたしね、聞いたんだけどー」


 僕の席、隣に座る女の子は年長組のうちのひとりだ。


 「なんでも、王都のほうではねー、

  野菜のお値段が高くなってるんだってー」

 「へえ」

 「それでねぇ、娼婦の仕事もちょっと少ないかも、って。

  そう言ってたわ、姉ちゃん」

 

 この子には実姉がいる。


 「もし戦いが始まるとしたら、仕事は一気に増えるよーって」


 孤児院から出ても、兄弟が孤児院に残っていれば面会できる。

そうやってこの孤児院から巣立った子たちは王都の近況を身内に伝え、僕たちのような子らにもその当時教わった話をしてくれることがあった。


 「あーそれ、兄貴も言ってた」

 「でも建物を建てるとか、まだ道を作るとか? 力仕事はまだまだあるってさ」

 「景気良いとこあるんだねー」


 孤児院の兄弟たちは必死に働いている。

だからさほどの時間でしかないけれど、それでもなんとか工面し、彼らと会いにくるのを楽しみにしているのが伺えた。でも。

 (この孤児院から出て、立派な身なりになった兄弟は見たことがない……)

 がっしりとした体つきになるのは男が多いが、次第に顔に死相が浮かび上がるのが非情だ。なんでも酒に女に溺れる男が多くて、安い賃金を使い果たしてしまうとか。女は、やはり身分がモノをいう国ではあるため下っ端仕事が多い。いや、あって良いほうだ、悪い場合、やっぱり身を売る仕事が多々になる。そう言った場合お相手は安い金で欲しがる男ばかりを相手どって稼がねばならないため、若くその身を散らす者がほとんど。病気を押してやってくる元孤児の女性が妹と対面し、最後かもしれないと、悲しげな顔で立ち去るうしろ姿を目撃したことがある。娼婦の最後は、教会の共同墓地だ。

 (仕事を得るにも、背景がいる)

 孤児たちに身分はない。保証してくれる親がいない。

 ――――騎士様が言ってた将来の選択肢、について慮る言葉が蘇る。

果たして僕は、立派な大人になれるんだろうか?

 騎士様は僕の後見人になってくれるという。なら、少しは安泰だろうとは思うが、どこまで有効なんだろうか。分からない。

 司祭様が咳払いして他の孤児たちを払ってまで話してくれたことは、他の孤児たちにとってやっかみの対象になりえた。ただ、子供たちがその知識さえあるのか、甚だ疑問だが。

 僕の末来。

 想像する。

けれど、それはもやもやとした煙のようなものになり、人影のようなものにはなったが次第に溶けて消えてしまった。所詮は幻、そう、

 (騎士様の願いは、まるで……現実に即していない)

 選べるほどの道が、無いのである。

 けれどこのままじゃいけないことは分かる。

僕もこのままいけば、それなりの道に進むしかない。

 名前を書く以上の技術はある、けどそれだけ。

食べていくには何でもしなければならない。でも、自分の名前しか書くことしかできない孤児たちには、それ以上のことは出来ず。ただ、言われた通りにやるしかない。そして、その程度の給金しか発生しないのだ。

 上を目指すためには、やっぱり学が必要だ。

 (父さんが言っていたことだ……)

 寝物語を繰り返し僕に語ってくれたり字を教えてくれたのは、そのためか。父さんは学ぶのは大変なことだと言っていた。その理由は、なんとはなしに理解できる。

 (司祭様の態度を思えば……)

 家族のありがたみというものをこの時、久しぶりに身に染みた。

 そして、騎士様のことも。

 ここ最近、お会いしていないリディ様。

サトゥーン伯爵家の近衛騎士団の副団長。

 金髪碧眼の、通称リディ。

僕が目指すべき道は、彼にある、と僕はこの時、子供ながらに感じ取っていた。直感、といってもいいだろう。この孤児院じゃ、僕にとって学ぶべきものはなかった。孤児院を運営するための働きを日々こなすだけで、それだけの毎日だ。生きるためだけの。

 でも、それじゃいけないんだ。

僕は、このままじゃいられない。


 「いや、いちゃいけないんだ」

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