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 不審な供述を繰り返した侵入者は、ただちにいなくなった。経路である窓からの脱出は遠慮をし、扉から物静かに退出していったマジョラムさん。幼馴染みの言に従ったのだろう、素直な人だ。

 ただ、気がかりなのは彼自身の言動である。

あの口ぶりからして、司祭様と話し合いをするつもりなんだろうが、

 (……不安だ……)

 僕は呆然と、嵐のような彼の足跡を眺めるばかりだ。

 騎士様――――リディ、との愛称で呼ばれる彼、騎士様はしばらく僕の熱と付き合ってくれていたそうである。夢さえみず眠気に吸い込まれたままの僕のそばに寄り添い、バケツに突っ込んで浸した布を引き絞り、しょっちゅう額にのせてくれていたんだとか。夜長、マジョラムさんと明け透けな話をしながらではあっただろうけれども、僕のおでこを労わってくれる騎士の姿が瞼の裏に見えるようだ。なんと甲斐甲斐しいことか。

 ――――想像するだにこみ上げてくる愉悦さに、口元が微笑みに彩られる。

 額からは熱をはかり。耳朶には指先で触れ、聴覚を気にして。首の後ろやのど元を探り、脈の速さを数える。そして僕の肌の青白さを眺めては指腹でなぞり、場合によっては汗の量を確かめ。体重や、食欲不振。僕の声の調子をさも心配そうに、あの碧眼で見詰めてくれて。喉が震えそうになる。痛みではない。それは。……それは風邪ではなく。苦しみではない。

 (騎士様……、

  …………リディ、様)

 唇の形だけで結ぶ、恩人の名前。

 心の奥がほんわかと灯がともったように温かくなった。

 ――――今日も、孤児たちとって変わらぬ日々がやってくる。

 薄目を開ければ窓から朝の光が覗いている。眩く、室内も照らされた。

昨日のことがまるで嘘のような光景だが、ベッド脇には残されたバケツに僕が脱がされた服がきちんと置かれていて、僕に残されたものは、便箋に、インクとペン。ベッドに転がしておけないものだ。朝日に照らされ浮き彫りになったそれらは、黒いインクが入っているというのにガラス小瓶はキラキラと輝いているし、ペン先も固く引き締まっていて立派な鈍色を放っていた。

 特別な贈り物だ。僕だけの、大事な宝物。

 まじまじとその感触を指の中で確かめてあらゆる方向から眺め、そうして、ぎゅっと懐に抱きしめた。





 あのマジョラムという人は終始変な人だったが、ベッドの下に大事なものを隠さねばならない、のには道理だと納得する。文字を書くのを禁止した司祭様に取り上げられたら困る訳で。

 (……子供たちの遊び道具にされたら嫌だし)

 癒えたばかりの身体の節々がダルいけれども、孤児たちが目覚める前に秘匿しておかねば。

もそもそと動き出した僕は良さげな場所を手さぐりで探り、シーツ下のペラペラなマットの、それなりにふくよかそうな箇所をじっくりと見定める。ベッド上から不安定な姿勢ながらもぐっと覗き込み、腕を伸ばして宝物を入れて隠ぺいを図った。特にラビトは会話をしたがると、僕のベッドによく乗り上げるからバレないよう慎重に設置せねば。踏みつけられてインク小瓶のガラス部分が砕けてしまったら目も当てられないし、僕は本気で泣くだろう。そう、マジョラムさんによって強要されそうになった、兄さん呼びぐらい、には。

 (……よし)

 凸凹は出ないようにしておいた。これで大丈夫だろう。

などと安堵しつつ桃色の毛先を揺らす。頭に血がのぼる体勢は結構辛かった。病み上がりには。

 体重を支えるために掴んでいた腕力を緩め、


 「ふぅ」


 下げていた頭を上げようとした時期でもって、みしり、と天井から音が鳴った。

動揺した。そのせいか、身体の重心がズレてしまい、


 「わ!」


 ひっくり返る。

ゴロン、とベッドから丸まって転げ落ちてしまった。


 「い、ってて……」


 後頭部を抑え、慌てて辺りを見回せばあちこちから孤児たちの声が聞こえてくる。


 「え……」


 一斉に目覚めるのだ、まるで花が咲き綻ぶように。

はっとして注意深く見渡せば子供たちは皆、その目を擦りながら大きく欠伸をし、背伸びをしていた。

 (これ、って)

 驚愕した。

 だって、まるで魔法。

どういった仕組みで人体を時間通りに起こしたのか。時間を申し合わせたかのように子供たち全員が目を覚ますなんて、こと。あり得ることなんだろうか。いや、あり得ない。

 (薬?

  でも……)

 ぞっとする。二の腕に鳥肌が立つ。若い男の人だという認識でしかなかったが、

 (マジョラム、って人……)

 一体、何者?


 「アリス?」


 びく、っと身を震わせてしまった。

恐る恐る声のするほうを見やれば、そこには不思議そうな顔をしたラビトがいて。

目元を擦りながらの起床であったものらしい、上段ベッドから見下ろす形だ。

 思わず僕は、ごまかすために弱弱しい挨拶をしてしまう。

 

 「お、おはよ」


 床にへたり込んだままの不恰好な姿勢ではあったが僕の様子を見てとったラビト、その瞳をにわかに見開いたかと思えば、


 「アリス! 元気になった!」

 

 喜色満面になった。

身を乗り出したラビトの嬉しげな声は室内全域どころか、隣室にまで響くような波及する声量であり。


 「おーい、みんな!

  アリス、元気になったぞ~!」


 (え、え、え!)

たちまちに子供たちが飛び跳ねるようにして、口半開きの僕の周りに集まってきて、

 

 「アリス、元気になったからお話してね!」

 「オレも~」

 「あたしも!」


 背中に抱き着いてくる幼女や、目新しさゆえに変わった服だと袖口周辺を引っ張ってくる小さな子がふたり。とかく、わいわいがやがやと好き勝手言い放題になる。


 「顔色良くなったね!」

 「あ、う、うん」

 「パンのお蔭!」

 「いや、それは違うと思う、よ」

 「服、違うねぇアリス。こんなのあったっけ? ねぇ、ねえ!」

 「まだ喉痛い?」

 「あ、うん。少し」

 「じゃあ、お話は今度にしようぜ!」

 「ん」 


 交互に話しかけられたので目を回しつつも対応していると、朝ご飯の支度をしなさいと怒鳴りに来た年長の女の子たちが来たのでようやく解放されたとほっとする。

 少女は三つ編みの得意な子で、彼女自身も三つ編みおさげをしている。幼い女の子たちの髪の毛をいじるのが得手だ。そんな子だからこそなのか、真新しそうな、司祭の了解を得ていない寝間着を着用している僕に違和感を覚え、じーっと見詰める。


 「あら? アリス。

  ……その服、ずいぶんと良いものみたいだけど」

 「あ、あー、うん」

 「そんなものあったっけ?」


 ごもっともな意見であった。

しかし、どうにも答えられないことだった。


 「僕にも分からないよ」


 司祭様の皺のある老年の顔が浮かび上がり、もやもやとした不安が胸に広がったが。こればかりは、どうにもならない。子供である僕には。

 (大丈夫、だよねきっと)

 そっと、目を伏せた。





 「いただきます」


 村ではそこまでしなかった聖女様信仰も、ここでは当たり前のようにやらなきゃならない。

豪に入れば郷に従え。病み上がりにはやや窮屈な仕儀だけれど、右に倣えでちゃんとやっておくとそれなりに気が晴れるのだから宗教とは因果なものだと思う。損する気にもならない。人の心を捧げるものだから、だろうか? 久しぶりに食堂に入室し、聖女様に祈りを捧げてからの食事だ。

 さて、と僕は気を取り直し、スプーンを手に取り器を手元へ引き寄せる。

ほかほかのスープは相変わらずの味わいだが、

 (うえ)

 口に含めば病気でいる期間だと、僕の舌が若干馬鹿になっていたことを実感する。

 (やっぱり不味いや……)

 しみじみとそう思う。

 ちら、と見渡せばテーブルにつく文句言わず飲み干す小さな子供たちの偉さが身に染みる。偉い。

僕は外の世界の美味しい味を知っているから、どうしても比較対象が出来る。また治りかけの舌は真実の味というものを僕に教えてくれるものだから、どうにこの味わい深いものと、なんとかすり合わせ折り合いをつけねばならないことを思うとげんなりとする。しかしここで生活していく以上、我慢しなければならず。ただ黙々と消化に徹するのみだ。


 この孤児たちの食事の時間、司祭様が姿を現すことはなかった。

それは僕がこの孤児院に来てからずっとそうだった。気になったのは僕への対処だ。きっと、あのマジョラムさんは僕についての話をしたはずだが、一向にその姿を現さない。

 (どうなったのかなあ)

マジョラムさん本人も僕の前に出てこないし。この日一日、もやもやとした気持ちを抱えたままずっといるのも嫌なものだった。

 一方、隣にいるラビトはもごもごと、口の中にある人参の尻尾と格闘していた。


 「ねぇ、ラビト」

 「んむ?」

 「司祭様って、この時間何をしているの?」


 途端、苦い顔をしているラビト。苦戦している模様だ。なんで甘い味の人参が苦手なのかと首を傾げていると、向かいにいるおさげの三つ編み女の子がちょうどごくり、と黒パンを食べ終えたあたりだったので代わりに答えてくれた。


 「朝のお祈りよ」

 「お祈り?」

 「そうよ。知らなかった?

  聖女様に仕える者は、そうする決まりだそうよ」

 「そうなんだ。……知らなかった」

 

 僕の住んでいた村の聖職者は、野菜を育てるのに必死のようだったから。

 (死活問題だって……言ってたな)

 自給自足をしていたから、そういったお祈りなんて。食べることのできない仕儀、があるなんて知らなかった。祈るだけで食べることができるなんて、便利なものだ。特にこの教会では、近場の大人たちが毎週集まってお祈りを捧げているし。

 てことはやっぱり、村に派遣されたあの人は変な人なのかな。マジョラムさんみたいに、よく笑う人だったけれど。

 そう大きなものでもない人参をようやく呑み込めたラビト、ふう、と息をついた。ようやくの勝利を得たが、案外と不戦勝なのかもしれない。苦々しい表情のままだ。

 

 「朝、昼、晩、と。

  司祭様はね、お祈りの印を聖女様に捧げているんだ」

 「お祈り?」

 「そ、お祈り」


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